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     奥友志津子 フリースケッチ Ⅰ

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2020 新年のごあいさつ

2020-01-08 14:55:03 | 挨拶・開設にあたり
新年 あけましておめでとうございます

また、例のごとく 遅刻状態のご挨拶ですが。
(とほほ、すみませ~~~~ん)

ただ、例年と今年は違うぞ~!? と 思うところが
ありますの、ですの。

いやはや、この年賀状作り始めたのが 昨日の夕方だったのですが
なんと!びっくりしたことに
絵を描くのが楽しかったんですよ。

感覚の新発見があった、というか。
あれれ?私 絵が描けるんだぁ。。。。。
しかもなんか、自由に思ったように 描きたいものが
そこに出てくるぞ?。。。。。

といった感じです。

思えば プロとして絵を描き始めて、その場所(私はプロだい)の足場からしか
絵を描くことしかしてなくて

上手かろうが下手であろうが、自分の楽しみで紙に絵を描くってこと
長らくしてこなかったのかなあ。。。。。
ずいぶん不自由だったのだな。。。。。

と、思った次第。


今年は少しは 絵を描けるかな?


とまれ、元気でやってゆきましょう。
今年一年、皆様にとっても良い年でありますように。

どうぞよろしくお願いいたします。




イメージは変化する

2019-01-24 20:39:30 | ブログ

こちらの絵ですが、4年ほど前に描いた絵です。
日付を見ると2015年の5月に描いたものですね。

当時、ある出来事があって、すごく落ち込んで、そんなときに
自分の中のイメージとして出てきた子どもでした。

いわゆる、インナーチャイルドがこんな姿で
出てきてくれたんだと思います。

でも、この子ども、顔がわからないのですよね。
どうして 顔がないのか、表情がわからないのか、自分でも
謎でした。

私にとって重要な意味を持つ子どもらしく、
ふとした折に、その姿が思い出されるのでしたが・・・
依然として、どういう顔を持った子どもなのかは
わからないままでした。

ずーっと この子の表情を知りたいと思い続けていました。

最近まで。



で、今年に入ってだったかな。
また、この子どものことを思い出して

ちょっと変わったりしてるかな~~と 思い描いて
その顔をアップにしてみたら 


なんと、なんと 変化があったのです。



顔の中に  宇宙が見えました。




こんな風にです。


そして、その顔をどんどんアップにして
その宇宙に入り込んでみると






そこには広大な宇宙が広がっていて


ぼんやりと 顔が浮かび上がっていました。


こんなです。




この宇宙を視ている 意識・・・みたいな印象を受けました。
理由はわからない。
最初のちっちゃい女の子からなんでこういう風に
イメージが展開するのか、自分でも よくわかりません。

ただ、実際に私の内部ではこんな風にイメージが広がっていって


私のなかで、最初の顔のない女の子の顔を知りたい!という
切実な思いは消えました。


ああ、こんな風な宇宙をこの子どもは持っていたんだな~、という感じです。

ここが到着点なのか、この先もっと変化するのかは まだわかりません。

ちょっと 楽しみだったりします。




自分の中にあるイメージも変化します。


もし自分の中に 意味のあるイメージがあるのなら
時々意識に取り出して 見返してみるのも 面白いかもしれませんよ。

ご挨拶

2019-01-13 11:25:19 | ブログ
またまた、今年も遅れてのご挨拶とあいなりました。
なんとも申し訳ありません。


しかし、遅れてもなんでも とにかく挨拶するぞ!の
根性をほめてあげてください。(なんか 間違っているかも・えへっ)


最近のことですが下手でもいいや、絵を描いていければそれでいいや
って気持ちが出てきています。

昔みたいな緻密な絵はもう無理かもしれないけれど
今だから描けるものもあるかもしれない。

今年は、自分のペースで、それでも着実に
やってゆければいいなって、思っています。


よろしく お願いいたします

それぞれの荒れ地に佇む 2

2018-12-28 23:15:48 | ブログ
さて、前回は「元ボニータ読者さん」の コメントに触発されて描いた絵でしたが
今回は、私の中に繰り返し出てきていたイメージというか、脳内風景を描いてみました。

これが私の中にある荒れ野です。
(しかも実を言うと これだけじゃない)

ずいぶん若いころから こんな風なところをさまよっている自分を視ていたように思います。


荒れて枯れかけた草地。
しかも冷たい風が吹きすさぶがけっぷちを、一人で風に逆らいながらとぼとぼ歩いている私。


「そういう風にして生きている自分」というように 人生をとらえていたのかもしれません。



でもこれもまた、イメージのひとつです。


たぶん 私の中には何百も何千も何万ものイメージが蓄えられていて、その総体がいまここに現われている私なのじゃないかなあ…って そんな風に今は思っているのですが。

はて、どうなんでしょうね?


ただ、今の私が 昔と違うのは、確実に自分の中のイメージを変えることができる。
もっと楽な 苦しくないイメージに描きかえることができるよ・・と 知っていることです。

それぞれの荒れ地に佇む

2018-12-28 00:12:07 | ブログ

さてさて、またしばらくご無沙汰しておりました。
年も押し迫って、また絵を描く体制を整えております。

もう、8月のことなのだけど、いただいたコメントを読んでいるうちに、頭の中にイメージが浮かび、これは描いてみたいと思ったことがありました。

「元ボニータ読者さん」からいただいたコメントでしたが。

随分時間がたってしまいましたが、ようよう絵にできました。


ごめんなさい、たぶんご本人が持っているイメージとはだいぶ違うんだろうとは思うのですが、文章に喚起された私のイメージを描いたものです。

そして、たぶん・・・なのですが、こういったイメージって誰の中にもあるものじゃないのかな・・・と、今の私は思っています。

孤独とか、拒絶とか、悲しみ、静かな絶望――――言葉にすると、ちょっとありきたりで軽く感じられますね。。。。
でも、私はずいぶん長くこうしたイメージを抱え込んで自分の生命力のかなりをそこに注ぎ込んでいたような気がするのですよ。


私の作品の中にも 幾分かこういった場所のイメージが顕れていたかもしれません。
そう思います。