ブログ バジリカ

今日もシャランラ♪

ちりめん山椒を作る。

2008年05月25日 | 食べ物
ある日残業から帰ってきたら、門の前に生協こっこ便の発砲スチロール箱が二段構えで人の背丈ほども積んであった。・・・疲れ倍増。誰も居ないのを忘れて母が大量に注文していったのだ。仕方がないので何度も家まで運んで肉やら野菜やらを冷蔵庫に仕分けしていると、中に緑のつぶつぶの入った袋を発見。山椒の実だった。・・・週末、再び冷蔵庫を覗いてみたら、まだある。これ、忘れられてるんちゃうかな。早せな茶色うなってカビ生えてくんねんけど(過去に何度も目撃経験あり;)。でも実ぃ取るの、肩凝るしなー・・・。とか思いつつ、壁にもたれつつやってみると意外に肩や背中に来ない。前傾姿勢でなかったらきつくないらしい。あ、出来るわ、と思って、実を取ることにした。これでちりめん山椒が作れる。

山椒の実を使うには、まづ実を取らねばならない。これが非常に辛気くさい。枝に付いている[写真2] のを一個一個取ってゆくのだが、実の付け根はとてもしっかりしていて、大抵軸ごと取れてしまう。しかも枯れた花弁やらまだ小さい実やらが付け根に付いてくるので、それも取り除かないと食べた時に舌触りが悪くなる。[写真3] だから手間が掛かるのだった。・・・取り続けていると、次第に右の親指と左の人差し指の爪に灰汁が溜まって黒くなってくる。爪がちょっぴり身から剥がれてきて痛い。しかし止める訳にはいかない。全部一気に仕上げて下ごしらえしないことには、既に取った実が切断面から着実に傷み始めているからだ。止まない雨はない。明けない夜はない。取り終わらない山椒の実はないのだ。そんなこんなで、計7時間半で遂に完了。おめでとう(涙)。ありがとう(涙)。・・・暫く見ていなかったTVを傍らでずっと点けていたので、頭の中が人の声で砂嵐のようになった。TV、疲れる。さて。次は下ごしらえだ。

取った実は、塩ひとつまみ入れて沸かしたお湯でさっと下茹でし、すぐにざるにあけて水気を切り、冷ます。使う分以外は、ペーパータオルで更に水気を取って、ジップロックで冷凍保存が可能。[写真5] ・・・これはもう誰にもあげられない門外不出のお宝である。1万円で売ってくれとか言われても絶対イヤである。でも5万円だったらちょっと考えようかな。・・・いやいや、やっぱしダメだ。次のちりめん山椒を作る時に無かったら困るし!

さて、開始から実質作業時間8時間にしてやっとちりめん山椒に取りかかる手筈が整った。母に聞きに行ったら寝ていたので、ネットで数件調べてそれらを参考に適当に作ることにする。酒100cc、昆布出汁70cc、醤油・砂糖・味醂適宜。これで、おじゃこ100gと下ごしらえした山椒の実・大さじ3杯半を炊く。[写真6] 昆布を切らしていたので、神宗の昆布の煮汁を使うことにした(どろっとしていてあんまり沢山使うとえづくろしくなりそうだったのでちょっとだけ。もとい、おじゃこ自体が旨味の塊なので要らないと思うけど)。見たレシピには、最初におじゃこを湯通しして汚れを取り、味を染みやすくする、とあったけど、これも別に要らないだろう。おじゃこなんていつもそのまま食べているし、炊いていたら緩んで味も染みるし。汁気がなくなるまで煮詰まったら(最后の方は醤油が焦げそうになるので注意)、ざるに新聞紙とペーパータオルを敷いて開け、半日ほど適当に水分を飛ばしてできあがり。[写真7] ごはんと一緒に食べる。[写真8]

ちなみに味は「わらびの里」風にした。我が家では、買ってくるちりめん山椒はずっと「わらびの里」がメインだった。あっさりしたほんのり甘口で、すっかりそれに馴染んでいたのに、最近祇園の「やよい」のに変えられてしまったのだ。「やよい」のは醤油辛くて好きでない。なんかちょっと飲み主体の割烹のアテみたいな感じがする。ごはんに一杯かけられる「わらびの里」の方がいい。会社更生法適用中の「わらびの里」に愛の手を。・・・まあそれはさておき。自分で作ることによって、好みの味のちりめん山椒が手に入ったので、とても満足である。よかったよかった。

起こして貰ってしまった。

2008年05月21日 | 不思議ちゃん
お化けがコワイ。別にいつも怖がっている訳ではないが、たまにコワイ目に遭うとコワイ。ここ近年においては、隙を狙われているかのように、一人の時に限ってピンポイントで些細な何かが起こる(いや周りに人がぞろぞろ居る時でも起こるときは起こるのだけれど)。幸い、一年程コワイ目に遭っていないが、でも一人の時は用心しようそうしよう、とここ数日また一人だったので、玄関広間の電気を煌煌と点けっぱなしで寝たりしていた。幸い、コワイことは起こらなかった。代わりに、ちょっとした親切を受けた。朝、誰かが起こしてくれたのだ。

左の目覚まし時計を止めてから、右を向いて再びふっと寝入りそうになった時だった。右の脳味噌の中で、さらりとはっきり名前を呼ばれたのだ。聞いたことのない声だったが、いやな感じもコワイ感じもない。50~60代の男の人の声で、なんだか親戚っぽい感じがした。それで一旦目を覚ましたのだけれど、まだ時間があったので結局二度寝した。ってあかんやん。幸い事無きを得たけれど。

・・・という話をマッサージ屋で施術師にした。いつも何か言われる時は大体左側なんですよ。だから最近は声のする辺りにぬいぐるみを置いて空間を埋めてるんですけどね、今日はめづらしく右だったんです、頭の中でしたけれども、と言ったら、「・・・右側を施術してる時に止めてくださいよー(怖)」と言われた。折角なので、もとい、この酷い肩凝りもこないだうちの墓にいきなり筍が生えてきたとかいうので掃除に行ってなってしまった肩凝りなんですよ。パソコンで肩凝りになることはあっても、今まで墓掃除でこんな酷いことになったことなんて一度もないのに。案外誰か連れて帰ってきたのかもしれないですね、ははは、と言っておいた。ちなみに我が家では墓地の筍については、父があまりにタケノコタケノコと言うので筍に逆襲されたのだ、お父さん反省してください、という話になっている。

しかし今朝のあの親戚っぽい人が誰なのか気になる。こうして書いたことによって、本人からレスがついたりしないものだろうか。「はじめまして、平次郎といいます。ご先祖その1です。お墓は敷地に入ってすぐ右の二つ目です。こないだは筍掘りにきてくれてありがとう。今朝は、犬やアヒルにエサをやらないといけないのにまた寝ようとしていたので、思わず声を掛けてしまいました。他意はありません。ちなみにこのカキコは誰かの悪戯じゃないよ。享年48歳で(50~60代じゃありません!)、慶應二年一月十八日に死んでいます。後で仏壇の過去帳をチェックしてみてね。もうあんまり声とか掛けないと思うけど、遠くで見てるから。じゃ、引き続き頑張ってください、チャオ♪」・・・とか書いてくれると、そーかーなるほどー、よく分かったー、と納得するんだけども。

でも多分書いてくれないと思うので、メモしておくことにする。データが集まったらプロファイリングできないとも傾向が見えてこないとも限らないし。ついでにネタがてらに世界発信しておくことにする。・・・取り敢えず今朝はどうもありがとう、平次郎さん(仮)。

水没地図で見る大阪

2008年05月18日 | 日常
水没地図、というものがあるのを知った。海面上昇Xメートルでこれこれのエリアが水没する、というのを指し示す世界地図である。GoogleマップとNASAのデータを連動させて作ってあるらしい。住んでいる辺りを見ると、京都はさておき神戸よりも大阪がえらく沈んでいる。デフォルト設定は海抜7メートル。・・・えー、7メートルって中々とんでもないですよ? 何を根拠に7メートル? と、気象庁で最近の海面上昇具合を見てみたら、3.1±0.8mm/年しかない。おいおい。・・・7メートル設定は分かりやすく見せるための演出なんだろうか。確かに海抜の低いツバルなんかは既に被害を受けつつあるようだけれど、海面上昇だけを取れば、この水没の絵面で地球温暖化危機を煽るのにはちょっと無理がある。

しかしこの水没の有様を見ていて、そういえば大阪ってかつては結構なエリアが海だったんだよなあ、と思い出した。むかし歴史や古典の授業で聞いた、難波宮の近辺はすぐそこまで波が来てたからこそそういう名前だったんだみたいな話とか、“みおつくし”で始まる歌とか。いづれも地図を見ていないので、実際の地形がどうなっていたのか未だに知らない。

もしかして、この水没地図で沈むエリアは昔海だった処と被るのではないのだろうか。そう思ったので、昔の大阪の地形地図を探してみた。何点か見つかった。・・・海、広ーい(大阪平野の変遷)。縄文前期では、実に上町台地(堺筋・谷町通りを中心とする南北に広がるエリア。ビジネス街と被る)のあたりしか陸でない。台地というよりむしろ南から突き出た半島のような感じ。上町台地の西側は砂州が南北に広がり、その西はいきなりもう瀬戸内海である。上町台地の北の右端、つまり大阪城の東側、東成区から生駒山麓までも、海(河内湾という名前が付いている)。瀬戸内海と河内湾を繋ぐ、上町台地北端(京阪電車の最后の方)から北の千里の下あたりまでも、これまた砂州だったり海だったり。実に、過去の大阪は、7メートル分水没した状態と非常によく似通っているのだった。

そういえば以前大阪で入った天然温泉が鉄を帯びた塩味をしていた。はあ西の大阪湾からこんなに離れた内陸まで海水の味が、と思っていたが、何の、その辺りまで実に海だったのだ。しょっぱい筈である。・・・まあそんな海だらけの地に河上から砂が流れ込んで来て段々地形が変わり、河内湾が宍道湖や浜名湖のような感じの湖に変化し、更に丁度今の神戸株式会社のように何度も人工的に埋め立てを繰り返して、今の大阪の地盤が出来上がった、ということらしい。

しかし上町台地って。上町って他に聞いたことがあるぞ、と思い出してみれば、上町断層。阪神大震災が一段落ついた頃、全国各地で活断層探しブームが起きた。あのとき大阪で一番ヤバいとされていたのが、豊中市~御堂筋~岸和田市を南北に走る上町断層とかいうヤツではなかったか。当時は知らなかったけれど、周り中元々海だったり砂地だったりするような、すこぶる地盤の弱い埋め立て地ではないか。この上町断層が揺れたら、周辺は軒並みポートアイランドのようなぐずぐずの液状化に見舞われるのではないのか。

普通の地方都市だと、地理的条件に合わせて町が発達している筈だから、危ない場所(主に水害に合いやすい場所)が昔から経済の中心地だったり住宅街の中心地だったりすることは少ない。そういう地盤が弱い処は池だの谷だの津だの橋だの、水にちなんだ地名が残っていて、地価も比較的低く、なるほどなという感じになっている。でも大阪はどこもかも過密な飽和状態で、そういう地名が残っている処でも関係なく人が一杯住んでビルがにょきにょき建っている。うっかり騙されてしまう。

一見あまり使い道がなさそうに見えた水没地図だけれど、知らない海辺の町で住む場所を決める時に最初のメルクマールにはなるかもしれない。「水没しやすいみたいだけど、ここって昔から陸だったのかな、地盤大丈夫かな」とかいう風に。ついでに近くに活断層が走ってないかを調べて組み合わせて考えるのだ。「職場からちょっと遠いけど、地震が起きた時のリスク回避を考えてこの◯◯ケ丘って処に住もう。5000年前から陸だったみたいだし、近所に活断層はないようだし」とかいう風に。

ちなみに自分の家はというと、京都(=かなり内陸)なので水没サインは出ないのだが、すぐ近くに500年前に大地震を起こした活断層が走っているのだった。更に琵琶湖西側を南北に走っている活断層が揺れると京都は中心から壊滅らしく、しかも近いうちに地震を起こす確率は上町断層なんかよりずっと高いらしい。うーん。

水没地図・・・Googleマップの要領で、ぐりぐりと。
大阪平野の変遷・・・湾て、どうやら潟→塩水湖→淡水湖→陸、みたいな変遷を辿るらしい。そんな湾の痕跡が内陸の方で小さい淡水池になって残っているというのも驚き。
中央防災会議が想定、大阪直下の上町断層地震被害 74兆円・・・(そのうちリンク切れになると思うけど)08年5月15日付の読売 Onlineの記事。なんか首都圏直下型より大阪の方がよっぽど酷そう。首都圏直下型が死者12K人なのに対し、上町断層地震はなんと死者42K人。経済被害は、106兆円vs.74兆円で首都圏に軍配が上がるものの、インフラの壊れっぷりも相対的にみて上町断層地震の方が大きい。

ほぼ日テソーミルーム

2008年05月11日 | 不思議ちゃん
「ほぼ日刊イトイ新聞」内に手相コーナーがあるのを発見。進め方とか結果の文章の組み合わせがスムーズで、無駄のないよくできた構成になっている。これを作るのは大変だったろうな。

天下を取ると言われる「ますかけ(頭脳線と感情線がなく一本だけ横向きの線のあること)」は25人に1人くらいなのだそうだ。・・・多いよ。総人口1億5千万人として、日本が6百万個ほど要るよ(笑)。

下の方にある座談会では「たましい年齢」の話が面白かった。なんというか精神年齢のような、それだけではないような、その人の印象のようなもの。そういうのってあると思う。年齢に関係なく、おおらかでお母さんぽい人とか、夢のある女子大生みたいな人とか、いい子の小学生みたいな人とか、居るものね。自分はといえば、子供の頃からクラスが変わる度に、なぜか「おばあさん」呼ばわりされてきた。ということは素はやはり「おばあさん」なんだろうか(筍好きだし、うぐいすボール好きだし)。そんな気もするけど、同時に自分では大学生男子と3歳児の女の子が混じっているような感じもする。ついでに文章のイメージと実際のイメージも違うんだろうしな。

でもね、前にも言ったけど、みんな、大人にはならないから。どんなに、たましい年齢が80でも200でも、とにかく人間は大人にはならないから。たしかに「きちんと社会性を持って生きられる」っていうことを大人という言葉で表すけど、人は、大人にはならないのよ。

・・・なんか分かる気がする。そういうのは別な感じがする。

◇ ほぼ日テソーミルーム・・・この手相を観る人は悪い言い方をしないポリシーの人のようだ。人選がイトイさんらしい。

歩く。

2008年05月10日 | 日常
GWが終わってしまった。すっかり呆けて無能力化しているに違いない、と思っていたら案外そうでもなく、すぅっと普通にスイッチが入った。ただし頭だけ。身体は仕事が始まるや否やぐったりである。何時にも増して肩凝りが酷く、それがたたって眼が痛む。一日中座り続けるための筋肉がすっかり落ちてしまっていたらしい。GW中は歯磨き粉か洗濯用洗剤のCMみたいにさわやかな身体だったのに、何ということでしょう。一生懸命伸びをしたり、ストレッチをしたりするが、やっぱりあの小さいノートパソコンを覗き込み続ける首の角度がマズいのに違いない。もとい一日中座り続けるのって不健康だ。せめてデスクトップだったらいいのになあ。

GWはよく眠りよく歩いた。座りっぱなしでなければけっこう身体がもつ。ついでに後でお酒を飲んでもしんどくならない。血の巡りがよくなっているせいだろう。・・・たぶん、これが普通の人の感じ。ああでもこの普通がありがたい。A sound soul in a sound body.

・・・という話をラクを片手にケバブをつつきながら友人にしたら、そういや昔GWに京都を縦断したよなあ、という話になった。あれはGWのことだったか。そんなこともあった。伏見から北山まで歩く企画。藤の森神社のお祭を冷やかして、伏見稲荷は素通り。東福寺の新緑紅葉を見てから、鳥辺野を「この辺、千年前は死体捨て場やってんで」とか言いつつぐるぐる。智積院裏を通って清水寺には寄らず、知恩院から南禅寺へ抜け、哲学の道から百万遍、北へ上がって北大路を西へ。前半のお気楽な寄り道がたたって、最后の方は時間も体力も足りず、ただゴールだけを目指す状態だった。終点の北山のF.O.B COOPでは、紅茶を前に疲れ切って一言も口が聞けなかったのを覚えている。靴擦れと筋肉痛と関節痛。文字通り満身創痍で、翌日は熱を出し傷痍軍人のように起き上がれなかった。「あんなにしんどいと分かってたら絶対やらへんかったわー」と友人。というより、しんどいのが分からへんかったからこそチャレンジ出来たんやと思うで、と私。・・・まったく、二度とやらない。ちゃんと自分の足で京都の端から端まで辿り着けることが実証できて面白かったけど、おかげで死ぬかと思った。

しかしあれもやりようで、日々少しづつ歩いていたらかなり違っていたのではないかと思う。だいたい日頃ジョギングもしない人間がいきなりフルマラソンに出場するようなものだ。・・・結局なんでも「やりよう論」に帰結するのか(やれてない人間ほどそういうことを考える)。とりあえずGWは終わってしまったが、あの歩いている時のような血の巡りの良さをどうやってデスクワーク下でキープするかが目下の課題だ。

◇ さんぽ・・・歩く歌といえばこの歌。メイちゃんになってどんどん歩く。どこまでも歩く。

刺さってるやつ

2008年05月06日 | 日常
近くまで来たので、ふとあれまだあるかな、と思って見に行ってみた。・・・あった。まだ刺さっていた。

変なオブジェ。ではなくて、椅子である。テニスコートの審判台。前には何のラインも引かれていない、踏みならされただけの砂利の広場がある。審判台の後方には大きなローラーも見えるが、私が知る限りここがテニスコートとして使われている処は見たことがない。だものだから暫くの間、この物体が何なのかよく分からなかった。人から聞いて、はーなるほど、と思った。

ボロくて無防備だった周囲はステキに整備されていて何だか落ち着かない。レンガの建物も祝日なせいか施錠されていた。このレンガの建物には、何を隠そう「小使い部屋」があるのだ。折角なので、ついでにあの札の証拠写真も撮っておきたかったのだけれど。・・・ていうか、今時「小使いさん」て。絶滅してから何十年経っていることだか。

とりあえず、「刺さってるやつ」はまだあった。・・・永久に其処に刺さらんことを。

筍とおじゃこの炊いたん

2008年05月03日 | 食べ物
父が筍喰いなおかげで、この時期毎日のように筍を食べる。近所の無人野菜販売所で売っている小振りで柔らかいのはもう食べ尽くして、今食べているのは何処ぞの大きくてカリカリした奴だ。筍はすぐに皮ごと糠で茹で、皮を剥いて水に晒しておかなくてはならない。おかげでいつもその辺に調理前の筍の入ったデカい千寿鍋がどかんとあって、とても邪魔だ。床の隅にあると蹴っ飛ばして水をこぼしそうになるし、シンクにあると洗い物の邪魔になる。・・・まあ要するにそういう季節である。

筍の料理は色々あるけれど、細かく切って味醂と醤油でおじゃこと一緒に炊いた奴が一番好きだ。フライパンで木べらで混ぜ返しながら炊くだけ。なんでこんなに単純なものがこんなに美味しいのだろうか。これがあったら、他におかずも何も要らない。今朝もこれとごはんだった。おかげで食卓で父に、「なんでお前、いかなごの釘煮食べへんの?」と聞かれた。それはもう、筍とおじゃこの炊いたんがあるからですよ。これがあると、瞬く間に御飯がなくなってしまって、いかなごの釘煮とかお漬けもんとかの出番がないのですよ。・・・自分の分が減るのが惜しい父は、「筍ばっかり喰うな」と言う。まったく、何を仰るウサギさんである。

筍は食べ尽くした感だけど、この時期食べられなくなってしまったものが2つある。ひとつは、木の芽の載った祖母のちらし寿司。もうひとつは、何処かのお婆さんがくれる大きなちまき。みなさん、年老いてお亡くなりになってしまった。特にちまきは、微かな塩加減が丁度いい塩梅でどんな市販のちまきより絶妙に美味しかった。いつも大量に貰うので毎年食べ飽きるほどだったのに。

ヒトは家とか両親とかを選んで生まれてくる、という話があるけれど、あれが本当だとしたら、私は食べ物でこの家を選んだのではないかと思う。神様に、「あの家は貰い物の多い家だ。上等ではないが美味いものが食べられる。あの母親も秋の祭には鯖寿司を作って配るし、冬には干し柿も吊るす。反面あそこを選ぶと漏れなく・・・だったり、・・・な目にあったりすると思うが、どうだ?」と聞かれて、「ぶっちぎりで我慢します! ゴハン取ります!」と答えたのに違いない。

そういう訳で、筍とおじゃこの炊いたんはとても美味しい。こういうものを食べられるというのは、とても有り難いことだと思う。

検証「鍋焼き味噌汁」

2008年05月01日 | 食べ物
先日TVを見ていたら、「鍋焼き味噌汁」というものをやっていた。味噌をぬるま湯で溶きネギを少量削り入れる。それを空焚きした鍋に一気に流し込み、沸騰させ、鍋肌に汁を焼き付ける。椀に移す。出汁は使わない。市販の味噌ではむづかしいかもしれないが、手作り味噌ならそれだけで香り高いインスタント味噌汁になる、とのことだった。・・・出汁を使わないのに、焦がしただけで美味しくなるというのはどういうことなのか。市販の味噌と手作り味噌による出来の違いは何なのか。

こういうのは調べても考えても分かるものではないので、夕飯の後片付けがてらにちょっと試してみることにした。幸い味噌なら数種ある。

まづ、頂き物の手作り味噌で試す。大きめのお茶漬け茶碗に湯と水を入れぬるま湯にし、味噌を丁寧に溶く。ネギを削り入れようとしたが、包丁が鈍っていて上手く行かない。まな板で少量をみじんにして入れた。鍋は過酷な加熱を考えて5層構造ステンレス鍋を使用。箸で水を飛ばすと玉になって転がるくらいにまで熱しておいてから、一気に茶碗の汁をあける。じゃっ、という凄まじい音と共に大きなあぶくが湧き出、すぐさま立ち上がる蒸気に視界を遮られた。「鍋肌に焼き付ける」とあったが、焦げるほどの匂いはない。瞬く間に水分が減っていき、泡も小さくなった。・・・もういいだろう。木の椀に移した。

飲む。・・・悪くない。香りも良い。米麹かすの目立つ少し甘口の味噌汁だ。出汁を使わないのに足りないものを感じさせない、不思議とそれなりに満足のいく味になっている。

次に市販の味噌で同じものを作ってみた。味噌は中味噌だ。

味見してみる。一口飲んで、ああこれはだめだ、と思った。酸味と塩味が別々に立っていて、刺々しい。味といい香りといい、出汁のなさに気が行ってしまう。これでも芋や大根などの根菜が入っていれば、間を繋いで充分丸い味に納まったことだろう。でも味噌だけでは完成し得ない味だった。出汁と具が要る。

翌朝、ふと思いついて、手作り味噌を湯に溶いただけの汁だとどうかと思い、作ってみた。ネギだけ刻んで入れる。・・・不味くはない。味は美味しい。が、空炒り鍋で音を立てさせたものと違い、香りが沸き上がってこない。物足りなかった。

順列をつけると、手作り味噌の鍋焼き味噌汁、手作り味噌の湯で溶いただけのもの、遥かに落ちて市販の味噌の鍋焼き味噌汁、の順で美味しい、と相なった。・・・なるほど、なるほど。子供の頃から、味噌汁を暖め直す時は決して煮立ててはならない、と教わった。香りが飛ぶからだ。しかし鍋焼き味噌汁は、そこを逆手に取ったという訳だ。

それにしても、味噌だけで試すと違いが如実に出るものなのだな、と思った。手作り味噌の方は毎年誰かから戴くものだ。くれる本人が作っている訳ではないらしい、ということくらいしか分からない。普通のナイロン袋に入っていて、口をくるりと括ってある。それを納めた薄いプラスチック容器には「天王味噌 手づくり」と書かれた小さなラベルが申し訳程度に貼ってあるだけだ。市販の方の味噌は、長野の善光味噌。それなりに名のある処の味噌だ。うちはその辺の生協の田舎味噌か京都の味噌くらいしか買わないから、これも土産か何かで戴いたものなのだろう。

勿論手作りならどんな味噌でも美味しいという訳ではないに違いない。ついでに赤味噌や中味噌より麹の甘みと旨味の残るタイプの方が、この1回きりのインスタント味噌汁を作るには向いているような気もする。・・・いづれにせよ、今回の「鍋焼き味噌汁」は、味噌本来の実力の差を知る、面白い実験になった。