<映画とお酒> その3
そのシャーリー・マックレーンも「あなただけ今晩は」では、パリの娼婦を演じて魅力的でした。
ここでも相手役はジャック・レモンで
・・・この映画は舞台ミュージカルの方が先で、それを映画の監督をしたビリー・ワイルダーが、ミュージカルは撮らないと言ってストレートプレイになったいわくがあります・・・
因みに日本の舞台でミュージカルのまま(”イルマ・ラ・ドゥース")、
宮城まり子さん主演で上映されました。
この作品もパリの色街が舞台だから・・・シャンパンやアブサンだとか・・・お酒はふんだんに使われていましたっけ・・・
つづく
<映画とお酒> その2
ジャック・レモンといえばもう一本、シャーリー・マックレーンと組んだ「アパートの鍵貸します」・・・・
こちらの方も舞台でミュージカル化されて・・・その主題歌がバートバカラック作曲、ディオンヌ・ワーウィック(ホイットニーのおばさんか従姉妹の人)が歌ってヒットしたのでこっちも曲の”アイル・ネヴァー・フォーリン・ラヴ・アゲイン”の方が有名かもしれないですね!
上司に自分のアパートをラヴホテル代わりに貸して、出世を狙うニューヨークのしがないサラリーマンをジャック・レモンが演じて、その上司の不倫相手のシャーリー・マックレーンをそうとは知らずに恋してしまうお話。
ハッチャキにアプローチしてやっとデートの約束までこぎつけたのですが、待てど暮らせど現れない彼女にいらついて・・・飲んだマティーニが7杯だったでしょうか?(グラスの周りにピンに刺したオリーブが6本位並べられていました)
その素敵なバーで、亭主が兵役でキューバに行ったきり帰ってこないという・・・へんてこでチャーミングなお姉さん(おばさんというべきかな?)と意気投合しちゃうのですが・・・
このちょっとアルコール依存症風な役を演じた女優さんの酔いっぷりがジャック・レモンと好一対で素晴らしかったですね!
・・・シャーリー・マックレーンがまだ小娘だったから・・・彼女の印象の方が強いくらい・・。
つづく
<映画とお酒> その1
映画に出てくるお酒については、・・・映画雑誌に詳しく書かれていると思うので・・・ここでは私が見た中で印象に残ったシーンをいくつか・・・
先ず映画の小道具ではなく、ほとんど主役的な使われ方をしたのが、「酒とバラの日々」・・・ヘンリー・マンシーニの主題曲もポピュラーなので、映画は知らなくてもこちらの方はご存知の方も多いでしょう。
あの甘味な名曲に比して、ドラマの方は結構シリアス、
ジャック・レモンとリー・レミック扮するアル中夫婦の哀しいお話です・・・
下戸だった彼女が初めて口にするのがディジェスティフの名作”アレキサンダー"
「これ本当にお酒? 私でも飲めちゃうわ!」
とか言う科白で・・・それからどんどんアル中街道まっしぐら・・・
ジャック・レモン主演だから、明るく楽しい芝居かと思ってたら、すっかり期待を裏切られてしまいました。
もっとも彼が出てるからこそ、暗いお話の中に少しは救いがあったのでしょうか?
ヒースのお客様の中で、男性にすすめられて、初めてお酒を飲む女性が結構いらっしゃって(もっとも真偽の程は定かではありませんけども・・・?)
やっぱり最初は軽め・甘めのカクテルになるから、一口飲んで発する言葉が、件のリー・レミックの科白と同じ、
それでもってこちらは少々良心の呵責を覚えてしまったりする訳でして・・・。
つづく
<後書きに代えて 5 さようなら、特急つばめ>
つたない連載物にここまで付き合っていただいてありがとうございます。
「恐らく生涯最高の豪華旅行」という題名は解かっていただけたと思いますが、贅を尽くした旅ということではありません。
やがてやって来るだろう高度経済成長時代に向けて、まだ日本が、そして多くの日本人がいいものを作ろう、いい仕事をしようという気概があった時代の中にあり、そこに日本人特有の職人気質・技・工夫・巧みの精神が合わさってできたひとつの作品がつばめ号であり、
そう、つばめ号は列車という商品というより正に作品であったと思います。
そこに乗車できたことの贅沢さを題名に託したのです。
”恐らく”とは、将来もしかしてまたそんないい時代が、或いはもっといい時代が来れば、という期待を込めて、
昭和39年10月1日、新幹線の開通以来、日本の鉄道は極端に大量輸送・高速・合理的ダイヤという時代へとシフトしていく。
お陰で今では日本中いつでもどこへでも、短時間で便利に移動できるようになった。
つばめはその後、山陽本線そして今は九州で活躍しているが、
しかしあの、皆で創りあげた走るパーティー会場のような列車の姿はもはやどこにもない。
完
<後書きに代えて 4 2代目つばめの誕生 後編>
ところで2代目つばめ用電車特急の登場と共に旧1等は廃止され、2等級制となった(旧3等は新2等に、旧2等は新1等に格上げとなった)。これはフリースペースやオープンデッキ付きの贅沢な旧1等展望車が廃車となった為である。
とはいうものの、2代目つばめは結局1等パーラーカー1両、1等4両、2等5.5両、食堂車・ブッフェを両方連結という、電車特急としては空前絶後の編成を与えられ、その優等列車ぶりを堅持した。
こうして2代目つばめは誕生するのだが、事前調査で新つばめの評判があまりに良いので今度はこだまをグレードアップさせ、逆につばめにこだまを統合させることになった。
昭和35年つばめ・こだまは仲良く兄弟列車として、同じ編成・設備・スピードを持って再スタートするのである。
しかしこの第2期黄金時代は長くは続かなかった。
昭和39年10月1日、この黄金兄弟は全く新しい概念で設計された新星ひかりにトップスターの座を譲る。
つばめ・こだま黄金時代はわずか4年で幕を閉じるのである。
10日後に東京オリンピックの開会式が迫っていた。