CLAP学園☆MAX heart

My blog which every day calls the experiment for challenges.

教育のあり方について。

2014-03-02 14:03:25 | 自主学習

おはよう

僕は、めんどくさがりや。

そして、飽き性なんです。

これをバカが読解すると正確な言葉で伝わらないんです。

 

そこで、僕のめんどくさがりとは。

極力することを避けるが、しなければならないことは、する。

この「しなければならないこと」とは。

他人に任すことが出来ないことや、僕でしか出来ないことはする。

しかし、相手が努力をしないことは、しない。

 

これを短文にして「めんどくさがりやで飽き性」と使っている。

どうですか?

短文で伝わる人、伝わらない人の違いが分かりますか?

そして、僕は。

こういう、めんどくさがりやですから。

チマチマと、聞かれるのは嫌いなんです。

まして、言葉ではなくネットは文字ですから。

手紙のように書いてなければ、読解するのもめんどくさいんです。

だから、読解する努力、伝える努力をしない者と話をする気は無い。

 

一方、2ちゃんねる。GREE、モンプラのCAIDS患者は、怠惰傲慢なんです。

それは、ここに来たコメントを見ても理解が出来るはずです。

生物が僕に対し物申して聞く。

僕は、何処からそのような発想になったのか?理解出来ませんから。

何がどうで、こうなり、このようになった。との説明を求めた。

 

そうすると、言えず。

質問を質問で返すなどと言い始める。

しかも、その根拠の無い発想を理解出来ないのか!などと言う。

これを、傲慢と言い。

しなければならない説明をしないのは、怠惰と言うのです。

こうなると、世界で一番嫌われる存在でしかなく。

誠意を重んじる日本人とは言えない生物になる。

 

しかも、その説明をせず。

「答えられないんだ!」と言い出し我慢をした怒りの「だから何々なんだ!」などと言い出す。

これは、自身の脳内で留めておくべきことであり。

それを言葉にしたと言うことは、怒りが我慢出来なくなり言葉にしたと言うことです。

これは、朝鮮民族特有の精神疾患で、火病にみられるんですよね。

_______________

と言うところで本題に入ります

教育の多くは、競わせると言うことをしますよね。

これは、早く上達させるためには適していると思う。

けれど、これにはメリットとデメリットが存在するのです。

だから、勝ち続けなければならなくなる。

そうなると、ストレスもたまるんですよね。

 

そこで、この競うは、ギャンブルにもシンクロします。

勝ち続ければ、うれしいしストレスの発散にもなる。

しかし負けた方は、ストレスを発散するつもりが、更にストレスになってしまう。

つまり、ストレスの発散はZEROであり、相手に行っただけと言うことであり、相対的です。

 

このストレスを消去するには、考え方1つです。

それが、相手への思いやりです。

 

このように書くとCAIDS患者は突っ込んで来る。

ギャンブルは勝つか負けるかの楽しみなのだ!とね。

しかし患者らの言うギャンブルはパチンコと同じような物でしかなく。

決められた勝ちしかない。

ギャンブルは勝つか負けるか分からない相対的に同じ状況の人だけから成立するんです。

 

例えば、勝ち負けで言うなら、喧嘩や戦争にシンクロします。

そこで、多くの人が知っている喧嘩で言いますと。

貴方は、高校生だったとします。

相手は小学生だったとします。

それで喧嘩をすれば?

もちろん、力の差から高校生が勝てる。

こうなると、勝つか負けるか分からないと言うギャンブルではなくなるんですよね。

それを同等の条件にするならば、相手にhandicapをあげなければならない。

これを、30歳以上の成人が理解出来ないんです。

それどころか、逆にhandicapを貰おうとする。

参考に⇒リンク:朝鮮GREE公司

 

それで、勝った負けたとホザク姿は、多くの人は哀れさしか見えないし。

それが日本人だ!などと言うのは日本の印象的、工作活動としか思えない。

日本では、年下を大切にするんです。

兄弟がいればなおさら、これを理解する。

お兄さんなんだから我慢しなさいと、多くの言われるはずです。

日本人は我慢とか辛抱を習うんですよね。

そして、多くの国の人は限度を知っている。

そうなると、消去法で何処の国の人なのか限定されるんですよね。

しかも、ひつこいから特定的に限定される。

・・・・・・・。。。

話が変わって来たので戻します。

変わる前の。↓

このストレスを消去するには、考え方1つです。

それが、相手への思いやりです。

続き。↓

それは、競うことを楽しむと言う観点ではなく。

ゲームが出来ると言う楽しみだけを考えれば良いんですよね。

しかし、欲を出せば、勝った方がストレス発散になり。

うれしさも倍増する。

それを、利己的に表せば、良い思いはしなくなるし。

相手の負担になり、消去したはずのストレスが戻って来る。

 

裕福な人は、そのぐらいなら良いか。との思いがあるけど。

貧困は、そのぐらいではなく必死になるし。

必死にならなければ、飢餓になるんです。

 

また、このような貧困に無闇に与えると。

たかりはじめるの特徴なんですよね。

これが、依存。

それが、2ちゃんねる。GREE、モンプラのCAIDS患者たちなのです

 

大体、心理状態なんて利己的で見聞が無く、ポーカーフェイスが出来なければ見え見えなんですよね。

しかも、その心理状態を必死で探らなくても、相手は必死なんですから。

自らで語り始める。

つまり、自分語り。

こうなると、多くの人は哀れな生物としか見ないし。

その哀れさに同情すれば、生物はその善意をたかりはじめる。

これが負の連鎖です。

また、これは依存してしまう傾向。

なぜなら、負は負のままではストレスは発散出来ない。

何らかのケジメが必要になるからね。

 

これを考えると、アフリカ人は偉大だと思います。

考えて下さい、700年間だったかな?

彼らは、支配され続けていた。

そこで、これをどうぞ。↓

どぉ?

理解できますか?

それは「謝ってもらったことはない」と言う発言部分です。

つまり、その負を自ら乗り越えたということです。

通常では考えられないでしょ?

その負の我慢を活力に使い成長した。

素晴らしい国民性だと思いませんか?

 

しかし、僕も含め多くの人はケジメをつけて貰わなければ負を乗り越えられない。

だから、ケジメを必要とする。

あとは、話題が変わるから(ry

 

さて、僕は教育のありかたについて競わせるのは良くないと思うし。

それは、ココまでに書いた文章で十分伝わると思う。

 

ではどのように教育をするべきなのか?

それは、競う楽しみではなく、覚える楽しみです。

競うと言うのは、興味を引き出す1つの薬だけれど。

多くに競わせると、薬と同じで副作用が起こる。

 

そこで、ゲームです。

アメリカは国土が広い、それ故、学校に通うことの出来ない人も居る。

そういう子供の教育にインターネットでの勉強は役に立ちますし。

勉強に興味を持たせるために、ゲームでの勉強も凄くよい物だと僕は考える。

けれど、それはカンフル剤にしかならず。

 

最終的には、覚える楽しみが無ければ無意味なんですよね。

 

つまり、覚える楽しみを先に教育をしなければならないということです。

覚える楽しみを知らず。

勝ち負けだけに教育を施す教育は教育ではなく。

単に、ギャンブル付けと変わらないし依存をさせる教育としか僕には思えない。

 

もちろん、僕は勉強が好きでは無く、嫌いです。

しかし、覚える楽しみがあるから勉強をしている。

その勉強嫌いと言う感情を我慢させる勉強が必要だということです。

 

単に競わせて学ばせるだけになれば。

教育は簡単だけれど、勝てば俺は頭良いんだ!やれば出来るんだ!ただやらないだけなんだ!などと言うバカの考えしか出来なくなるんです。

こうなれば、前頭葉なんてカスカスでも良いんですよね。

だから僕は、人間としてあるべき心の教育を義務教育期間に学ばせるのが良いことだと思う。

そして、この教育こそが生きる力の基になると僕は考えます。

 

つーところで、長いし。

書いたところで、1円にもならないから強制終了。

とりま、今から遊びに行ってこょーっとb

 

ぢゃねー

ランクリよろしく。↓
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