時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

美空ひばりがラジオ深夜放送を担当した夜

2008年06月17日 | 音楽全般

今ではもう亡くなられてしまった、日本歌謡界の女王、美空ひばり。

私は、ひばりさんがラジオ深夜放送のパーソナリティを担当した放送を聴いたことがある。

「あの美空ひばりが、ラジオ深夜放送を!?」なんて思い、非常に興味を持った覚えがある。
いやなに、私はひばりさんのファンだった・・というわけではない。
だが、その存在の大きさは感じてた。

ラジオ深夜放送といえば、若い人の広場・・みたいな感覚を私は持っていたから、そんな「広場」にあの女王が来て、どんなことを話すんだろう・・という興味だった。
ラジオ局としては、1大イベントだったのではないだろうか。
確か、1回こっきりの担当だったと思う。

時期的には、フォークソングがすっかり市民権を得た70年代だったと思う。
ラジオ深夜放送のパーソナリティは、たくろう、山本コータローなどのフォーク勢が占めていた。
だから、ラジオ深夜放送では、日本のフォークがたくさん流されていた。

番組は、案外フランクな感じで始まったと思う。
ひばりさんのトークの合間に、彼女の曲が次々と流された。
彼女にとっては、若い人に彼女の曲をたっぷり聴いてもらう「良いチャンス」でもあったろう。
彼女がどんなことを喋ったかは、今ではもう忘れてしまったが、1コーナーだけ今でも覚えている箇所がある。

そのコーナーは、当時人気のあったフォークシンガーの曲を彼女が聴いて、どう思うか?という企画だった。
で、選ばれたのは3曲くらいあったと思う。選曲したのは誰なのか、選曲の基準はなんなのかは分からなかった。

その3曲のうち、1曲は完全に忘れてしまった。
もう1曲は、岡林信康の曲だったと思う。
で、更にもう1曲は、かぐや姫の「妹よ」だった。

岡林さんの曲は、「チューリップのアップリケ」とか「友よ」とか「山谷ブルース」のような定番曲ではなかった。
当時の岡林さんは、過去の社会派フォークから離れ、演歌にチャレンジしていた頃だったと思う。
演歌っぽい曲を作って、それを集めたアルバム(「うつし絵」だったかな?)を発表した頃だったと思う。
で、ひばりさんに聴かせるために選ばれた曲は、演歌路線の曲だったような気がするが、このへんの私の記憶は曖昧だ。
それを聴いたひばりさんの反応は、曲調が演歌っぽかったからかどうか分からないが、決して否定的なものではなかった・・という印象。


で、かぐや姫の「妹よ」。
この曲を聴いたひばりさんの反応は、今でも覚えてる。
曲が終わるやいなや、「あ~、いいわ~~~~~!」と、すかさず反応。半ば、良い意味でため息が混ざったような感じでもあり、しみじみとした感想でもあった。
どうやら、本当にかなりグッときたようだった。
で、更に曰く、「途中、ボーカルの声が裏返ってしまった箇所があったけど、曲がいいから許しちゃう!!」

・・そういや、あの曲の途中で、南こうせつのボーカルは、確かに一瞬少し裏返ってしまう箇所があった。意図的な「裏返り」ではなく、・・いわば、勢いでの「裏返り」とでもいおうか。
そこを、天才歌手ひばりさんとしては見逃さなかったのだろう。完璧な歌唱をいつも目指していた彼女らしいチェックポイントだとでもいえそうだが、曲の素晴らしさの前に、そんな「裏返り」は吹き飛んでしまったということだ。

フォークやロックを聴いてた私としては、フォーク(と呼ばれた)曲が歌謡界の女王の心や感性に深く突き刺さった・・というのがちょっと嬉しかった。
私は特別「かぐや姫」の大ファンだったというわけではなかったのだが(かといって、嫌いというわけdめおなかった)。

なんか、ひばりさんといえば、近寄り難い雰囲気を感じてたからね。
そのコメントで、ひばりさんへの親近感が私の中で、大きくなったような気がした。


ひばりさんは、演歌などのイメージが強いが、実は多彩なジャンルの歌を歌ってもいる。洋楽もカバーしてるし。
その番組内で「歌で叫んじゃう!」と前置きして流した曲「真っ赤な太陽」は、この曲が流行った当時としてはロックの要素を入れた楽曲だっただろう。
晩年は「川の流れのように」のようなポップス系の曲でもビッグヒットを放っている。

もしかしたら・・・この「ラジオ深夜放送のパーソナリティ」を担当したことは、彼女にとっては何かのターニングポイントや「きっかけ」になったのかもしれない。
岡林信康さんとひばりさんは確か交流があったはずなのだが、もしかしたら、この番組がきっかけになったのかもしれない。

曲作りをする者にとっては、「この人に自分の作った曲を歌ってもらいたい!」と思わせられる歌手がいるもんだが、ひばりさんは間違いなくそんな存在の一人だったろう。
いや「そんな存在の一人」どころか、ひばりさんは、日本国内では「この人に歌ってもらえたら光栄」と思える歌手の「究極の一人」だったかもしれない。
アメリカで言えばエルヴィス・プレスリーみたいな、ね。


歌ってもらえたら、それはソングライターとしては1つの到達点でもあり、勲章を与えられたような気になったかもしれない。
そう、歌手だけでなく、ソングライターにとっても、ひばりさんは大きな目標だったのだ。
私も、自分の作った曲を、いつかひばりさんに歌ってもらいたい・・・ひばりさんに歌ってもらえるような曲をいつか作ってみたい・・などと身分不相応な夢を持ったことがある。

だが、そのひばりさんはもう居ない。
彼女は、まさに、屈指のソウル・シンガーだった(ソウルといっても、ジャンルの「ソウル」ではない)。

好きとか嫌いとか、そんな小さな問題は関係なく、彼女の存在がないということは、歌手だけでなくソングライターにとっても、大きな損失だと思う。


今、そういう存在が日本にいるとしたら・・誰だろう。



ちなみに、男性歌手では、いつか北島三郎さんに歌ってもらいたい・・と思って作った曲が私にはある。
作る前から、サブちゃんのボーカルが念頭にあった曲だ。自分の中では、「サブちゃんしかいない!」・・そんな曲だ。
北島さんは自ら曲作りをする歌手だし、それを考えると、私などがこんなこと言うなんて、身分不相応だけどね(笑)。
まあ、「夢」です。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本全国「県境」の謎 | トップ | 旅先で被災する »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

音楽全般」カテゴリの最新記事