時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

♪ 母校が消えてゆく

2008年06月24日 | 懐かしい系、あれこれ
私の母校(中学)が取り壊されることになった。

・・もう、なんと言ったらいいのやら。無くなってしまうとはね・・。
これが時間の流れというヤツの非情さか。無常さか。
正直、切ない・・。

時は流れて、人の心など知りはしまい。いや、知ろうとすらしないだろう。おかまいなしに流れてゆくのみ。


取り壊される前に一日だけ(時間にして2~3時間の間)校舎を見学できる・・という企画を知り、先日、懐かしい我が母校に行ってきた。この企画を実現してくださった人たちには、大感謝。どうも、ありがとうございます。
先日、30年ぶりの同窓会があったばかりなので、その時にこの企画を知ってれば、同窓会に集まった人たちにだけでも教えてあげたかった。

通ってた頃と同じ通学路をたどり(←通学路にも、この日はこだわった)行ってみたら、正門には何人か、見学者が集まってた。
皆、それぞれ思いは同じだろうね・・。

受付で話を聞いたら、すでに2年前からこの校舎は使われてない・・ということが分かった。そうだったのか・・。
で、少し胸をときめかしながら入ってみた。
使われなくなってからまだ2年なので、廃屋としてはまだきれいな方だったが、廃屋らしい要素もあちこちに。
もっとも、あまりに廃墟化が進んでしまうと、床や天井が抜ける可能性が高くなって、危険だから立ち入り禁止になってしまうだろうけどね。
壊れたものの残骸が放置されてる光景を見ると、「ああ、もうここは使われてないんだなあ」という現実の寂しさが、ひしひしと。

このまま放置されたら、荒廃は進み、心霊スポットみたいな廃屋になってしまうんだろうね・・。

私は自分になじみの深い教室・階段・廊下などを中心に、あちこち見てまわった。

基本的にはイメージ通りだったのだが、三つほど気づいたことが。
その一つは・・教室って、そんなに広くなかったんだな・・ということだ。
で、もう一つは、学校のまわりの景色はだいぶ様変わりしてしまったなあ・・ということ。
窓から見慣れた町の風景が、私の記憶と違う。角度は一緒なのに。
私が学校で見ていた景色は、私が通ってた頃のまま頭の中で止まっているからね。
このへんに、年月の推移をみた思いがした。
で、三つ目は、使われていないと、こんなに雑草が伸びて荒れ果ててゆくのか・・というリアルさ。

中にいると、切ないやら、懐かしいやら、寂しいやら、甘酸っぱい思いがよみがえってくるやら・・。
たまらなかった・・。

別の場所に代わりの学校はできたようだが、はっきり言って、卒業生の立場で言わせてもらえば、代わりの学校というのは、我が母校とは別物である。
やはり、自分の通った場所、校舎が、そこに残っていてこその「母校」なのだ。

なんで、取り壊されてしまうのだろう・・。耐震強度の問題はあるのだろうが、補強でなんとかならなかったのかなあ。
母校がなくなってしまう者の悲しみや寂しさなんて、卒業生じゃないとわからないかもね・・。
当事者としては、・・そこに通ってた者としては、こんなに悲しく寂しく切ないことはないんだよ・・。

世の中、超特急電車で動いてる。
自分も、さすがに各停では動かないようにしたいとは思ってるけど、自分の現状は、せいぜい準急で動いてるにすぎないのではないか・・という気にもなる。
で、ちょっと目を離すと、全然知らない駅にいるんだ。

卒業して何十年かたった。その間、なんとなく母校には入りにくかった。だから、訪れたりしなかった。
卒業してしまえば、学校は次の世代の在校生のものになるわけだしね。学校って、そうやって代替わりして、色んな人に受け継がれてゆく。
でも、学校が存在してる限り、例え中に入れなくても、存在してくれてることが卒業生にとっての「支え」でもあった。

結局、廃校が決まり、使われなくなり、誰のものでもなくなってから、やっとこの中に・・記憶の中のあの場所・教室などに帰ってくることができた・・・ってわけだ。長かった。
「ただいま。私のこと、覚えてるかい?この位置に座っていたんだよ」
「久しぶりだね。ここに、あの子が座っていたっけ」
「わあ、このへんは、あの頃のままだね。良かった・・」
「こんなの、あったっけ?」
「そうそう、こうだった、こんな感じだった!」
「お前・・疲れてるなあ」
などと色んな思いがよぎり、心の中で、学校に話しかけてる自分がいた。特に、自分のいた教室の中で。
また、何気ない箇所が、訪れてみると妙に心の中に深く染み込んできたりもした。
音楽室では、黒板の隅っこのほうに、ト音記号の落書きだけがそのまま小さく残されてた。消されずに残されてた「手描き」。
あるいは消し忘れ??
切なかった。残された「手描き」のぬくもりをを見たら、涙がでそうに・・なった。
人っけの消えた校舎内に、在学した生徒の名残が残されてる気がした。何気ない落書きなのにサ。


ちなみに、その学校の近くには、私が少年時代を過ごした実家があった。
だが、私の一家は引っ越してしまい、その何年か後に実家があった場所に行ってたら、建物は跡形も無く消え、代わりに大きなマンションが建っていた。その光景を見た時、私は例えようも無いくらいの喪失感を味わった。


その思いを、今度は、私の母校があった場所にも感じるようになるのか。
実家も母校も・・・皆消えてゆく。
振り返ると、取り残されたような気分になってしまうんだね。


私の母校は、今後、小中一貫校となり、別の場所に移転。某小学校と合併した。
学校名も変わった。
私が通ってた校舎は壊され、その後その場所には新たな小学校ができるらしい。
私の母校に代わる存在は別の名前で別の場所にできたとしても、私が通った校舎が、そのままの場所にあり続けてくれない・・というのは大きい。建物、場所、そのものに私の一時代が刻まれているからだ。



その校舎で、私は人を好きになった。
その校舎で、私は友人に出会った。
その校舎で、私は音楽を好きになるきっかけを貰った。
その校舎で、私は休み時間になると、いつも縦笛を吹いていた。
その校舎で、私は友人に頼まれてマンガを描いた。
その校舎で、私は「卒業生を送る会」での演劇で、他薦で主役をつとめさせてもらった。
その校舎で、私はケンカもしたし、泣き笑いもした。
その校舎で、私は多感な時代を過ごした。自分の1つの時代があった。

いっぱい、いっぱい、私の一部がつまっている。眠っている。埋もれている。染み込んでいる。
そして・・跡形もなく壊されてゆくのか。

こうして、時代は移り変わってゆくんだね。
何かを犠牲にしながら。

普段、「母校」というものを強く意識することはないが、こうして無くなってしまうとわかる「存在の有り難み」。
「故郷は遠くにありて思うもの」ならば、「母校もまた、遠くにありて思うもの」だ。

この喪失感は、遠慮がない。どうにかしなければいけない。


実は、私の母校がなくなってしまう・・という情報は、以前から噂では聞いていた。
その噂を聞いた時、私はいたたまれなくなり、その思いを歌にした。1曲作った。去年(07年)のことだ。
その曲は、時代屋ではやったことがない。というか、時代屋にはまだ持ち込んだことがない。
にもかかわらず、その場の流れや、酔っぱらった勢いなどで、弾き語りで人前で披露したことが数回ある。飲み屋などで。
私にとっては、珍しいパターンだ(最近の私は、酔っぱらった勢いがなければ、中々弾き語りなんてできないし・・)。

母校が消えてゆくということは、母校があった時代の一部そのものが消えてゆくことでもある。私はそんな風に感じた。
で、私にとっての「母校があった時代」とは、まぎれもなく「昭和」なのだ。

そんな思いが歌になった。せめて歌にして、自分の中に残像として残しておこうと思った。
以前、ブログで書いたことがある曲だが、もう一度書いておきたいと思う。多少、歌詞は手直しした。

消えてゆく、我が母校への思いを込めて。素直になれなかったけど、本当は大好きだったんだよ。
色々あったね。忘れないサ。
さよなら、我が母校よ。

皆さんの母校は、今も健在ですか?
もし健在であるなら、それはすごく幸せなことなのです・・。



    ■ 昭和の子守唄(改版) ~母校が消えた日~ ■
             詞&曲  だんぞう


君は何を思う  あの夕やけ空を見て
あの日歌った童歌(わらべうた) 吸い込まれた夕やけよ

呼びかけてみたくなる 
恋に破れた日に
涙流して歩いてた あの神社の境内よ

  横丁のタバコ屋も 木造の駄菓子屋も
  みんなみんな消えた  昭和へと


君は何を思う  幼なじみの家が
ひっそり建ってた路地裏に  大きなビルが建つ

問いかけてみたくなる
夏は蝉が鳴いてた
家の裏手の空き地の木 今は切り倒された

  銭湯の富士山も  缶蹴りの空き缶も
  みんなみんな消えた  昭和へと


君は何を思う  賑わったあの店も
今じゃ主人が亡くなって シャッター降りたまま

呼びかけてみたくなる
母校が消えてゆく
級友たちの消息も  今じゃとだえたまま

  キャッチボールをした道も  金魚のお墓も
  みんなみんな消えた  昭和へと


昭和が遠くなる  名残も消えてゆく
やがて平成も過ぎ去り 平成も遠くなる

下校のチャイムが
鳴り響いた時のように
少しずつ 一つずつ さよならを告げてゆく

  僕の生まれた時代  僕の育った家も
  あの子がいた教室も 砂ぼこりのグランドも
  ガラス窓の廊下も 薄暗い下駄箱も 
  馴染みの先生も  通学路の会話も
  僕がいた景色ごと
  みんな遠く消えてく  昭和へと


  便利になりすぎた 今の時代に居て
  消えてゆくものが 多すぎる

  昭和の子守唄が 聴こえる



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

取り壊される母校へ。・・惜別。
学校に居た、あいつにさよなら。君にも、さよなら。
あの子に、さよなら。恋心の化石に、さよなら。
先生に、さよなら。校舎にも、さよなら。
あの会話に、さよなら。未熟だった分別にもさよなら。
得意顔に、さよなら。凹み顔に、さよなら。
あまりつきあいがなかったヤツにも、さよなら。 痛みにも、暖かさにも、さよなら。
通学路に、さよなら。風景に、さよなら。
あの空間に、さよなら。あの日々に、さよなら。時代に、さよなら。
そして・・自分自身にも  さ よ な ら。

どれも、これも。皆、サヨナラ・・・・。



寂しい。

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