田舎に住む親戚などの古くて広い家に行くと、奥のほうの部屋に、その家の先祖代々の肖像写真が天井近くの壁に飾ってある部屋に案内されることがある。
しかも、そういう家は里山あいに建っている家だったりする。
庭は広く、家の中には土間があったりする。
私はそういう部屋に入ると、一瞬ドキッとしてしまうことがある。
そして次の瞬間、心持ち怖さを感じることがある。
その家にとっては先祖たちの写真であるから、普通のことなのだろう。
そう、こういう光景は、田舎の古い家にとっては、普通のことだ。
だが、都心に住む私にとっては、ズラリと並んだ先祖たちの写真が並んでると、よそ者の私は先祖たちからジーッと見張られてるような気がするし、写真の先祖様たちの目に圧を感じて、どうもたじろいでしまう。
都心ではそういう家や部屋はまず見かけないから。
怖いと言ってしまったら失礼だから、言わない。でも、心のなかでは、正直怖さを感じてしまう。
まるて霊たちに囲まれてるみたいで。
今そこで暮らしている末裔の人にとっては何気ない日常の光景なのであろうし、先祖たちに囲まれてるわけだから、怖さみたいのは感じないのだろう。
むしろ、自分たちを見守っていてくださる御先祖様なのだろう。
ある意味守護霊様みたいな存在なのかな。
だが、他人の自分にとっては、どうも落ち着かない。
よそ者の私が仮にその家に泊まることになり、泊まる部屋がそういう部屋だったら‥と思うと、どうも落ち着けそうもない。
夜、消灯したら、先祖さまたちの多数の写真が私を見下ろすような状況で寝ることになるのだから。
夜中にふと目がさめたら、暗がりの中で何人もの御先祖様の写真の視線を感じてしまうかもしれない。
まあ、よそ者の私は御先祖様たちに恨まれるようなことはしていないつもりだし、どちらかというとその家の主人の親せきや友達関係であるので、怖がる必要はないのだろう。
もしかしたら、守ってくれるのかもしれない。
でも‥‥やはりどこか怖い‥。
よそ者め、何しに来た‥とか思われてたら‥。
そういう家に住んでる末裔の人達は、何人もの御先祖様の肖像写真が壁に飾られている部屋に寝るのは、まったく平気なのかなあ。
もしその家系が名家で、過去には歴史上著名な人物がいた家柄の場合、御先祖様に何か申し訳ない気持ちやうしろめたさを持ってた場合は、どうなんだろう。
自分の代で血筋が途絶えてしまいそうな場合や、過去には大いに栄えた家柄なのに現在は没落ぎみの場合、御先祖様たちの肖像画や写真に「申し訳ない」と思ってたり。
或いは子孫である自分がピンチの時は「御先祖さま、どうかお助け下さい」「御先祖様、どうかお許し下さい」と御先祖様の肖像写真に話しかけたり。
そんな人は御先祖様の写真に囲まれてると、護られてるようでいくばくかの安心感を持ったりできるのかもしれない。
そうなると、御先祖様たちの肖像写真は、神様に近い存在なのかもしれない。
先祖代々の肖像写真が壁に何点も飾ってある家って、少なくとも私は都心では見たことがない。
都心にもそんな家あるのたろうか。
あなたは見たことがあるだろうか。
あ、東京でも、奥多摩の山間の方には、そういう家があってもおかしくないのかもね。
ともあれ、先祖代々の肖像写真が何点も飾ってある部屋に入ると、どうも私は圧とか念みたいなものを感じてしまうのだが、あなたはどうだろうか。
近所に住む叔母さんの家はもっとすごくて、仏壇周りはご先祖や天皇、掛け軸や絵だらけ。その部屋で寝ている叔母さんは夜中に起きたら怖く無い?って思った事がありましたよ。
昔からの家はわりとそんな部屋がありますね。我が家も田舎だし。同じ様な田舎の実家は一枚も飾ってないですが。
それは凄い。時代を感じます。
都心ではまずそういう部屋は見かけないです。
でも古い家には、前の時代の習慣や価値観の名残がとどめられているのでしようね。
そういうのに慣れてない客が訪れると、やはり1瞬たじろいでしまうケースはあると思います。
現に私もそうですから。
でもそういう日常に慣れてしまうと、空気みたいな存在になっていくのでしょうね、やはり。
でも、慣れてない人は、それらの写真の人物たちの目の「圧」からくるたじろぎは、なかなかの口に出しにくいです。
それを口にしたら、気を悪くされそうですし、人間関係にもなにやら影響が出そうで。
ただ、来訪者を泊める場合は、そういう部屋に泊めるのは、やめておいたほうがいいような気が・・・。
こんなことを言うのは、余計なお世話なのかなあ。