時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

オヤジギャグの定義?

2022年12月01日 | 日々の、あれこれ

 

世の中にはダジャレがあり、オヤジギャグと呼ばれるものもある。

では違いはなんなんだろう。

 

まず、ダジャレとはどういうものなのか、それに定義はあるのか。

また、オヤジギャグとはどういうものなのか、それに定義はあるのか。

 

そう思い、調べてみた。

 

ダジャレというものの説明・・・というか定義は、ウィキでは

「同じ或いは非常に似通った音を持つ言葉をかけて遊ぶ一種の言葉遊び」とある。

似通った音という意味では、韻を踏むような感じ。

韻を踏むということは、例えばラップなどでは重要視されてる要素。

時に日本語のラップが「リズムに乗った早口ダジャレ」みたいに聞こえることがあるが(すべての曲がそうだというわけではないが、あくまでも個人的印象)、それでいくとラッパーはダジャレもうまいのだろうな・・なんて思ったりする。

 

似通った音をかけて遊ぶ言葉遊びがダジャレだとするなら、オヤジギャグも基本的には同じようなものにも思える。

でも、ダジャレとオヤジギャグは、世間的には区別されている感がある。

 

では、オヤジギャグというのは、どう定義されているのだろう。どう説明されているのだろう。

前述の通り基本はダジャレと同じなのだが、使うダジャレが古臭く、今となってはもう笑えないような定番ダジャレであり、時にはその間の悪さからその場をしらけさせてしまい、その結果その場の流れを止めてしまい、面白くもないのに笑うことを催促されてるようなケースもあるギャグ言葉。

しかもその裏には、「自分はつまらない人間ではなく面白い人間であり、若い人に受けたい」という気持ちが見えるため、余計に煙たく感じられてしまう・・・とも。

 

なので定義としては、「若い人を不快にさせる、古臭くつまらないダジャレ」ということになるのだろうか。

 

その場をなごませたり、笑わせたりするのがダジャレなら、その場を不快にさせたり、その場をしらけさせるのがオヤジギャグ・・と言うのが両者の違いなのかもしれない。

だから、オヤジギャグというものは不快に思われてるのかもしれない。

 

 

ただ困ったことに、オヤジギャグを言うオヤジとて、その場をなごませたり笑わせたりしたくて言ってるのは根底にあるわけで。

その場の雰囲気を悪くしたくて言ってるわけではないだろうし、悪気もないはず。

ましてや嫌われたくて言ってるわけではない。

なのに聞いてる人に不快に思われたら立つ瀬もあるまい。

そういう意味じゃ、かわいそうでもある(笑)。

 

とりあえず、TPOだけはわきまえて言ったほうがいいのだろう。

浮かんだからとか、言いたくなったからとかで、その場の雰囲気をわきまえずにとりあえず言ってしまう・・というのは避けたほうがいいのだろう。

浮かんだけど「言わない」というひきだしも持っていたほうがいいのだろう。

 

言うにしても、あまりに使い古されたダジャレは、言ったところで聞いてる人は耳タコ状態でおもしろくもなんともないということは認識しておかないと、他ならぬ自分が損だと思う。

 

 

では、使い古されたダジャレではなく、新鮮で面白いダジャレをオヤジがタイミングよく言えば、それはオヤジギャグではない・・・ということになるのだろうか。

そのへんの定義はわからない。

 

どんな面白いダジャレであっても、それを言うのがオヤジならオヤジギャグにされてしまうのだろうか。

あまりに流行の先端にあるような言葉をダジャレに使ってしまったら、それはそれで「若い人に媚びてる」なんて思われそうな気もするし。

 

 

そういえばセクハラの概念で、同じことを若い人とオヤジがやったら、それをやる相手によってセクハラになったり、ならなかったりする。

あくまでも、行われる人が、それを行う人に対して好意があるかどうかが基準なのではないか。

気に食わない相手がやったらセクハラになるが、好意を抱いている相手がやったらセクハラに感じない・・・という「違い」はよく耳にした。

 

ということは、オヤジギャグにもそれに似た要素があるのではないか。

 

だとすると、同じギャグでも、好意を抱いている相手が言ったらオヤジギャグにならなくて、気に食わない相手や・・少なくても距離を感じてる相手がそれを言ったらオヤジギャグ扱いになってしまうことになりはしまいか。

 

いや、その場合は「オヤジギャグではあるが、許せる」相手と、「許せないオヤジギャグ」の違いなのではないか。

 

仮にどんなに面白いギャグを言って、多数の人が笑っても、そのギャグを言った人に好意を抱いてない人は笑わないであろう。

仮にちょっとクスッとなりそうになっても、その気持ちはあえて隠すのではないか。

 

使い古されて、なおかつTPOをわきまえないギャグなら、多数の人が笑うということはないであろう。

なので、この場合、タイミングがよくて、なおかつ新鮮で笑える「本当に面白い」ギャグである必要はあるが・・。

ただ、「本当に面白い」というのは、受け取る側によって基準は違う。

そのへんが難しい。

 

となると、やはり・・・聞かされる人にとって、そのギャグを言う人に好意を抱いているか、いないか・・・という基準が大きいような気がする。

前述のセクハラと同様に。

 

 

 

オヤジが、TPOをわきまえず、古臭くて笑えないギャグを言っても、聞かされる人がそのオヤジに好意を抱いていれば「つまらないギャグだが、許せる」「笑えないギャグだし、困りものだが、大目にみてあげよう」ということになり、それどころか場合によっては「誰も笑ってあげないと可哀そうだから、お世辞笑いぐらいしてあげる」になる場合すらある。←私、仕事上そういうことはままあった。

 

だが逆に、聞かされる側がそのオヤジに良い感情を持ってなかったり、まだ相手のことを全然知らなかったりする場合は不愉快になったりする・・・極論するとそういうことではないだろうか。

 

 

 

ということは・・・

 

TPOをわきまえず、古臭いつまらないギャグを言って、周りから不快に思われた人は、それを聞かされた人たちから、少なくてもあまり好意は持たれていない・・・ということなのではないだろうか。

 

 

そのへんに、ヒンシュクをかうオヤジギャグの本質があるような気がしてきた。

 

まあ、これはあくまでも私の個人的な解釈なので、世間的にこれが正解というわけではないとは思うので、念のため。

 

 

ちなみに年代的に私は間違いなくオヤジ類である。でも、こんな記事を書くことになるなんて。

好き好んでオヤジになったわけじゃないが、オヤジになど、やはりならなければよかった(笑)。←前にも書いたけれど。

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 市場価値、商品価値 | トップ | 私の漫画遺産 13 「アン... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日々の、あれこれ」カテゴリの最新記事