時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

追憶の教科書  「いっぴきたりない」と「やまびこ」

2018年07月02日 | 懐かしい系、あれこれ

 

教科書というもの・・・あなたは保存してあるだろうか?

私は・・卒業して数年はとっておくこともあったが、気づけばいつしか処分してしまってきている。

なので、手元に残っている教科書というのは・・見当たらない。

もしかしたら、押し入れの奥の段ボール箱に、1冊か2冊ぐらい「処分し忘れた」教科書が残っているかもしれないが、確証はない。

                          

それでも、残っていたとしても、せいぜいそれぐらいだろう。

 

教科書を実際にいつも使っていた頃は、教科書を貴重品だと思ったことはなかったし、むしろそれよりも漫画本などを読んでいることの方が好きだった。

できれば学校以外の場所では、好んでは開きたくなかった覚えがある。特に小学校時代は。

宿題をやる時は仕方なかったけど。

 

でも、・・学生生活がだいぶ昔の頃のことになった今の自分としては、当時の教科書を「記念」にもう少しとっておけばよかったかな・・などという気持ちもある。

 

教科書の中身は基本的に覚えていない。

それは、使用が終わると、もうその教科書を改めて開くことがなかったからだろう。

 

だが・・・奇跡的に・・覚えている記事・・というか、ページというか、内容も、いくつかある。それも、極めて古い、小学校低学年時代の教科書の記事だ。

 

その中のひとつが、「いっぴきたりない」というお話。

この記事は、何の教科書だったのかも、もう覚えていない。

まあ「さんすう」ではなかっただろうし、「りか」や「おんがく」などでもなかっただろう。

多分・・「こくご」あたりだったとは思うのだが、断定はできない。

 

 

どういう内容だったかというと、多分ロバだったと思うのだが、ロバが何匹もいて、その中の1匹が前に出て、その場にいるロバの人数を数える話であった。

 

例えば9匹のロバがいたとする。

その中の1匹が前に出て、その場に揃っているロバの数を数えるのだが、誰がやっても8匹しかその場にいない。1匹たりないのだ。

9匹いるはずなのに、8匹しかいない。なぜ?

 

・・・その理由は、もうお分かりだと思うが、前に出てその場にいるロバの数を数えているロバ自身が、自身のことを数に入れていないからである。

 

結局、その話は、「なんだ、数えてるロバが、自分のことを数えていないだけだったのか」ということに気づいて終わる話だったと思う。

 

普通の人ならそんなの簡単に気づくことだが、この記事が載っていた教科書は、確か・・小学1年か2年ぐらいの時に使った教科書だったと思う。

 

だから、そういう簡単な内容の記事でも良かったのだろう。少なくても当時は。

 

考えてみれば、他愛ない話ではある。

でも、当時子供だった私には、なぜか印象に残り、頭の片隅に残り続けた。

まあ、だから今こうしてブログのネタにもしているわけだが。

 

この記事をなぜ、こうしてオヤジになっても覚えているのか、その理由は自分では分からない。

 

強いてあげれば、上記のような、まるで「なぞなぞ」のようなお話が、教科書に採用されていたのを、面白いと感じたのかもしれない。

教科書というと、子供心にも「硬い内容」というイメージがあったから。

硬い内容のはずの教科書に、なぞなぞみたいな記事が載ってたから、印象に残ったのかもじれない。

 

 

あと、小学校低学年の頃の教科書で、もう1編覚えているネタもある。

 

そのネタも、多分「こくご」か「どうとく」あたりの教科書だったんじゃないかと思うのだが、これまた断定はできない。

「りか」や「さんすう」とは思えないし、載せるとしたら「こくご」とか、せいぜい「どうとく」あたりとしか思えない。

で、どういう内容だったかというと・・

 

何人かの子供たちが、放課後(だったかな?)に、教室に入ってきた。

教室内では、その子供たち以外には生徒も先生も姿が見えなかった。

 

見ると、黒板には、山の絵(落書きか、消し忘れ?)が描かれていた。

そこで、他に生徒や先生がいないのをいいことに、その子供たちは羽をのばしたかのように、黒板に描かれた山に向かって、山彦ごっこを始めた。

 

当初その子供たちが黒板の中の山にどんなことを言っていたかは、私はもう覚えていない。

ともかく、子供たちは、黒板の中の山に向かって

 

「お~い」

 

と呼びかけてみた。

 

すると・・・あれ?

そのちょっと後に、どこからともなく「お~い」と言葉がかえってくるではないか。

まるで、黒板の中の山から山彦となって言葉がかえってきているかのように。

 

これで面白がった子供たちは、更に「黒板の中の山」に向かって呼びかけはじめた。

すると、いちいち山彦がかえってきた。

面白がった子供たちは

「もうすぐ夏休みですよ~」と「山」に向かって呼びかけたら、やはり

「もうすぐ夏休みですよ~」と、同じ言葉がかえってきた。

 

こんなやりとりが続き、さらに

「(夏休みは)勉強もしますよ~」と、「山」に向かって呼びかけたら・・

 

「勉強もしますよ~」とは返ってこなくて、代わりに

 

「ほんとかな~~~?」

 

と山彦が返ってきた。

 

その瞬間、黒板の前の先生用の机の陰から、先生が出てきた。

先生は、先生用の机の陰に隠れて、子供たちの山彦ごっこに付き合っていたのだ。

で、最後には先生もちゃめっけ(?)を出して、「ほんとかな~?」と、子供たちが言った言葉と違う言葉を返してきたというわけだ。

 

ここで、山彦の声を出していたのが先生だと分かり、子供たちは喜んで先生のまわりに集まった。

 

・・・・とまあ、そういうネタであった。

 

今思うと、さして特別な内容ではないと思えるのだが、なぜか私の脳に刻まれた。

なぜだろう。

 

ちょっと自己分析してみると・・

 

中に出てきた「もうすぐ夏休みですよ~」というセリフのせいだったのかもしれない。

きっと、この教科書で、幼い私たちがこのお話を学習(?)していた時期は、このお話に合わせた「もうすぐ夏休み」の頃だったのであろう。

 

大半の子供たちは、夏休みが近付くにつれ、ワクワクするものだと思う。もちろん、「当時の私」もそうだった。

で、そんな時期に習ったこの記事。

この記事で学習していた「当時の私」は、そのワクワクした気持ちを、この教科書の中の子供たちが言葉にして代弁してくれているように感じ、共感を覚えたのではないか。

で、この教科書の中に出てきた子供たちに対して、

「わかるわかる、その気持ち」

とでも思ったのではないか。

更に・・

「ぼくらも、もうすぐ夏休み~。夏休みに入ったら、ぼくらも山に行ったりしたいな~」とでも、夢を膨らませたのだろう。

 

だから、「共感した」という意味で、印象に残ったのだと思う。

さらに言えば、この教科書のこのネタの中に出てきた先生に対して、自分の先生もこういう先生だったらいいのに・・・とも思った気はする。

 

 

教科書というものは、学校を卒業してしまうと、もう開かなくなる。だから、よほど印象に残った記事じゃないと内容はその後長く覚えていたりはしないと思う。

で、印象に残る記事というのは、面白いと思ったり、共感した記事なのだろう。

 

 

なまじ、それに接するのが幼少の頃だと、「印象的な幼少体験」のように、こうしていつまでも覚えていることにも繋がる。

 

 

 ともあれ、、、

 

 学生さんたちにとっては、もうすぐ長い夏休みがやってくる。

そろそろ山や海に思いを馳せてる人もいるだろう。

ぞこではロバなどの動物に遭遇したり、やまびこを体感したりする人もいることだろう(あ、海にはロバややまびこはないか(笑))。

 ぞれが、この記事に出てきた教科書の記憶のように、忘れられない記憶になれば、と思う。

 

 

 

 

 


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8 コメント

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Unknown (捨丸)
2018-07-03 22:11:48
黒板の落書きの話、中国の怪異譚かと思ったら…なんだかほのぼのしたお話でしたね。
ほら山水画の中の仙人と会話したり、絵の中に入ってしまう話ってあるでしょ(笑)

私も強烈に憶えている小学校の時の国語の教科書に載ってた話があります。
それは「金の窓」というタイトル。
挿絵の感じからヨーロッパの話だろうと思っていたのですが、なんと日本の方の作品でした。
おまけにタイトルも違ってましたね(笑)
物語の中に出てくる「夕日を受けて金色に光る窓」が印象的だったもので、
てっきりそれがタイトルだと思ってましたが、本当のタイトルは「岡の家」。
「赤い鳥」などにも参加された鈴木三重吉さんの作品でした。
返信する
Unknown (だんぞう)
2018-07-03 23:56:13
そうなんです、ほのぼのした話でした。
中国の怪異話だったら、また違った印象だったでしょうね。

岡の家?
どうやら私の教科書にはのってなかっようで、知らないです。
きっと印象的な挿し絵だったんでしょえね。
文より、挿し絵の印象で忘れられない作品って、ありますよね。

時々、自分の使ってた教科書が復刻されたら、見てみたくなります。
返信する
Unknown (捨丸)
2018-07-04 01:09:44
あの頃(昭和40年代)の教科書って、なんだか小さくなかったですか?
B5判位でしょうか? ただ音楽の教科書だけは少し判が大きかったような…

教科書ではありませんが、授業中に見た教育テレビの中の歌に忘れがたいものがあります。
「パンを踏んだ〜娘〜パンを踏んだ娘〜パンを踏んだ罪で〜地獄に落ちた〜♪」
怖っ(笑)
返信する
Unknown (だんぞう)
2018-07-04 09:13:22
確かに音楽の教科書はサイズが大きかったですね。
そして他の教科書より、ややページ数が薄くて。

授業中にテレビが見れるのは、お得感があり、嬉しかったです。たとえ教育テレビであっても。

ただ、その反動なのかどうか、家で教育テレビを見ることはありませんでした(笑)。
返信する
Unknown (チャコ)
2022-01-12 12:28:02
「いっぴきたりない」⁈ 私の記憶の中に今でもある国語の教科書に載っていたおはなし。
何故だか 大人になってからも思い出します。
だから私と同じ思いの人がいらっしゃると知って、なんだか無性に嬉しくて懐かしくて 思わずコメントしてしまいました。 たしか小学校2年生の時だったんじゃないかと記憶しています。当時 私の中でなぞなぞがブームで、教科書のこの内容がなぞなぞみたいだったのもあって「答え、わかる!わかる!」と楽しくなったのだと思います。今回のこの記事に出会えて嬉しくなりました。
ありがとうございました。
返信する
Unknown (だんぞう)
2022-01-12 19:28:59
はじめまして。
時間の外に、ようこそ。

で…

まさか、この記事のネタになった、古い教科書のネタを覚えてらっしゃる方がいらっしゃったとは!
ここ教科書ネタを覚えている方は、初めてです。
私の友達にもいませんでしたし、ネットでもこれまでいませんでした。
「いっぴきたりない」の題材は、確実にそのタイトルだったと思います。
また、そのネタには、挿絵もありました。
何匹のロバたちの集団がいて、その集団の前に1匹のロバが立ち、ロバたちの数を数えてる絵でした。

あの話は小学校2年の教科書だったんですね。
そして、やはり国語の教科書だったんですね。

なんか、こんなカルトで古い記事を覚えてらっしゃる方がいて、嬉しいです。
書いてよかった!

それにしても、幼い頃の教科書の他愛ないネタだったはずなのに、私もチャコさんも、なぜ覚えているのでしょうね(笑)。
不思議ではあります。

話はズレますが、「チャコ」さんという名前も私には懐かしく感じられます。
幼少のころ、「チャコちゃん」というドラマがあったからです。
確か四方晴美さんが主役を演じてたドラマでありました。
返信する
Unknown (チャコ)
2022-01-13 23:17:47
コメント読んで下さってありがとうございます。

「いっぴきたりない」の題材は、確かにそのままのタイトルでした。
そして登場する動物がロバだという事は「やっぱりそうだ、ロバだった」くらいの記憶ですが、そのロバたちが一列に並んでいる図も、その列の前に立っている一匹のロバの図も覚えています。
たしかに何故こんなに昔の教科書の内容を記憶しているのか「なぞなぞみたいだったから」というだけではない、物事の考え方の基礎的なものを学んだ様な気がしたのかもしれません。
返信する
Unknown (だんぞう)
2022-01-14 09:28:28
いやいや、記憶の奥にあった「小学校低学年時の教科書の記憶」を共有してくださる方からの書き込み、嬉しかったです。
こちらこそありがとうございます。

しかも、挿絵まで覚えてらっしゃったとは!
私と同じですね。

それにしても、あの記事は「感動する内容」でもなければ、「その後の人生に役立つ教訓」でもなく、「感動的な挿絵」だったというわけでもないのに。心の奥底に刻まれているのが不思議です。

>物事の考え方の基礎的なものを学んだ様な気がしたのかもしれません。

そうなのかもしれませんね。
返信する

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