
いくらネットが発展・普及しても、限界はある。
例えばショッピングの時。
ネットは視覚・聴覚にはある程度応えられても、嗅覚、味覚・触覚はどうにもならない。
視覚は写真や動画である程度判別できる。
聴覚は音声である程度は判別できる。そう、ある程度は。
だが、嗅覚・味覚・触覚は、写真や音声では確認しようがない。
ネットが今後どのように発展していくのかはわからないが、もしも嗅覚・味覚・触覚にも訴えることできるようになったら、リアルの店などはますます窮地に陥るのではないか。
嗅覚・・もちろん、匂い。
たとえば町などを歩いていて、どこかの店や家庭から「うまそうな匂い」がしてくることがある。その匂いにつられて、その店に入ったり、買ったりしたことがあることがある人は私だけではないだろう。
でも、ネットでは、掲載されてる食品の写真や動画が「美味そう」に見えても、匂いまではわからない。
味覚・・・もちろん、料理などの「味」。
デパートの食品売り場などでは「試食コーナー」があったりする。
だが、さすがにネットではそれは無理。
試食できなければ、味は分からない。ネットでは現物が実際にそこにあるわけではないから。
触覚・・・さわり心地。
これには楽器も含まれる。楽器など、実際にその楽器を弾いてみないと、その弾き心地はわからない。弾きやすいか弾きにくいかなどの。
ネットでその楽器の写真や説明が掲載されていても、個人個人の好みもあるし、身体的な違いもある。指の長さ、身長など。
スポーツ用品などにも言えるだろう。
嗅覚・味覚・触覚はネットでは味わえない。リアルの強みはそこだろう。
ネットショッピングというのは(テレビショッピングもそうだろう)、嗅覚・味覚・触覚などを確かめないままの買い物である。
ある意味、そこには「バクチ」的な要素もある。
まあ、そこを補うのが、その商品などを購入した人の感想文であろう。
ただ、その感想文というのは、その商品の関係者の「購入者のなりすまし」による感想文を書くことも可能。
また、仮に関係者じゃなかったとしても、人ぞれぞれ「好み」は違う。その感想文と、それをこれから買おうとしている人が同じ感想を持つとは限らない。
嗅覚・味覚・触覚があまり関係ない商品なら、ネットショッピングは強い。
なにせ、「店まで出かける」という手間が省けるというメリットだけでなく、在庫のありなしもわかるし。
例えば本、DVD,、CDなど。
これらなら、個体差はない。作品そのものの出来だけだ。
買う前に、収録内容、ジャケット、参加者(出演者とか)、ストーリー(もちろんネタばれのない程度で)はある程度調べられるし、そういう要素は視覚や聴覚だけでもいい。
匂い、味、さわり心地は商品の価値に関係ない。
なんでも、嗅覚・味覚・触覚に関しては現状のコンピューターでは無理だが、いずれそういうものも感知できるようにするための研究は進められているとも聞く。
もしも、ネットショッピングが、嗅覚・味覚・触覚などもユーザーに感知させることができるようになったら、リアルな店の多くは死活問題になるだろう。
そうなると、「運ぶ」業者は、ますます人手不足になりそうではある。
さすがに飲食店やコンサートなどは無理にしても。
・・・それとも・・遠い未来には、飲食店やリアルタイムコンサートも、ネットでカバーできるようになるのだろうか。
飲食店の場合は・・・それこそ瞬間的な「物質転送機」でも出来ないと無理だろう。
もしくは人間がその店に行くなら、それこそ「どこでもドア」みたいなものができないと無理。
リアルタイムコンサートは、さすがに出演者がライブ会場やスタッフごと誰かの家に転送されるのはスペース的に無理だろうから、やはりリスナーが会場に瞬間的に行ったり帰ってきたりできる「どこでもドア」が必要になるだろう。
そう考えると、「どこでもドア」こそが、究極のショッピングのツールなのかもしれない。
店に行くのはめんどくさい、売っている店を探すのもめんどくさい、第一そんな時間もない・・・・・家や会社を一歩も出なくても、嗅覚も味覚も触覚も確かめて食べ物や楽器などの買い物もしたい、ライブも観たけりゃ旅行もしたい・・・そんな・・言わば「究極のものぐさ」「便利の究極」をかなえるには「どこでもドア」しかない気はする。
便利さを追求するネットショッピングの究極の行きつく先は、どこでもドア??
パソコンが目指す究極は・・それ??
ただし、その場合、少なくても1歩は家から出なくてはいけないけど。
そう、家の中から「どこでもドア」の向こうに、一歩は。
・・・・え?
それすら面倒だから、体は部屋に居るままで「どこでもドア」から手を向こう側に伸ばすだけにしたい??
もっとも・・・・触覚に関しては、ある程度すでに研究され始めているらしいが・・。
ネットショッピングは、私もAmazonは、よく利用しています。
特に絶版となっている書籍やCDを購入したいときには、大変便利です。
しかし、ネットショッピングが進歩する余りに、「人と人との交流」が無くなることには、徹底的に反対です。
私自身が極めて社交的なせいでしょうか、「通信販売の弱点」に対しては、ずいぶん昔から大変危惧してきました。
ネットばかりに固執して、リアルに背を向けて生きていると、その本人は必然的に言葉遣いも衰退します。
インターネット始め、技術革新も、「人間の弱点を補強するためにこそ」展開されるべきですね。
確かに絶版になってる書籍、CD, DVDなどを買うときには便利ですね。
それらには嗅覚、味覚、触覚は関係ないですものね。
よくある「町の電気屋さん」「町の八百屋さん」みたいな、地域に根ざした店の良さは、ネットショッピングの事務的な商売では得られないものがあると思います。
買い物がネットショッピングだけになってしまったら、かなり味気なくなってしまうと思います。
そのためには、買い物客は、リアルな店も大事にしていかないといけないと思います。
タイムマシンと同じく叶わぬ夢のような気がします。
どこでもドアと同じような転送装置はスター•トレックやザ•フライという映画にも出てきましたね。
嗅覚や味覚は難しそうですが、触覚は手にグローブのような物を着ければ可能かも知れませんね。
近い将来、遠隔操作で手術する事が考えられているという事をテレビで見た憶えがあります。
既にご存知かも知れませんが、ペリスコープというスマホのアプリがあります。
現地にいる人がスマホを持ち込んでアプリを起動させれば手軽に生中継が出来るものです。
私もベビメタの海外ライブをペリスコープでリアルタイムで見る事があります。便利な世の中になったものですね。
海外では国によっては日本よりスマホの持ち込みの規制が緩いようです。
音質や画質はスマホの性能や持ち方や角度、会場内の、どの場所にいるかで左右されるようですが。
ライブビューイングというものもありますね。
今は映画館やライブハウスまで行かないと見れませんが、
運営側がその気になれば、ネットを通じて家に居ながらにして、
リアルタイムでライブを視聴する事が出来ると思うんですが。
でもそうすると会場に行く人が減るし、物販の売上に影響するから、現状では映画館等でライブビューイングするだけに限定しているんでしょうか。
見る側からすれば、チケットに外れた人やライブ会場やビューイング会場まで行くのをためらう人には良いと思うんですけど。
私は大音量や人混みが苦手なので、そうなれば有り難いんですが。
ネットショッピングも技術的には、より現実に近付ける事が可能でしょうね。
立体映像が見られるヘッドマウントディスプレイを頭に被り、触覚グローブを着ければ、立体映像の店舗に入り、商品に手を触れる感覚も感じながら買い物が出来るかも知れませんね。AIの店員や実際の店員とやりとりする事も可能でしょう。
ショッピングに限らず、旅行、スポーツ、スポーツ観戦、遊園地等も、より臨場感のある体感が得られる気がします。
ヘッドマウントディスプレイは、今のところゲーム以外では余り普及していませんが、需要が無いと判断して用途が広がらないのでしょうか。
頭に被るのが鬱陶しいとか、目に悪いからとか、長時間利用すると心理的精神的に悪影響とかの理由もあって普及していないのでしょうか。
ネット動画もヘッドマウントディスプレイで見る事が出来るようですが、私はまだ体験した事がありません。興味はあるんですが。
ペリスコープやライブビューイングも、ヘッドマウントディスプレイで、立体映像立体音響でライブを体感出来るようになったら、
より会場にいるような臨場感が味わえる気がします。
そんな時代も遠からず来るような気もしますけど。
身体の不自由な人や高齢で外出が困難な人(他にも私のようなモノグサな人)には手軽に疑似体験が出来る良い技術だと思うんですが。
色々とつらつら書きましたが、実際にその場に行ったり、実物を見たり、手に触れたりする良さは、やはり技術が進歩しても変え難いものだと思います。より記憶や思い出に深く残る体験でしょう。
便利な技術を利用しつつも、実体験の大切さも尊重し忘れないようにしたいですね。
と綺麗事を言いつつ、モノグサな私は便利なほうに行きそうですけど。
それにしても、バーチャルはどこまでリアルに近づくんでしょえね。
バーチャルの究極の目的地はリアルとの一体化なのでしょうか。
今のバーチャルの推移を見てると、そんな気になることがあります。
でも、バーチャルはやはりバーチャルであり、リアルとは別物。
バーチャルもリアルも、それぞれ別のメリットがありますよね。
ただ、バーチャルがそこまでの存在になってきてるのは、すごいことだと思います。
あとはバーチャルであり、もリアル藻、互いを否定しあう未来にならないこを私は願っています。