バンブーひとりごと

そのときどき思ったこと、見たことひとりごと

富士山 おめでとう!

2013-06-22 23:12:04 | マイ・デジカメ

三保の松原を含めての世界遺産登録、日本人にはやはりセットであるし、うれしいですね。

今朝、7時24分の富士、春からは雪もとけ始めるし、ガスも出てきてなかなか見えないのですが

今朝は何とか撮れました。でも、直後隠れてしましました。一瞬でした。

      


神代植物公園  ―5月15日―

2013-05-15 14:28:13 | マイ・ウォーキング

5月11日から26日まで恒例のバラフェスタが開かれている。快晴なのでウィークデイにも拘わらず

大勢の人でにぎわっている。バラは種類がありすぎるしカメラを向ける人が多いし風に揺れてうまく

撮れない。そこで久しぶりに温室に入った。温室でも季節によって咲いているものが変わる。

     
   メディニラ マグニフィカ               カカオの実 花が咲いている、と書いて
                                 あったが見つからず。

     
    ヒスイカズラ                   ショクダイオオコンニャクの枯葉
                               2011年12月1日

                                


白河・会津2泊3日

2013-05-14 15:49:25 | マイ・トリップ

リゾートの会員権を持っている友人に誘われて羽鳥湖に泊まり今が旬の会津へ出かけた。

新白河から郡山乗り替え磐越西線で会津若松まで行ったがリゾートの送迎バスの時間の都合で

会津に着いたのはもう1時。市内を循環するミニバスに乗って鶴ヶ城近くで下車、目についたお蕎麦

屋さんであわただしく昼食。雨が本降りになってきた中、お城へ。もう3回目の訪問である。

何しろ大河ドラマのおかげでかなりの人出。くたびれて天守閣まで登らずに外へ出た。足もとも

悪いし、帰りの時間も気になるのでお茶室も見学せずにバス停へ。

   
   
八重の桜がまだ咲いていたのがせめてもの慰めであった。

帰りは19時でもうリゾートの送迎バスはなくタクシーを使う。運転手さんはもう客もないし、と

競馬新聞を読んでいて窓をたたいてやっと気が付いてくれた。22キロくらいあるので

震災の話をもう4も5も感じないよ、といいながら楽しく(ごめんなさい)聞かせてくれた。

翌日は快晴だったけれど送迎バスで送ってもらうと新幹線まで2時間余りしかなく

駅前でサンドイッチを食べて時間をつぶす。なんだか疲れた小旅行だった。

  
   
  羽鳥湖と宿泊のロッジ 合宿らしい団体とドッグランがあるので犬を連れた人たちがいた。

 


学校給食歴史館

2013-05-06 13:41:16 | マイ・ルーム

埼玉県北本市に学校給食歴史館というものが2010年にできたそうである。

日本の学校給食は明治22年にはじまったそうである。私の学校給食は国民

学校1年生に始まった。戦局もあやしくなってきて食糧も配給制度が始まったころでは

ないだろうか。それでもその頃通っていた都心の学校では白いご飯に(時々は配給米にもあった

大豆入りのこともあったが)煮豆のようなおかずが一口ついていたと思う。たまには白い食パン1

枚にジャムかなにかついていたこともあった。

一学期を終えると3年以上は学童疎開に参加しないといけなくなり、父は学童疎開

に危惧を感じたらしく、3年生だった姉に私をつけて仙台にいた母方の親戚を頼った。

2学期から当地の学校へ通わされたがそこで出会ったのが仙台味噌の入った雑炊である。

親戚に預けられたさびしさ、心細さもあったのだろうが子供心に東京では白いご飯を食べていた、

どうして地方に来て毎日雑炊なのか納得できなかった。しかし食べなくてはならない。週に

一度くらいだろうがパンが出た。師団が近くて始終馬の往来を見ていたからその落とし物には

なじみがある。子供たちはその黒くて丸いパンを馬糞パンとなずけた。

終戦後、5年生の時東京に戻った。そして供されていた給食は食事ではなく味も思い出せない

くらいまずい脱脂粉乳をといてダマがボコボコしているミルクとトマトジュースだった。ミルクは

配られるのだけれどお弁当が終わるとソロソロとコップを持って水飲み場に流しに行った。

先生に叱られた記憶がないから先生も見て見ぬふりだったのだろうか。男子の中には

面白がって学校の近くを流れていた小川に流したりしていた。

学校給食、記事には懐かしくて食べたい、とあったけれど・・・


私は今でもオジヤ、お粥は食べられない。立つくらいかたいご飯が好きである。 中国へ

旅した時は毎朝お粥をいただくが、あれはスープで炊いてトッピングもおいしいからである。

トマトジュースも大人になってKAGOMEのおいしさを知っていまでは積極的に飲んでいる。

 

 

 

 


神代植物公園  ―5月5日―

2013-05-05 15:00:58 | マイ・ウォーキング

五月晴れ 良い天候に恵まれた子供の日

正門までバスで。バスの中は気持ちを弾ませて公園を訪れる人々でこんでいる。

バスも臨時便を出してピストン輸送だ。

今はシャクナゲボタンバラがそれぞれまだつぼみが多いのだがそれなりに彩りを見せてくれ

ている。今週末11日からバラフェスタが開かれる。花々が満開で訪れる人たちを迎えてくれるだろう。

     

     
     
     
     
     


高野山・奈良・亀山 三泊四日の旅

2013-04-27 14:57:11 | マイ・トリップ

前から、宗教心は全くないのだけれど高野山というところへ行ってみたいと思っていた。連れ合いから

今年はどうする、と聞かれたので「高野山」と提案した。連れ合いもそれは承諾し、ではあと奈良へ出て

一泊、それから亀山へ行ってみたい、ということだった。私にしてみれば全く意外で「へェー」という感じ。

でも知らない所へ行くのもいいから旅行社で宿と行きの新幹線を手配してもらった。一泊目は朝の南海

線に乗るのに良いように難波近くのクロスホテルを手配してくれた。出発前は大阪を知らない私のため

に案内してくれるようなことを言っていたのに、当日、daygameの阪神は藤浪が登板する、と知って

案内はどこへやら、よく朝の南海高野線特急の指定席を求めた後はホテルへ行ってチェックインを待ち

部屋に入るなりテレビ、旅先でけんかしても仕方ないから私もテレビ。藤浪も快投してゲームセット。

夕飯は宋衛門町で言うのでついて行った。すごい人・人・人・・・ わからないので何とかすし、とかいて

あったと思うお店に入ったがおすしばかりではなく荒煮やらごったのメニュー、お造りや煮物を頼んだ

後握ってもらったがこれがお粗末。それに板さんの手が足りず待たされてうんざり。

ところでクロスホテル、バスルームにタブのほかに洗い場があってグーでした。  

 

翌日はいよいよ高野山。ケーブルカーを降りてから観光タクシーで回ってもらうことにした。奥の院から

豊臣家をはじめとする広大な墓所、壇上伽藍などを回って3時間。運転手さんに親切に案内して貰った。

       
       豊臣家墓所
       
       お隣にお江の大きな墓所があったが私は千姫の方にひいきがある。 
       
       お江、千姫の供養塔へ入る道には目印のように一つの根から三本に分かれた
       大きな杉が立っている。

さて帰り、ケーブルカーを降りて南海線に乗り橋本でJRに乗り換える。来た電車に乗るのでこれが鈍行

で王寺まで約1時間半ベンチシートで揺られた。ちょうど中・高校の下校時間で途中から若い人たちが

乗ってくる。シートに座ると教科書やノートを出し勉強を始める。感心・感心。もちろん、中には乗って

から降りるまでスマホを相手にしている子もいた。王寺で降りるとさて、奈良行きの案内が2本のホーム

に出ていた。乗務員さんが通ったので聞いてみると向こう側は次々環状線(?)が来るから早い、と

教えてくれたので陸橋を渡る。本当だ、次々来る。奈良駅で降りてホテルへ。今夜は奈良ホテル。

翌日は康慶作、運慶作の国宝が公開されている興福寺へ、拝観してもよくわからないけれどこんな

機会はまたとないので思い出になるだろう。

                
     興福寺の八重桜      鹿さんたち        鹿の飛び出しに注意                                   

亀山は多聞櫓、加藤家の塀を見ただけ。タクシーの運転手もなんか不愛想だった。ただ同好会らしい

写生をしている人たちがいてその中の一人のおじさんが「どこからきなさった」ときくので「東京から」

というと「よく来てくれた」とほほ笑んだ。わざわざ来る人もいないのだろう。

        

ところで確か3月の何日かから全国でICカードが使える、ということでどこでもピッピッとやればいいの

だと思いこんでいたらとんでもない。高野山のケーブルカーに乗る時もピッとできたし橋本での

乗り替え、ちょっと時間があったので外へ出てみた。南海線の改札はピッが有効だったがJRの橋本から

奈良へと改札と通ろうとしたら従来の改札しかなくて切符を買ってください、と言われた。自販機で

買いましたが切符を買ったのは記憶にないほど前のことだ。どうやって買うのか一瞬迷ってしまった。

そして翌朝、奈良駅でピッとやって通ったのだけれど下車した亀山駅には自動改札は切符用の

物しかなく窓口で〝料金は頂いていますが記録を消してください″と書いた紙を渡され東京まで

持ち帰り新宿で紙を渡して訂正してもらった。考えてみれば全国の駅に自動改札を設置するなんて

大事業だ。費用対効果からすればそんなことは無理な話、いろいろ認識を新たにさせられた旅でも

あった。

 

 

 

 

 

 


三国連太郎さんご逝去

2013-04-15 22:31:44 | マイ・ルーム

三国連太郎さんのご逝去の報に接して思い出したことがある。

主演された“息子”という映画が公開される2ヶ月くらい前のことか。夏の暑い日、そのころ三国さんは

井の頭沿線にお住まいで私は一駅前から乗って座っていたのだがお住まいに近い駅から三国さんが

乗っていらしてこのような方でも電車をおつかいになるのだ、とびっくりした。そのうち私の隣があいて

そこへお座りになった。麻風の上着をお召しで、私は夏だから半袖、二の腕が三国さんの袖に触れて

ドキドキして渋谷まで過ごした。しばらくしてたまたま目にした週刊誌に“息子”についての対談が

載っていて隣り合ったスタイルの三国さんの写真が掲載されていた。ああ、もしかしたらあの日はこの

対談のためにお出かけだったのだ、なんて思ったことがあった。私にとっては古い、けれど貴重な

思い出である。

余計なことだけどNHKのニュースでは  巨星 逝く となっていたけれど巨星 とくれば墜つ  では

ないでしょうか。 墜つ という語に気遣いしたのだろうか。


神代植物公園  ―3月6日―

2013-03-06 14:17:16 | マイ・ウォーキング

神代植物公園  ―3月6日―


神代植物公園 ―2月22日―

2013-02-22 14:37:41 | マイ・ウォーキング

空気は冷たいけれど、やっと穏やかな日でいくらなんでもフクジュソウも咲いているだろう、と

公園まで出かけた。 

      
      正門のしつらえ
      
      約一カ月近くも遅れて顔を見せた。
      
      
      いつもは早く咲く椿園の前の白難波も花はちらほらでさみしい。
      
      道すがらメジロが遊んでいた。今年はメジロをよく見かける。

3月3日、4日は深大寺のだるま市だ。帰りに寄ったM茶屋では月曜にかかってしまうのよね

とさびしそうだ。月曜は公園のほうはお休みだから上まで上がってくる客は少ないだろう。


鳥取銘菓 二十世紀 亀甲や

2013-02-07 22:17:26 | マイ・ルーム

新宿の東急ハンズへ行った後、久しぶりに高島屋の地下へまわった。

たまに、ほかのデパ地下へまわると入っているお店も違って小さいワクワク感を持つ。

食品を買った後、地方の銘菓を置いているコーナーに足を向けた。そして目についたのが

鳥取の二十世紀というお菓子である。寒天、水あめなどが原料だろうけれど梨を輪切りにして

種を除いた穴があいている。え~ッとびっくりした。もう?十年前中学生か高校生の頃の事。

父は甘党でお菓子の頒布会のようなものをとっていた。毎月地方のお菓子が一種類ずつ送ら

れてくる。その中の一つだったと思うけれどこの梨を輪切りにしたお菓子がきた。ほかにどんなお

菓子があったのかは全く覚えていないがこれはとてもきれいで抜いた種に見立てた穴が

かわいいし色も、梨のざらざら感もあって記憶に残ったらしい。添えられた栞によると亀甲やは

大正11年から作っているそうである。私が昔食べたのも同じ亀甲やのものだろう。長いこと

実直に作っているのだろう。その心に涙が出そうになった。

       

       
 お行儀よく小さな袋に入っているが、当時はもっとの大きさに近かったようにも思う。

こちらの目が変わったのか。