バンブーひとりごと

そのときどき思ったこと、見たことひとりごと

高野山・奈良・亀山 三泊四日の旅

2013-04-27 14:57:11 | マイ・トリップ

前から、宗教心は全くないのだけれど高野山というところへ行ってみたいと思っていた。連れ合いから

今年はどうする、と聞かれたので「高野山」と提案した。連れ合いもそれは承諾し、ではあと奈良へ出て

一泊、それから亀山へ行ってみたい、ということだった。私にしてみれば全く意外で「へェー」という感じ。

でも知らない所へ行くのもいいから旅行社で宿と行きの新幹線を手配してもらった。一泊目は朝の南海

線に乗るのに良いように難波近くのクロスホテルを手配してくれた。出発前は大阪を知らない私のため

に案内してくれるようなことを言っていたのに、当日、daygameの阪神は藤浪が登板する、と知って

案内はどこへやら、よく朝の南海高野線特急の指定席を求めた後はホテルへ行ってチェックインを待ち

部屋に入るなりテレビ、旅先でけんかしても仕方ないから私もテレビ。藤浪も快投してゲームセット。

夕飯は宋衛門町で言うのでついて行った。すごい人・人・人・・・ わからないので何とかすし、とかいて

あったと思うお店に入ったがおすしばかりではなく荒煮やらごったのメニュー、お造りや煮物を頼んだ

後握ってもらったがこれがお粗末。それに板さんの手が足りず待たされてうんざり。

ところでクロスホテル、バスルームにタブのほかに洗い場があってグーでした。  

 

翌日はいよいよ高野山。ケーブルカーを降りてから観光タクシーで回ってもらうことにした。奥の院から

豊臣家をはじめとする広大な墓所、壇上伽藍などを回って3時間。運転手さんに親切に案内して貰った。

       
       豊臣家墓所
       
       お隣にお江の大きな墓所があったが私は千姫の方にひいきがある。 
       
       お江、千姫の供養塔へ入る道には目印のように一つの根から三本に分かれた
       大きな杉が立っている。

さて帰り、ケーブルカーを降りて南海線に乗り橋本でJRに乗り換える。来た電車に乗るのでこれが鈍行

で王寺まで約1時間半ベンチシートで揺られた。ちょうど中・高校の下校時間で途中から若い人たちが

乗ってくる。シートに座ると教科書やノートを出し勉強を始める。感心・感心。もちろん、中には乗って

から降りるまでスマホを相手にしている子もいた。王寺で降りるとさて、奈良行きの案内が2本のホーム

に出ていた。乗務員さんが通ったので聞いてみると向こう側は次々環状線(?)が来るから早い、と

教えてくれたので陸橋を渡る。本当だ、次々来る。奈良駅で降りてホテルへ。今夜は奈良ホテル。

翌日は康慶作、運慶作の国宝が公開されている興福寺へ、拝観してもよくわからないけれどこんな

機会はまたとないので思い出になるだろう。

                
     興福寺の八重桜      鹿さんたち        鹿の飛び出しに注意                                   

亀山は多聞櫓、加藤家の塀を見ただけ。タクシーの運転手もなんか不愛想だった。ただ同好会らしい

写生をしている人たちがいてその中の一人のおじさんが「どこからきなさった」ときくので「東京から」

というと「よく来てくれた」とほほ笑んだ。わざわざ来る人もいないのだろう。

        

ところで確か3月の何日かから全国でICカードが使える、ということでどこでもピッピッとやればいいの

だと思いこんでいたらとんでもない。高野山のケーブルカーに乗る時もピッとできたし橋本での

乗り替え、ちょっと時間があったので外へ出てみた。南海線の改札はピッが有効だったがJRの橋本から

奈良へと改札と通ろうとしたら従来の改札しかなくて切符を買ってください、と言われた。自販機で

買いましたが切符を買ったのは記憶にないほど前のことだ。どうやって買うのか一瞬迷ってしまった。

そして翌朝、奈良駅でピッとやって通ったのだけれど下車した亀山駅には自動改札は切符用の

物しかなく窓口で〝料金は頂いていますが記録を消してください″と書いた紙を渡され東京まで

持ち帰り新宿で紙を渡して訂正してもらった。考えてみれば全国の駅に自動改札を設置するなんて

大事業だ。費用対効果からすればそんなことは無理な話、いろいろ認識を新たにさせられた旅でも

あった。

 

 

 

 

 

 


三国連太郎さんご逝去

2013-04-15 22:31:44 | マイ・ルーム

三国連太郎さんのご逝去の報に接して思い出したことがある。

主演された“息子”という映画が公開される2ヶ月くらい前のことか。夏の暑い日、そのころ三国さんは

井の頭沿線にお住まいで私は一駅前から乗って座っていたのだがお住まいに近い駅から三国さんが

乗っていらしてこのような方でも電車をおつかいになるのだ、とびっくりした。そのうち私の隣があいて

そこへお座りになった。麻風の上着をお召しで、私は夏だから半袖、二の腕が三国さんの袖に触れて

ドキドキして渋谷まで過ごした。しばらくしてたまたま目にした週刊誌に“息子”についての対談が

載っていて隣り合ったスタイルの三国さんの写真が掲載されていた。ああ、もしかしたらあの日はこの

対談のためにお出かけだったのだ、なんて思ったことがあった。私にとっては古い、けれど貴重な

思い出である。

余計なことだけどNHKのニュースでは  巨星 逝く となっていたけれど巨星 とくれば墜つ  では

ないでしょうか。 墜つ という語に気遣いしたのだろうか。