連日の桁外れの暑さでぐったりしているのに、主人の信仰が気になってイライラしていた。
なぜ、完全に回復した肝臓に点滴を続けるのか・・なぜ薬を飲むのか。それは依存であり、医師に言われても自分で判断すればよいではないか。なぜ癒された事実を受け止めることができないのかなんて・・。
しかし、聖書は「夫に服従しなさい」と言う。これがすごいストレスだった・・。
ところが、聖書通読の思いも寄らない箇所から、平安をいただくことができた。
ペルシャの王クロスの時代に、エレミヤの預言通りにエルサレムに神殿を再建するチャンスがやって来た。イスラエルの民は捕囚から解かれ、心を合わせて再建にとりかかる。
主の例祭のすべての聖なるささげ物、それからめいめいが喜んで進んでささげるささげ物を主にささげた。(エズラ記3:5)
その喜びが伝わってくる。このように捧げたいものだ・・と感動させられ、この時、アベルの捧げ物を思い出していた。
しかし、神殿再建は妨害が入り、長い間中断してしまう。
こうして、エルサレムにある神の宮の工事は中止され、ペルシヤの王ダリヨスの治世の第二年まで中止された。(エズラ記4:24)
みこころによって始まったことでも、妨げられ閉ざされてしまうことがあるのだ・・。
このことを思い巡らせていてハッと気付かされた。
形のある神殿は壊されても、また完成しなくても(実は完成はするのだけれど、それも壊される)
しかし、主のみこころは、およそ人には思いつきもしない形で完成されたのだ。今、キリスト者の内を聖霊の宮として完成されている・・。
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。(1コリント6:19)
このことに思いが至ったとき、私は何を見ていればよいのかがわかった。そうして、思い煩い、独り相撲のような拘りから解かれた。主人の信仰は、主が完成させてくださるだろう・・。
「あなたは、わたしに従いなさい。」と命じられる。 私は、ホームポジションである「夫に服従」しておればよいのだ・・。とても気が楽になった。
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