暑~い!さすがに昨夜はダウンだった。血圧が82/46まで下がって胸のドキドキがとまらなかった。
まるで初恋の人に出会ったみたいに胸が躍る・・こんなことを考える余裕があるんだからまだ大丈夫だろう・・
先日から同じ箇所にいる。イエスさまに捧げられたナルドの香油。
イエスさまはシモンの家におられた。彼は重い皮膚病にかかっていた。それは旧約の時代には人から隔離されるほどの病気である。イエスさまは癒し主だから、シモンを癒すことがお出来になったずで、癒されたならこのような書き方ではないはずだ。
「イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたとき・・」(マルコ14:3)
それは「汚れている」と言われていた病気である。しかし、まるで普通にそこに弟子たちと交わって居られるイエスさま。
そうなんだって・・シモンは癒されなくても、病気のままでもなんの問題もないのだ。そう、イエスさまと居れば「もう、聖い」ってことに気づいた。病気は彼にとって何の妨げにもならないのだ。
女はナルドの香油を石膏の壺を砕いてイエスさまの頭に注いだ。砕かなくても注ぎ出すことは出来ただろうけれど・・。
砕いたなら、石膏はイエスさまの前で飛び散ることになる。それは、良いものである香油だけではなく、不要な石膏の破片までイエスさまに届くってことである。
イエスさまにすべてを捧げようとするとき、良いものだけを選んで捧げることは出来ない。どんな行為にも罪が張りついているのが人であるから・・。
だから彼女がしたように、壺ごと御前で割るしかない。イエスさまは香油だけを受け取られたのではなく、石膏の欠片のような罪も受け入れて、十字架ですべてを処理してくださった。
自分のすべての思いや、計画や、自信や、愚かさっていう壺を捧げ物と共に、粉々に砕くことができるのはイエスさまの愛によること。
しかし、彼女の捧げた香油は、純粋で非常に高価な香油だった。私は何も持っていない。
「わたしの目には、あなたは高価で貴い。」(イザヤ43:4)
このみことばにより頼んで自分自身を捧げる他ない・・。みことばの備えに深く感謝するのみ。
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