たかが風邪だと常備薬を飲んでは誤魔化していたけれど、ただならぬのどの痛みについに降参して、近所の医院へとしんどい体を引きずって行くと、
お医者さんいわく「今、こんな風邪が流行っていますねん。」ツーカーで薬を処方してくださった。
何にしろ私に流行なんて・・信じられないことだけれど・・
薬を飲んで確かにのどの痛みはあるていど取れたけれど、熱が出て来てついに寝込んでしまった。ウトウトウトウト・・と眠っているのか起きているのか・・
寝返りを打つだけで胸がドキドキしてなんともしんどい。階段を下りてトイレに行くことも一仕事。
ハッと思い当たって血圧を計ってみると、案の定上が85、下が55、脈は90。
日和見な体で、少し体調を崩すといつも血圧が下がってしまう。
入院をしていたときには、一日中血圧ばかり測られていた。計ったってどうしようもないのだけれど・・。
それからは、次から次へとあちらが良くなればこちらが痛いとか・・まあ、病気というものはそういうものなのだろう・・。
薬を飲むとそのことには楽になっても、胃の不調が加わったり、のどの痛みが消えたら、ぜんそくのような咳や切れない痰で眠れなかったり、楽になりたかったらその度に薬が増えて行く・・。
ほんの2、3日のことで、今日はちょっと無理をしつつも、買い物に連れて行ってもらえるほどに良くなったけれど、今回の経験は病気というものの恐ろしさを改めて認識することになった。
病気と戦っておられる方のことを思い浮かべて、「本当に大変だろうな・・」ってぼんやりした頭で何度も思った。確かに、病まなければ分からないことがあるんだ。
私は弱虫で、病気になるとみことばを読むことも、聞くことも、祈ることも出来なくなって、本当にな~んにも出来なくなって、時々御名を呼ぶだけ・・。
ただ、ただ常日頃の主との関係による平安がすべてとなる。
今日はほとんど元気になったのだけれど、洗濯ものを干した後は力がはいらなくて、ふっと手にした「みことばフォトブック」にそのまま引き込まれて、ゆっくりとみことばと写真を見ていた。
時に、みことばにアーメン、アーメンと相づちを打ちながら、微笑ましい写真や幻想的な風景写真を見てほのぼのとしていた。
主の造られた作品の美しさ、楽しさ、変化、私たちの与えられているものの豊かさが胸に迫る。
みことばは真実の約束。甘い蜜のように広がる。
この一枚一枚の写真を撮られた人の信仰は、きっと、それぞれ違っていて同じではないだろう・・。でも、みんなイエス・キリストを愛している。
みことばと写真を通して主を語っておられる・・。写真を通して造り主をほめたたえている。
「鉄は鉄によってとがれ、人は友によってとがれる」箴言27:17
「わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。」マタイ10:27
心に残ったみことばをメモしていたのだけれど、研がれる友の大切さと、その友との関係は、主に聴いたことを大きな声で伝え合うものなのだと・・。
おもねることなく、聞いたことをストレートに伝えあえる関係、主を真ん中にして誰にでも開かれている関係を守って下さいと祈る。
この前、カオリンさんから聞いたみことば
「もし吹き出物がひどく皮膚に出て来て、その吹き出物が、その患者の皮膚全体、すなわち祭司の目に留まるかぎり、頭から足までをおおっているときは、
祭司が調べる。もし吹き出物が彼のからだ全体をおおっているなら、祭司はその患者をきよいと宣言する。すべてが白く変わったので、彼はきよい。
しかし生肉が彼に現われるときは、彼は汚れる。」 (レビ記13:12~14)
全身病んでいる者はきよく、生肉が現れると汚れる。とっても分かり易いと思った。病んだ者には医者であるイエスさまがいてくださる。でも、肉の生きている間は、医者は必要ないもの。いえ、医者が近づくことさえできないもの。
イエスさまが居て下さる身にとっては、病気が不幸なことなのではなくて、肉が元気なことが滅びをもたらす不幸せなんだ・・。
秋の陽差しが心地よく、洗濯物もすっかり乾いて息子の優しい手助けが嬉しい一日だった
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石ころ
takako
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