石ころ

「完全」




 「アサ王の心は一生涯、完全であった」(Ⅱ歴代15:17)と書かれている。そうして「完全」とは、「主と全く一つになっていた」と欄外に書かれていた。

「あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」(マタイ5:48)と言われても・・と思ったことがあった。
今日発見したみことばによって、完全が「神と共にある」と、聖書に書かれてあったことで、確かな導きを得ることができた。

しかし、人の完全とはこのレベル・・、
アサ王は主にたまわった平和の中で、霊において眠っていたのだろう。突然やって来た戦いの日に、主に依り頼むことをせず、手近な人を頼って主に罪を犯していた。病の日にも主に願うよりも、医者に依り頼む者となっていた。
安易な習慣がついてしまったのだろう・・。それは常に心していないと、人は問題の前で考えることもなく、手っ取り早く自力で解決しようとする者であるから・・。

 実に、主だけを頼りにすることは勇気の要ることである。のんびりと安逸の中に居る者にその勇気はない。
主は「目を覚ましていなさい。」と言われる。眠りこけていてはすぐに立ち上がることはできないからである。

「神とひとつになっている」そのように完全でいるには、目を覚まして常に戦いの備えをしていることが必要なのだ。
何と戦うのか、それは自分の中にある不信仰である。主の平安、安息はその「完全」の内にあるのだから。

 それでも、主はアサ王に憐れみ深くあったように、私たちにも情け深いお方であるから、私たちは主にあって存在していることができのだけれど・・。
今は、内に助け主なる聖霊の神がいてくださる私たち。だから旧約の人々より「完全」は易しいはずだと思う・・。
主と一つになれるということほどの幸いはない。本当にその望みは何にも勝る喜び。

あなたは完全に正しい重り石を持ち、完全に正しい枡を持っていなければならない。あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたが長く生きるためである。(申命記25:15)

正しい重り石、正しい枡とは、みことばがすべての基準であることだと思う。すべての事をキリストを基礎として生きて行くことだと思う。
永遠を、主と生きる日のために。

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