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石ころ

義なる神の裁きから愛なる神の赦しへ

 

 

 妻が身を汚していて、夫にねたみの心が起こり、妻に対して憤る場合、あるいは妻が身を汚していないのに、夫にねたみの心が起こり、妻に対して憤る場合、(民5:14)

 

民数記には様々な場合、祭司が主がモーセに命じられた事に従って民を裁き、神の民から汚れを取り除くのである。

上記の場合は実際に罪を侵した場合と、姦淫を疑われただけの場合が並べて書かれてある。どちらにしても、女が祭司の言葉に従うことによって身の証しがなるようである。無実であれば免れて子を宿すとある。子は神の祝福だからであろう。

 

妻が罪を犯していないことを証し出来るのは神だけである。裁判の無実は、罪の証拠が得られないので罰することが出来ないだけであって、罪が無いと証されたことではない。
しかし、神の基準は心の中で欲望を描いたけで罪なのである。それゆえ義人はいないと言われる。

 

あなたの隣人の妻を欲してはならない。あなたの隣人の家、畑、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを欲しがってはならない。(申5:21)

 

人には心の中で思うことと、実際に罪を犯すことには天と地ほどの差がある。これが神の義と人の義の差である。それゆえ、誰も生まれながらに神に受け入れなれる義を持たないのである。心に罪お思いを一度も思わない人はいないからである。

 

しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に「ばか者」と言う者は最高法院でさばかれます。「愚か者」と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。(マタイ5:22)

 

神の義と聖は人には決して及ぶものではなく、すべての人は自分の罪のゆえにゲヘナの永遠の死に至るのである。

しかし義と聖なる神は、愛の神でもあるゆえに、ひとり子イエスを地に遣わせて人類の過去、現在、未来に至るまでのすべての罪を負わせ、最も重い裁きである十字架刑によって裁き、完全に解決することを計画してくださったのである。

 

イエスは御父なる神のご計画に従順し、人類の救いを成し遂げるために十字架に死に、墓に葬られて三日目によみがえり五百人以上の弟子に現れて、滅びの死が打ち破っられたことを知らされた。

 

イエスは今天に昇られ、父成る神の右の座についておられ、やがて裁きのために来られる方である。

イエスの十字架の完全な救いに信頼し、罪をあがなわれたことを感謝して礼拝する者を、主はその信仰によって義と証してくださり、神の子としてくださる。

 

わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたの背きの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。(イザヤ43:25)

 

しかし、神はすべての人の罪をご存じであり、それらの日々に痛みを持って忍耐していてくださったのである。罪に病む病人を救う医者イエスを準備して・・。

神が、救われた者の罪を「もう思い出さない」と言われるのは、御子イエスの従順の故であり、イエスの中に留まる者だからである。

 

最も憐れなのは頑張って生きていて、自分ではどうにもならない罪があることを悟らず、他人との罪の軽重に心を奪われ、命の主であるイエス・キリストを無視することである。

それは創造主なる神と、御子イエス・キリストを悲しませて罪に罪を増し加え、プレゼントされたいのちの祝福を葬ることである。此処に神の怒りがある。

 

幼子のように、キリストの十字架によって罪が許されたことを信じた者は、その事実を教えてくださった聖霊なる神と、永遠の滅びから救い出してくださったイエス・キリストと、ひとり子の命をたまわるほどに愛しくださる父なる神の家族とされたのである。

 

しかし世に在ってはまだ肉の弱さを纏っており、問題の尽きない日々であっても、聖霊の臨在の中で祈りとみことばによってイエスの真実を味わっており、永遠まで変わることのない愛に満たされて霊は安息しているのである。


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