
心の底から祈った。うめくように祈った・・。いや・・祈らされたのに何も変わらなかった。
そうして、聞かれる祈りは箱船の中だけに限定されているかのように思えた。外は死に満ちていると・・。
私は戦争によって辛酸をなめさされた。二度とそのようなものを見たくもなく、耐え難い・・なのに、この国は再びその日に戻って行くのか・・。
今、ノアの心を幾らか味わうこととなった。
恥も意地もどうでも良いではないか・・。
馬鹿にされようとも、領土が誰のものになろうとも、そんなことはどうでもよいではないか。
子供には親が必要であり、妻には夫が必要であり、親には子が必要なのである。
人を殺してはならない、殺されるべきでもない。それは何にも勝って悪いことである。
優しく育てた息子は優しいままで、妻や子を愛して人生を全うさせてあげたい。普通の親の切なる願いである。
今日まで穏やかにこの国はやって来た。殺さない国の祝福をみんなで味わってきた。平和憲法という看板を守って・・。
平和を築くのには忍耐とたゆまぬ努力、それに長い時が必要であるけれど、それを崩すの一瞬であり、なんと容易いことだろう。
これが民主主義ではなく、独裁者の圧政ならまだ言い訳のひとつもあるだろうけれど・・。
再び、過去の戦争で味わった悲劇、そのような苦痛を味わうであろう人に、私たちはなんと言い訳をすることができるのだろう。子や孫に平和を残せなかったことをなんと言い訳すればよいのだろう。
方法はあったのに、みすみすそれを捨てる愚かさ・・。
そうして、なんだかそれが立派にさえも見えてくる恐ろしさ・・。
いずれ、こんなことさえ言えない時がくるのだろう・・。そうして、人々は偽りの言葉をもって、愛する子を死の淵に送るようになるのだろう。
なを祈ります。主よ、この国を憐れんでください。