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石ころ

世に勝つ者(1ヨハネの手紙5章)

 

イエスがキリストであると信じる者はみな、神から生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はみな、その方から生まれた者も愛します。

このことから分かるように、神を愛し、その命令を守るときはいつでも、私たちは神の子どもたちを愛するのです。(1~2)

 

イエス・キリストに無条件で赦され、命を捨てるほどに愛された者は、神の御愛を経験しうちにキリストが形作られ、みことばがこの身になりますようにと、祈り求めるようになる。

 

いのちの主を愛しみことばを愛して、キリストの愛によって兄弟を愛するとき、たとえ責めているようでも教えているようであっても、心はキリストの平安に守られている。

 

神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません。
神から生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。(3~4)

 

人には負えない重荷をイエスは十字架で負ってくださった。絡みつく罪からも解放されて、軽やかにイエスと共に歩む道すがらも、いのちのことばを解き明かし続けてくださる。聖書に主の御声を聴き続けるうちに、いつしか神の栄光を現させてくださるのだ。すべては主の憐みによることである。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。(マタイ11:30)

 

世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。(5)

世には生きていてもイエスの中に在って、すでに天に続く永遠を歩んでおり、キリスト者の国籍は天にあって、この世の者では無く、この世の支配に閉じ込められることも無い。


体は永遠のいのちをたまわっており、災いや病で終わるものではなく、その存在はキリストによる権威をたまわり、やがて世を裁く者なのである。

今は世のことは世が支配するときであり、神の子は聖霊に導かれてみことばを行って、愛の言葉である福音を告げ知らせるのである。

 

イエスが十字架で流してくださった尊い血の洗いを受けた者は、主の喜びとなるべきであり、主が喜んでくださるなら、この世で恥を掻くことなど何ほどの事も無いのだ。

どうして、あれほどの苦しみを受けてくださった神の御子による救いを告げずに、神の作品である人々が滅びゆくことを見過ごすことが出来るであろう。一人でも多くの人が救われるために世に光のある今、それぞれのタラントを精一杯用いる時なのである。

 

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)

 

神はすべての人のいのちの作者であり、ご自分のものを愛しておられる。誰も滅びることを望まれないゆえに、御子を遣わせ聖なる命をもってすべての人のために赦しを準備してくださった。

 

先に救いのお恵みに与った者には、イエス・キリストを伝えること以上に重要なことなど無く、主は今働く者を必要としておられる。それゆえこのような無学で、死にかけの年寄りにも忍耐してくださっている。主のお憐みによって記事をアップする度に、恐れを覚えてひれ伏しつつ・・だけれど。

 

あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。(1ペテロ2:9)


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