理不尽だとカッと頭に血が上って、主人に「どうして、あの人の言いなりにならなければならないの。」と怒りをぶつけてしまった。
主人は、お見舞いに行こうと誘われて急いで食事を済ませて、その人を迎えに行たのに留守だったと帰って来た。数時間後に電話で呼び出されて再び行くことに私は怒っていた。侮られていると腹を立てていたのだけれど主人が出かけた後、我に返って「イエス様ごめんなさい。」と言うと同時に、今日のみことばを思い出した。
「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。」(ローマ8:13)
「私の生活の中ではどういうことなんだろう。」今朝そのように思いながら読んでいた。
今の私の「理不尽だ」という怒りは私の肉の思い、肉は筋を通せと言う。でも、その一本通っている筋とは自己中心。決して神中心ではない。
また、私は先ほどちょっとした親切が出来なかった。簡単なことだったのにとっさにすぐに動けなかった。その心の底には小さな妬みがあった。これも明白な私の肉。
でも、私はなぜいきなり怒ったんだろう。自分の立場が分かっていなかったからだ。私の日々がどれほどの神の赦しの中に、忍耐の中にあるのかを、ぼんやりと暮らしていて忘れているからではないか。
なぜとっさに妬んだんだろう。私が妬む必要がどこにあるのか!主に賜っているもの豊かさをしっかり覚えていないからではないか、どれほど主が良くしてくださっているのかを忘れているからではないのか。
そんな失敗ばかりでも、「アバ、父。」と祈りに導いてくださる御霊がいてくださるから、このような生活のど真ん中で、みことばをどのように生きるのですかと明日もまた聞いていこう。

「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。」