
謙遜という言葉に引っかかる。
謙遜とはそもそも上位の者のみがとれる態度だと思う。常に下位にある者はそれ以上にへりくだる余地を持っていない。
謙遜に振る舞う人は、自分が相手に対して上位にあることを、あらかじめ心得ているということである。
物乞いがへりくだって乞うことはない。哀願する者がへりくだって願うことはない。すでにへりくだる余地がないからである。
だから、癒された盲人がパリサイ人に話す言葉は、自動的に高ぶった言葉とされてしまう。
「お前は罪の中に生まれながら、私に教えてようとするのか」此処でへりくだれるのはパリサイ人だけである。盲人にはその余地がないからである。
地に伏す者はそれ以上に低くなることはできない。低くなるのは立っている者である。
謙遜とは能力や功績を持っている者の手段である。何も無い者は謙遜さえない。
私には謙遜は無理である。
しかし、主の御前に謙遜であることはできる。
それは主はそこまで謙遜であられるということだ。