In the suburbs of Kozukata

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http://suburbsofkozukata.seesaa.net/
にあります。

旧旧東海道? 蔦の細道 つづき

2021-02-02 19:55:01 | 日記


静岡口へ向けて降り始めると、さっそく急な杉林の道。



下から見上げると、ほとんど崖です。



「蔦の細道の文学」なる説明板。かなり古そうで、ところどころ判読できない状態です。



これも台風の影響か?竹がかなり倒れています。



ようやっと道の駅が見えてきました。



ようよう静岡口に到着。一周約一時間半の道のりでした。
昔はこんな道を沢山の人が行き交っていたんですね。













旧旧東海道? 蔦の細道

2021-02-01 20:14:43 | 日記
さて、宇津ノ谷峠を制覇し、こんどは蔦の細道へと向かいます。



しばらくは舗装された道を行きます。一帯はつたの細道公園になっています。
もともとは東海道として使われていた峠道だったのが、あまりに険路なため宇津ノ谷峠が通されたそうです。



さて、いよいよ山道の雰囲気。



沢沿いの道を行くと丸太橋のむこうに入り口が。



石碑と岡部町教育委員会による説明板。



一応、石段を整備したらしき痕跡が・・。



これ、あきらかに崩れてるよね。
数年前の台風で崩れたんでしょう。



延々と石段?の道が続きます。



猫石という岩です。猫に似てる??



次は竹やぶの間の急登。



さらには杉の根が這う急坂。
もうこの頃には冬だというのに汗だくです。
なんでこんなところに道を通したんだよ!と思いながら登ります。



ようやく峠へたどり着きました。



岡部口まで400m、静岡口まで500m。1kmもない峠道なんですけどね。

後半へ続く。

旧東海道 宇津ノ谷峠 つづき

2021-01-31 19:07:14 | 日記


峠の頂きを過ぎ、急坂を降りていくと、



舗装路に出ます。



暫く舗装路を行くと、再び未舗装路があります。



髭題目碑。端を髭のように跳ねて書く書体です。日蓮宗信仰が盛んな静岡県東部に多いそうです。
裏には「天保六年霜月十三日再奥」と刻まれています。



ようやっと藤枝川入口に到着。
藤枝市教育委員会による案内板。



入り口の近くには延命地蔵堂があります。
峠道の途中にあった石垣の上にあったものが移されたそうです。



地蔵堂の中には蘿経記碑があります。
羽倉簡堂という儒学者が、蔦の細道が廃れて消滅するのをおそれ、建立したとか。
もとは旧東海道脇にあったものが移設されています。

さて、次は蔦の細道へと向かい、静岡側に戻ります。
そこはまた今度^^。

旧東海道 宇津ノ谷峠

2021-01-30 19:52:42 | 日記
昨年、丸子宿から宇津ノ谷峠入り口まで来て引き返したので、今年はその先へ。



国道1号から脇へと入っていくと、すぐに山が迫ります。



宇津ノ谷の宿場入り口に案内地図。現在地(東側入り口)から旧道の出世街道を通り、西側入り口へ。
帰りは更に古い峠道、蔦の細道を西側から東側へ越えて1周しようという計画です。



かつての宿場町はきれいに道が舗装されています。



お羽織屋。1590年に豊臣秀吉が小田原攻めに向かう途中休憩し、陣羽織を賜り、現在も保存されているそうです。
残念ながら拝観中止だそうです。



さて、道が険しくなってきました。



峠道沿いの古い町並みって感じが良いですね。



さあ、いよいよ未舗装路の入り口です。



石仏が2体。左は馬頭観音かな?



竹林の中を進みます。



しばらくすると杉林に。



突然石垣が現れます。もとはこの上に延命地蔵堂があったそうです。
江戸時代中頃に積まれたもので、平積みという方法で積まれてるそうです。



上はこんなふうに礎石が残っています。
ここは江戸末期のお芝居「蔦紅葉宇都谷峠」の山場の場面の場所だそうです。



更に登るとようやっと峠の頂。
続きはまた^^;。

盛岡市上厨川の志精霊供養塔

2020-05-06 15:44:44 | 日記
ステイホームにも飽きて我慢の限界^^;ということで、三密を避けつつ鈍った体を動かすべく、雫石川東岸を太田橋から鹿妻堰まで自転車でさかのぼってみました。
サイクリングロードも整備されていて、なかなか快適なサイクリングでしたが、その途中、東北自動車道の橋の袂に、なにやら慰霊塔が建っているのを見つけました。


慰霊塔のすぐ脇には石碑があり、由来が書かれています。


要約すると、、、
その昔、このあたりに住んでいた蛇面という豪族の墓があったが、道路が整備されるにあたり埋められてしまった。すると、その道路では交通事故が多発。さらには洪水ではこのあたりの堤が決壊して被害を及ぼした。そこで、竹鼻という人が、洪水対策工事を期に慰霊碑を建立して弔った。すると交通事故や水害は無くなったのだが、またもや高速道路建設に際し、慰霊碑の場所が使われることとなり、現地に移設した。
とのこと。


脇には小さな供養塔もあります。ひょっとしてこちらがオリジナルの供養塔かな?


また、交通守護地蔵も高速道路を見守るように佇んでおられます。

こんないわくつきの場所があったとは、まだまだ盛岡にも知らないことがいっぱいですね。