妹家と我が家の5人で、小さな法要を済ませました。
お金をかけて清めの席を設けることもなく。
食に貪欲だった母ですから、本当はテーブル一杯のお料理が並ぶのを望んでいたかもしれない。
けど。
きっと、良いよ、お金は使う必要ない、って言っている気がします。
昨日妹宅へ、母の49日までの祭壇に、母の大好きだったケンタッキーのチキンを買って持って行きました。
そして、自分ちにも。
本日は三男の21才の誕生日です。
もう今はすでに、友人達が祝ってくれると出かけています。^^
なので昨日、簡単なお祝いを。何もプレゼントはありませんが。
そして、17日の土曜日が納骨です。記録として。
沢山の思いがありますね。
祭壇は妹宅にあることもあって、妹の旦那さんにも迷惑をかけていると思うと、事務的にこなしている・という気持ちの方が今は大きいのかもしれません。
妹にしてみれば、私よりもお母ちゃんっ子だったので、寂しくなるでしょう・・。
私は、私の傍にいると思っています。
両親二人の写真の前に水を置き、日々回向を続けていきます。
悲しみは、癒えることはあっても、やはり寂しさはいつまでも残っていますものね。
父を亡くした時も、何を見ても父を感じては泣いていました。
とうとう、両親が居なくなってしまった・・・という孤独感があります。
この親の悩みを子に連動してはいけないと思っています。
ひらひらさんも乗り越えてきたように、乗り越えていくように、毎日変化する生活の中で楽しみや生きがいもこれからまた見つけていきたいと思っています。
コメント、ありがとうございます。
ホッとすると同時に、寂しさをとても感じました。
うちの父は100ヶ日法要とあわせての納骨だったので結構長くうちにいたのもあり、とうとう離れていくような気がしました。
baaaabaさんはどんなこと考えられるのでしょうか?
そういえば四十九日までの仏具を片付ける作業も何だか寂しかったです。
そういう一連の作業をしながら、少しづつ悲しみも薄めて行くのでしょうね。