行ってきます・とただいま・の間。

2013,1に長男から貰った、SONY NEX-F3で撮っています。
その日の事柄と撮りたて写真で残してます。

加工は、楽し。世の中は厳しい。

2013年02月08日 21時20分59秒 | 日記

まだRAWで設定していないので、"現像"はできていません。^^
こちらは、フリーソフトでいじってみました。楽しいですょね~ ついつい時間を忘れて、肩が凝ったなぁと思うと、すごい時間経過をしていて。。。

 

 

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

話は変わりますが。
私は、子どもの頃、母にものさしで叩かれたことがあります。
はっきり脳裏に焼きついています。それは、食卓の上で勉強を見てもらっているとき、何度教えてもらっても出来ないとき、ものさしは、唸ります。
時には、沸いた熱湯の入ったやかんを持って追いかけられたこともあります。
どれだけ悪い子なんだ・・・ ( ̄ー ̄;

ある時は、お使いの用事を頼まれて、おつりが間違っているからと、もう一度そのお店に行かされたこともあります。
算数が苦手だったのか、お店の人に馬鹿にされたのか。
昭和40年頃。なんだかとっても、嫌な思い出です。
そんな母は、私にこういいました。
「お前が憎くてしているんじゃない、お前のためにしていること。」だって。
私は、絶対憎いからだと本気で思っていました。
小学校高学年にもなると、早くも反抗期。口もきかず、鋭い目で母親を見ていました。
数年はそんな感じでした。
今、自分がそうされたら・・と思うとぞっとします。

体罰。
あのサザエさんでさえ、カツオは、バケツを提げて廊下に立たされていました。(今はそのシーンってありますか?)

小学校で、鼓笛隊が盛んな年代でした。
太鼓が叩きたくて、希望したのは良いけれど、まったくの音感の無さに断念。
その時の、鼓笛隊の担当の先生は、こういいました。
「お前は、太鼓から外れたから辞めるんだろ。」ってね。
大当たり~
でも、そんなこと、大の大人が4年生に言うような言葉か、と今では思いますが、その時は穴があったら入りたいくらい恥ずかしかったですね。。
また、体育の時間。
雲悌の真ん中。ここが一番地面から高い。そこから、手を放すという・・・
先生がそう指示したけど、怖かった。背が低いから誰よりも高く感じたし、下りた・というより、堕ちたに近い。足はジーンと痛かったのを覚えてる。
プールもそう。
みんなは足が付いている場所でも、私は届いていない。そんな所で、顔を付けろ・・手を放せだなんて・・・ 恐怖ですょ。

中学では軟式テニス部に入り、大会で成績が悪ければ、みんなの前で砂利のあるグランドで正座させられ。
部活に遅刻・欠席すればグランド1周という罰則。30周くらい溜まったこともあり、喜んで走りました。
サッカー部の周りを走ったり、野球部の後ろを走ったり、楽しいワクワクな罰です。

さて、私。
子育て時期には、手も上げました。
言って分からないときは、ペンっとやる。
でも、体罰というか、体で覚えるって、やっぱり不可能だと思う。
その時の親・教師は、自分のヒステリーで手が出ている。
自分の感情が満たされるためだけ。
決して、価値は生まれない。

自分が何をしたいか、なんのために教えたいのか、それがはっきりしていないとダメ。
子の成長、生徒の成長を望むのなら、自分がもっと大きくならなければダメですょ。
気分が高揚して、歯止めがきかなくなる場合であってもです。
それができなければ、そこらのチン○ラと同じですよ。欲求のままに手が出るというのは、教育じゃ、無い。

母は、憎くて叩くんじゃないと言っていたのも、事実でしょう。
私を思い、心では泣きながら、鬼になっていたのかもしれません。
でも、叩かれたという記憶だけが残っているのも、事実ですから・・
それを払拭させるくらいの愛情が他の場面であるから、365日、24時間一緒にいて、見て感じて、受けていた愛情があるから、道外れることなく育ったんだとも思います。

今、成人になった息子たちでさえ、私が思う理想とは違う。
こうならば良い、こうしたら良い、こうすべきだと、親として思うことと、もうそれが躾できないというジレンマ。
大人として一個の人格を持っている。親の望むものが全てじゃない。
自分の人生を生きている。私の人形じゃない。
が・・しかし、そうやって諦めるだけで良いんだろううか・・

とにかく。
心が通い合う家族でありたい。どんな逆境をも跳ね除ける精神力を持ってほしい。
時に自分を解放できる術を持ってほしい。

今の世の中、本当に厳しいから・・・・