行ってきます・とただいま・の間。

2013,1に長男から貰った、SONY NEX-F3で撮っています。
その日の事柄と撮りたて写真で残してます。

甘えん坊。

2010年03月28日 08時03分28秒 | 日記

昨日は、茨城県の奥~ (≧m≦)

50号を北東に向けて走りました。
週末ではありましたが、渋滞することなく快適ドライブでした。

目的地が近くなると迷子になる悪い癖。
50号沿いの内原に、大きなイオンショッピングモール。
地図で確認してそれを目印にしていきました。。

イオンを右手に見て、左折。
城里町・石塚を目指しました。


途中役場にいらした奥様に道を教えていただき、難なく用事はすみました。
<(*_ _*)>

そこから、母の実家は、なぁんだ10kmくらいだ~。
と言いつつも、平野に住む私には、狭い山の中の道は、ワクワクもののドライブでした。

ちょっと大回りをしてしまったかな・・と思いつつ、無事に到着。

農家(田んぼ3町。1町は、9917.4平方m)を持ち、田植えの準備で忙しいだろうか~と思いつつも、電話もせずに行っちゃいました。。
タイミング良く、お昼も過ぎてくつろいでいるところでした。
今日は、仕事の算段をしているだけで、明日から始まるのだと。。^^

 

母の様子を報告し、皆さんの近況を聞き。
私の様子も父のように聞いてくださり・・、ほろほろと・・・涙がこぼれてしまいました。
たとえ、どんなに腹立つことがあろうと、自分が足りないからと胸に納めるようにと。
我慢が切れそうなときは、親指の爪を舐めて、それが乾くまで時間をおくんだと。
その例え話しは母からも聞いていました。
伯父も母も、自分たちの父親からそう教えられたのだそうです。

まだ私たちが小さい頃、夏休みといえばお盆に母と帰郷していました。
それが唯一の家族旅行というか・・。
大きな長屋門のあるりっぱなお屋敷でした。
母の妹が嫁ぐ機会も捨てて、ずっと母屋を守り続けていました。
しかし、その叔母も肝臓癌で他界。今は母の兄である伯父が全てを継いでいます。
叔母の仏前に手を合わせ、人生って短い・・とそう思う。

父が亡くなる時も、長女として、たくさんの親戚の皆さんに恥じることない告別式をあげました。その時も伯父は支えになってくださいました。
今は母のこと、心配してくださいます。
がすぐに会える距離ではないとついつい遠のくことをお詫び。
今日、私が来てくれたことを心から喜んでくださいました。
携帯で伯父さん夫婦の写真を撮りました。母に見せてあげよう。


母の実家です。。母はもう・・帰ることはできない・・そう思うとまた涙です。
帰り際、夏休みここから単線・水郡線に乗って帰った駅の写真も撮りました。
あの頃より、駅舎もりっぱになり、無人から駅員さんがいるようになりましたが、その面影は変わらず。。。


私たちが帰る列車に、母の姉が乗り込むということもしばしば・・・
みんな寂しんぼちゃんばかり。。


 

自分が50も過ぎて、甘えられる場所がまだあったことに感謝です。
母のことはもっと力になってくれる兄弟が欲しいと望んでも叶わないこと。
伯父や叔母にもいつまでも、甘えた気持ちではいられない。
安心してもらわなくちゃいけない。

だったら私の支えになるのは・・・夫・・?
そうなんでしょうね。
私自身が全ての感情を捨てて、夫に気持ちをゆだねるのか・・?
ここに来て19年もの間、私の意見を聞き入れたことがあったろうか。
義父母と私の間に入ったことがあったろうか。
常に親父が正しい。逆らうことがない。
こんな環境になったのは誰のせいでもない。
みんなそれぞれのせい。
ところどころで、爆発しなかった私が悪い。
黙り込んで、自分だけでここの時間を回していたのだから。
それを今更、文句のように夫に言っても、それは夫からしたら、何? ということだろうと思う。

爆発しなかったのは、3人の息子がいてくれたから。
私の宝物を不幸にはしたくなかったから。
何も、家や田畑が欲しいというんじゃない。
そういうことには、口を出したことも出すつもりもない。
私には、3人の息子だけが元気で雨風にさらされず、家族という形の中にいることだけを望んできたのだから。

その小さかった息子達。
ここに来たときは、まだ1才3才5才の可愛いさかり。
その孫を両親から取り上げて、義父母たちと同居する時の悔しさも飲み込んできた。

あれから・・19年もの月日が流れ、青年になった息子達。


伯父は言いました。
私が黙って我慢している姿をみんな子供らは見てる。
私が年取った時、お母さんの苦労話しをして助けるようになる、と。
うんうん・・と納得します。
今でさえ、私を支えてくれている。

三男の運転する車に乗ったとき(母の施設移動)のこと。
私はめったに人の運転する車は乗らない・乗れない。
まして、食事をしたあとは、拒否します。
が、三男は車を運転したいと私を乗せました。
その時、こんなことを言いました。
「俺が運転してたら、気持ち悪く無いだろ?」って。
それは、自分の運転が上手いということを言ったんだろうと思う。
だけど、その言葉に、俺がいるから大丈夫だという気持ちまで受け止めたようになりました。
今でも、その言葉は私には大きな大きな慰めの言葉として残っています。

つい最近も、三男はそろそろ離婚をしたら?
なんてことを言い出しました。
今更、宿無しになるのはゴメンだょ~というと、再婚すればという。
そんな既得な方がいるわけないと笑ってすごしたのですが・・・

そうだよなぁ・・・

これからどんどん年取って、親が居なくなり、支えになる親戚も居なくなり、息子達がお嫁さんをもらい自立していった時・・・

私はどうなっているんだろう。って考えた。
愛し合える夫婦。
どんなに姿形が変わり、年老いた時も、手を引いて、残り僅かな未来をまだ一緒に居てくれる・・そんな夫婦であることが・・・今は見えない。
もう・・・見えないのかもしれない・・・