衝撃の走った電撃引退表明も、中田英寿(29)本人にすれば「人生設計通り」の決断だった。Jリーガーになる前から、選手としてピークを過ぎる30歳前後にスパイクを脱ぎ、大学に進学する青写真を描いていた。サッカーとは一線を画し、ビジネスの世界で活躍する希望を抱きながら、その準備を進めるとみられる。
中田が、中田らしくピッチを去った。高校2年で描いた人生設計のままに-。
12年前、韮崎高で成績が常にトップクラスだった中田は、進路の選択を迫られていた。「東大を狙えますよ」。担任教師の言葉に、母は「大学に行って」と懇願したという。だが中田は首を振った。「大学は30歳を過ぎても行けるけど、サッカーは今しかできない。だから高校を卒業したらプロになる」。当時、サッカー部の監督だった田原一孝氏は、その時の様子を「何の迷いもなかったですね。Jリーグのクラブからスカウトが来ても、すべてクラブの練習に行って、ベルマーレ平塚と契約した時も『3年後に海外のクラブへ移籍する』という条件を付けたほどですから」と振り返る。
宣言通り98年夏にはセリエAペルージャへ完全移籍した。Jリーグへ復帰する意思は毛頭なく、イタリア語を覚え、同時に英語も学んだ。海外でプレーし、その国の文化や言語に触れることが、自身のキャリアアップにつながると考えていた。
02年1月3日付の日刊スポーツのインタビューで、中田は「引退後」について話している。「どちらかというとサッカー以外の仕事をやってみたい」「興味は1つじゃないので(略)。サッカーのステップはこの先を考えれば小さいもので多種多様な職業がありますから」…。平塚入団後、簿記を勉強し、税理士や公認会計士の資格を取ろうとしたこともあった。関係者にも「サッカーだけの人生で終わりたくない」と常々、もらしていた。ボールを追う日々の中、「第2の人生」への準備は着々と進められてきた。最近では心理学とデザインに強い興味を示し、海外メディア向けのインタビューには「サッカーをやめたら、まず大学に行きたい」と話していた。関係者によると、現役時代の大半を過ごした欧州を離れ、米国の大学に通いながら、生活する計画もあるという。ニューヨーク市内にビルを購入したという情報もある。