Be Natural

気取りも なんのてらいもなく  あるがままの自分を 感性の赴くままに そんな独りよがりの書き捨て日記です。

血が騒ぐ!【2023年12月最強寒波を実感する旅】その②未だ大雪で交通機関がマヒ状態の中札幌から稚内へ

2023-12-26 15:54:52 | 旅行

悪天候(暴風雪&大雪警報)でとうとう稚内に着陸できず

新千歳に緊急着陸することになり

翌日の新千歳⇒稚内のフライトに振り替えたため

再び新千歳空港へ向かうことに

 

前日の空港バスがあまりにも時間がかかってしまったため

飛行機に乗り遅れないようにと無難な鉄道を使うことにして

札幌駅へ

駅に到着してみると

岩見沢が大雪で高速道路は閉鎖、鉄道も札幌から北方面が運休となっていて

稚内行の飛行機飛ぶのかなぁ とちょっぴり不安に思いつつ

とりあえずホームの立ち喰いそばで朝食

天玉そばを注文してみましたが

関西で暮らすようになって30年以上ともなると

東京風に近い汁が醤油味しかしない感じで残念

(そう言いながら、汁の一滴も残さず完食しましたけどね

新千歳空港に到着しNA

ANAのプレミアムカウンターで前日渡された振替の予約券を渡すと

「昨日はご迷惑をおかけしました」と搭乗券を渡され

飛んでくれるのかな と、喜んでラウンジに向かい

よしよし旅程より1日遅れとなっちゃったけど

無事、旅の続きができるぞ~と喜んでいたところ

わずか11分後 欠航のお知らせとアナウンスが

さて、どんな対応をしてくれるのかな と思っていたのですが

 

なにやらアレコレと言い訳して

「午後のフライトに振り替えても欠航になると思います。」

「どうされますか?」との問いに

 

既に最悪の事態を想定してラウンジに到着した直後に

陸路での移動手段を調べ

札幌からの沿岸バスで豊富までも電話で運行しているのを確認し

更にもしかしたらと札幌⇒稚内直行のバスも運行しているのを電話で確認していたため

「それならバスで向かいます」と答えると

「どこのバスですか?」「どこ行きのどのバス会社ですか?」と問われ

 

なにやらカスタマーサービスの担当者と話をしているのですが

最近の全日空でよく見るオツムの弱そうな自分の身なりばかりに繊細で

接客に向かない頼りないグランドスタッフで

AIと会話してる方がましな感じ

 

結局、既に羽田から札幌まで移動していること

宿泊費の補助申請は11,000円が限度額のため

陸路の交通費もこれ以上出せないとの事

心の中では、公共交通機関である航空会社として稚内まで行く予定の客に対して

『千歳まで行けたんだからそれでいいだろう』が許されるのか 

とゴネたい気持ちもありましたが

相手するのも時間の無駄だなと

 

「はいはい。わかりました。」とそれ以上交渉するのも馬鹿らしくなり

すぐさまバスのチケットを購入して札幌に向かうことにしちゃいました。

 

 

欠航の連絡を受けたのが9:11

9:20にはANAの責任感のないグランドスタッフを相手するのを諦め

10:02 残席1の13:00札幌発稚内行直行バスのチケットを購入し

10:10新千歳空港国内線バス乗り場から札幌行空港バスに乗車

10:59 移動中の車内でフェリーの時刻を再確認して

 

 

 

年がら年中予想を裏切られて生きてきた自称危機管理のプロ(笑)なので

すぐに旅程を改訂

11:39 バスターミナル近くの札幌大通り公園で下車

11:51 稚内行のバスターミナルであることを確認して

ランチにしようと大通公園の地下街を歩き

カキフライ定食(¥800)でお腹を満たし

12:50 稚内行バスに乗車

 

所要時間6時間弱(5時間50分)だからか

三列シートで楽ちんでしたよ~

札幌を出発して約1時間後

突然急ブレーキを踏んだと思ったら少しの衝撃があり

凍結した道路で急ハンドルからスリップして急停車した乗用車に追突した様子

アッチャー またまたトラブル発生

稚内まで辿り着けるのかなぁと思いつつ

何もできないので成り行きを見守っていたのですが

 

警察が来るのを待ち、現場検証等で

約1時間遅れで当別町を出発

ところが高速道路が閉鎖していたため一般道になだれ込んだ

雪道に不慣れなドライバーがノロノロ運転すると

すぐに数珠繋ぎになって大渋滞

 

出発して3時間後の16:00 ようやく浦臼で最初の休憩

(なんせ6時間弱の運転をドライバーさんはたった一人

なので2時間おきに休憩が義務付けられてるんですよね)

その後、新十津川町に入った頃から降雪量が多くなり

17:25 留萌通過

ニュースでも報道された大雪でマヒ状態になったのを実感する道路脇の除雪した雪の高さが2m以上

やがてオロロンラインを走り始めると横殴りの暴風雪で

ほとんどホワイトアウト状態とあってノロノロ運転の車だらけで遅々として進まず

因みにこの先(北)に苫前という町があり

何気に地図アプリを眺めていたら”三毛別ヒグマ事件復元地”とあり

調べてみると 大正4年に発生した日本史上最悪の熊害

今年は全国で熊による被害が多発してるのもあって

その恐ろしさを身近に感じてしまいました。

(ご参考までにこんな事件です↓)

https://higuma1979.sakura.ne.jp/33jikenn2.html

19:00 二か所目の休憩地、羽幌の道の駅に到着

この休憩時にドライバーさんが

”おろろんの卵”という銘菓(¥240)とペットボトルのお茶を

乗客一人一人に配りながら「事故を起こして申し訳ありませんでした」と

頭を下げていたのですが

アレはどうみても前方の車のヘタな運転によるモライ事故

可哀相だなと思いましたが誠意はしっかり伝わりましたよ

 

そのうちGoogleのクチコミで

高評価のコメントを書き込まなければと思った次第です

 

21:50 予定時刻より3時間遅れで稚内駅前に到着

積もった雪の中を恐る恐る歩いてホテルに向かい

部屋に荷物を放り込んで 

近くの営業してそうなジンギスカンの店に飛び込んだのですが

既に閉店時間過ぎで店じまいするところと断られ

選択の余地なくほぼ対面の居酒屋に向かい

昭和な佇まいがとてもいい感じでしたが

老夫婦だけで営業しているらしく

「10時半閉店ですよ」と言われ

メニューをみてとりあえず生中とお刺身の盛り合わせを注文

ホッキ貝とホタテ以外は地物じゃないなぁと思いつつ

今回も空腹は最高の調味料を実感(笑)

 

変な組み合わせだなと思いつつ、お腹が膨らむものをと

チャーメンなるあんかけ焼きそばを注文してみたのですが

これが酢との相性抜群で美味しかったぁ

なんせ大酒のみなので、生中1杯と2合徳利の熱燗だけじゃあ飲み足りないなと感じていましたが

怪しげなスナックかバーしか開いておらず

翌朝も5時起きしなければならず

諦めて ドーミーイン名物の夜泣きそばを食べて

温泉にゆったり浸かってから アイスを食べて

この日も即就寝となりました

 

ようやく稚内に辿り着けたものの

数日欠航続きのフェリーで

最終目的地である利尻・礼文に無事渡れるのか

 

次号で仕上げを御覧じろ(笑)

 

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血が騒ぐ!【2023年12月最強寒波を実感する旅】その①

2023-12-25 17:31:27 | 旅行

 

わたくし、既にこのブログをご覧いただいてる方には周知の事実なのですが

なんせ

"最強寒波” ”日本海が大荒れ” "暴風雪警報" "不要不急の外出を控えるように”

これらのフレーズに敏感というか滅法弱いヤツ

 

12月19日にそんな気象情報を耳にして

20日にはもう居ても立っても居られない状態になってしまい

 

会社に出勤しながらも気を落ち着けることができず

Google Mapsの航空写真を眺めながら

どこに行こうかと思案

 

最初に思いついたのが”津軽海峡冬景色”の青森県龍飛埼

 

実は、普段から次はどこに行こうかなと夢ばかりみていて

冬の龍飛埼はいつか行こうと思っていた土地のひとつ

 

頭の中でいろんなルートをシミュレーションしていて

理想は、函館に飛んで津軽海峡フェリーで下北半島の鮪で有名な大間に渡り

 



 

バスで下北経由で脇野沢へ行き

 



 

むつ湾フェリーで対岸の蟹田へ渡り

 



 

そこで一泊して翌朝鉄路で青森に出てレンタカーを借り

龍飛埼で荒れた日本海の波しぶきを心ゆくまで堪能してから

日本海側の漁港、小泊の民宿に泊まり

翌日青森に戻って飛行機で伊丹に戻るもの

 



 

ただ、バス乗り継ぎの下北が16分しかなく

バス停も駅から離れた場所で競歩並みに歩いても大間からのバスが遅延したらおしまい

 

どうしたものかと悩んでいたところ

下北から大湊行の鉄道があり

大湊まで乗れば余裕で同じバスをキャッチできることがわかり

 

あと、脇野沢でのフェリーへの乗り継ぎ時間が10分しかなく

これは乗り遅れたら大変なことになるとフェリー会社に電話して

 

「下北からバスで向かうつもりなんですけど、乗り継ぎ10分でフェリーに乗れますか?」と尋ねると

「下北からバスに乗ったと電話してもらえれば、バス停まで迎えに行きますし船も出航を待たせるから大丈夫」との

ビックリするような優しいアドバイス

 

『ドッヒャ~これはご厚意をありがたく受けなければ』とその気になっていたのですが

 

20日に津軽海峡フェリーとむつ湾フェリーの運航状況を調べようとしたところ

むつ湾フェリーは、11月中旬から4月上旬まで冬季休業と知り呆然

 

となると、下北から鉄路で野辺地に出て、青い森鉄道で青森に行く手段しかなくガックリ

このルートでの旅の魅力が半減してしまったのですが

とりあえず旅程を作り

それでも今季の大荒れの日本海ツアーの目的地として考えていたのですが・・・

 

大好きな健さんの映画”駅”の舞台増毛近くの留萌が大雪で大変なことになってるとの報道を知り

 





 

 

 

 

『これは道北に行くべきだろ』と気持ちが変わり

どうせなら最北の稚内でノシャップ岬と宗谷岬にしよう と

地図と睨めっこしながらアレコレ思案

 





 

 

いずれにしても行くぞ~と心に決め

オフィスで心の底から信頼し家族のようにおもってるスタッフに

「明日から北海道に行ってくるけどいい」と尋ねると
「急ぎの仕事はありませんから、大丈夫ですよ」との優しいお返事

「それにしても、いつもながら近所の銭湯にでも行くような気軽さですね」

と揶揄されて、むしろ内心喜んだりして

 

 

午後になって稚内周辺を調べていると

利尻島と礼文島が目に入り

 





 

これは離島めぐりの方がもっと魅力的だなと旅程を作り

(字が読めなくて適当に鷺泊としちゃいましたが、利尻の港は鴛(オシ)泊でした)

ただ、懸案はフェリーの欠航だなと思いつつ

 

夕方家に帰ってから

チャンカーに「明日から冬の日本海眺めに北海道行ってくる」と伝えると

いつもの事なので驚きもせず「はい。でも気をつけて」と一言

「始発の空港バスに乗らなきゃいけないから朝5時に西大寺駅まで送ってくれる」と頼み

 

普段なら夕食時の晩酌でいい気持ちになってしまい

すぐに寝てしまうところ

 

この日は珍しく雪山行並みの準備をしてから就寝

朝、3時目を覚まし、愛猫に見守られながら荷造りを済ませ

 

5:43 大和西大寺駅前で空港バスに乗り込み

移動中にフェリーのサイトで運航状況を確認したところ

 

↓ 平常通りの運航です。と書いてあるのに

全ての便欠航の表示

折角旅程を考えて、すっかり礼文・利尻に渡るつもりになってたので

気持ちが落ち込んで、伊丹から奈良に戻ろうか とも思ったのですが

 

それでも諦めきれず

とりあえず稚内まで行って

島に渡れなかったら南下して留萌から増毛に行ってもいいやと思い直し

 

バスの中で伊丹~羽田、羽田~稚内のチケットを購入

 

続けて気象状況を調べてみると

どっひゃ~期待通りの暴風警報発令中 

 

スマートシニア割なので通しのチケットが買えなかったものの

チェックインの時に「お乗り継ぎの稚内までお荷物お預かりします」と言ってたのに

フライト状況を調べ、

即座に「すみません。羽田から稚内の便が気象確認中でとりあえずお荷物は羽田までとなります

とのこと

 

まあ、それも仕方ないなと

ラウンジで青汁ラテとコーヒーを飲みながら

『さて、この先どうなるのかな』と

実は不安よりも予期せぬハプニングを期待しちゃったりして

機上からは久しぶりに富士山もしっかりと眺められ

喜びと不安の入り混じった感情で羽田に到着

荷物を受け取ってプレミアムラウンジで荷物を預けようとしたところ

 

稚内行のフライトが未だ気象確認中で保安検査場に入れず

決定待ちをしながら気象状況を調べてみると

大雪警報も発令してしまい

更にフェリーの運航状況の表示も”全便欠航”となって

『いい加減な会社だなぁ』と思ってたので、とりあえずそちらは一安心(?)

『欠航にはなるなよ~』と強烈な念力を送ったのが功を奏したのか

ようやく、遅延ながら条件付き出発することになり

 



 

1時間遅れの11:40発で搭乗を開始

滅多に羽田発で北方面へのフライトに乗らないので

興味深く仙台上空から牡鹿半島や金華山を眺め

10年前までよく訪れていた八戸だ と、

取引先から約束を突然一方的に反故にされて絶縁した経緯もあって実は憎々し気に眺め

当時八戸へのアクセスに何度か使った三沢空港に

六ケ所村らしき施設や

船に乗ってた頃にはよく沖合から眺めてた尻屋埼灯台

大雪山の山々も目に入り旭川らしき上空を過ぎて

これは無事稚内に着陸してくれるかも と期待していたのに

道北に入った途端、厚い雲に覆われて

機長からのアナウンスで

「降り続く雪で除雪作業が進まず上空で旋回しながら1時間ほど様子を見てみます」とのこと

高度下げて雲の中に突入し速度も落ちて 

一時的にフラップを下げたのが見えたので着陸をトライするのかなと期待したのですが

 

揺れが激しくなり、直後にフラップを畳み速度を上昇しはじめたので

ゴーアラウンドしたなと気づいたところ

 

「その後も雪が継続的に降り続いていて除雪した場所にも積もりだし、

視界測定器が故障したのとの連絡があり修復の目処が立たないとのことで

誘導灯も視認できないことから着陸を断念して新千歳空港に向かいます」とのアナウンス

 



 

ちょっとショックでしたが、まあ仕方ないかなと納得

JPCZ(日本海寒帯気団収束帯)の影響なのか 

半端ないまるで壁のような雲の厚みに驚かされ

晴れた石狩平野が眺められるようになると

暴風雪で荒れた海に訪れようとしてるのについホッとしちゃいました。

新千歳に到着してからもANAとしても直ぐに判断できないのか

機内でそこそこ待たされた挙句

 

その後荷物を受け取ってから出発ロビーのカウンターに向かい

選択として、①新千歳から羽田に戻る②払い戻しを受ける③翌日のフライトに振り替え

が告げられ、このままスゴスゴと帰れるかと③を選択

 

宿泊代として11,000円までANAが負担すると言われたため

それなら翌日の移動も楽にできるようにと

限度額いっぱい使って泊まろうと札幌駅前のホテルを選び

今夜はジンギスカンだぞ~と心躍ろかせながら

空港バスに乗り込んだのですが・・・

 

15:00に新千歳空港に着陸してバスに乗れたのが16:40

平日の夕方でラッシュアワーと重なり札幌駅に到着したのは18:30

 

JRのエアポート快速なら運賃1,990円するけど所要時間は45分程度

空港バスは1,300円と安いけど これだけ時間かかると辛いなぁとの印象

 

更に、北海道のインバウンド観光客の数も半端なくて

駅から離れたホテルへのアクセスに便利なバス利用者でほぼ満席

(中国語やタイ語などが飛び交っていて東南アジア系がほとんどでした)

久しぶりの冬の札幌だったので

地下道が発達してるのをスッカリ忘れて積もった雪とツルツルの歩道を

転ばないようにとビクビクしながら歩き

ネットで予約しておいたホテルにチェックイン

この日は結局、朝昼抜きだったため腹ペコ

荷物を放り込んで

有名な松尾ジンギスカンの札幌駅前店に行ったところ

予約してなかったら早くて8時過ぎと言われ

腹ペコだったので「それじゃあいい!(いらない)」と告げて

全国チェーンの店だらけの地下街から地上に出て路地裏の昭和風居酒屋を発見

ここしかないだろう と入ってみたのですが

他のお客の様子を覗ってみると

どうやら道庁職員の溜まり場みたい

シメ鯖と、カキフライ、湯豆腐で

生ビールと芋焼酎のお湯割りを数杯飲み

早々に退散して表に出てみると

サッポロクラシック飲み放題750円 の広告を見つけ大ショック

なんせ飲食費のほとんどが酒代なので

そんな店にしたら良かったのになぁと

トボトボと肩を落としながら 地下街に戻り

 

シメのラーメンならぬオムカレーをいただきましたが

味も、カツもって感じ

でもインバウンド観光客だらけで満席なんですよ~

 

SNSの評判だけで人気になったりする傾向って

好きくないなぁ。。。

 

と思いつつホテルに戻り

浴室TVのあるバスタブにゆったりと浸かり

 

3時起きしてから20時間

そこそこ怒涛の一日だったなぁ

警報が出てるのに明日は無事に飛行機飛んでくれるのかな❓と一抹の不安を感じつつ

あっという間に眠りにつきました。

 

【さて、願い通り稚内に辿り着けるのでしょうかその②に続く】

 

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近況報告【2023年11月・12月】

2023-12-19 17:22:00 | 日記

このブログをご覧いただいてる友人・知人のみなさまへ

近況報告させていただきますね。

 

11月4日

3泊4日の四国出張(仁淀川&酷道439満喫)から戻る

 

11月5日

晴天に恵まれたのを好機と脱穀作業

11月7日

籾摺り作業を開始したところ未処理の籾が機械内にあふれ出し

調べてみるとライニングが摩耗して穴が開いているのを発見

11月8日

作業を中断して柿とキウイを収穫し

家庭菜園の柿の木に向かうと

全く実が無くなっているのを発見

(他の木は豊作で鈴なりになってるのに落ちてる柿もない

獣道らしき跡を見つけ、先日草刈りしてたら威嚇されたアライグマに食べられたなと気づき

11月9日

猟友会の豚熱ワクチン散布活動

午後から安納芋収穫

11月11日

銃所持許可の更新手続きで有害駆除参加証明をもらうため奈良市役所に行ったついでに

アライグマ用捕獲檻を借り設置

11月11日

農機具屋に注文しておいた籾摺り機のライニングを受け取り取付

無事籾摺り完了

 

夕方、小学校時代の大親友夫妻が奈良に来ると聞いて

羽釜で炊いた新米ご飯と猪鍋をご馳走すると約束していたため

ヌカクド登場

翌日、ディープな奈良を案内するため

奈良公園内の秘密のスポットから天理教の本部、石上神宮、大神神社、纏向・箸墓古墳

明日香村の甘樫丘を車窓から案内してから石舞台古墳

談山神社(残念ながら高温が続き紅葉がまだ

吉野山で修験道の山伏の護摩炊きを観て

険道で小南峠トンネルを抜けて洞川に出て

昭和レトロ感漂う洞川温泉街から大峰山の女人結界

酷道309号線で行者還トンネルを抜け

なんとか日暮れ前にナメゴ谷ビュースポットから紀伊山地の眺望を観てもらい

11月13日午前

豚熱ワクチンの回収(食いつき調査)を済ませてから

正倉院展を楽しんでもらっていた友人をピックアップして

生駒山周辺を案内してから

当尾の九体寺(浄瑠璃寺)を案内

11月16日

耕運機で田圃を耕起(もち麦を植えるため)

11月18日

家庭菜園にネギを採りに行くチャンカーに檻を観といてと伝えると

なんとアライグマがしっかり捕獲

回収は狂暴なため市役所がすることになってるためそのまま放置

11月20日

銃所持許可更新に必要な精神鑑定のため天理の病院で受診を済ませてから

猟期に入っていたものの時間の余裕なく罠を仕掛けていなかったため

獣の痕跡があるか下見

アライグマの罠を再設置して

久々に家族息子二人を含む5人連れてボーイスカウト時代お世話になった隊長のお店(奈良で大人気の居酒屋)へ

 

11月23日

先日耕起した田圃を麦の種が播けるようにと再耕起

11月24日 

月初めに受領していた狩猟登録証を取り付け

(いつでも呼び出されたら活動できるように)

11月26日

焦りながらもち麦の種を播き

 

太古の昔から農地の土手に植えてある椚を強剪定するために草刈りをしようと

家庭菜園に向かうと またまたアライグマ捕獲

先日の攻撃的な狂暴なアライグマと違って大人しくじっとしてるので

恐怖心を与えないように遠巻きに草刈りを済ませ

11月27日

薬師寺近くへ車検のためジムニーを預け西ノ京を歩いて帰宅

11月28日

前日市役所に回収を依頼したため 翌早朝また檻を再設置

その後自宅を出発して鹿島へ出張(~11月30日まで)

 

12月1日

出張のレポートを作成してから市役所に向かい檻を返却

 

12月2日

車検を終えたジムニーの引き取りに軽トラで向かう途中

垂仁天皇陵に立ち寄り

鴨の渡来の様子うかがい

ジムニーをガレージに戻してから

蕎麦の刈り取り開始

4時間半後 刈り取り完了

12月3日

野立てで乾燥させたかったのですが、雨の予報だったので脱穀機で脱穀

ベランダで乾燥することにしました。

同日午後

翌日雨予報だったため

蕎麦を植えていた農地でももち麦を植えようとトラクター出動

とりあえずロータリーかけしてから高畝にしようと作業を開始したところ

山側からの湧き水で緩くなっている土壌にハマりこみ 

脱出を試みるも日暮れまでどうにも動かず断念

12月5日

富雄川に鷺と川鵜が集まってるのを横目で眺めながら出勤

その後雨続きだったのを幸いと蕎麦の手刈りで疲れた身体を癒し

 

12月9日

前回の強剪定から3年目でどうしても片付けたかった椚の強剪定開始

大昔、北から流れる富雄川が湾曲するため大水が出ると氾濫した場所と思われ

当家のこの地が護岸工事がなされるまで川際の土手で

五右衛門風呂や煮炊きの窯用の燃料と補強を兼ねて椚を植えたらしく

その本数15本

それまで義父が2年毎に剪定していたのですが

8年前に落下して頸椎を圧迫骨折したため

仕方なく受け継いだのですが・・・

実は高所恐怖症

義父は普通の梯子に剪定ノコだけで隠居だったため

たぶん1日1本程度と時間をかけて片付けていたので

5年前は同じように始めてみたのですが・・・

 

1日に数本連続して作業していたところ

左右の腕が痙攣してノコが握れなくなり

その上、普通の梯子をかけて木登りしての作業が恐怖でしかなく

 

そんな時間に余裕ないし、より安全に作業しようと

庭師用の3mの梯子と電動チェーンソーを購入

おかげで15本の椚も1日半で剪定できちゃうんですよ

(因みに、安全帯を使って枝にかけ梯子を踏み外しても落下しないようにしてます)

剪定作業自体は二日目は1時間ほどで終われるのですが

土手の下の落ちた枝を引き上げるのに時間を費やし

 

ついでにと梅、柿、キウイ、イチジク、ブルーベリーの剪定もするため

ひと段落したのはすっかり日暮れ前

とりあえずキウイは剪定した枝を棚の柱の下に植え

棚いっぱいにキウイの実が垂れ下がって欲しいなと淡い夢を抱き

翌12月10日

学生時代の友人が無呼吸症候群でシーパップを使うようになったら

とっても楽になったと聞き、とりあえず検査してもらうことに

12月11日

夕方から雨との予報に焦りながら

単独でトラクターの救出作業に挑戦

スコップにシャベル、鍬と溝切用の農機具

アルミブリッジを準備して

ハマりこんで埋もれたトラクターの下の泥土を掻き出すこと3時間

アルミブリッジの上に乗り上げさせ脱出成功

いや~久しぶりに飛び上がりそうなくらい喜んじゃいました

翌12月12日

しっかり水洗いしてガレージに戻し

 

12月14日

淡竹と真竹の竹林の整備を開始

自分でするようになって知ったのですが

竹って強風で擦れあって痛めたり想像以上に寿命が短く

数年で数十本単位で立ち枯れして倒れてしまうため

朝の10時から開始して とりあえず立ち枯れした竹を積み上げたらもう日暮れ

12月15日

傘差して歩ける筍堀のための理想の竹林にしなければと思いつつ

とりあえず猪の檻罠を設置

雨上がりでなかなか幻想的な眺めになり ちょっとウットリ(笑)

 

12月16日

それまで懸案事項だった 麦の種まき、蕎麦の収穫と乾燥

トラクターの救出、竹林の整備、猪の檻罠の設置ができたため

 

久しぶりに生まれ故郷の豊橋へ帰ってこようと

朝8時に自宅を出発

12時に旧作手村に立ち寄り、自然薯を買って異母姉夫婦の墓参を済ませ

13:20 大好きなあんかけスパを食べようと半世紀前からのフランチャイズ店へ

本店や直営店が 最近のグルメ番組で何度か放送されて行列店となってしまったため

思い出して久しぶりに訪れたのですが

そこそこ儲かってるんだろうから改装した方がいいんじゃない?って感じ

このスパゲッティ屋、半世紀以上前から豊橋では人気の店で

各地にフランチャイズ店ができてたのですが

何故か長続きせず、フランチャイズのほとんどは閉店してしまったのですが

ココはしっかりと営業を続けている貴重なお店

行列するほどではないにしろ、この時間(午後1時半過ぎ)でも

次々と客が入ってくる様子から儲かってる筈なんだけどなぁ

(少し前から粉チーズは頼まないと持ってきてくれないようになっちゃいました。)

 

 

その後、田原の異母姉と小学校の同級生(女子)と少し会話を交わしてから

数年まえに急逝した別の異母姉のお墓参りを済ませ


実家で兄夫婦と歓談してから

豊橋駅西口のホテルにチェックイン

 

実は、前日の夜中にホテルを予約しておこうとネットで調べると

いまや需要なのか週末だからと普段6.7千円程度のホテルが

なんと20,000円前後

 

いまやそんな時代になっちゃったんですね~

(土曜は高いけど日曜は元の料金に戻るんですよ)

 

冗談じゃないと一時は帰省の日を変更しようかとも思ったのですが

週明けには重要なアポイントメント(銃所持許可更新手続きのガンロッカー検査)があって

先延ばしにしたくないなと思っていたため

いざとなったらネットカフェの鍵付き完全個室で泊まろうと覚悟していたところ

当日の夕方再度ネットで空室を調べてみたところ

古い馴染みのビジネスホテルが5,500円で再掲出していたため

すかさず予約してチェックイン

 

諦めずにいて良かった~と胸を撫で下ろしました。

 

その日の晩御飯は、久しぶりに菜飯田楽と思っていたのに

ついついいまや貴重な存在となった町中華へ

餃子に生ビール頼んで

天津麺で瓶ビールを何本か飲んで

お会計を頼んで10,000円札を渡すと

『オツリはいい?(いらない?)』と言われビックリ仰天

たぶん前回酔っぱらって

『釣りはいらねえよ!コロナで大変だったろうからとっときな』

と大盤振る舞いしちゃったんだろうなぁ

 

イヤ~、亡き母から『ウチの寅さんはいまごろどこで何してるんだろうねぇ』

と言ってたと、兄夫婦から何度も耳にして

すっかり寅さんになっちゃったみたい(笑)

 

しゃーないヤツと頭を搔きながらホテルに到着すると

その昔、何度も使わせてもらったラブホが

 

もうすっかり縁遠くなっちゃったなぁ と遠い目で眺め

小さなユニットバスに浸かってベットに倒れ込み爆睡

翌朝、牛丼屋で朝食をとり、両親の墓参りを済ませてから

お歳暮を注文し

豊橋っ子の台所、スーパーサンヨネで

生鮮食品(生鰹と生うなぎ)を買いたかったのに 何故か無し

仕方なく 赤味噌と他の魚介類をほんの少しだけ購入し

 

今夜はオデンだと早々に豊橋をあとにしたのですが・・・

先日蒲郡と三ケ日みかんが美味しくなったと聞いたのを思い出し

蒲郡に立ち寄って

ミカン組合自慢の”おでんば娘”を箱買い

糖度12度とうたってましたが

鹿児島や沖縄のタンカンの方が好きかも

そんなこんなで ログを調べてみると

走行距離は532.16キロ

たいした距離じゃないのに結構疲れちゃいました。。。

 

昔は、思いっきり遊びまくって日帰りするのが常識だったのになぁ

 

とりあえず懸案事項を片付けられてで一安心

 

12月18日

ガンロッカー検査を終え、トレイルカメラにあまり動きがみられなかったので

鹿肉を散布してみたところ

猫に狸が写りだし(集まりだし)思わずガッツポーズ

 

クリスマス頃に牝の猪が入ってくれますように

(牝は脂がのって焼肉でも美味しくいただけるんですよ)

 

さて、今年も残すところあと12日

相変わらずバタバタと落ち着きのない生活を送っておりますが

年内でも年明けでも

奈良にお越しいただければ

しっかりご接待させていただきますので

気軽に声かけてくださいね。

 

 

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四国スルメの如し【四国へのアクセス】

2023-12-18 16:50:45 | 旅行

 

さて、四国の魅力をお伝えしながら

実際どんな移動手段があるのか

お知らせしないのは片手落ちですよね。

 

そんな訳で私がこれまで使ってきたアクセスを含めお知らせします。



 

【飛行機

とりあえず空港がある場所と直行の国内線

 


 

香川県:高松空港(羽田、成田、那覇)

愛媛県:松山空港(羽田、成田、伊丹、中部、福岡、鹿児島、沖縄)

徳島県:徳島阿波おどり空港(羽田、福岡)

高知県:高知龍馬空港(羽田、伊丹、福岡、名古屋)

 

【鉄路

直接本州と繋がってるのは瀬戸大橋のみ

基本的に、岡山で乗り換えて

目的地によって列車が異なります。

 

高松:快速マリンライナー(53分)

松山:特急しおかぜ(2時間51分)

徳島:快速マリンライナーで高松、特急うずしおに乗り換え(2時間4分)

高知:特急南風(2時間36分)

 

高知~徳島:土讃線で阿波池田、徳島線乗り換え(5時間48分)

高知~松山:特急南風で多度津、特急いしづち乗り換え(4時間10分)

 

中村(四万十):高知から特急あしずり(岡山から合計5時間42分)

宇和島:松山から特急宇和海(岡山から4時間35分)

中村~宇和島:土佐くろしお鉄道中村線で若井、予土線に乗り換えて宇和島

 

【海路

 

 




 

東京から徳島:東九フェリー 東京19:00発 徳島13:20着(約18時間)

門司から徳島:東九フェリー 門司19:00発 徳島09:20着(約14時間)

和歌山から徳島:南海フェリー ほぼ3時間間隔で1日8便(約2時間)

大阪(南港)から東予(西条):オレンジフェリー 大阪22:00発 東予06:00着(8時間)

神戸(六甲)から新居浜:オレンジフェリー 神戸01:20発 新居浜08:20着(7時間)

神戸から高松:ジャンボフェリー 1日4便(約4時間15分、小豆島経由は4時間45分)

宇野(岡山)から高松:残念ながら2019年に定期船は廃止してしまいました。。。

 

広島・呉から松山:クルーズフェリー 1日10便 (2時間40分)

スーパージェット 1日9便(1時間10分、呉経由は1時間20分)

柳井(山口)から松山:防予フェリー 1日13便 (2時間30分)

小倉から松山:松山・小倉フェリー 小倉21:55発 松山05:00着

 

別府から八幡浜:宇和島運輸フェリー 1日6便(2時間50分)

臼杵から八幡浜:宇和島運輸フェリー 1日7便(2時間25分)

 

佐賀関から三崎(佐多岬):1日11便(1時間10分)

 

佐伯から宿毛:宿毛フェリー 残念ながら現在運航休止中

(※その他、小豆島を別のフェリーで経由する姫路と日生、宇野からのルートもあります。)

 

【高速バス

関東から:夜行バス (新宿~松山10時間、新宿~徳島8時間15分、八重洲~高知11時間40分、新宿~高松11時間30分)

中部から:夜行バス(名古屋~徳島 6時間)

 

近畿から:高速バス(大阪~徳島 約3時間)

※淡路島から明石海峡大橋で本州に渡る場合

神戸で大渋滞するため、対岸に渡ってからJRに乗り換えるのが便利です。

中国から:高速バス(広島~高松 3時間15分)

 

高速バス(福山~今治 1時間24分)

九州から:夜行バス 博多起点 松山~高知~徳島ルートと香川~高知~徳島ルート

 

【変則ルート:バス、徒歩、市営渡船

呉から今治:新広まで呉線+バスで大崎下島+徒歩で岡村島+今治市営渡船で今治

 

(※どうやら現在バスが休止してしまっているようです。

(そのかわり、とびしま海道を走ることはできませんが、大崎下島から竹原までフェリーがあります

 

いろいろとアクセス方法をお知らせしましたが

現実的な話として

遠隔地からであればやはり飛行機が一番かもしれませんね。

 

特にお遍路であれば徳島からスタートするとなると

 

 

私の場合は、居住地が関西(奈良)で出張のほとんどが今治のため

大阪南港からオレンジフェリーを一番使っています。

 

ジムニー程度のサイズの車であれば

デラックスシングルで片道19,000円程度とリーズナブルで

四国内では公共交通機関があまり便利ではないため

自家用車が使える利点があります。

 

何と言っても翌朝6時に東予に到着して

連絡バスを使えば

最寄り駅の壬生川、今治までは無料バス

松山へは有料となりますが連絡バスで移動できるため

とっても便利なんですよ。

 

 

いずれにしても

まだ四国に行かれたことない方

讃岐うどんの食べ歩き、奥祖谷&大歩危小歩危の景勝地巡り

お遍路体験、石鎚山登山、面河渓や仁淀川の奇跡の清流

道後温泉と松山の歴史探訪

私のように四国山地と酷道険道走りに

異国のような高知巡りなどなど

魅力いっぱいの四国を体験しに

是非一度訪れてみていただきたく情報を記事にさせていただきました。

 

 

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シニアグラス(要するに老眼鏡)

2023-12-14 08:40:00 | 雑感
この私、子供の頃から視力検査で1.5
そこそこ満足していたのですが
 
中学生になると反抗期で授業中もほとんど先生の話を聞かず、高台の四階建て校舎の四階が教室だった事もあり、窓の外に見える遠くの山々ばかり眺めていたからかいつしか視力はいつも2.0が楽々
 
そんな遠視気味だったのが悪かったのか
40歳を過ぎた頃から細かい文字を読むことが苦しくなり、45歳では老眼鏡が手放せないようになってしまったのですが
 
背広やワイシャツ👔を着てる時なら胸ポケットに入れとく事もできるけど、Tシャツや胸ポケットの無い服装では細かい文字を読む時にいちいち取り出してかけるのが超面倒😩
 
そんな風に感じていたある日、たぶん20年近く前にイタリア🇮🇹のCuneo から乗った電車の乗客が着けてたこの眼鏡👓が気に入って欧米のみならず海外出張の度に各地で探すも見つからず、半ば諦めてかけた15年ほど前に故郷豊橋の眼鏡屋に置いてあるのを発見‼️🙌
 


 
 


 
 
でも値段が20,000円と聞かされ、それは高すぎるんとちゃう❓とネットサーフィンしてみると安いので8,000円ほどのもあり🤭すかさず注文🎵
 
目立ちたがりなので外出してると衆目を浴びて喜んでたのですが、その後、大好きなにっぽん縦断こころ旅で火野正平さんも使ってのを観て、嬉しいような悲しいような。😅
 
道を歩いてたり、どこかの窓口で「すみません。その眼鏡どこで帰るんですか?父に贈りたいと思ってたんです。」と、若い女性から何度か尋ねられた事もありました。😊
 
いずれにしてもそれ以降クリックリーダーを使うようになってるのですが、起きてる間は勿論、寝てる時もスマホを見る時につけるハードユーザーだからか経年劣化なのか既に7ケ目❗️😱
 
 


 
 
いつでも直ぐに使えるのが便利で、もはや手放せない身体の一部のような存在なので仕方ないかな😂
 
因みに初期のシンプルなデザインのものから次々と新しいデザインや色が売り出され、最近のお気に入りはエクスパンダブル❣️
幅も長さもゆとりがあるのと、金属のツルが錆びないので選んでいます。
(スタンダードのものは荒い使い方をすると汗で錆びるから緑青が出てきました)
 
 


 
 
ご参考までにお知らせさせていただきますが、クリックの回し者ではございませんので(笑)
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四国スルメの如し【番外:八幡浜を起点にこころ旅とドキュメント72時間の舞台をトレースする旅など】

2023-12-13 14:03:02 | 旅行

先日、四国の凄さをお知らせしようと記事にして

改めてこれまでの四国訪問の歴史を思い起こしてみたところ

 

それまで1978年が初上陸(笑)で

その後は1990年、1994年、2000年、2003年、2008年、2010年と

観音寺の阪大微生物研究所がらみ(ODA受入研修員への日本語講習手配)に

あまり思い出したくない管理職をしていた某機械メーカーのOJTで宇和島に行ったり

欧州機器のプレゼンで、坂出、丸亀、今治の造船所をピンポイントで訪問したり

家族旅行でアメリカ製の大型キャンピングカーをレンタルして

鳴門、高松、丸亀、祖谷、高知、鳴門を周回

そこそこ間隔をあけての訪問だったのが

 

2013年から始めたドイツ製機器の代理店業から

瀬戸内に多々ある造船所への出張が突出するようになり

ほとんどが、水島、福山、尾道、三原、因島、呉、柳井、岩国、徳山等の中国地方側でしたが

 

四国もそこそこ

2014年:3月新居浜、5月八幡浜、7月今治

2015年:7月伊予三島、7月高松、

2016年:6月今治、9月高松、10月高松・徳島

2017年:1月今治・松山、4月八幡浜、5月高知・愛媛・徳島、8月松山、11月徳島

2018年:10月徳島

2019年:1月今治、3月八幡浜

2020年:5月徳島(中古田植え機購入)

2021年:1月今治、6月今治、8月今治・西条

2022年:3月今治、6月伯方島、9月松山(帰路UFOライン)

2023年:11月今治(帰路仁淀川と酷道439)

 

ほとんどが2013年以降行動記録を残してるdiaryから拾い出したものなので

古い記憶は定かでありませんが

なんのかんのと30回ほど訪れている様子

 

これまでの記事でご紹介していなかった場所も備忘録代わりに書き記したいと思います。

 

2014年5月

長年続けていた海外での出稼ぎ生活から国内をメインにした仕事を始め

家でTV放送も観ることもできるようになり

にっぽん縦断こころ旅やドキュメント72時間、新日本風土記にハマり

 

放送された土地(聖地巡礼?)を訪ねてみたくなっていたこともあって

丁度、広島の尾道と愛媛の八幡浜で続けて仕事をする機会をチャンスととらえ

 

尾道の仕事を終えて”しまなみ海道”で四国に渡り

愛媛県の今治に到着

 

今治から松山行特急に乗り込み

松山で特急”宇和海”に乗り換え(松山から先は電化されていないため)

八幡浜の古いビジネスホテルに1泊し

翌朝小さな造船所で仕事したものの

尾道からの連日の現場仕事で疲れ果て

仕事を終えてからそそくさと帰路につくことに

この辺りでは指定席に乗る人が少なく

ほとんどの乗客は自由席車両の乗り場にいてビックリ

駅を出発してなにげに車窓から外を眺めると 急斜面がミカン畑だらけ

生まれ故郷の近所にも、三ケ日、蒲郡とミカンの産地があるものの

地形が全く違うなあと実感

じゃこ天とまぐろソーセージをアテに発泡酒のロング缶2本で独り打ち上げ(笑)

気動車でほとんど単線なのに

あの辺り、結構スピード出すんですよ

線路が悪いのか、車両が悪いのか、結構揺られてビックリ

八幡浜を出て20分後

ひらけた場所に出たなぁと思ったらお城を発見(大洲城)

その後画像の記憶がないので

たぶん発泡酒に酔っていい気分で寝呆け眼で乗り換えて家に帰っちゃったみたい

(松山、岡山、新大阪、大阪、鶴橋と5回の乗り換え)

 

それから3年後の2017年

またまた八幡浜へ出張する機会があり

その頃には、もう国内出張の特に中国、四国地方に行き飽きていて

またぞろ鶴橋、大阪、新大阪、岡山、松山と乗り継いで6時間

電車に乗るのはマッピラごめんと思い

 

岡山から高速バスで松山に向かうことに

途中、豊浜SAでトイレ休憩がありましたが

所要時間3時間半(電車なら2時間半)

松山で特急”宇和海”に乗り換え

21:45 まだできたばかりのスーパーホテルにチェックイン

(奈良を出発してから6時間45分)

どこか飲食店でもないかなぁと近くの商店街を歩いてみたのですが・・・

時間も遅かったからか居酒屋ばかりで

現場仕事の前日は飲み過ぎないようにアルコールを控えるようにしてたため

仕方なくラーメン屋へ

それでも美味しくいただきました。(空腹は最高の調味料なり

 

翌朝、朝一から仕事を始めたため13:00に完了

前回の八幡浜への訪問では

10日前から泉大津、尾道、横浜、尾道と出張(現場仕事)が連続して

その後も日を開けずに実家での法事の予定があり

トンボ返りとなってしまったのをとっても後悔していたため

この時は四国を味わおうと決意

 

ホテルに戻って汗を流し、仕事の荷物を宅急便で送って身軽になってから

お昼だし、ご飯食べるところあるだろうと

またまたアーケードを歩いてみたのですが・・・

よくあるドーナツ化現象で

ほとんどシャッターおりたまま

 

仕方なく駅まで八幡浜を歩いてみようと足を進めたところ

代官屋敷跡や

何やら不思議な碑をみつけたり

(ライト兄弟が飛行実験に成功する12年前にゴム動力の飛行器なるものを考案した人なんだとか)

前日、仕事を無事順調に終えられたら

こころ旅とドキュメント72時間の聖地巡礼をと計画を立て

予讃線に乗るつもりだったので

時間調整を兼ねてブラブラ歩き

 

なんせ昭和レトロ大好きなオッサンのため

古い銭湯にはとっても興味をそそられました

そうこうして腹ペコ状態で八幡浜駅に到着

八幡浜ちゃんぽんなるものの売り込みポップをみつけ

とりあえず隣の店でいただいてみました

(感想は自粛しますね。 推して知るべし

 

15:10 松山行予讃線に乗車

【この ”のりかえ 別府連絡”が記憶に残り 後日の旅に繋がるんですねぇ

変わった車両があるなぁと眺めてみると

人気の伊予灘を眺める週末だけ運行する特別列車でした

(松山~八幡浜4,330円也 片道約2時間半)

途中、こころ旅2017年春の旅610日目で出発地となった大洲城を眺めながら

約1時間後の16:03 伊予長浜駅到着

鄙びたとてもいい駅でした

駅を降りてすぐ目の前が港で

良い感じの定期船を発見

マンホールは、こころ旅でこころの風景として紹介された可動橋

1キロ先に最初の目的地 長浜大橋(赤橋)を見学

つい先日(この日から25日ほど前)正平さんが見ていたのと同じ風景

映えスポットを探してうろついてみました(笑)

30分ほど眺めてから

 

次の電車まで1時間半待ちだったので

時間潰しがてら長浜の町を散策

 

港町として栄えていた様子で

回漕業を営んでいた邸宅があったり

坂本龍馬が宿泊していた跡があったり

面白い看板の昭和な商店などなど

いつか青島にも行ってみたい衝動に駆られたり

この日も知らない町と知らない海を眺めて大満足

 

駅に戻り、またまた予讃線に乗り込み

 

次に向かったのが

ドッキュメント72時間やCM他 人気の観光スポットとなっている

伊予灘を眺められる”下灘駅”

 

元々はほとんど利用客もない寂れた駅のホームから

伊予灘に沈む夕陽が眺められるのが魅力だったのですが・・・

人気になりすぎて この有様

下車して夕陽を眺めようと思っていたのが すっかり意欲をそがれ

 

泣く泣く松山駅に直行して

松山在住のフィリピン時代の先輩に連絡を取り

会食を楽しんで松山駅に戻り

路面電車で道後温泉近くの安宿に移動してバタンキュー

翌朝、こころ旅611日目の出発点 松山城下の城山公園を訪れてから

路面電車と伊予鉄の線路が交差する珍しい風景を眺め

松山駅からローカル線(予讃線)で次なる目的地へ

 

ここもまたこころ旅612日目で今治城から出発して

途中でこころ手紙の主の思い出の地、伊予三芳駅へ

正平さん達の自転車が走ったルートを辿りながら

面白い由来のある風景を眺めながら

こころの風景の橋に到着

最後に手紙を読んでた土手を眺め

番組でも出てたヤギも眺め

往路とは違う道を歩きながらこの町を散策

 

こんな変わったお店があったり

お遍路さんへのトイレの案内やフリーWiFiの案内に

古そうな造り酒屋を眺めながら

駅に戻ると

自転車預かり所も開いていてホッコリ

 

ローカル電車を待ち

 

オレンジフェリーの最寄り駅 壬生川駅で特急電車に乗り換え

石鎚山への最寄り駅や

懐かしい観音寺駅を車窓から眺めながら

瀬戸大橋を渡り

岡山から新幹線に乗り換えて とりあえずビール

壬生川から3時間10分後 新大阪駅に到着

午後二時過ぎにようやくお昼となりました。

 

 

もういまから6年半前の旅ながら

”遠くへ行きたい”の歌の歌詞のような知らない町や知らない海を眺め

TVで観た風景をウキウキしながら辿った思い出が

つい先日のように思い起こされ、当時の喜びを再び噛みしめてます

 

観光案内書には載っていない土地を訪ねる旅

とってもいいですよ~オススメです。

 

さて、あと何回できるかな

 

 

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暴風雪警報下の東尋坊を思い出しながら今季の冬の旅を計画中

2023-12-08 22:06:38 | 旅行

2016年1月24日

 

この日も暴風雪警報が発令され

北陸自動車道は敦賀から先が通行止め

石川県内が暴風で湖西線を走る電車も運転見合わせとの報道に

 

2010年に映画”夜叉”の舞台、若狭の日向を訪れて

真冬の日本海に魅了されてしまい

すっかり病みつきになってたこともあって

早朝家を出て京都駅に向かってみると

特急サンダーバードが運転を見合わせていたため

北陸方面に向かおうとする大きなスーツケースを持った旅行者だらけ

これは期待できるぞ

いつもの湖西線快速の琵琶湖レジャー号に乗車し

 

期待に胸躍ろかせながら比良山系を眺めると

期待を裏切って信じられないようなピーカン

アッチャーと思いつつ敦賀に向かってみたところ

琵琶湖レジャー号終点の敦賀駅も全く雪なくガックリ

融雪装置が作動して散水してるけど小浜線も全く支障なさそうな様子

 

これじゃあ日向に行っても全く期待薄だろうなと思いつつ

北陸本線の敦賀から先はまだ運転見合わせだったため

様子見しようととりあえず立ち食いスタンドでニシン蕎麦をかっこんでたところ

 

特急サンダーバードがなんとか1本動くとのアナウンス

 

これを逃したら泣きながら奈良に帰らなきゃいけなくなると

指定席はすでに売り切れだった満員電車状態の列車に飛び乗り

福井駅で下車

 

福井から先運転取り止めの表示板を眺めながら

帰れなくなっちゃうかもと思いつつ

えちぜん鉄道の駅に向かってみると

東尋坊のポスター発見

とんでもない強風なのに、えちぜん鉄道は動いてるとのことだったので

すかさず乗車

途中、九頭竜川を過ぎたころから遮蔽物がなくなり強風で架線が波打ち

パンタグラフが電気を受け取れなくなって停電を繰り返す中

なんとか終点の三國港駅に到着

さてどうやったら東尋坊に行けるのかとバス停を目指して歩いてみたのですが

 

実は、前のめりになってようやく歩けるような暴風

船員殉職碑がなんの疑問もなく納得させられ

ようやく来たバスに乗り込み

東尋坊タワー前で下車

大荒れでほとんど閉まってる土産物屋通りを抜けて東尋坊に到着

数人の観光客がいたものの

あまりの荒天の海に怖れをなしたのかと奥から眺めているだけ

 

ところがこちらは荒れた海を眺めにきたんだから

柵を乗り越え、波しぶきを浴びようと人っ子一人いない岩場を歩き回っていたんですが

 

もしかしたら自殺志願者と思われたかも

それはそれは凄かったですよ~

動画を撮ってますのでよかったらご覧ください。


https://studio.youtube.com/video/p-ot5FKAk2Q/edit

 

約30分 真正面から潮風と波を浴び続け

革ジャンはビッショリ、身体の芯まで凍りそうなほどになって

ようやく満足してバスを使わずに遊歩道を歩くことに

後ろ髪をひかれる思いで東尋坊の眺め

三國港駅方向に歩いていたところ

日帰り温泉を発見

震えがでるほど身体が冷え切っていたので

飛び込むように入場し

普段はカラスの行水なのにこの日は1時間半もしっかり温泉を堪能

とりあえず生ビールで”ぼっち乾杯”

ビールはやっぱり身体が冷えるなとカキフライと熱燗を堪能し

まだ明るいうちに駅に向かおうと温泉を出発

17:00三國港駅到着

電車に乗り込み

福井駅に到着したものの

まだ電車が動いておらず

 

どうしようかと駅前をうろついて

泊まるしかないかなと半ば諦めてたところ・・・

臨時のサンダーバードが運行されるとのアナウンスがあり

運よく乗車

まだ強風で湖西線が動かないため

米原回りとなるとのこと

サンダーバードが東海道線を走るなんてみたこともなかったのでビックリ

(その昔は、米原から敦賀の間で交流と直流の切り替えがあって、サンダーバードがそのまま走れないと思ってました)

それでも無事京都に到着できて嬉しかったですよ~

 

この日もお昼が鰊蕎麦だけでビールと熱燗とカキフライと

まともな食事をしてなかったので

得意のタカバシへ

いつものように完食して

 

ライトアップされた京都タワーを眺めながら

終電近くの近鉄で無事奈良に帰ることができました

このときの荒れた日本海も忘れられない思い出となりましたが

 

この翌年の2017年には

永年夢に抱いてた大雪の若狭の日向で映画”夜叉”の世界を満喫し

目標のひとつを達成して 目的ロスになっていたのですが

 

 

この時の東尋坊もいまから考えるとなかなかの刺激的な体験

またあんな行き当たりばったりで大自然の風景を眺めてみたいなぁと回想するばかり

 

 

厳冬期の雪山歩きも、極限に近い世界で体を痛めつけることで

生きてる実感を味あわせてくれるけど

 

またぞろ荒れた厳冬期の日本海を訪れ

波しぶきに揉まれ痺れたくなっちゃいました。

 

今季は暖冬との予報だけど

そんな年ほど大雪になったりすることもあるはずと

 

天気予報を調べながら

大雪、暴風雪、波浪警報が発令するのを待ちながら

東尋坊並みかそれ以上の荒れた冬の海を求めて旅する計画を構想中

 

次回は、スマートシニア割のチケットを使って

極寒の地を訪れようと、ここ数日地図と睨めっこしてる次第です。

 

それにしても

いつもながらのボッチ遊び

 

楽しみを共有してくれるバディが欲しいような

あまりに突拍子もない行動についてきてくれるような人はいないだろうなぁと

諦めるような悟るような

 

まだまだ悩ましいお年頃でございます。

 

 

 

 

 

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出張ついでに”遠くへ行きたい〝【2023年11月:鹿島・神栖・銚子(後編)】

2023-12-04 14:10:13 | 旅行

【前編からの続き:(鹿島から路線バスで銚子駅に到着のその後)】

 

さて、朝ごはん食べてないし

どこかで魚介類を食べられそうな食堂がないかなと探しつつ

成田へは何時の電車に乗ろうかと駅構内に入ってみたところ

 

駅で銚子電鉄のポスターをみつけ

『おっと、犬吠埼のこと忘れてたじゃん』と思い出し

 

銚子電鉄に乗って灯台を目指すことにしました。

何度かTVで紹介されてたなぁと思いつつ

レトロと赤字経営を自虐的に売り込んでるのを知って

偶然訪れた我が身の幸運に大喜びしちゃいました。

 

自虐ネタを売りにしてるんですよ~

この銚子駅、そこそこ線路があるのですが

ほとんどが錆びついて長年使ってない様子

やがてレトロな電車が到着し

乗り込んだ早々 運転席をチェック

動く博物館そのものでしたよ~

銚子から犬吠まで片道350円

往復したら700円

ところが一日乗り放題券も700円(笑)

銚子駅を出てすぐに車庫があってレトロな車両が並んでて目がハート

ボロボロの線路に

 

こんな架線で大丈夫ってくらいお粗末な代物

単線なのですが、一応すれ違いのできる駅もあって

タブレット交換してましたが・・・

1時間にほぼ一本の運行で同じ車両が行き来してるだけだから

ポイント切り替える必要ないんとちゃうんかなぁ(笑)

なんせ赤字のため、売れるものはなんでも商売にしようとしてるようで

駅名もどうやらネーミングライトを販売している様子

なんせ線路も架線もボロボロで車両はレトロどころか博物館級

総延長6.4km、9駅を所要時間22分

ほとんど歩く程度か早くても時速20km/hののんびり鉄道

 

奈良ドリームランドにあった汽車風の乗り物のほうが早かったんとちゃうかなぁ

 

そんな訳で銚子駅を出発して20分後に犬吠駅に到着

灯台まで徒歩距離とあったので歩いていると

別荘風の建物もチラホラ

たしかに眺望はいいんですけどね

そして近頃至る所で見かけるようになった廃墟施設

コロナ前の2018年に老朽化で閉館、

中国人の社長に入れ替わり2019年に再開を目指してたようですが

コロナで息の根を止められちゃったんでしょうね

その隣が犬吠埼灯台

5月に訪れたポルトガルでユーラーシア大陸最西端の岬が観光名所になってたのを知りましたが

犬吠埼も日本の本州最東端とのことで姉妹関係にあるとの説明

文学碑があったりするのも

”地の果て”のイメージなのかなぁ

 

職業柄、灯台には興味があって

結構日本全国の灯台を訪れてきましたが

映画”喜びも悲しみも幾年月”を思い出させる説明書き

昔はそれはそれは大変な勤務だったんだろうなぁ

 

船に乗ってた時

沿岸航法では灯台の位置からポジショニングするのが基本中の基本

船橋での航海当直時、灯台の灯りをコンパスで角度を測り

海図に現在位置を書き込んだものでした。

 

(海図には、灯台によって明暗の周期が表示されていて

どの灯台かわかるようになってるんですよ)

特にここ犬吠埼灯台では霧笛の展示が一番面白かったかも

 

この灯台には展示施設も充実していて

『海上保安庁も頑張ってるじゃん

と思っていたら・・・

地図があまりにお粗末すぎてガックリ

我が故郷の渥美半島も知多半島も無いし

当然、伊良湖岬灯台も神島の灯台も菅島の灯台もなし

淡路島の位置も敦賀湾もいい加減だし

作った業者が悪いのか

その間違いを指摘せずにいて恥ずかしくないのかなぁ

 

ちょっとガッカリさせられましたが

灯台からの眺望は抜群でした

 

この日は朝飯抜きだったので

実は犬吠駅前の鮮魚が売りの回転寿司に行くつもりだったのが

灯台下のありきたりな食堂に思わず入店

 

銚子らしい食材は サンマとイワシの加工品と

あとは九十九里の蛤しかなく

ほとんどが銚子とは全く関係ない

マグロにサーモンにホタテにイクラの海鮮丼

 

文句言いながら空腹だったので怪しげなデザート以外は完食(笑)

腹ごなしと、帰りの飛行機に間に合うように食後そそくさと店を出て

駅までの帰路は海岸線の遊歩道を選択(同じ道を歩きたいないのも

人工的に削られた箇所がなんだったんだろうと思ったら

銚子石の採石場跡でした。

(磯辺にも降りられるようでした)

この右手にあるのが湧水なんだとか

こんな大した標高もない海辺にも湧き水がでるんだと不思議な感じでしたよ。

銚子電鉄のメインステーション”犬吠駅”

 

自虐ネタの”まずい棒”が売りのはずなのに
ほとんど売り切れで二種類のみ

平日のこの日も上下線で50人ほどの乗客がいましたが

売りのお土産も在庫揃えてなくて買えないなんて

”経営がマズイ”のを実感しただろうな

なんか、以前奈良にあった”田舎料理”を思い出しちゃいました

料理が下手でも『ウチは田舎料理ですから!』って逃げられるように

そんなネーミングにしとるんとちゃうんか といつも突っ込み入れてました

 

当然ながら鉄オタだらけなわけで

木々のトンネルから出てくる風景を一生懸命撮影してました。

 

銚子電鉄の沿線、キャベツ畑だらけ

 

故郷の渥美半島も自分が子供の頃には用水が整備されて

メロン栽培の温室だらけとなってメロン御殿が建ち並んでいましたが

近年は渥美半島の付け根から伊良湖岬の先っぽまでキャベツだらけ

 

手間も費用もかかるし競合が増えすぎて値崩れするメロンより、

一年中収穫できるキャベツの方が安定してるんでしょうね。

そんな風景の中でも特に目を引いたのがこの林

年中海風に曝されるからか密集して高さを揃えている様子

自然界って凄いなぁ

 

そんなこんなで

鹿島神社近くで路線バスに乗車したのが08:48

銚子駅に到着したのが10:30

犬吠埼灯台が12:00で

銚子駅に戻ったのが14:00

 

成田駅15:30

成田空港着16:00の

 

小さな旅となりました。

 

 

調べてみると、東京駅から房総特急”しおさい”が運転されていて

ほぼ3時間おき所要時間約1時間45分

普通電車なら千葉乗り換えで3時間

 

銚子には再訪したいほどの魅力を感じませんでしたが

銚子電鉄で他の車輛を見学したいかも

 

でも灯台も灯台からの景色も存分に堪能しちゃったし

もし行くとしたら

成田からレンタカーで外房でも巡りながらかなぁ

 

いずれにしても

いつもながらの行き当たりばったり旅

知らない海を眺めて、知らない町を歩いてと

今回もたっぷり楽しませていただきました。

 

みなさんも良かったら是非どうぞ

 

【追記】

ご参考までに

今回利用した割引航空券

ANAのスマートシニアなる当日限定で帰る格安チケットで

伊丹~成田 片道11,190円

 

条件は、年齢が65歳以上

購入できるのが当日の0時以降ってことだけ

 

お得で便利ですよ~

 

先日、熊本に遊びに行った時の帰路に利用してみて

とっても便利だったので

これからは繁忙期を避けてこのスマートシニアで

”遠くへ行きたい”旅に出ようかなと画策中(笑)

 

 

 

 

 

 

 

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出張ついでに”遠くへ行きたい”【2023年11月:鹿島・神栖・銚子(前編)】

2023-12-02 20:04:56 | 旅行

2016年3月以降

ほぼ2年周期で定期的にお仕事をいただいてる大型船から

半年前に仕事の依頼があったものの

製鉄所向けの石炭やコークスを運搬する不定期船

 

特に製鉄会社が合併して日本製鉄となってからは

国内の製鉄所のどこで揚げ荷するかはその時次第

 

因みに、

近年では釜石、神戸、呉の製鉄所が閉鎖されてしまったため

現在稼働している製鉄所の所在地は

室蘭、鹿島、君津、千葉、京浜、名古屋、堺、和歌山、水島、加古川、福山、八幡、戸畑、大分

 

前回は訪船しようと思っていたらスケジュールが合わなくなり

更に通常オーストラリアが積み地なのに今回は珍しくバンクーバー

 

先々月から揚地の予定が入ってくるものの

なんせ製鉄所の操業には欠かせない原料のため

荷主はいくつもの船をスタンバイさせておいて

切らさないように配船するため

その日になっても変更するのが当たりまえ

 

あと、組合が強くて港湾ストライキの多いオーストラリアやカナダの事

酷い時には沖待ちで1月以上錨泊なんてこともごくごく普通

航海日数だけではスケジュールを立てられないため

JIT(Just In Time)とは真逆の常時在庫を持つようにと

たぶん荷主は数十隻をコントロールしている筈

 

鉱石船はそんな業界なんです。

 

そんなわけで

とりあえず、今回の航海では君津、鹿島、室蘭、和歌山との連絡を受けていたため

しばらく北海道に行ってないし

冬ならジンギスカンも食べたいなぁ

室蘭で訪船しようと思っていたのですが・・・

 

11月末予定が12月中旬となり

いつ強烈な寒波が襲来して極寒の中で船に乗り込まなければいけないだろうし

そうなったらどんな事故(心臓麻痺も含め)が起こるかもしれないと

我が社の心優しいスタッフが気遣い

今回の室蘭行はどうしても阻止したい様子

(温かい時期には、『あまり行くことのない日本海側や東北、北海道だったらいいですねぇ』と言ってくれてるのに

 

無理強いしても室蘭に行くつもりだったのですが

各港の停泊時間を調べると

 

君津はほぼ入れ出し

鹿島は3日

室蘭は30時間

和歌山は最終の揚げ地で2日程度

 

この手の船(Bulk Carrierという超大型のバラ積み)

全長300m、全幅50m

 



 



 

荷物が満載の時はしっかり沈み込んで乗下船が楽なものの

反対に荷物がほとんどカラッポになると喫水線から

甲板まででもビル7・8階相当の高さになることもざら

 

ギャングウエイ(一般ではタラップと言われる乗下船のための梯子)も急傾斜となるうえ

岸壁や通船から一気にあがると息切れ必至

 

氷点下で凍ってたり雪でも積もってたら危険極まりないなと

泣く泣く北海道行を諦めて

鹿島へ行くことに決めたのですが・・・

 

そうなるとどうやって行こうかと思案

 

まだ社会人になったばかりの1980年

東京駅八重洲口近くにあった船会社で働いていた時に

会社の船が鹿島に入港するから船長・機関長との打合せに行くようと社命を受け

 

なんと東京駅から上野で常磐線に乗り換えて水戸に出て

鹿島臨海鉄道に乗り換えて半日がかりでいかなければならないほど不便な場所

(まだ成田空港も開港しておらず高速道路もできてなかった時代)

 

その後は海外生活で日本から離れていたこともあって

2回目の訪問がたしか1993年頃だったかな?

 

高速道路が整備されて東京駅から高速バスが運行され

鹿島工業地帯へのハブになっていた鹿島セントラルホテルまで

1時間半で行けるようになってビックリ

 

それ以降も何度か鹿島に行く時は

東京駅から高速バスでのアクセスを利用していたのですが

 

ハブの鹿島セントラルホテルに前泊して港や製鉄所の船を訪船して

ホテルに戻ってまた泊まるかそのまま東京にトンボ返り

 

ホテル周辺のありきたりな全国チェーンの飲食店しか知らずにいたのですが

(それも鹿嶋セントラルホテルの所在地は実は隣の神栖市)

 

40数年前からの知人であり同じ釜の飯を食った人生の大先輩が

数年前、出稼ぎしていた福島から鹿島に戻ってきてるのを知り

連絡を取って会うことを決め

 

さて、それじゃあどうやって行こうかと思案

 

飽き飽きしてる新幹線も なんの面白味もない高速バスも嫌

 

そんじゃあ飛行機にすっかなと調べてみると

成田経由なら新幹線+高速バスより時間かかるけど

行けることを知って即決

 

前日、船が予定どおり君津に入港しているのを確認して

鹿島の代理店に電話で出入港予定を聞くと

翌日には入港して3日間停泊とのこと

急いで鹿島セントラルホテルを予約して

出張準備をして荷物を宅急便でホテルに送り

 

明け方未明に当日限定の割引チケットを購入し

(なんと伊丹~成田がたったの11,190円)

大和西大寺から空港バスに乗車

出発時刻までたっぷり余裕があったのでラウンジでのんびりビールと青汁ラテ

離陸して大阪からしばらく雲に覆われていたのが

突然視界が良くなったと思ったら

駿河湾の遥か彼方に富士山が

羽田行と違ってこの季節、成田へは霞ケ浦を周りこんでアプローチするからなのかなぁ?と勝手に推察

やがて霞ケ浦を周りこんで降下

いつもながら東京近郊のゴルフ場銀座にソーラー

パネルだらけ

もはや手遅れだけど

日本国中、まるで大火傷のケロイドのように山や空き地に蔓延る

太陽光パネルの現状

 

耐用年数が前になったらきっと所有者は計画倒産して行方知れず

土壌汚染を引き起こす有害物質を垂れ流し

 

子孫が生存してゆけるんだろうか

 

馬鹿な政治家、マスコミに扇動されて暗黒の歴史になるんだろうなぁ

嘆くことしかできない自分が悔しいです。

 

おっと、いつもながら脱線

 

話題を旅の続きにしなけりゃいけませんよね

 

15:45成田空港第一ターミナルに到着して荷物を引き取り

空港から京成で成田に出て16:30JR成田線に乗り換え

佐原で鹿島線に乗り換えて

 

17:40鹿島神宮駅に到着

銚子駅行路線バスに乗車

1時間に1本程度しかない路線バス

直線で約9キロの距離をグルグルと回りに回って40分かけて到着

 

大和西大寺から7時間後

伊丹出発から5時間弱

成田空港から2時間

18:43 無事鹿島セントラルホテルにチェックイン

 

実はこの日お昼抜き

遠出するのが面倒になってホテル敷地内の居酒屋に飛び込み

すかさずメガジョッキの生ビールを注文

胡瓜の漬物にお刺身盛り合わせ

鯖の串焼き

釜飯にチューハイを2杯

この”村さ来”40数年前、東京でよく飲みに行ってたけど

ビールはよしとしてチューハイの薄いこと薄いこと

 

お腹は朽ちたし酒はもう外で買おうと店を出て

コンビニを探して濃い無糖のチューハイロング缶2本とおつまみを買ってホテルに戻って

ひとり二次会となりました。

 

安さを売りにした居酒屋

酒で儲けようとする韓国のソジュ(焼酎)みたい

 

昔はソジュと言ったら25度だったのか

いつしか20度、19度と薄めていって

いまどきはたったの16度

 

日本酒とほとんど変わらないから

小さなグラスで一気飲みしたところで全然酔わないだろうなぁ

 

そんな印象でした。

 

その夜、船が入港してるかネットで調べると

銚子沖で漂ってる様子(業界用語でドリフティングといいます)

 



 

たぶん先船の出航が遅れて着岸できなくなって

時間調整してるんだろうな と邪推

 

そんなこともあろうかとレンタカーは予約せずにいたので

翌朝、水先人乗せて岸壁に向かってるのを確認してから

レンタカー予約して

 

ようやく製鉄所に向かい

午後1時過ぎ、無事仕事を完了

 

その後、鹿島在住の先輩に迎えに来てもらい

陶芸工房で歓談して馴染みにホテルに連れていってもらいチェックインして

鹿島の飲み屋街の居酒屋に移動して会食

 

車の運転があるからと酒を飲まない先輩にいつまでも突き合わせては申し訳ないなと

早めにお開きにして近くにコンビニでまたまた缶チューハイを数本買って

ホテルに戻り恒例の一人二次会(笑)

 

この時点では、翌日の予定も移動手段も決めておらず

鹿島神宮の門前のホテルだったので

とりあえず鹿島神宮でも参拝しようかなと思っていたのですが・・・

 

夜中に起きて鹿島神宮の事を調べてみると

HPに鹿の絵があり

よくよく考えたら奈良の春日大社は鹿島神宮から迎え入れたことを思い出し

 

御祭神は、武甕槌命(タケミカヅチノカミ)で

国譲り神話や神武東征のいわば功労者

 

実家は一般家庭にはない旗のポールがあり

毎日日の丸を掲揚して

寝起きには二階のベランダから東(皇居)に向かって敬礼をする

そんな父のもとで育ち

皇室を敬うことを当然と思っていたのですが

 

つい2,3年前に矢田丘陵を歩いていて

変わった神社や墓をみつけ

調べてみると“長脛彦(ナガスネヒコ)”なる人物の存在と

 

彼こそが神武東征の際に最大の難敵となり

半ば身内と思っていた者(饒速日:ニギハヤヒ)に裏切られ

闇討ちにあったことを知り

 

それがあとでいいようにつくられた日本神話で悪者扱いされているのに違和感を抱き

国譲り神話を含め

実は天皇家の始祖神武天皇こそ侵略者じゃないのかと思うようになってしまったことや

 

大化の改新のもととなった”乙巳の変”も

よくよく考えると

中臣鎌足や中大兄皇子こそ腹黒な暗殺者じゃないかと考えるようになり

 

中臣=藤原 ⇒ 藤原によって創建された”春日大社&興福寺”もいまや”坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”状態

 

そんなことから鹿島神宮を参拝する気がすっかりなくなり

 

かといって、そのまま高速バスで東京に出て新幹線で帰る気になれず

『さて、どうしたものか』と思っていたところ

 

またまた当日割引で成田から飛行機で帰ろうと思い立ち

出発時刻の午後5時30分まで何ができるだろうかと思った途端

 

鹿島神宮駅から乗った路線バスを思い出し

『そしたらいままで訪ねたことのない銚子に出て、美味しい魚介類でも食べて

それからゆっくり成田に移動したらいいんじゃない?

と閃いたのが 朝の8:15

 

Google Mapsで銚子までのバスの時刻を調べてみると

ホテルの前のバス停8:48発

 

焦ってシャワーを浴びてキャリーケースに荷物を詰め

無事バスに乗車

ところがなんせ路線バス

旧道を走るは乗り降りするのは病院や日帰り温泉に行く老人ばかり

 

鹿島の市街地から太平洋に挟まれた神栖市の北の端から南の端まで縦断したのですが

もともと海と川からの堆積物でできた土地

ほとんど真っ平で砂地のような土壌にもかかわらず

稲作の田圃やお正月の松飾ようの松でも栽培している風景だらけで

とっても勉強になりました。

利根川のほぼ河口近くの大きな橋を渡ると

そこはお隣の千葉県の銚子市

鹿島神宮から約2時間弱で銚子駅に到着となりました。(料金は約1500円)

 

バスの降車場の居酒屋の看板(お銚子一本)が嬉しかったですね~(笑)

こんな自転車道のモニュメントがあったり

銚子のことを説明する案内板がいっぱい

 

【文字数が限度を超過したため 続く】

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四国スルメの如し(その3:【2023年11月】酷道から四国山地の凄さを知る)

2023-11-24 14:58:51 | 旅行

実は今回の記事”四国スルメの如し”

つい先日、またまた今治での仕事が入ったものの

帰りのフェリーが連休前日で満室となり1日アイドリング日ができてしまったのを幸いと

念願の酷道439で京柱峠と徳島県側を踏破した時のことを書こうと思いながら

ついでにここ10年ほどの期間に訪れたことを思い返してみようとシリーズ化したもの。

 

いつもながら前置きが長くて本当にすみませんでした。

 

天邪鬼でいい加減な性格故に前々から計画して下調べした場所を訪れるより

そのときの閃きで動いてしまうのと

なんせ同じ道、知った道を走るのがどうにも我慢できない変わり者

 

今回もGoogle Mapsでジグザグな道を探しながら

行き当たりばったりを楽しんだ旅をご紹介させていただきますね。

 

11月2日 造船所での仕事を片付けて今治(波止浜)出発

愛媛から高知を縦断する主要な道は

四国中央市から高速E32で高知道(2009年4月、2017年5月、2022年11月踏破済)

西条から寒風山トンネルを抜けていの町経由で高知に出る国道194号線(2021年1月踏破済)

松山から久万高原を経由して須崎に抜ける国道33号線(2022年9月踏破済)

八幡浜から鬼北町を抜けて四万十に出る国道381号線(2017年5月踏破済)

松山から宇和島・愛南町・宿毛を抜ける国道56号線(2022年3月踏破済)

 

『同じ道は走りたくないし、やはり酷道だろ

と地図を眺め、東温から峠越えして面河に抜ける酷道494号線を発見

 

以前バイクでガス欠した今治湯ノ浦ICからE76で小松JCTまで走り、下道の国道11号線(金毘羅街道)で”桜三里”を越え

東温に入ったところで左折

行く手を遮るような山々を眺めながら

『これからあの山を越えるんだろうなぁ』と期待に胸を膨らませ

景勝地らしい”白猪の滝”の標識に心惹かれたものの

釣瓶落としの季節のこと、真っ暗闇の中峠越えはしたくないなと

停まらず直進

 

やがて対向車との離合が面倒そうな道に変わり

グングンと高度を上げてゆくと

トイレと唐岬の滝の看板と

石鎚山岳輪道なる地図を発見

去年久万高原から面河渓、石鎚山スカイラインを抜けてUFOラインを走った道を含む

全長165キロ、高低差約1500mのルート

サイクリストって凄いなぁとただただ感心

一応、ほとんどガードレールがあるので恐怖心は湧きませんでしたが

約30分走行してこの高低差

ようやく酷道494号線の名所黒森峠に到着

峠を越えると久万高原となるため

険しい四国山地らしさはなくなり

1年2月前に走った面河渓から石鎚スカイラインとの分岐に出て

この日一番の楽しみにしていた酷道494号線での県境越えを目指して左折

いかにも中央構造線沿いの山深い道を進んでゆくと

そこそこ立派な境野隧道に到着

無事高知県側に出たのですが・・・

撮影するゆとりなく通過してしまいましたが

崩落したばかりの路肩が崩れた道があったり

人里離れた秘境感たっぷりの道が続き

沢を眺めては仁淀川の源流のひとつなんだろうなぁと

プチ感動

この辺り、家があるだけで驚愕してたのに

更に奥にも集落がありそうな標識をみつけて目が点

平家の落ち武者の隠れ里なのかなぁ と妄想がやみませんでした。

ただ、この酷道494号線、別名”松山街道” ”土佐街道”の名称があり

古くから使われてる土佐と松山を結ぶ道みたいです。

 

この辺りでは土居川と呼ばれる仁淀川の支流のひとつ

崖の上にある道路から谷底を見下ろしてようやく川がみえるような場所

崖の上を走る狭い道が続き途中でコミュニティバスらしきワゴン車とすれ違いましたが

地元では重宝されてるだろうなぁ

ここ↓は椿山との分岐点

またいつか椿山集落を訪れてみたい欲求が(笑)

(元廃村で、いまはたった一人の住人がいるそうです)

その先は川幅も広くなり突然人口の密集した岩丸・池川となり

ここが仁淀川町の中心

 

実はこの辺りで日没となり

黒森峠前にスマホで下調べしておいた

車中泊のできる越知の宮の前公園を目指してひた走り

 

現地確認してから近くのスーパーマーケットで食材を仕込んで

車中で晩餐(18:30)

19:00前にはすっかりできあがり(笑)

エアマットを敷いて毛布を被って就寝




 

早寝しすぎて夜明け前に何度も目覚めましたが

することもないので夜明けを待って

かわの駅(道の駅)に行ってトイレを済ませ

施設見学してから

(Snow Peakが隣接していて、事前予約しておけば宿泊施設も利用できるようでした)

どこかで朝風呂入れないかなぁ?と探したものの

近隣には早朝から入れる銭湯がなく

代わりに仁淀川沿いのキャンプ場にコインシャワーがあるのを見つけ

途中の沈下橋と仁淀川の清流を眺めながら移動

(浅尾沈下橋)

(片岡沈下橋)

黒瀬キャンプ場に到着

到着後、100円玉がひとつしかないことに気づき

離れた場所の自販機で飲物を買いがてら小銭を作ってシャワーを浴びましたが

気持ち良かった~

 

この時点で時刻は09:00

 

この日のお昼はひばり食堂でカツ丼と決めていたので

寒風山トンネル方向のR194を北上し、”633美の里”と”土佐さめうら”の道の駅に立ち寄りながら

時間調整するも連休の行楽客で賑わっていてインフルエンザの感染を恐れ

やむなく大豊町に向かったため09:35にひばり食堂に到着

することもないし、まだ開店時刻まで2時間あるけどそんじゃあ先頭で待つかと

メニューを眺めると、去年より100円値上げしました。

まあ、諸物価の高騰が続く昨今のこと 仕方ないですよね。

結局、2番目の人が並んだのが10:30

その後はドンドン増えだして ↓こちらは開店15分前の11:15の様子

たぶんお休みの日にお手伝いしている青年が手慣れた様子で

行列の順番にテキパキと席に誘導して注文を受け

11:48無事着丼(笑)

2時間待ちながら10分で完食し


表に出るとまだ50人以上の行列❗️

(一階二階で60名ほどのキャパのお店ですが)

 

そそくさと出発して大歩危小歩危につながるR32号線を北上し

酷道439の分岐を右折

439らしいガードレールがなく

路肩が微妙に沈んでいる道やほとんど離合困難な狭い道が連続しているうえ

祝日なのに生コン車や材木を運搬しているトラックと遭遇し

すれ違いのためにバックする事数回

緊張の連続でしたが

 

少し広い道に出て、ようやく風景を写す余裕ができました

 

激狭の道を過ぎ、視界が開けてきたなと思ったら

 

そこそこ広い駐車スペースのある場所があり

そこがなんと西峰集会所

回覧で集会って言われても困るだろうなぁって感じ(笑)

一応、公衆トイレもありましたよ。

 

そのすぐ上が、439の名所標高1133mの京柱峠

(時刻は13:00 ひばり食堂から約1時間後)

絶景に見惚れて名物のうどん屋を見落としてしまいましたぁ~

 

いつかテントを持参して集会所で天幕泊もいいかな?と思いましたが

実はこの辺り、熊出没注意エリア

(高知側の景色)

(徳島側)

徳島側もクネクネした道が続くものの

祖谷のかずら橋や祖谷渓につづく険道32号線もあり道路も整備されていて

高知側よりも怖くありませんでした。

狭い道ながら道路もそこそこ整備され祖谷から訪れたらしき行楽客の車も増えたなと思ったら

14:10 名頃”かかしの里”でした。

この場所、ドキュメント72時間の”ゆきゆきて酷道439”で紹介され知った場所

 

たしか限界集落で、年々一人減り二人減りと寂しくなってゆく村

往時の賑わいを残そうとご婦人がかかしを作り続けているのですが

 

いまやすっかり観光地

 

つるぎ町からの国道438号線を使って

奥祖谷二重かずら橋や剣山とあわせて訪れる人だらけでビックリ

 

14:45 剣山観光登山リフトのある霧の峰到着

あまりに整備された観光地にビックリしながら

一般の行楽客がほとんど通らないトンネルを抜けて

コリトリなる場所を目指すことに

 

ここからの道は酷道439復活

激下りの道でしたが

四国山地らしさに溢れてて痺れました

15:18 コリトリ到着

標識にはカタカナ表記だけだったので

なんだろ?と思ってたら

垢離取(剣山への登山口で水垢離をした場所)なんだそうです。

やがて、つるぎ町につながる険道に

美馬につながる国道492号線の分岐がありましたが

酷道439らしい道を踏破しようとそのまま直進

 

やがて 枝垂桜と剣山を眺められる名勝”川井峠”を過ぎ


住民の居なくなった廃屋が目立つようになったものの


しばらく進むと中央に白線のある整備された道となり

集落の連続する様子から 酷道らしさはもう終わりかもと

R193号線で倉羅峠越えして阿波山川に出るルートを選び

吉野川沿いをR192で四国中央市まで出て

予約してあったオレンジフェリーに乗るため東予まで逆戻りすることになりました。

 

連休となるため11月2日の便が満席だったことから

慌てて11月3日の便を予約してネットで購入まで済ませてしまったため

キャンセル料を払いたくないなと逆戻りしたのですが



 

よくよく考えると

439で徳島市まで出て

南海フェリーで和歌山に渡り京奈和道で帰ったら

無駄な瀬戸内沿岸を走ることもなく、その日のうちに帰宅できたはず

 

まあ、ハプニングを楽しめる分余計な出費は仕方ないですよね。

 

それにしても酷道&四国山地、凄かったですよ~

 

四国を訪れる機会あれば是非挑戦してみてくださいませ

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四国スルメの如し(その2:ここ10年の四国訪問記録&【2021年1月】寒風山トンネル抜けて高知へ)

2023-11-22 15:48:56 | 旅行

【その1からの続き】

2017年5月にソロツーリングで知った酷道439(ヨサク)が忘れられず

また四国山地を走ろうと思っていたものの

思い通りにならないのが世の常

 

四国にはそこそこ訪れていたものの【ここ10年の記録、備忘録用

〈※太字斜体下線はこのブログで記事にしたものです

(2014年3月新居浜まで行ったものの翌日境港での仕事が入っていたため泊まる余裕もなく移動)

(2014年5月八幡浜で仕事したものの、前日尾道で仕事していたため疲れてそのまま電車で直帰)

(2014年7月今治で仕事があったものの、二日後に敦賀での仕事が入ったためオレンジフェリーで直帰)

(2014年7月玉野にある客先を訪問した後、四国フェリーで高松に渡り讃岐うどん食べに立ち寄り高速バスで大阪へ)

(2015年7月伊予三島で仕事したものの、前日約1月の乗船仕事から戻ったばかりだったのと翌日関空に行く用事ができ直帰)

(2015年10月下関での仕事の後、門司からフェリーで徳島に渡りラーメン食べて和歌山から帰る)

(2016年2月欧州製品の営業訪問で坂出、丸亀、今治、松山を回るも飛行機で直帰)

(2016年6月今治で仕事するもしまなみ海道で福山から直帰)

(2016年9月玉野の客先でプレゼンしてから四国フェリーで高松に渡りうどん食べて高速バスで大阪へ)

(2016年10月高松にある客先へ行くためにバイクで神戸三ノ宮からフェリーで高松に渡り、

その後R193で山越えして美馬市に入り徳島に出てラーメンを食べてから和歌山経由で帰宅)

(2017年1月今治で仕事するもののこの頃の頭の中は北九州の角打ちでいっぱい。松山からフェリーで小倉に渡る)

(2017年4月仕事で八幡浜を訪れたものの、ドキュメント72時間とこころ旅のトレースで大洲、松山、伊予三芳を巡って帰宅)

(2017年11月東京藝大で開催された”皇室の彩”を鑑賞した際、

東京への移動に徳島からのフェリーを利用したためその往復でラーメンを食べるために徳島に立ち寄り)

(2018年8月呉での仕事にオレンジフェリーで四国東予を経由、今治市営渡船で来島海峡を渡り

とびしま海道を使ったため帰路は呉から松山へフェリーで戻り、オレンジフェリーに乗船し大阪南港経由で帰宅)

(2019年3月別府から八幡浜にフェリーで渡り、松山駅でドキュメント72時間でみた観覧車に乗りオレンジフェリーで大阪南港経由で帰宅)

(2019年10月水島での仕事の後、素直に帰りたくなくて岡山から高速バスで徳島に渡り、ラーメンを食べてから和歌山に渡る)

(2021年1月尾道からの帰路、しまなみ海道で東予に渡りオレンジフェリーで帰る)

(2021年5月オレンジフェリーで東予に渡りしまなみ海道で尾道へ)

(2021年6月今治へオレンジフェリーで往復現地0泊)

(2021年8月呉への往復にオレンジフェリーととびしま海道を利用)

(2022年3月今治での仕事に往路オレンジフェリー、その後八幡浜で泊まり翌日愛南町と佐田岬を巡り国道フェリーで大分へ)

(2022年6月しまなみ海道伯方島で仕事。往復オレンジフェリーで今治経由)

(2022年9月オレンジフェリーで東予に渡り松山で仕事してから面河渓とUFOラインを走る)

(2022年11月オレンジフェリーで東予に渡り因島で仕事してからひばり食堂でカツ丼を食べ徳島から和歌山へ)

 

四国ではほとんどが瀬戸内沿岸の平地ばかりで

四国山地を回る機会に恵まれず見果てぬ夢となっていたのですが

 

2021年1月 久しぶりに今治での仕事が入ったのをこれ幸い

仕事を片付けてから四国山地越えのルートを探し

石鎚山ハイウエイオアシスの道の駅に立ち寄ってから

ようやくみつけたR194号線を南下

寒風山トンネルの手前で車を停めて四国山地を眺めてみると

この険しさ

まだ見ぬ石鎚山への期待が深まりましたね~

トンネルを抜けたところでUFOラインの標識をみつけ

できれば走ってみたかったのですが冬季閉鎖中で断念

それならばと 名物カツ丼を食べようと439で大豊町に向かったものの

このR194から分岐して大豊町までの区間は

古い集落の狭い道をバイパスする整備された道となっていて

ほとんど対面通行することなく楽々通過できてしまうので

酷道険道走りは楽しめませんでしたが

 

おかげで西条から途中の道の駅で休憩したにもかかわらず

2時間弱で大豊町のひばり食堂に着けちゃいました

 

そうして食堂なら夜まで営業してるだろうと勝手に思い込んでたら

既に閉店後

あとでネットで調べてみると、カツ丼が大人気の人気店で

一応営業時間は11:30~17:00となっているものの

その日準備した食材が無くなったら閉店と

平日でもほとんど午後3時には営業終了

 

ひばり食堂へ行こうと思ってる方は遅くとも午後1時までには到着するようお勧めします。

それならばと またまたこころ旅の2017年秋の旅(690日目)で訪れていた

杉の大杉を眺めに行きました 

この大杉 土讃線の駅名(大杉駅)にもなってる

カツ丼のひばり食堂からは目と鼻の先にある名所で

一見の価値ありですよ。

その後近くに宿がないかと探したのですが

コロナ禍で休業していたり

既に日没後となってしまい予約サイトではみつけられず断念

 

いざとなったら徳島で泊まってもいいかなと思い直し

それなら大歩危小歩危を眺めようと国道32号線を北上し

吉野川沿いに徳島市まで移動したものの

結局そのままフェリーで和歌山に渡って奈良まで戻ってしまいました。

 

この時、酷道439への分岐点があり

いつか必ず踏破するぞと改めて心に誓いましたとさ

 

 

それにしてもここ10年ほどの期間の

それも四国だけでこんな感じ

 

浮き草稼業のヤクザな人生だったんだなぁと再認識

 

でもよくよく見なおしてみると

意味もないのにわざわざ四国に渡ったのだらけ

 

鹿は死ななきゃ治らない』そのものでした~

【続く】

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四国スルメの如し(その1:【2017年5月】ソロツーリングで”こころ旅”をトレース)

2023-11-21 17:46:07 | 旅行

このタイトル

要するに”嚙めば嚙むほど味が出る”ってことなんですけど

 

四国という土地

四国外住民のイメージでは

①讃岐うどん

②阿波踊り

③四万十川

④鳴門の渦潮

⑤四国八十八カ所霊場巡り

⑥高知のかつおのたたき”

⑦高知のよさこい祭り

⑧松山城

⑨金毘羅宮

⑩道後温泉本館

⑪桂浜の坂本龍馬

なんだとか

 

たしかに自分自身もほぼ同様で

1978年に運輸省航海訓練所の練習船で高知港に寄港した時に初上陸したことがあったり

2000年に入ってから家族旅行で大型キャンピングカーを借りて

明石海峡大橋と鳴門海峡大橋で淡路島経由で四国に渡り

金毘羅さん、丸亀周辺で讃岐うどんの食べ歩き、大歩危小歩危を抜けて祖谷峡谷に

高知に入り、路面電車に乗ったり皿鉢料理を食べたりしたこともあったのですが

 

その後は、出張で坂出、高松、観音寺、丸亀、新居浜、今治、八幡浜、宇和島と瀬戸内海や沿岸ばかり

 

そんな風に四国に行く機会があっても

高知まで行くのはアクセスが不便だし面倒だなと

せいぜい松山の道後温泉や徳島市内の眉山周辺を歩くくらいでお茶を濁してたところ

 

80年代を過ごしたトンガ王国でともに過ごした人が

大阪の水族館海遊館の飼育課長を経て故郷の土佐清水に戻り

海遊館の施設でジンベエザメを捕獲して飼育しているのをテレビ番組でみつけ

 

2017年のGWを利用して突然訪れて驚かしてやろうと

バイクで早朝(?)3時前に家を出て

京奈和道をひた走り、和歌山からフェリーで徳島に渡り

先ずは火野正平さんのにっぽん縦断こころ旅で紹介された地を巡ろうと

こころ旅607日目の黒潮町に向かい

還暦前のジーサンなのに正平さんを真似て滑り台

その後 立ち寄った喫茶店で同じオムライスを食べ

(田舎の小さな漁港の喫茶店のこと、風変わりな客だったようで根掘り葉掘り尋ねられました

606日目で高所恐怖症の正平さんが断念してヒッチハイクして渡った四万十川の橋を渡り

お手紙の神社を訪れて

 

大酒飲みだった知人と再会を祝して痛飲しようと時間調整しながら

ようやく土佐清水の海遊館の施設に辿り着いたものの

勝手に約35年ぶりの再会を楽しみにしていたけど

年齢ではひと回り上

体調不良とかでとうとう会うことができず

 

突然のGW終盤の旅立ちで宿を予約することができず

もしものためにテントも持参していたのですが

その夜は大雨との予報で怖れをなし、近くのボロボロの安宿をみつけチェックイン

 

折角鰹で有名な土佐清水まで来たことだしと

地元の食堂で カツオのたたきとハランボの塩焼きを堪能

とうとう知人との再会ができなかったなぁと寂しい気分だったのですが

高知の方言 『たっすいがはいかん(弱々しい、そんな元気ないようじゃ駄目だ!)』の看板に元気をもらい

宿でその日の行程を見直し

 

それならそのまま大好きな”にっぽん縦断こころ旅”をトレースを楽しもうと

 

2017年春の旅初日のお手紙を読んでいた足摺岬の絶景を堪能してから

火野正平さんが立ち寄ってた店で朝食を摂り

605日目の深谷に向かい

スリップしそうな落ち葉だらけの道を走ってから

Google Mapsで山奥の四万十川沿いの小学校への経路を検索し

そのルートに沿ってバイクを走らせたところ

 

大型のアメリカンバイクには不向きなガードレールのない落ち葉だらけの

それはそれは恐ろしい道

 

実は知らずに走ってたのが酷道として名高い国道439号線(ヨサク)の杓子峠だったのですが

酷道険道マニアでもハラハラの連続


Googleでのルート検索には注意してくださいね。

 

その後608日目の出発点

こころ手紙を読んでいた予讃線の駅に立ち寄り

四万十川の沈下橋を眺めてから

またまた火野正平さんが食べてたカレーうどんを味わってから

こころの風景である 

”川をせき止めて造ったプールの跡”を眺めながら感慨に耽り

その後 県境を越えて愛媛県に入り

609日目の 鬼北町 ”愛治小学校の校庭の楠”を訪ね

その回でとても印象に残った正平さんに異様に懐いてた猫を探したのですが・・・

残念ながらみつからず

学校もお休みで門が閉まっていたため

柵の外から楠を眺め

その日の旅で苦しんでた上り坂を眺めたり

宇和島から輪行した予讃線で下車した駅に立ち寄り

この時すでに時刻は夕刻迫る土曜日の16:50

 

月曜からGWで溜まってるだろう仕事を処理するために

翌日には奈良の自宅に戻らなければと思いつつ

ソロツーリングでそこそこ疲れたていたのと

『さて、また陸路で和歌山まで戻るのは辛いなぁ』と

東予からのオレンジフェリーにダメ元で電話してみると

 

大部屋なら一人分の空きが出たとのことで

宇和島近くから高速にのり急いで東予に向かったのですが・・・

 

実は酷道や田舎道だらけで給油ができず

燃料タンクの残量が不安に思いつつ

リザーブになってから適当に高速のSAで入れたらいいやと思っていたら

S.A.がなく とうとう終点の今治IC手前でガス欠

 

運よく少し先から料金所まで下り道だったので

バイクに跨いだまま足で蹴りながら料金所を通過して一般道に出て

JAFを呼んで緊急給油

 

鬼北町からフェリー埠頭のある東予へは

小松北ICから向かえば途中でガソリンスタンドもあるのですが

 

実はその1週間前に、こころ旅のトレースで見つけられなかなった

正平さん達がカレーを食べてた店に立ち寄って夕食にしようと欲張ったのが裏目になっちゃいました

 

それでも なんとかフェリーの出航時刻に間に合わせることができ

一人で祝杯

 

疲れもあって、満席で大混雑してたのでお風呂に入らず

そのまま大部屋のマットレスに寝転がり早々と熟睡してしまったのですが

夜中に目覚めると 目の前に知らないオッサンの顔

 

これは耐えられないなと、(相手もそう思ってただろうなと思いつつ

結局大阪南港到着まで展望デッキで過ごすこととなりました

 

時系列でこの時の旅をご説明すると

【1日目:5月5日(金)】

02:40 自宅発

03:50 京奈和道 かつらぎ町道の駅(休憩)

04:30 和歌山南海フェリー乗り場

05:30 和歌山港発

07:30 徳島港着

07:55 眉山下

10:30 南国で給油

12:30 四万十町大規模公園着

13:05 すべり台

13:30 喫茶スカイ(オムライス)

14:30 海のバザール(こころの風景)

15:00 薫的神社

15:20 四万十川橋(赤橋)

15:45 四万十川海苔養殖場

16:12 以布利(海遊館ジンベイザメ飼育施設)

16:45 土佐清水港(泊)

【2日目5月6日(土)】

08:00 ホテル発(驟雨で足止め)

08:40 足摺岬(~09:30)

09:55 こころ旅も立ち寄った海鮮館でモーニングセット

11:00 布

11:15 深谷(こころの風景)

12:00 四万十天神橋

12:30 住次郎

12:35 酷道439入口

13:00 杓子峠

13:30 予讃線打井川駅

14:05 十川鯉のぼり

14:30 江川崎道の駅(カレーうどん)

15:20 プール

16:20 愛治小学校(校庭の楠)

16:50 予讃線大内駅

18:45 今治インター(ガス欠)

20:00 フェリー乗船

21:30 船内レストランで夕食&一人打ち上げ

 

【3日目 5月7日(日)】

06:40 下船(大阪南港フェリーターミナル)

07:20 自宅着

 

この時に至る所でみかけたのが

四国八十八カ所霊場巡りの”歩きお遍路さん”

 

特に足摺岬にある第38番札所の金剛福寺

手前の37番札所からは歩いて数日かかる距離

 

黙々と修行のように歩くお遍路さん達の姿が忘れられない旅となりましたねぇ

 

 

【その2に続く】

 

 

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やっぱ貝が好き♪ 

2023-10-13 17:40:12 | グルメ

4日前のスポーツの日

前日の日曜日に姪の結婚式のため日帰りで東京を往復して疲れ果て

することなくTVをつけてみたものの

全く興味をひく番組がなく

仕方なくBSにチャンネルを変えたところ

偶然オランダとムール貝の養殖風景が目に飛び込んできて

ついつい釘付けに

 

(たぶん”グランド・グルメ ヨーロッパ食材紀行「冬の海の味覚・ムール貝~オランダ」”って再放送番組)

(オランダ🇳🇱のムール貝についてご参考まで)

https://www.aoitori.be/restaurant/ingredients/moules-mussels.html

 

5ケ月前の欧州😫訪問時はまだムール貝が食べられる時期となっていなかったため

とうとう大好きなムール貝の白ワイン蒸しを食べることができず

心残りだったのを思い出し🤔

 

ここ数日、頭の中はムール貝&貝類でいっぱい😆(笑)

 

子供の頃は、生まれ故郷が全国でも浅蜊の生産量トップの三河湾沿岸の豊橋とあって

割烹着にモンペ姿、手拭いをあねさん被りしたオバチャンが行商していて

声をかけると家の軒先に座り込み、金属のヘラで器用に剥き身にして

空き缶一杯いくらで気軽に買えたお土地柄

 

味噌汁や澄まし汁、まぜご飯の具など

しょっちゅう口にいれて育ったからか貝が大好き

 

その後、中学卒業してから二十歳まで伊勢志摩の鳥羽で学生時代を送ったため

飲み屋に行ったら突き出しが磯のちいさな巻貝だったり

サザエや大浅蜊が定番のアテの一品

居酒屋でアルバイトしてた事もあって

年がら年中食べてましたねぇ☺️

(さすがに、高級なアワビはめったに食べられませんでしたが)


 

更に社会人となった後も24歳からは南太平洋の孤島で約5年過ごし

海辺のマーケットではバケツ一杯の浅蜊や赤貝がたったのT$1(当時約200円)で買うことができ

更に週末の楽しみと言えばサンゴの海でのスキューバダイビングだったので

サザエや高瀬貝を山ほど獲って庭先でBBQ

たぶん普通の人の一生分以上のサザエの壺焼き食べただろうなぁ😅

(当時は地元ではあまり食べられていなかったので獲り放題でした)


その後もフィリピン🇵🇭へ2年派遣され

派遣期間が終わってからも

出張や現地の友達達と会う為に

頻繁に訪れていて

現地ではTahongと呼ぶ

ムール貝を食べるのが楽しみのひとつ😍

 

すっかり貝に魅了されちゃった人生となりました。🤣


それではデジカメ📷の画像に残ってる

ここ数年間に食べた貝を思い出しながらご紹介させていただきますね。🙇‍♂️

 

今から丁度10年前の2013年10月

ヨーロッパを訪れたことのなかったチャンカーを連れて欧州旅行した時のこと

ドイツのミュンヘン、オーストリアのインスブルック、イタリアはベニス、ミラノを訪問し

ビールにソーセージ、肉料理やイタ飯が続き


そろそろ魚介類が食べたいなぁと

イタリアから鉄路でフランス側国境の町Mentonに移り

旧市街のマルシェにあるレストランにて久しぶりのSea Food

生牡蠣に

ムール貝の白ワイン蒸し

翌日は、フレンチリビエラ歩きのためにRoquebrune-Cap-Martinの宿に移動してたのに

前日の生牡蠣とムール貝の味が忘れられず

夜わざわざバスでMentonに向かいビーチ沿いのレストランに入ったのですが

横柄な店員に美味しくない生牡蠣にガッカリ😭

 

その後はプロバンス鉄道に乗る前にNiceの町に立ち寄り

Sea Foodマルシェを眺めながら

またまたリベンジにと生牡蠣をハーフダズン注文😤

そしてムール貝たっぷりのペスカトーレも👍

 

プロバンス周遊後、またまたSea Foodを堪能しようとMarseilleに出て

港沿いのレストランに入り

ブイヤベースとムール貝の蒸し料理を注文したのですが・・・

観光客目当ての店だったからか

やっぱりMentonのSea Foodが最高でした🤔

翌日、港の朝市を眺めながら

やっぱりローカルの人で賑わう店を探さないといけないな🥴と痛感

この時の旅は

その後ミュンヘンに戻ってしまったので

貝料理もおしまい🙅‍♂️

まあ、短期間にあれだけ貝食べたので

もう気分は充分でした😅

 

続いてみつけた画像は、2018年7月中旬

オランダRotterdamのフローティングホテル

S/S Rotterdamで現地の取引先との会食

さすがはオランダ、牡蠣とムール貝養殖の本場ゼーラント海産の

それももっとも肥えた7月中旬とあって

最高に美味しかったですねぇ🥰

同じ2018年7月

Rotterdamからフェリーで英国に渡り

ScotlandのIsle of Skyeでトレッキングを楽しんだ時の宿

またまたRotterdamのムール貝の味が忘れられず

ムール貝料理をサイドメニューで注文したのですが・・・

正直不味かった~😫

 

2018年9月

息子を連れて欧州を訪問した際、パリから夜行寝台列車で向かった

ピレネー山脈の地中海側スペイン国境の町Portbou

荷物をホテルに放り込んでバルに直行💨

またまた大好きなムール貝を注文

エビのアヒージョに鰯の塩焼きとともに

セルベッサとワインで堪能☺️

田舎の雰囲気がとても心地よくて

またいつか再訪したいなぁ🤭

と夢みてるんですよ❣️


お勧めの土地でした。😆😆😆



↓ これはどこで食べたのか不明(蒸し牡蠣)😆

 

2019年4月

Canada Vancouverで訪れた そこそこ星のレーティングが高かったレストランで

 

クラムチャウダーと

ムール貝を注文

残念ながら、ここも不味かった~😥

(イギリス系で美味しい食事を期待しちゃダメですね)🤷‍♂️

 

こちらは、2020年1月

新型コロナが蔓延する直前

ベルギーのBrusselで

ビールとエスカルゴを食べようと入ったBAR

メニューにエスカルゴとあったので期待してたのですが😌

中身は噛み応えといい味といい、たぶん小ぶりなツブ貝

エスカルゴにしては安いなあと思ったとおりでした

 

 

これはつい半年前の2023年5月に訪れた

Portuguese Faroの人気Sea Food Restaurant

マテ貝と亀の手を期待したのですが在庫なく

生牡蠣と浅蜊と赤貝風の二枚貝のバター蒸しを注文🤤

牡蠣は見栄えが悪いし

二枚貝はまあ普通

この店で一番美味しかったのが パンと付け合わせのトマトサラダでした🤣

 

 

同じ日の夕食

Trip Advisorで最も星のレーティングが高かったこの店

待望のマテ貝と

アサリも入ったSea Foodリゾットを注文してみましたが

味は『まあそんなもんかな』って感じ

 

続いて同じ旅で訪れた

Spain Cudillero

ヨーロッパで一番高級と言われる亀の手を食べてみましたが・・・


たしかこれで日本円にして約5,000円😲

日本で食べた方が安くて美味しいかも

続いてSea Food Plateを注文してみたのですが・・・

たぶん全て冷凍もの

 

亀の手をみつけて大喜びした魚屋で

店先に置いてあった生物を注文するんだったなと

勉強させていただきました。

 

ところ変わって

日本国内編

 

2017年6月

大阪京橋の人気立ち飲み屋にて 蛤の潮汁 

特にコメントなし

 

2016年2月

暴風雪警報下で日本海が大荒れとなった日に訪れた東尋坊で

帰路波飛沫でびしょ濡れとなった身体を温めようと立ち寄った温泉♨️で食べたカキフライ

不釣り合いな熱燗でしたが美味しかった~

次にみつけた画像が

伊良湖岬の恋路が浜を訪れると必ず食べる焼き大アサリ

 ビール🍺との相性抜群👏


続いてみつけたのが 

一時期 そこらじゅうにあった 

かき小屋フィーバーボーボーアフロなる牡蠣食べ放題の店

食べ放題といいながら

途中で産地を変えるんですよ🥴

広島産から相生産だったかな❓🤔


追加分が不味いのと、同じ味に飽きてしまい

 結局割高なんだと学習しました。

 

こちらは、博多に出張した時に一人酒によく利用していた

居酒屋やぶれかぶれでサザエのつぼ焼き

芋ロックとの相性抜群でした


こちらは、石垣島の居酒屋の刺し盛り

シャコ貝は器だけだったかな❓🤔

シャコガイの刺身は

南太平洋時代によく食べましたが

そんなに美味しい貝じゃなかったですねえ🤪

 

ボーボーアフロの翌年

伊勢神宮へ初詣に行ったついでに懲りずに立ち寄った

鳥羽浦村の牡蠣食べ放題の店

20個ほど食べたらもう充分😌 

意地になって食べるものじゃないなと ようやく悟りました。

 

その昔は、伊勢志摩地区の貝問屋

ホリグチさざえ店があって

二見ケ浦の国道沿いに

”貝道楽”という名前の店を営業していて

大アサリ、色鮮やかなアッパ貝、

牡蠣にサザエ、伊勢海老かアワビを載せた大皿の

山盛りの貝を堪能できたんですが

いつしか閉店してしまいました。。。

 

また営業しないかな~

(ネットで調べてみたら別の場所で貝の卸売りと食堂しているようです💦) 

 

おっと、こんな記事書いてたもんだから

更に貝が食べたくなってしまいました~

ムール貝はやっぱりヨーロッパ行くまで我慢して

とりあえず、

豊橋のサンヨネか大紀水産でサザエ買ってつぼ焼き食べよかな

 

 

【附録】

鳥羽で学生時代を送っていた昭和40年代後半

伊勢志摩はお伊勢参りを兼ねて団体バスの行楽客が訪れる土地で

鳥羽の歓楽街には地元の漁師のオバチャンホステスしかいない場末のバーやクラブだらけ

的矢湾には売春島(渡鹿野島)があり

浜島は花電車が有名なお座敷ストリップ

鳥羽の中心地には国際秘宝館までできるし

当時はそんな歓楽街だらけでしたよね🤣


 

そんな土地柄だったからか

鳥羽駅前には焼き貝を食べさせる店が並び

露天で活きた貝を売る漁師のオバハン達がいたのですが


我々若い学生をみつけると

『ニイチャン、これ見てみ!(ニタリ貝を指しながら)』

『アソコそっくりやろ?』とからかわれたものでした。

 

オバハンのアソコしか想像できなくて

げんなりさせられたものでした。

 

いずれにしても、おおらかな(?)時代でしたよね~

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”失敗は成功の基”【田圃で蕎麦栽培】2年目の挑戦!

2023-10-02 16:51:12 | ハンマーナイフ&草刈り

このブログで何度も記事にさせていただいておりますが

 

ここ十数年

頭の中は、耕作放棄地や農地山林の草刈りのことばかり

 

コロナ禍となって外出や行動が制限されたのをキッカケに

生産性のないハンマーナイフでの草刈りから脱却しようと稲作に挑戦し

その後も継続して米作りを続けているものの

 

離れた農地の2反はどこよりも早く田植えをしてしまったため

出穂から登熟が周辺よりも早すぎて雀の餌場と化して1度で断念

(あと、あまりキレイとは言えない川からの水も諦めた原因

 

継続して稲作できてるのは山からの地下水が使える棚田の約1反だけ

 

ただ、稲作は田起こしや耕耘、代掻きなどの作業があるものの

野菜作りと比べたらさほど手がかからず

苗を植え、その後は早朝に起きて水管理しながら日々育ってゆく様子を観察するのも楽しく

バインダーでの稲刈りと天日干し、脱穀が大変だと思いつつ

身体が動く限り続けていく決意なのですが

 

雀の餌場となった農地他

何かいい使い道はないかとネットサーフィンしていたところ

 

蕎麦の栽培が目に留まり

なにやら蕎麦は成長が早く雑草の抑制になるとか

蕎麦自体も健康にも良い食物であることを再認識し

 

数年まえにユンボで開墾し

一昨年はもち麦を栽培した農地で蕎麦栽培に挑戦してみようと決め

 

2022年8月末

もち麦の種を購入してからお気に入りの

京都山科の一燈園(のうけん)に電話して

蕎麦の種を約1反分(4キロ)申し込み

 

9月8日

のうけんへ引き取りに

 

 

9月15日

なんせお尻に火がつかないと動かない性分なので

種を引き取ってからようやく農地の耕耘開始

トラクターでプラウかけして

栽培の資料に蕎麦は水気を嫌うと書いてあったので

両培土を使って

溝を掘り

 

土が乾いてからゴンベーで蕎麦の播種

 

秋雨の時期だったので雨が降って水遣りしなくてもいいなと喜んでいたのですが

元々が田圃だった土地のため水捌けが悪く

雨が降ると水溜まりができ、なかなか乾いてくれず

ようやく発芽してくれたのはほんの一部だけ

10月19日

種まきから約1月後

ようやく開花してくれたのですが

やはり元気に育っているのは乾いた畝のほんの一部だけ

秋となって虫も少ないのかなかなか結実してくれず

11月24日

播種から約2月後

蕎麦は収穫まで75日と聞いていたので様子見していたところ

一部は枯れ、一部はまだ花のまま

その後、出張や狩猟の猟期が始まってアタフタしていたところ

気が付いたらすでに種も落ちてしまい。収穫ゼロ

 

せめて蕎麦がき一口でも食べたかったなぁ

後悔しきりでございました。

 

 

そして2023年を迎え冬を越し

今年はリベンジだぞ と意気込んでいたのですが・・・

 

 

酷暑続きで7・8月は草刈りするだけで命懸け

7月末には農地をプラウがけして準備しようと思っていたのに

種を申し込んだのが9月のはじめ

 

もう時期を過ぎたと言われつつ 種を注文して引き取りに行ったのが

9月15日

奇しくも阪神がリーグ優勝した翌日となりました

前年同様、蕎麦の種4キロともち麦(ダイシモチ)5キロ

リュックサックに詰め込んで

素直に京阪京津線の四ノ宮から電車で帰ろうと思ってたのに

琵琶湖疏水を眺めていたらあまりに勿体ないなと

この日も琵琶湖疏水沿いを歩いてみることに

 

途中で猪(たぶんウリ坊)がミミズを探した跡を発見!

相当小ぶりでしたが、豚熱でほぼ絶滅してたと思ったのにしっかり復活してる様子。

自然界って凄いですねぇ。

のうけんから約40分で天智天皇陵

天智天皇って中大兄皇子(大化の改新の時に中臣鎌足と共謀した人物)

いろいろ思うところあって うぅ~ん と唸りながら通過

疏水沿いの遊歩道はここまで

蹴上に抜けるトンネルを眺めながら

京津線と京都地下鉄の御陵駅に向かい

地下鉄東西線に乗車

(昔は三条から蹴上を抜けて路面電車だった部分)

三条で下車して四条まで歩き

南座でネット購入していたチケットを発券して

木屋町の宝くじ売り場でロト7を買おうと四条大橋を渡り

京阪四条駅に戻って丹波橋で乗り換えて奈良に戻りましたが

歩行距離7.5キロながら10キロほどの種を背負って37℃超えで

全身汗でビッショリとなりました。 暑かった~

 

種を申し込んだ9月9日

蕎麦を栽培予定の農地は

一月前にトラクターで耕起してあったのにこの有様

とりあえず、彼岸花を愛でたいと刈払い機で土手の草を刈り

翌日の9月10日

トラクターで鋤込むには雑草が成長しすぎてるなと

ハンマーナイフを投入

約1時間半で刈り込んで

その後雨が降ってしまい

ぬかるんだ状態ではどうしようもないなと様子見していたのですが

種が届いたとの連絡を受け

9月14日

トラクター投入

水分たっぷりで代掻きみたいな状態でしたがなんとか均し

9月17日

これ以上種播きが遅くなるのを避けたいと

緩い土壌のまま両培土で高畝に

9月20日

翌日は大雨との予報に大慌てしながら

なんとか表面が乾いているのを確認して

ゴンベーで種が播けるようにとミニ耕運機で畝の上をプラウがけ

畝から落ちたりぬかるみにハマったりと相当苦労させられながらも

なんとか4キロの種を播いたのですが・・・

翌日は予報通りの大雨

水捌けが悪く畝の上まで水に浸かりそうな様子を見て

焦って鍬で水路を作ったのですが

なんせ元田圃で泥土なのでこれも半端ないほどの重労働

それでもそこそこ水が抜けてくれてホッとしました

9月24日

種播きから僅か4日

しっかり発芽してくれました

10月2日

 





昨年の失敗から学習しなけりゃいけないのに

今年もやっぱり準備不足でどれだけ収穫できるかまだわかりませんが

後日またその後の様子をご報告させていただきたいと思っております。

 

そこそこ収穫できたらはじめは石臼を買って蕎麦粉にして

蕎麦がきにして、その後はもしかしたら蕎麦打ちして田舎蕎麦で食し

いずれは皮むき機を手に入れて

ロシア風カーシャ(蕎麦粥)にして朝食にするつもり

 

いつか我が家で友人達を呼んで蕎麦を振る舞えたら最高だろうなぁ

 

いつも夢ばっかで計画倒れが常態化しておりますが

なにはともあれ”失敗は成功の基”

来年こそは、どんなに暑くても7月中にしっかりと耕耘してサラサラの土にしてから種を播き

10月には収穫できるようにしようと固く決意したのであります。

 

さて、どうなることやら

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"終活”渡航歴から我が人生を振り返る【その④2013年~2018年9月】

2023-08-02 17:48:21 | 日記

2012年12月

 

しつこくシンガポールに来てくれとの要望にしぶしぶ応じ

その会社を訪れてみたところ

 

準備万端で迎え入れられ

ドイツの会社で当時は世界トップシェアの製品

(IMO:国連世界海事機構によって義務付けられているエンジンの保護装置)

日本市場にも万単位のユーザーがいて

〇菱重工、川〇重工、〇井造船、〇立造船、(IH〇)J〇U、〇潟原動機、〇阪鉄工所、〇ンマー、阪〇内燃機

その他ほぼ日本の全てのエンジンメーカーに納入され

船の隻数にして数千隻に取り付けられているもので

その代理店を引き継いで欲しいとのこと

詳しく事情を聴くと

どうやら既存の日本の代理店がメーカーの言うことを聞かず

扱いに困って私に頼ってきた様子

ところがその代理店は素直に権利を渡すつもりはないらしく

どうにもひと悶着ありそうな予感

 

火中の栗を拾ってもいいものかと相当悩み

ウチみたいな弱小会社には荷が重いと断ったのに

 

平身低頭でそれこそ床に額を擦りつけるようにお願いされ

「じゃあ、とりあえずやってみるか」と引き受けたのですが・・・

 

ユーザーや顧客の大会社に「無理やり奪われた」とか「あんな小さな会社を相手にできますか」と

そこらじゅうでさんざん悪口を吹き込まれ

そのうえなかなか権利を手放そうとせず

抱えていた在庫を売り切ろうとユーザーも連絡もしてこない状況が続き

 

それならばとそれまでの海外での技術派遣で様子見していたところ

メーカーから仕入れることができなくなって

ようやくボチボチと引き合いを受けるようになったのですが

 

生き馬の目を抜くような業界のこと

機会を窺っていた競合が 

破格の値段でオファーするようになったのですが

 

ドイツのメーカー側は、製品の品質はウチが一番

だから一度取られてもいずれ戻ってくると高を括り

市場の動きを報告してたのに全く聞く耳を持たなかったため

 

前の代理店の嫌がらせもあって、シェアを競合にとってかわられ

それまで年間100台以上の販売があったのに

それ以降は、競合の機器が設置できないエンジンのみとなってしまい

年間わずか十数台にまで落ち込む始末

 

元々ドイツ製で価格も日本製よりも高かったのを

無理やりダンピングして販売していたこともあって

新製品の販売ではほとんど利益が得られなかったので

 

それならアフターサービスを充実しようと

造船所に入渠している間や、荷役で港に寄港している間に

その機器の保守整備を請け負うことに集中しようと方針を決めたのですが・・・

 

その間の渡航歴は

2012年

Philippineでの講師が7回

USA (Philadelphia)が4回

Mexicoでの乗船工事の後

12月2~6日 Singaporeで前述の商談

12月8~25日 Turkey、Istanbulの造船所

12月27~31日 Philippine、Subicの造船所で工事

2013年

1月22~27日 Philippine、Subicの造船所で工事

2月7~12日 Singaporeで船の事故調査

3月16~25日 Finland人とPhilippineへ市場調査

4月5~12日 Canada, Quebecで船の工事

4月28~31日 中国蛇口(深圳)の造船所で事故調査

5月3~11日 Panamaから乗船してColombiaで下船

5月19~24日 Singaporeで研修と打合せ

7月5~23日 Panamaから乗船してUS テキサスで下船

8月 NYから乗船してPanama運河を通過して下船(乗船調査工事)

9月4~7日 韓国 巨済島で海上試運転立ち合い

10月1~10日 家内を連れて欧州4ケ国訪問

11月12~12月2日 US Philadelphiaの造船所で仕事

12月15~20日 韓国の造船所で試運転立ち合い

(この年は日本国内も会社訪問などで出張の連続でした)

2014年

1月13~18日 Russia Vladivostokの親友に会いに

2月10~13日 Singaporeで打合せ

3月18~21日 Singapore 海事博覧会に招待され訪問

 

この四半期だけで機器の整備で岩国、富士、千葉、横浜x3、田原、米子、敦賀、博多に出張

年明けになっていよいよそのドイツ製品の仕事が増えだして

出稼ぎもしていられないなとわかり 

1月6日にハローワークで事務員の求人を出し応募してきた中で

ハローワークを介さずに直接履歴書を送ってきてちょっとおかしいなと思いつつ

英語力もそこそこありそうで使えそうかなと選んだ人間が  

実はパートタイムの現職を持っていたため

ウチで勤務できると言う4月1日まで待つことにしたのですが

 

3月には実はもう多忙を極めるようになっていたので

要望どおりに採用辞令から就業規則その他もろもろの書類を渡していたのに

その後何の連絡もしてこず大丈夫かな?と心配になりメールを送ってみると 

しばらくしてようやく返信

 

そうしてようやく4月1日から事務員を正社員として雇い

極力海外出張を減らして新規事業に取り組むこととなり

4月以降は

因島、豊橋、高石、東京(海事博覧会)、泉大津、尾道、横浜、尾道、八幡浜

泉大津、水島、横浜、今治、敦賀、博多、呉、因島、呉、横浜、横浜、水島、

柳井、横浜、横浜、東京、四日市、知多、横浜、相生、明石、焼津、太田、

神戸、玉野、有明と国内を飛び回り

 

海外は

6月にSingaporeで打合せ5日

8月がPhilippineでの講師15日

9月にはドイツでの海事博覧会とスイス訪問で9日

11月にまたまたSingaporeで打合せ5日

と国内と海外が逆転した日々を送ることとなりました。

 

新しく我が社のスタッフとなった事務員は

高校を卒業してからワーキングホリデーでNZに数か月滞在した後は

保険の外交員や人材派遣で工業系の会社で事務補助をしていたものの

42歳になるまでずっと社会経験は契約かパートタイムのみ

 

そこそこ最低基準の仕事はしてくれたものの

意識は長年のパートタイムで培われた精神(?)が染みつき

朝は9時ギリギリまで駐車場の車の中でテレビを観てから事務所に走り込み

お昼は12時前からランチの準備をして13時のチャイムがなるまで休憩室から出てこず

退社時間にはその前から準備をして18時ピッタリにタイムカードを押しての”ベルさっさ”

小学生と中学生の子供がいたため三者面談等で中抜けが日常茶飯事で

子供がインフルエンザに罹ったら看病だと何日もお休み

 

それらの中抜け時間を有給休暇から合算した時間を差し引くと

雇用条件に「育児支援制度あり」とあったと主張するわ

(どうやら育児支援とは有給で好きなだけ休んでもいいと思い込んでた様子

 

なにか仕事でミスをすると

自分は指示されていないと責任逃れの言い訳だらけ

 

そのうえ、そそっかしい性格で

ミスや無駄な注文で事務所経費も嵩むばかり

 

こちらが出張して不在になると電話を転送に切り替えて

無断外出や中抜け時間を申告せずに延長

 

たまに仕事のキリが悪く10分、15分残業しただけなのに

時間外を要求するなどビックリすることだらけ

 

なんせ奈良は大阪のベッドタウンで優秀な人材は都会に出る土地のこと

 

仲良しの知人にそんな愚痴をこぼすと

『ワンマンなあなたの下で働いてくれてるんだからある程度我慢しなきゃ

と言われ そうなのかなぁ と溜息をつきながら雇っていたのですが

 

たまに飲みにケーション代わりにとランチに誘い

雑談をしてみると

入社前の面談では『正社員になりたくて応募した』と言ってたのに

『3年以上同じところで働いたことがないし長年働きたくない』

『過去の職場とは一切連絡を取らないしそのたびに連絡の来ないように携帯を変える』

などなど耳を疑うようなことばかり

 

英語力も見積もりを依頼したりと基本的なコレポンはできるものの

渉外的な会話は勿論英文にすることもできず

「私にはそんな能力ありません。社長がしてください」と拒絶され

 

仕事のミスを注意すると目を三角にして反論してくる始末

これは大変な人間を雇ってしまったなぁ。。。と後悔してたのですが

 

エクセルが得意だというので

手取り足取りで業務のマニュアルや

受注や在庫管理などなどデータベースでの情報の共有ファイルを作らせ

 

仕事もそれなりに安定して順調に会社経営ができるようになったなと

友人の奥さんが中東系の航空会社で働いていて 

格安で航空券が買えるよと言ってくれていたので

久しぶりにタンザニアとイランの友人を訪ねようと

2018年1月の末にビザ申請のために大阪に出て帰社してみると

 

突然「今年度末で退職させてもらえますか」と言われビックリ仰天

「これまで3年以上同じ仕事をしたことないのに4年もいたんですよ」

と恩着せがましくのたまう始末

 

タンザニアとイランに行く気満々だったので二の句が継げず

「ちょっと待って」と答えてから自室に戻り

冷静になって考えてみると

『一度退職する気になってたらもう継続は無理だな』

『どうやって辞めてもらおうかと思ってたんだから良かったんじゃない』と思い直し

 

「年度末と言わず来月の2月末でいいですよ」と伝え

「日常業務はもうしなくていいから、自分がしてきた業務のマニュアルを作ってください」と指示して

求人のためにハローワークへ走りました。

 

この彼女、退職したあとでパソコンのデータを調べてみると

どうやら仕事をサボりながら次の仕事を探したり

次の仕事の勉強をしたり 履歴書用の画像をとったり 家族の動画を編集したり

好き勝手していたのがわかり

その上、何の目的だったのかどうやらオフィス内に盗聴器を仕掛けていた様子

 

こんな人間を長年雇ってたとは

辞めてくれて良かった~ と胸を撫で下ろしました。

 

 

その後、ハローワークの担当者から何度かの電話での問い合わせと

履歴書が送られてきて、何人かと面談をしたものの

苦い前例を思い出して安易に雇ってはダメと

 

とりあえず英文科卒の人にパートタイムでお願いして

4月にまた東京で海事博覧会があって出展する準備をしていたこともあって

適性のある人材がいないかと探し続けていたところ

 

年齢30代後半、生まれは瀬戸内で父親が国内フェリーの船長

本人も小型船舶1級を持っている既婚者で

それまで県庁で部長秘書をしていたとの経歴から

船の事や海運業界のことも知ってるなら適任かもと

英語はフォーマットをつくってこちらがサポートしたらなんとかなるだろ 

と とりあえず試用期間付きで採用したのですが

 

人格は癒し系で良かったものの

事務処理能力はほとんどゼロ

 

指示した仕事は内容が理解できないのか手を付けることもできず

いつまでたってもやり遂げられず

「できないならできないと言ってね」と諭しても同じことの繰り返し

 

『これはどう考えても無理だな』と悟り

「ウチの仕事をしてもらうのは無理だと思う」と伝えると素直に納得

 

またまたハローワークに走り

求人をお願いしたものの

 

『奈良でいい人材なんかいないかも』と半ば諦めの気持ちが勝ってしまいました。

 

運が良かったのか

1月からそれまでの間は

 

2月に常石x2のみ(タンザニアとイラン行を計画していたため)

3月がVienam経由でSingaporeの海事博覧会と尾道、焼津

4月に神戸、東京(海事博覧会)、知多、富士

 

5月 常石、横浜本牧、富士、東京、太田、常石、尾道、水島

6月 Philippine4日、富士

7月横浜本牧、RotterdamからScotland、富士

 

8月 横浜本牧x2

 

と出張する用事が少なくなっていたため求人にも注視できたのですが

 

ドイツ人と結婚し欧州で暮らしていた離婚歴のある女性からの応募があり

ドイツ語もできるし英語も堪能、ヨーロッパ人に慣れてるしこれは適材かもと思いつつ

シングルマザーだと責任が重いなと悩んでいたところ

 

近隣に住む英語が堪能な既婚者で性格のとても良さそうな人がみつかり

 

『よし、彼女に決めよう』

『もしもダメだったら還暦になったことだし、業務をどこかに移譲して会社をたたもう』

と開き直り

 

実は彼女の雇い入れ日である9月1日から

子供の頃から厳しくあたってしまったこともあって疎遠になっていた次男を

家族の中では最後となった欧州への9日間の旅に誘っていたため

 

せめて基本的なブリーフィングしておこうと

8月30日から出勤して欲しいとお願いすると快諾してくれ

 

「何かあったらいつでも電話でもメールでもくださいね」

とお願いして欧州に向けて飛び立ち

 

会社のことも心配で何度か電話をかけては様子伺いして

予定の9日目に帰国して出社したところ

 

しっかりと業務を教えていないしとりあえずメール&電話番してくれてたら十分と思っていたのに

過去のファイルやメールのほぼ全てを読み込んで学習し

すっかり理解していてビックリ仰天

 

 

彼女こそ、我が社設立以来の最高の幸運の女神だったのでした

 

 

【その⑤に続く】

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