『日蓮正宗と戦争責任』について
[この手紙は平成3年5月23日付けの早瀬住職から私宛の手紙に対する返書である。A4用紙に34枚という長文の手紙となっているが、その中の一文に、この『日蓮正宗と戦争責任』の部分がある。この問題は日蓮正宗の教義に関わる問題であり、あえて一覧を設けて掲載させていただいた。
この平成3年8月15日付けの手紙の最後は、『尚今回、早瀬住職に送らさせていただいた手紙と同様の物を、手紙の中で触れた、正木青年部長、(新宿区)松田区男子部長、(群馬県)川浦総県長(その当時の役職)の三人の方々にも送っておきましたので、右、御報告しておきます。』で、結ばれており、この手紙も、日如が私に送った手紙同様、存在した事が証明できるものであると、宣言しておきます。
また、平成20年10月1日付けの内容証明郵便も、この存在を証明できる、手紙からの引用であり、今後、宗門が、日如から私に手紙を送った事実はないとか、私から手紙を受け取った事実はないなどと言えないという事を明記しておきます。]
日如が私に送ってきた手紙には
『一、次に、「創価新報」の対談記事を挙げて、戦争責任について宗門を非難しておりますが、「創価新報」の対談は某国のコラムニスト陸氏の記事を根拠にしています。その記事についての反論、「日蓮正宗と戦争責任」(これはその当時、宗門が作った小冊子であり、私だけでなく何人もの学会人が目にした小冊子と言えるものである)を同封いたしましたので、これも是非併せてお読み下さい。』 とあります。
これが戦争当時の僧侶の答えではなく、現、日蓮正宗管長の日如が寄越した手紙に同封されていたものであり、いかに日蓮正宗が大聖人様の精神を踏みにじっているか、それすらも、まったく理解できていないのが現、日如なのです。哀れなるかな、日如! 愚かなるかな、日如! 汝は日蓮大聖人様の仏法を破壊している謗法法主なのである。まだ、神札を受け取ったことを『現時点の我々から見てもやむないことであったし、その時においての適切な行動であったと信ずるのである。』と、未だに主張されるのであれば、私からの質問に答えていただきたい。
私から日如への質問書
次に日蓮正宗の戦争加担について早瀬住職より送られた「日蓮正宗と戦争責任」には『日蓮正宗の僧侶が、好んで「神札」を受け取ったわけでもなく、また実際に「神札」を祀ることもなかった。軍部にしたがっているように見せて、実質的には無視したのである。』とありました。つまり、神札は受け取ったが、祀らなかったと述べられている訳であります。また、『「神社参拝」の件も、お判りになるように、文部省が各宗教団体に通達してきた布告を、そのまま掲載したものである。宗務院のコメントとして、この通り忠実に実行せよとの言葉はあるが、これも政府の指示によるものであろう。』とあり、このことは宗門が神社参拝をしなさいとの布告をそのまま掲載した事実があった事を述べられ、神社参拝をすることを、この通り忠実に実行せよと宗務院のコメントが添えられていた事を記されている訳であります。そして最後に『これも政府の指示であろう。』と推測している訳であります。
そして更に、『実際問題として、日蓮正宗の僧侶は、日蓮大聖人より伝統として、神社参拝はしないのが教義であるから、このような通知によっても、実行はなされなかったであろう。』とあり、宗門が神社参拝をするようにとの政府の布告を、そのまま通知に掲載したが、『実行はなされなかったであろう』と推定されている訳であります。
そして日蓮正宗と戦争加担の結論として宗門は、
『結論として日蓮正宗の戦争加担は、国民一般の感覚以上に突出していたとはいえない。また、一切衆生救済の根本尊崇の大御本尊と、一切衆生の信仰を正しくするために、日蓮大聖人から伝えられた教義の秘伝を軍部の圧制と日蓮宗身延派等の野望によって破壊侵害されないために、表面上国策に従い、実際にはそれを無効にしたのである。
さらには、御本尊を護ることが、究極的に人類の幸福・世界平和のためであると信じての行動であった。また、現時点の我々から見てもやむないことであったし、その時においての適切な行動であったと信ずるのである。
抵抗活動は強硬であることが、必ずしも最善ではないであろう。』
とあり、『現時点の我々から見てもやむないことであった』と今日の御僧侶方も認められている訳であります。また、『その時においての適切な行動であったと信ずるのである』と戦争当時にとった宗門の行動を適切であったとの信条を述べられている訳であります。
さらに『至上の「法」を、軍部や身延派から守るために、やむなく行った妥協が、「神札」を受けることであった。決して軍部におもねったのでもなく、国家神道に賛同して喜んで受けたのでもない。一身を捨てることは大変なことかもしれないが「法」を守ることは、それ以上の大事である。』とあり、まさしく法を守るのは大切な事であります。依法不依人・身軽法重の言葉を取り上げるまでもありません。私は入信して5年目ですが、常々「御書に書いてない事をするのは謗法である」と教わってきました。また御書には謗法厳戒・不借身命という趣旨の言葉はいくつも記載されていますが、御本尊様を守るために神札を受け入れてよいという御文は、何という御書に書かれているのでしょうか。調べてみましたが見付かりませんので示してください。
まさか宗門が御書に書かれていない事をなさる筈がございません。大聖人様は、ことごとく経文上の証拠、すなわち文証を示して答えられ行動されております。これに対し、法然の「選択集」にしろ、親鸞の「歎異抄」にしろ、まったく経文によらず自分勝手な議論を立てていることは歴史の証明する処であります。
さらに今日、日蓮宗と称し南無妙法蓮華経と唱える宗派が乱立していますが、それがことごとく、大聖人の御書によらず、その教えに反して師敵対の謗法を重ねているのは周知の通りであります。
仏法は証拠主義であり、文証もないような宗教がどうして正しいといえましょうか。
日寛上人もその著「依義判文抄」に『文証無きは悉く是れ邪義なりと。縦い等覚の大士法を説くと雖も、経を手に把らざるは之を用ゆべからざるなり』と記されている通りであります。御書によらなければ何ら日蓮宗の類と同類になってしまいます。
よって大御本尊様を守るために神札を受け入れたのは御書の何れを依文にしての行動であったのでしょうか。御尋ねします。
さらに、早瀬住職が直接書かれた返書の中で戦争当時に宗門がとった行動について詳しく論じていますが、御書に云く『今日本国すでに大謗法の国となりて他国にやぶらるべしと見えたり。此れを知りながら申さずば縦ひ現在は安穏なりとも後生には無間大城に堕つべし、後生を恐れて申すならば流罪・死罪は一定なりと思い定めて去ぬる文応の比・故最明寺入道殿に申し上げぬ』と大聖人様の振る舞いが記されていますが、早瀬住職の返書に記された行動と、大聖人様の振る舞いとは違っております。もう一度その事について述べてみてください。
平成3年8月15日
創価学会一会員
熱原勇士
日蓮正宗大願寺住職
早瀬義寛殿
ブログ公開2008.10.16
[この手紙は平成3年5月23日付けの早瀬住職から私宛の手紙に対する返書である。A4用紙に34枚という長文の手紙となっているが、その中の一文に、この『日蓮正宗と戦争責任』の部分がある。この問題は日蓮正宗の教義に関わる問題であり、あえて一覧を設けて掲載させていただいた。
この平成3年8月15日付けの手紙の最後は、『尚今回、早瀬住職に送らさせていただいた手紙と同様の物を、手紙の中で触れた、正木青年部長、(新宿区)松田区男子部長、(群馬県)川浦総県長(その当時の役職)の三人の方々にも送っておきましたので、右、御報告しておきます。』で、結ばれており、この手紙も、日如が私に送った手紙同様、存在した事が証明できるものであると、宣言しておきます。
また、平成20年10月1日付けの内容証明郵便も、この存在を証明できる、手紙からの引用であり、今後、宗門が、日如から私に手紙を送った事実はないとか、私から手紙を受け取った事実はないなどと言えないという事を明記しておきます。]
日如が私に送ってきた手紙には
『一、次に、「創価新報」の対談記事を挙げて、戦争責任について宗門を非難しておりますが、「創価新報」の対談は某国のコラムニスト陸氏の記事を根拠にしています。その記事についての反論、「日蓮正宗と戦争責任」(これはその当時、宗門が作った小冊子であり、私だけでなく何人もの学会人が目にした小冊子と言えるものである)を同封いたしましたので、これも是非併せてお読み下さい。』 とあります。
これが戦争当時の僧侶の答えではなく、現、日蓮正宗管長の日如が寄越した手紙に同封されていたものであり、いかに日蓮正宗が大聖人様の精神を踏みにじっているか、それすらも、まったく理解できていないのが現、日如なのです。哀れなるかな、日如! 愚かなるかな、日如! 汝は日蓮大聖人様の仏法を破壊している謗法法主なのである。まだ、神札を受け取ったことを『現時点の我々から見てもやむないことであったし、その時においての適切な行動であったと信ずるのである。』と、未だに主張されるのであれば、私からの質問に答えていただきたい。
私から日如への質問書
次に日蓮正宗の戦争加担について早瀬住職より送られた「日蓮正宗と戦争責任」には『日蓮正宗の僧侶が、好んで「神札」を受け取ったわけでもなく、また実際に「神札」を祀ることもなかった。軍部にしたがっているように見せて、実質的には無視したのである。』とありました。つまり、神札は受け取ったが、祀らなかったと述べられている訳であります。また、『「神社参拝」の件も、お判りになるように、文部省が各宗教団体に通達してきた布告を、そのまま掲載したものである。宗務院のコメントとして、この通り忠実に実行せよとの言葉はあるが、これも政府の指示によるものであろう。』とあり、このことは宗門が神社参拝をしなさいとの布告をそのまま掲載した事実があった事を述べられ、神社参拝をすることを、この通り忠実に実行せよと宗務院のコメントが添えられていた事を記されている訳であります。そして最後に『これも政府の指示であろう。』と推測している訳であります。
そして更に、『実際問題として、日蓮正宗の僧侶は、日蓮大聖人より伝統として、神社参拝はしないのが教義であるから、このような通知によっても、実行はなされなかったであろう。』とあり、宗門が神社参拝をするようにとの政府の布告を、そのまま通知に掲載したが、『実行はなされなかったであろう』と推定されている訳であります。
そして日蓮正宗と戦争加担の結論として宗門は、
『結論として日蓮正宗の戦争加担は、国民一般の感覚以上に突出していたとはいえない。また、一切衆生救済の根本尊崇の大御本尊と、一切衆生の信仰を正しくするために、日蓮大聖人から伝えられた教義の秘伝を軍部の圧制と日蓮宗身延派等の野望によって破壊侵害されないために、表面上国策に従い、実際にはそれを無効にしたのである。
さらには、御本尊を護ることが、究極的に人類の幸福・世界平和のためであると信じての行動であった。また、現時点の我々から見てもやむないことであったし、その時においての適切な行動であったと信ずるのである。
抵抗活動は強硬であることが、必ずしも最善ではないであろう。』
とあり、『現時点の我々から見てもやむないことであった』と今日の御僧侶方も認められている訳であります。また、『その時においての適切な行動であったと信ずるのである』と戦争当時にとった宗門の行動を適切であったとの信条を述べられている訳であります。
さらに『至上の「法」を、軍部や身延派から守るために、やむなく行った妥協が、「神札」を受けることであった。決して軍部におもねったのでもなく、国家神道に賛同して喜んで受けたのでもない。一身を捨てることは大変なことかもしれないが「法」を守ることは、それ以上の大事である。』とあり、まさしく法を守るのは大切な事であります。依法不依人・身軽法重の言葉を取り上げるまでもありません。私は入信して5年目ですが、常々「御書に書いてない事をするのは謗法である」と教わってきました。また御書には謗法厳戒・不借身命という趣旨の言葉はいくつも記載されていますが、御本尊様を守るために神札を受け入れてよいという御文は、何という御書に書かれているのでしょうか。調べてみましたが見付かりませんので示してください。
まさか宗門が御書に書かれていない事をなさる筈がございません。大聖人様は、ことごとく経文上の証拠、すなわち文証を示して答えられ行動されております。これに対し、法然の「選択集」にしろ、親鸞の「歎異抄」にしろ、まったく経文によらず自分勝手な議論を立てていることは歴史の証明する処であります。
さらに今日、日蓮宗と称し南無妙法蓮華経と唱える宗派が乱立していますが、それがことごとく、大聖人の御書によらず、その教えに反して師敵対の謗法を重ねているのは周知の通りであります。
仏法は証拠主義であり、文証もないような宗教がどうして正しいといえましょうか。
日寛上人もその著「依義判文抄」に『文証無きは悉く是れ邪義なりと。縦い等覚の大士法を説くと雖も、経を手に把らざるは之を用ゆべからざるなり』と記されている通りであります。御書によらなければ何ら日蓮宗の類と同類になってしまいます。
よって大御本尊様を守るために神札を受け入れたのは御書の何れを依文にしての行動であったのでしょうか。御尋ねします。
さらに、早瀬住職が直接書かれた返書の中で戦争当時に宗門がとった行動について詳しく論じていますが、御書に云く『今日本国すでに大謗法の国となりて他国にやぶらるべしと見えたり。此れを知りながら申さずば縦ひ現在は安穏なりとも後生には無間大城に堕つべし、後生を恐れて申すならば流罪・死罪は一定なりと思い定めて去ぬる文応の比・故最明寺入道殿に申し上げぬ』と大聖人様の振る舞いが記されていますが、早瀬住職の返書に記された行動と、大聖人様の振る舞いとは違っております。もう一度その事について述べてみてください。
平成3年8月15日
創価学会一会員
熱原勇士
日蓮正宗大願寺住職
早瀬義寛殿
ブログ公開2008.10.16