熱原の誓い

創価学会、一会員の日顕宗に対する闘争・実況中継

はじめに

2008-11-28 22:34:48 | 好色じじいケンちゃん
 
ここからは、日顕・日如に送った手紙をまとめ「好色じじいケンちゃん」との本を出版した、その本のブログ公開となります。

はじめに

霊峰富士の元、産声をあげ幾星霜。駿河の波寄せる海岸より1キロ程の市営住宅より、日蓮大聖人ゆかりの岩本実相寺の側に引っ越したのは、中2の2学期からであった。熱原の地は、わが故郷であるが、私が創価学会に入会したのは東京に出てからであった。
 これから公開する手紙は、第2次宗門問題が起きた時、日顕や日如(早瀬義寛)に送った手紙であり、それらの一部をまとめ「好色じじいケンちゃん」というタイトルで10年以上も前に自費出版させていただいた。
 宗門問題は平成2年12月に宗規を一方的変更し、池田名誉会長をはじめとする学会幹部を法華講総講頭・大講頭から罷免すると通告して、平成3年11月に宗門が一方的に破門しました。
 宗門は破門したけれども、創価学会員の信徒の資格はまだあるとしていました。 彼ら宗門が私たち創価学会員を信徒にあらずと言ったのは、平成9年9月29日に宗規を変更し、平成9年11月30日までに日顕宗の寺院に申し出て、住職の承認を受けなければ信徒の資格を失う。と、したのです。つまり、私たち創価学会員は、平成9年11月30日まで、創価学会の会員であり、彼らによると日蓮正宗のりっぱな信徒であるとの立場を取っていました。
 この『好色じじいケンちゃん」は、私が創価学会員であり、それと同時に宗門が日蓮正宗の信徒であるとの立場をとっていた時に書かれたものです。そのことを理解できないと意味不明の本となるでしょう。
 また、10年以上も前の本を、何で今頃、ブログに立ち上げるのかは、「コメントに答えて」の中で述べさせていただきました。


好色じじいケンちゃん 1

2008-11-28 22:34:23 | 好色じじいケンちゃん
「好色じじいケンちゃん」

 獅子王の
  子になれよと
   崖の下
 断じて登れ
  霊鷲山

勇士


あいさつ

 この書を出版しました熱原と申します。真実の正しい道理によって、間違った邪教といえる日蓮正宗の僧侶ならびに法華講員が何回となく、何十人もの人が名前も住所も明記した私の手紙を受け取りながら、黙り口を噤んでいたことは、じつに日蓮正宗の日顕が邪師であるという証拠であります。
 この書を出版するとの予告も、一度や二度ならず、十数回にも及び、予告した人も何十人にも及ぶのであります。
 しかも最初に予告してから四年以上、一番最後に予告してからでも一年間と、十分な時間をとって参りました。
 とりわけ日顕と早瀬義寛住職(現、日如)には、内容証明、配達証明付きで郵便を送っており、もはや「私は見ていない」などという減らず口はたたけないのであります。
 世間では、創価学会が日蓮正宗に所属しているように考えておりますが、日蓮正宗と創価学会との法の勝劣は厳然たるものであり、大聖人様の精神を踏みにじった日顕などの邪師に負けるわけが絶対にないのであります。
 これから、この書がその正邪を明らかにするでしょう。
 正邪への審判は皆様方にあると考えております。どうか、これから手紙を披露しますが。よくよくお読み願いたいと思います。



 

好色じじいケンちゃん 2 前略 午前様

2008-11-28 22:34:00 | 好色じじいケンちゃん
  前略 午前様 (日顕に送った手紙 1996.7.7 尚、午前様とは日顕が他の人によく呼ばせた、「呼び名」である)

 石の上にも三年と申しますが、「出版します」「出版します」と午前様と早瀬住職に誓いを立ててから、三年は遥かに過ぎ去り、さぞや待ちくたびれたことでありましょう。
 午前様、大いに悦んでください。大変お待たせしましたが、ようやく完成の日の目を見る運びとなりました。
 ここに載せたものは、午前様に送った手紙などで、貴方にとって、何一つ真新しいものはないでしょう。
 私は常々申し上げてきたとおり、あまりにも平凡で非才の凡夫であります。学歴は高卒で、仕事は人に使われる職工。
 毎日、油に汚れて、爪の間は常に真っ黒と、どうして、あなたより優れていることがあるでしょうか。
 頭が足りない私と同じように、漢字に目を白黒させては可哀想なので、今回の出版に際して、漢字には振り仮名をつけてあげました。横しまな心の貴方にも、正面(まとも)に読めるように、振り仮名は横書きにしといてあげました。
 {注意 出版した本は縦書きでしたので、縦書きの文に横文字の英文などが混じっている本をたまに見かけると思いますが、その形体をとりました、出版した本ではほとんどの文字に振り仮名が振られておりますが、ブログでは基本的には振らないものとする}
 創価学会にあっても、無名の一会員であり、日蓮正宗の僧侶はおろか、学会にあっても無名の庶民である私を知る人は、皆無と言っていいでしょう。
「こんな私に何ができるだろうか?」「何もできないだろう」
 まったくその通りでありましょう。だって私は無名の庶民であるからです。
 私はそんな卑屈な屈服精神を乗り越え、勇気を持って前進することを決意したのです。
 自費出版で部数も極めて少なく、見た目も格好悪いですが。3K[危険・汚い・格好悪い]の仕事に従事する肉体労働者が作った、芸術的で文学的とはとても言えないこの出版を、名付けて3K書物[格好悪い・飾らない・(ドン)臭い-書物]と命名したい。
 幹部ではなく無名の一会員が、しかも社会に蠢(うごめく)『下層庶民が下層庶民の言葉を使って高僧に抗議した』ところに、この書の意義があると思うのです。
 頭も良くない無名庶民が諦(あきら)めることなく、執念をもって取り組んだ、この出版は私の人間革命の結晶であり、根無し草のように信念が無かった自分が、創価学会に入ったおかげで、このように生きれることに感謝したい。
 午前様、この書の大半は内容証明、配達証明つきで貴方に送ったものですが、いくら貴方に送ったことが証明できても、私が出版しなかったら、永遠に日の目を見ることもなく木屑(もくず)と消えたでしょう。
 しかも、何度となく「出版します」と午前様に予告をたて、それのみならず、大石寺の多くの売店にも、この書の下原稿となるものを配布し、それらの人々にも出版することを予告したのです。もし予告表明を破って、私が出版しないのであれば嘘付き者との汚名を免れなかったでしょう。私は『走れメロス』のごとき決意で、午前様にたてた誓いを守ったのです。
 そして貴方が手にするものが、午前様にたてた誓いの結晶、私が何回も予告したものなのです。
 「午前様、約束は守りました」と、声も高らかに宣言いたします。
 今までのように私の手紙や行動に対して何も言わないで、お座りになっていてもかまいません。
 どうぞ御自由に振る舞うがよろしい。
 それでは、最後に私から午前様に質問します。「何年にも渡って対応もできない、汝の哀れな姿を庶民に曝(さら)して、いい年をして恥ずかしくないですか」
 今までの手紙は内容証明とともに厳然ととってあります。
 また、本日までのこれまでの対応の現状を見ましても、日顕が、日蓮正宗阿部管長が、誰が読んでも誰が見ても、断固として邪師であることは、厳然とわかることです。
 今まで、指をくわえ、口を閉ざして、ご苦労様でございました。
 午前様のその労力に対し、慰労(いろう)と継続の努力に敬意をこめて、詩をお贈りします。
 
 来て見てくれ この哀れな御老人を
 目を伏せた 御老人を
 口を噤(つぐ)んだ 御老人を
 今までのように これからも
 黙り黙った 御老人を
 逃げ回っている 御老人を
 無名の庶民に笑われている 御老人を
 みんな来て見てくれ この哀れな御老人を

 午前様よ、すこやかに、健全とお達者であれと申し上げ、出版のご報告とします。

   日蓮正宗管長  日顕猊下殿
   1996年7月7日
                             熱原勇士

好色じじいケンちゃん 3 信徒除名書

2008-11-28 22:33:39 | 好色じじいケンちゃん
 熱原勇士信徒除名署名書(ブログの「はじめに」を読んでみてください。背景がわからないと理解できないと思います。)

 日顕御法主猊下様への悪口批判が聞きずてならないものになってきております。
 おのおの僧侶方、はたまた法華講員の皆様におかれましては、猊下様への信伏随従(しんぷくずいじゅう)を証(あか)すためにも、この信徒除名署名書に一人も漏れなく署名されることを切に望むものであります。
 東京の新宿に熱原勇士という者あり、このクズのような男は、創価学会にあっても地位も名誉もない無名の信徒の分際で、猊下様をののしること尋常にあらず。ここに一例を示して糾弾(きゅうだん)するものとする。

 『売春街へ行かれたり、豪遊したりで忙しい事でしょう。法主退座の声明文も書く時間がないでしょうから、代わって私が考えてあげましたので、どうぞご参考にしてみて下さい。

  日顕退座声明文  《参考例》
 『創価学会の皆様にはエロエロとご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした。
 私は痴呆性老人なので忘れていたのですが。私は聖職者ではなくて、生殖者で亀頭師のケンちゃんであることを思いだしましたので、ここに退座を表明いたします。デヘヘヘヘ』
 これらの言葉は決して許せるものではありませんが、熱原勇士の日顕猊下様への悪口(あっく)・罵倒はこんなものではありません。さらに一例を示してみますと、

 『日顕の振る舞いの異常さは、人間とは思えないものであり、その欲望のままに趣(おもむ)いた行動は、もはや日顕をまともと呼ぶよりは、気違いと呼ぶ方が相応(ふさわ)しく、人間と呼ぶよりは、海綿動物と呼ぶ方が相応しい』
 『日顕は名前を「海綿動物 ホッスガイ」と変えるべきではないだろうか』
 『好色じじいケンちゃん』
 『日顕、キサマ、バカヤロー、ワカッテンノカ、ヨー!』
 『「とうへんぼく」「のろま」「低能児」「くそ馬鹿野郎」の日顕よ』
 『日顕って、見下げはてたけだものだ』
もはや私達は聞き流すことができるでしょうか?
 宗規には信徒の除名について「言論、文書等をもって、管長を批判し、または誹毀(ひき)、讒謗(ざんぼう)したとき」と明記されています。まさにこの宗規に合致した男であることに、疑いをいだく人はいないでありましょう。
 更に熱原勇士が御法主上人に送った物は許しがたい侮辱であり、仏教史上いまだかつてない出来事であり、提婆達多が現代に生まれ代わったのではないだろうかと思えるような行いであります。
 さて、ここにほんの数例を紹介しましょう。
 『猊下の行く末を思い、今のうちから慣れておいた方がよい。』と手錠《オモチャ》を送ってきた。
 猊下は字も知らないと言って、国語辞典を送ってきた。更に辞典の牽(ひ)き方を知らないと、創価中学の入学の案内状を猊下様に送ってきた。熱原は『ここに受かれば必ずや辞書の牽き方も教えてもらえる事でしょう。』と書いてきた。
 『即刻退座して禅寺のお前の墓でも磨くがよい』と退座要求の餞別(せんべつ)として日顕猊下様に雑巾を送ってきた。
 いかに熱原勇士が除名に値する人間かわかっていただけたでしょう。
 もし彼を除名にしないなら、「言論、文章等をもって、管長を批判し、または誹毀、讒謗したとき」との信徒の除名をうたった宗規は、在って無きようなものとなってしまいます。
 もし彼を除名しなかったら、それは末恐ろしい事となるでしょう。書くことを控えようと思ったのですが、何分にも信徒除名という重大な事であり、ありの侭(まま)をお知らせします。
 『猊下は獣よりも劣る人間なので、犬なんかが嵌(は)めている首輪を送ります。猊下の首まわりは、何センチでしょうか? 御教示お願いいたします』と許し難(がた)い事を書いてきた。
 『「大好きな法主サマ」には足りないでしょうが』と猊下様にコンドームを送りつけてきた。
 これらの事により熱原勇士が、日蓮正宗・宗規の第二百二十九条第五号の「言論、文書等をもって、管長を批判し、または誹毀、讒謗したとき」の宗規に該当することは明々白々なので、ここに熱原勇士の信徒除名署名書を作成したしだいです。おのおの勇んでここに署名する事をただただ祈るばかりであります。

   平成六年六月二十九日
       (私がその当時住んでた住所)
               熱原勇士

 静岡県富士宮市上条2057番地
 日蓮正宗
   管長   阿部日顕殿



 さて、ここで取り上げた「熱原勇士信徒除名署名書」は、内容証明、配達証明付きで、大石寺の日顕宛に直接送ったものであります。
 差し出し人が、熱原勇士とあるように、自分が自分のしたことを書いてあるので、熱原勇士が日顕をコケにしていることを疑う人もいないでしょうが、念には念をおして、「熱原勇士信徒除名書」に取り上げた、依文となる手紙を以下に紹介するものであります。
 ここに紹介される手紙は、「信伏随従書」という題名でまとめ、以前に大石寺・宗務院、理境坊・本堂前、下之坊・本堂の中、法道院の中にある掲示板、大願寺、常在寺、法華講の富士会館、等々に送ったり、又は直接、置いてきた手紙です。
 僧侶や、法華講の幹部の人々は、どうやら字が読めないらしくて、ウンともスンとも言ってこない。
 字が読める人は、「熱原勇士信徒除名署名書」に署名し、熱原勇士が信徒除名宗規にガッチしている事を、日顕のオツムに教えてやっていただきたい。
 アホ日顕は、ハヨウ、ワシを除名してみぃや、どないしとるんや、このうすらハゲ! と、ケンちゃんにエールではなく、バトウをあびせ、侮蔑の言葉を送るしだいです。 

好色じじいケンちゃん 4 信伏随従書1

2008-11-28 22:33:16 | 好色じじいケンちゃん
信伏随従書 1
(ブログの「はじめに」を読んで、創価学会員であり、宗門がまだ我々に信徒の資格があるとの立場を取っていた、背景がわからないと理解できないと思います。)




 5月23日に大願寺に日顕猊下が御親教に御見えになると伺い、昨年は無料で「大日蓮」等を送って頂き、その行為に対して最大の御礼をしたく、是非とも日顕猊下と早瀬住職(現、日如)に、それぞれに御供養の品をお届けしたいと思い、お手紙を差し上げるしだいです。
 早瀬住職におかれましては、私が昨年、何度となくお手紙を差し上げましたところ、ご返事までいただきありがとうございました。

 初めに日顕猊下に感謝の意を述べさせていただきますので、くれぐれも早瀬住職から日顕猊下に総てお伝えくださるよう、平伏してお願い申し上げます。
 嬉しいことです宗門よ、悦ばしいことです猊下よ。ここに猊下の願いを適えるために立ち上がった信徒がいることは。
 私はひとたびは嘆いて、無名の地位も無き一庶民が猊下に対して何が出来るかと、日夜朝暮に悩んでおりました。
 しかるに私はこの文を見て、大いに魂を躍らせたのです。『言論、文書等をもって、管長を批判し、または誹毀、讒謗したとき。』
 御存じの通り、この文は信徒の除名という処分が、「宗規」に明記されたものです。
 あぁ、この「宗規」は諸天善人が計らいか、梵天帝釈が導きでしょうか。
 この「宗規」によって私のような無名の一学会員も公の場で胸をはり、猊下の思いを遂げさせるために一肌脱げる嬉しさは、信徒冥利につきるというものです。
 私はこの「除名」の文を胸に刻み、右手には六法全書を掲げ、左手には聖教新聞を握りしめ、猊下が謝罪したいと請い願っている、山崎正友の許へ行かせる努力を惜しむものではありません。
 猊下よ二人して裁判所で手と手を取り合い、「山崎正友に謝罪したい」との貴方の願いを現実のものとするために、二人して協力をしようではありませんか。
 私は宗門から除名にされる事によって、猊下と裁判所で争える資格が得られるものと深く確信しております。
 日顕猊下の請い願う山崎正友に会わせるために、いかなる障害を物ともしない会員を持ちたる身の福運に、さぞや阿部管長も歓喜究竟(かんきくきょう)して涙もちょちょぎれることでありましょう。
 それとも日顕猊下は服役中の山崎正友に「あの時は、ウソつきと言って悪かった。勘弁してください」と謝らなかったとでもいうのでしょうか。
 反論があるならば、お山のなかでチョボチョボ言ってないで、正々堂々と対話されてはいかがでしょうか。
 これから私は「歓喜に胸躍らせ」て阿部管長を、『言論、文書等をもって、管長を批判し、または誹毀、讒謗したとき』の文を寸分の狂いもなく実行することを謹んでお誓い申し上げ、ここに御報告するものであります。

 



好色じじいケンちゃん 5 信伏随従書2

2008-11-28 22:32:52 | 好色じじいケンちゃん
信伏随従書 2(平成4年5月23日)

阿部管長様

 創価学会第二代会長の戸田先生は「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄までも連れていってくださいました。」と牧口初代会長に感謝の意を表しました。
 いま、阿部管長は「無名一会員の猊下への信伏随従は、私を山崎正友に謝罪させるために、私を牢獄まで連れていってくださいました。」と、三つ指ついて感謝されるよう努力いたします。
 ここに私こそは猊下に信伏随従する誠の信者なり! と、宣言します。
 何故なら私こそ猊下の請い願う願望を、適える為に立ち上がった人間だからです。私を猊下に信伏随従の者と言わないで、他に誰が信伏随従の者がいるというのか!
 日顕よ! 心行くまで山崎正友に謝罪するがよろしい。
 猊下に信伏随従する者の証(あかし)として、真心より猊下に御供養いたします。汝のゆく末を思い、今のうちから慣れておいた方が大変に調法かと思い、オモチャで誠に申し訳ございませんが、手錠を御供養いたします。
 早瀬住職もさぞや胸を張り、猊下に信伏随従の者からの御供養の品、手錠を猊下に届けていただけることでありましょう。
 また、私は伏せ這(は)いなるものを知らないので、裁判所で猊下の伏せ這いの実演を是非、見せていただきたいと切に望みます。凡夫の私にもわかるように、日顕よ! 今のうちから伏せ這いの特訓をしておくがよい! と、強く強く懇願しておきます。
 また、以前に早瀬住職を通じて猊下に御回答いただけますように、正木青年部長からの質問書[聖教新聞の切り抜き]と、国語辞典の御供養を差し上げましたが未だに御回答がありません。
 時代がら「鬼畜米英」なる歪(ゆが)められた教育を受けられたのでありますから、阿部管長が正しい辞典の牽き方を教わらなかったのも無理もないことであります。そのような貴方に語句には注解もつけず、漢字にはひらがなルビも付けないで、法主退座要求書を送るなんて、創価学会の秋谷会長も随分と失礼なことをしたものです。
 宗門が受取拒否なされたのもしごく当然の事でありましょう。私は創価学会にありましてクズのような存在ですが、深く深く陳謝いたします。
 よってここに難しい語句は注解され、漢字にはひらがなもおくってある法主退座要求書が掲載された大百蓮華の特別号を日顕猊下にお送りいたします。
 さらに辞書で調べられるように、創価中学の入学の御案内もお送りいたします。ここに受かれば必ずや辞書の牽き方も教えてもらえることでしょう。
 日顕猊下には、創価中学では心許ない、不安であると思われた場合は、受取拒否をして送り返して下さい。そのような場合にはさらに創価小学校か創価幼稚園の入学の御案内を日顕猊下宛に再度お送りいたします。
 「今回の問題は全部俺がやってきたんだ。総監なんて俺がいないと仕事ができないんだ」と、おっしゃる。宗門を動かしてきた、有能な早瀬住職からくれぐれも猊下に「法主退座要求書が理解できるように信伏随従の者から、創価中学のご案内が届けられましたが、もしこれで理解できないようでしたら受取拒否をして送り返せば、さらに創価小学校か創価幼稚園の入学の御案内をお送りしますと申してますが、いかがいたしましょうか」と、お尋ね下さい。早瀬住職から「あの野郎、ふざけやがって」と、幼稚園を通り越して、中学の入学案内を日顕に寄越しやがって、「低能児」「のろま」「とうへんぼく」「くそ馬鹿野郎」とのお叱りを何ら厭(いと)うものではございません。
 猊下が速やかに創価中学校に受かるように、心よりお祈り申し上げるだけでなく、信伏随従する者の証(あかし)として阿部管長に練習問題を作りました。

  問1、次のカタカナを漢字に改めなさい。

 「ニジュウマンだけヤマにつけばよい」
 「シンジンがイヤになろうが、ナニしようが、そんなことはカンケイないんだ! キミにとっては! そんなこと、そんなくだらことをイっては、ダメだってことを、アタマからスコしかましてやればいいんだ。」
 「シっていたよ。『Cサクセン』は、あのヤロウのクビをCUTするというイミだよ」

  問2、の中に語句を入れなさい。
 御書に照らして□□は永劫に無間□□である。
 □□は広宣流布を阻む罪は提婆達多をも超え、極楽寺□□に肩を並べる□□増上慢である。
 □□は日蓮大聖人に敵対し弓を引く、一闡提でなくして何でありましょうか?
 『全人類のもの』・『民衆のもの』である大御本尊を私物のように横領し、着服した盗人は□□であります。即座に□□は退座して我等より盗み取った大御本尊を返しなさい。
 □□ 悪いのはお前だ!
 
《解答》
《 日顕・地獄・日顕・良観・僭聖・日顕・日顕・日顕・日顕 》

 以上、甚だ簡単ではございますが、猊下に信伏随従の者から日頃の行いに対して、真心からの御供養と感謝の意を申し上げさせていただきました。
 早瀬住職も「私は血脈付法の御法主上人に信伏随従」と言ってはばからないのであるならば、少しは私を見習って、御法主上人の願いを適えるために、御法主上人と裁判で争われたらどうなのか?
 猊下を迎える親教の打ち合わせに、教区内の住職と夜遅くまで酒盛りをするだけであるならば、信伏随従の名が泣くものではないか。早瀬住職は偽りの信伏随従なのですか?
 お尋ねします。
 今度、「大日蓮」に信伏随従の模範として、私の事を載せてもらいたいものであります。これほどの信伏随従の者もいないでありましょう。
 それとも宗門は私のような者を猊下に信伏随従の者といわないのでしょうか?
 「江南の橘(たちばな)、江北の枳(からたち)」
 揚子江より南の地に美しく甘い実をつける橘の木があります。これを揚子江より北の地に移すと、トゲの多い枳の木になってしまうと言います。外見はよく似ていても、その実態は、まったく違ってしまう。どうして、こんなことになるのか。それは、育った土地に原因があるのです。これと同じように、信伏随従も土地によって意味が変わってしまうのでしょうか。私は国語学者ではないので、わかりません。日顕に国語辞典を引いた語句の解釈を伺いたいものであります。



 

好色じじいケンちゃん 6 信伏随従書3

2008-11-28 22:32:31 | 好色じじいケンちゃん
信伏随従書 3(平成4年5月23日)

 大願寺申し状

 平成3年7月30日、宗門の能化が学会の牧口門下生等に宛てた文書では、法主は大御本尊と「不二の尊体」であると主張し、この法主と大御本尊の「根本の二つ」に対する信心は「絶対」でなければならないとしております。
 また、9月6日付の能化文書では、「本仏大聖人、戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において、一体不二の尊体にまします」と述べております。
 さらに、宗門機関紙「大日蓮 平成3年6月号」において、法華講員に、阿部管長について「現代における大聖人様」と書かせてもおります。
 また、8月の行学講習会で、福田毅道元海外部書記長が、現日顕法主が「本」で、御本仏日連大聖人様が「迹」であるといっています。
 また、同月に、宗会議員の要職にある高野法雄住職が、法主は大聖人の法門のすべてを所持しており、御書は大聖人の法門の部分にすぎないといっております。
 これらの言は阿部管長が言われた事ではありませんが、今年の4月に虫払い法要の説法で、「『日蓮大聖人直結』『御書根本』と言うも、日蓮大聖人の正しい仏法に、そのような自分本意、わがまま勝手な教えは絶対にありません。」と述べたのは日顕であります。
 これらの言は、要するに「法主直結」「法主根本」を主張したものでありましょう。
 ただいま私が述べたことは、間違ったことであるのか、そう反論できるのでしょうか? お尋ねします。
 「『御本仏日連大聖人は親であり、師であり、主である』という経文は御書にあるか」早瀬住職に質問します。
 「ない」というならば、御書に『日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり』とあり、汝は今迄にこの御書を読んだことがあるのか、気違いなのか答えてみてください。
 答えによっては、精神病院の御案内を早瀬住職宛に送りいたしましょう。
 そうでないなら、汝が御書を読んだことが無い事がはっきりしましたので、ちょうど創価学会では三級試験の受験申し込みを受け付けている最中なので、用紙をお送りいたします。
 日蓮大聖人は、われわれのごとき迷える凡夫の主・師・親であらせられ、久遠の御本仏であらせられます。今、私が述べたことに反論があるなら述べてみなさい。
 「(大聖人に主師親の三徳が)ある」と答えるならば、「それなら『日顕(法主)が貴方の親であり、主であり、師である』という経文はあるのか。」示してみなさい。
 「その経文はある」と答えるならば、「貴方の父は日蓮大聖人と法主(日顕)の二人いるのか」答えてみるがよい。
 また、「経文はない」と答えるならば、「それならば、宗門の僧侶方は親の日蓮大聖人をさしおき、どうして他人の日顕に直結することを強要するのか。」答えてみてください。
 釈尊の法華経は、日蓮大聖人の三大秘法に比較する時には、本迹二門ともに、熟脱であり垂迹であります。
 日蓮大聖人の三大秘法は、釈尊の法華経とは比べものにならないほど勝れた経であります。「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり」と。その三大秘法の法門を書き現した御書を根本としていくのが、大聖人門下の道でありましょう。
 「法主直結」「法主根本」を宗門が主張されるなら、「では、今までのこちらからの質問に答えたのでしょうか? 詰まって答えられずに、もし、負けを認めたなら」
 それならば、御書には「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ」
 日達上人は「我々の主師親はすなわち師匠は日蓮大聖人様だけである。みなさまは久遠の日蓮大聖人様に直結している」
 また、「大聖人の教え、即ち、御書である。だから、我々は、何よりも御書を心肝にそめてゆかなければならない」
 御書の仰せ、歴代の御法主の仰せはこんなにも明らかではないか、なぜその通りにしないのか。読んでいないのか。
 日顕よ自分勝手な己義を、ただ一方的に押し付けようとしても、私たちの社会では通用しないし、意味がない。かえって自分たちの無知、無教養ぶりと、狭量さをさらけ出すだけである。だれもが納得のいく説明をしてみるがよい。
 また、「御義口伝」には「日蓮に共する時は法処に至る可(べ)し不共(ふぐ)ならば阿鼻大城に堕つ可(べ)し」と、他のだれと「共」に進むのでもない。大聖人と「共」にと仰せであります。
 それを日顕の仲裁(法主直結)に身をゆだね、自らの将来を汝の意思にゆだねようとする者は過ちを犯すであろう。もし、そうであれば阿鼻大城(無間地獄)に堕ちるであろう。
 それを「『日蓮大聖人直結』『御書根本』と言うも、日蓮大聖人の正しい仏法に、そのような自分本意、わがまま勝手な教えは絶対にありません。また、それなら他の新興宗教の言い分と全く同様であり、まさに迷乱の姿であります」と、よくもそんなこなま狡(ずる)い減らず口が聞けたものだ。
 もういい加減にしろ! 嘘をつくな!
 「日顕! 迷乱しているのは、お前だ!」
 小賢(こざか)しい欺瞞(ぎまん)など、すべて民衆によって見破られているんだ。もはや、歴史によって裁かれているんだ。
 さらに、『当門流に於(おい)ては御書を心肝に染め』と「御書根本」が、日興上人以来の正道であることは言うまでもない、この日興遺誡置文には、『此の内一個条に於ても犯す者は日興が末流に有る可からず』と、此れをもって汝のことを考えるに、日顕を大聖人の門下とは呼べない。仏敵であり地獄への水先案内人と呼ぶ方がふさわしい。
 日顕が、民衆をたぼらかし数々の謗法を犯した罪、なかんずく、日顕が大聖人の教えに背いて禅寺へ墓を建てたことは、『天魔の振る舞い」であり「師敵対」である。
 このような「不法の法主」は追放すべきである。
 よって、即刻退座して禅寺のお前の墓でも磨くがよい!
 餞別(せんべつ)として日顕に退座要求の雑巾(ぞうきん)をプレゼントしましょう。
 日顕よ! 退座しろ! どっちみち勝ち目はないんだ。
 私にこんなことを書かせて、さらに餞別に雑巾まで貰って、礼をいってほしいほどだ。なぜなら、大聖人に背いて地獄に堕ちるところを救っているのだから、実は守ってあげているのだ。我々を弾圧するどころか、むしろ礼を言ってもらって当然である。
 礼を知らないのも程がある!
 それでも宗門が法主は大御本尊と「不二の尊体」であるなどとたぶらかそうとされるのであるならば、
 『黙っていられるか! この禿(は)げ頭どもめ!』
 日顕が内証において仏であるのか、白昼のもとにさらしてやろう。 

好色じじいケンちゃん 7 信伏随従書4

2008-11-28 22:32:08 | 好色じじいケンちゃん
信伏随従書 4(平成4年5月23日)

 阿部管長申し状

 仏法を知らない一般の人には、仏法の邪正こそわからなくとも、社会や生活の道理に照らした、世間の事は眼前の事実でありますから、わかるでありましょう。
 また、仏法を用いなくとも、阿部管長が仏かどうかは容易にわかることであります。
 仏は嘘をつかず、二枚舌を使わず、公の場で討論しても絶対に負けません。ためしに一度、阿部管長と裁判で争ってみるとよい、仏かどうか見分けるのはなんと簡単なことでありましょう。
 本当に阿部日顕が仏かどうか、一度、実際に裁判をしてみればわかるではないか。日顕よ語れ、真実を語り、公正に対話せよ。と、申し状を送るしだいであります。
 『言論、文書等をもって、管長を批判し、または誹毀、讒謗したとき。』との信徒の除名という「宗規」に私があてはまる事は先に十分証明いたしました。
 もし、私が除名「宗規」に該当しないと主張されるならば、他に誰があてはまるというのだ!
 嘘をつくな! 汝らの心は強欲でいっぱいだ。地位を守るためには恥も外聞もなく、改竄(かいざん)した宗規すらも自分の都合が悪くなると勝手に解釈しようとするのか。
 そんな破廉恥な権力者は、もはや人間ではない。日顕って、見下げはてたけだものだ。
 信徒除名という残忍なギロチンを使ってみるがよい。そうすれば、お前を裁判所に訴えてやろう。悪の木を植えたものは、悪の実をかりとるのだ。
 私が、このように言うことこそ、弟子として大聖人の教えを重んじてきた誉れだと心得ているのは、大聖人の魂が私に入り替わられたからであろうか。
 正邪を絶対にあいまいにしてはならない。
 それが大聖人の仏法であります。
 邪師を信じれば、今世のみならず、未来世にわたって大苦悩を受ける。後悔しきれない大不幸である。『僧も俗も邪正を、はっきり見極めよ』と御本仏は強く仰せであります。
 日顕が、私との裁判の勝負に、戦うことができないのなら。その理由は、日顕の正体が醜い邪である証拠である。
 供養を貪り、酒と戯(たわむ)れたうえ、下品なカマシ説法は人々から嘲笑された。一般の人や世間から、あざけられ笑いものにされたことの口惜しさは、言いようがない。師の日蓮大聖人の恥で、これ以上のものはないであろう。
 法主を筆頭に一宗あげて悪行乱行の限りを尽くす日顕宗!
 「これほど法を下げ」、大聖人を辱(はずかし)めている輩(やから)はいない。
 自らの嫉妬と卑しい欲望におぼれて、仏意仏勅の「広宣流布の団体」の破壊をたくらみ、破門するという、御本仏の御遺命を真っ向から否定する大謗法を犯したのである。
 このようなことをしでかすようでは、日顕が大聖人の法門を継ぐことができない事情は明らかなので、私が、日顕を追放するまで、責めることをお前にお知らせするために述べているのである。
 親しい同門だからと遠慮して、どうして大聖人の正しい教えを覆い隠したままにしておけるであろうか。
 元来、日蓮大聖人に背いた場合には、たとえ自分の師匠などであっても、それを捨てないならば、かえって大罪になるというのが大聖人の法門であると、ご承知になるべきであろう。
 仏法を破壊する極悪の「不正の法主」を呵責(かしゃく)しないで、そのまま見過ごして責めもせず、追放もせず、処分もしないならば、まさにその人は仏法の中の御敵(おんてき)である、と知るべきである。
 あんな畜生にも劣るような日顕に、だれが負けるか!
 自分のような無名にして何のとりえもない一信徒が、万が一にも自分の意思を曲げて、こびへつらうこともなく、ただ経文にある通りに、大聖人の仰せの通りに、日顕を諌めることができたものだと、自らをほめてやりたいと思っている。
 この日蓮正宗から除名されることは、面目なく、決して自分の本意ではない。その胸中は言葉では言い尽くせないが、よくよく考えてみれば、いずこであれ、大聖人の法門を正しく継承し世に流布することこそ肝要なのである。
 「権威」を恐れ、「義理」や「人情」にとらわれて、「正法の敵」「広布の敵」を責めなければ、自分が仏敵に味方する与同罪になってしまう。なによりもこのままでは日蓮大聖人の「正法」が「法滅」してしまう。
 この時に戦わずして、いつ戦うのか。
 整然と質問状を出して、「対話」を求めていた我々にとって、宗門の野蛮な行為は、絶対に我慢のできるものではなかった。
 権力的な抑圧は、断じて許さない! 
 もう束縛はたくさんです!
 日顕よ。人間には、抑圧の鉄の足で踏みにじられることに我慢できなくなる時があるのだ。少しは慈悲心を起こして除名の用意をしろ。
 そして裁判で戦え。
 汝指導者となったら、訴えるものの言葉に耳を傾けなさい。正義に耳に傾けないものに友はないぞ。
 法主は本来、信徒を護りその楯(たて)となるべきだ。信徒を奴隷にするために法主に任命されるのではない。
 そのすばらしき理想を無慈悲な日顕は悪用するな!
 日顕よ恐れるな! 私を除名してみるがよい。
 私を驕慢謗法(きょうまんほうぼう)といわずに他に誰が驕慢謗法になるだろうか?
 私を懲罰にかかる身といわないで、他に誰がいるのか?
 私こそ宗門がいうところの捏造された池田名誉会長ではないのか。
 私のような地位も名誉も無い無名の学会員を除名に出来ないで、どうしてそれ以上の人を除名に出来るでしょうか。貴方が私を除名にしない事は、阿部管長は自分の欺瞞があばかれる、裁判が恐くて私のような学会員のクズも、除名に出来ない事を天下に知らせる事になるでしょう。
 「頭を少しカマス」などと御謙遜なさらずに、大いに頭をカマシて除名にしてみるがよい。
 問答無用は仏法破壊なのである。ヘビに睨(にら)まれたカエルのごとく、対話を拒む日顕は獣にも及ばない「カエル法主」だ! 少しは口を開け!
 対話の扉を今、私が開いてあげたのだ。
 お前が正しければ何で逃げる必要があるだろうか。公の場で大いに対話しようではないか。

日蓮正宗管長   阿部日顕様

   創価学会一無名会員
                      熱原勇士 

好色じじいケンちゃん 8 信伏随従書5

2008-11-28 22:31:32 | 好色じじいケンちゃん
信伏随従書 5

早瀬義寛様(現、日如)

 2月25日付けの公の新聞の中外日報に早瀬住職が池田名誉会長の暗殺計画にたずさわっていたという記事が載っておりました。「最近になって発覚したのは、2年も前から退転者・藤原行正氏(元・東京都議会議員と謀議(ぼうぎ)を重ね、“池田名誉会長暗殺計画”に参画していたということだ。昨年の4月のお講の席でこのことを知った地元の学会員は、あまりの事実にガク然とし、思わず言葉を失ったほどの衝撃だった。」と書かれておりました。
 私も昨年の大願寺での四月の御講の席で、早瀬住職が池田名誉会長の暗殺計画に関与していたとの発言があったのですか? と、手紙で早瀬住職に質問したところ、それに対して、早瀬住職はそのような発言は無かったと否定されたお手紙をご返事によこされました。
 私が調べて参りますと、早瀬住職の手紙が真っ赤の嘘、私は早瀬住職に偽りのご返事をいただいた事が歴然として参りました。
 中国の物語に「王魁(ワンクイ)が桂英(クイイン)に背く」という話があります。
 裏切られた桂英(クイイン)は、死の間際にさけぶ、「わたしは亡霊になっても王魁(ワンクイ)と黒白をつけてやる」
 桂英(クイイン)の死後、その怒れる魂は死体を抜け出し、遠く離れた都に行き、裏切り男の王魁(ワンクイ)をとっつかまえ、その魂を閻魔の前に引き出して、黒白をつける・・・・・・。
 私は仏法者でありますから、霊魂などは信じないのは当然ですが、この物語は、社会からさげすまれるような人物ではあっても、人に踏みつけにされっぱなしではなく、反抗し、正義を通そうとする、この世で正論が通らないなら、死んでも、正義を行わせようとする。
 私も早瀬住職に欺(あざむ)かれました。私も地位も名誉も無い、無名の庶民でありますが、人間としての人権を踏みにじられた早瀬住職の行為に対して、黒白をつけようではないかと要請するしだいです。
 


好色じじいケンちゃん 9 信伏随従書6

2008-11-28 22:31:04 | 好色じじいケンちゃん
信伏随従書 6(平成4年5月23日)

大願寺申し状

 昨年の4月13日の御講の模様についてお尋ねしたところ、早瀬住職からは虚偽のご返事が届けられました。
 その事について質問させていただきます。
 早瀬住職よなぜ嘘をつかれたのか?
 やましい事がなければ嘘をつく必要もないでありましょう。
 早瀬住職、貴方が池田名誉会長暗殺計画にたずさわっていたのではないのですか?
 もし、そうでないのならなぜ創作文を送られたのですか?
 疑惑はますます募ってくるばかりです。白黒をつけようでありませんか。
 私の正直な気持ちを申し上げます。「早瀬住職よ汝は池田名誉会長を殺そうとしたのであろう。白状するがよい!」
 もし、そうでないなら汝が寄越した手紙の詭弁を何と説明するのか!
 汝の手紙は詭弁である。もう一度その事について正論があるならば答え直してみるがよい。
 我々は大聖人の仏法を守らねばならない。他人を殺すことによってではなく、対話によって。もしも君らが、勧告と破門と対話無き問答無用によって、大聖人の法華経を守っていると思うならば、それはもはや大慈大悲の教えを守るのではなく、それを汚し破壊することである。
 ひとりの人間を撃ち殺すことは、教義をまもることではない。人殺しの罪を犯すことなのだ!
 法がすぐれているがゆえに、何をしてもよいのではない。反対だ! だからこそ、大聖人信徒らしく教えにふさわしい振る舞いが要求されるのだ。
 お前は私に嘘をつき、次には私の手紙を無視した。その上、私に抗議させまいとするのか!
 不正に抵抗するのは果たして罪なのか。
 教義は人間性に満ち満ちているのに、それを用いる人々がかくも冷酷で非人間的な行為に走るのか!
 絶対に許すことはできない!
 怠け者の口を潤すために汗を流したのではない。ましてや、権威主義でわがまま勝手なお前をいばらせるために、正しい人を棺桶に入れる資金源を提供した人間などいない。
 暴力や権力の前に民衆が不正を許すとお前は思っているのか。
 拳銃を突き出せば民衆が黙りこむとお前は思いあがっているのか。
 民衆はお前の奴隷ではない。人間だ!
 脅しに屈服して口を閉ざすようでは、信仰者とはいえまい。言うべきことを、言うべき時に敢然と言い切っていく。そうでなければ、心は地獄に縛られ、魂の敗北となってしまうであろう。
 我々が信仰しているのは、鎖を引きずるためではなく、翼をひろげるためなのです。
 我々は権力や暴力の前に沈黙はしない。息をしている限り、「死を畏(おそ)れて言わざるは勇士にあらざるなり」と、お前が暴力に訴えて私の口を塞ごうとするならば、受けて立とう。
 私の心臓は左胸にある。お前が撃ち損じないように、御供養にオモチャのピストルをやろう。
 さらに、目立つように服には心臓の上に三色旗の標的を付けて歩いてあげよう。
 私は何のとりえもない庶民でありますから、辞世の句など残せないが、代わりにアンドレ・シェニエの詩を贈ろう。

 『最後の一条の光のごとく
 西風の精ゼピュロスの最後の一吹きのごとく
 ある晴れた日の週末に生気を送りつつ
 断頭台の足もとで
 なおも僕は詩の琴をかなでようとする
 おそらくは間もなく僕の番がくる
 おそらくは時計の針がつややかな琺瑯質(ほうろうしつ)の文字を
 一めぐりしないうちに
 コチコチと油断なく進む針が
 その六十歩を数え終わらぬうちに
 墓の眠りが僕のまぶたを閉ざすだろう
 書きはじめたこの詩が終わるのは
 たぶんおぞましい墓の壁のうち
 死の使者 黒い闇の死神が
 恥知らずの兵士を率いて僕の名を呼ばわり
 このうす暗い長い廊下を揺るがす
 僕は犯罪をでっち上げた根拠の無さを糾弾する言葉の槍をとぎすましながら
 廊下の人群れの間を一人堂々と歩んだが
 僕の唇の詩はとつぜん止む
 そして僕は腕を縛められひき立てられて行く
 僕の行く手に群がって哀れな囚人仲間が人山をつくる
 恐るべき呼び出しの前には皆、僕を知っているが
 もはや僕を知らなくなる彼らなのだ
 あぁ、これでいい!
 僕は充分すぎるほど生きたのだもの
 ・・・・・・・・
 蒼ざめたいかがわしい恐怖は彼らの神
 愚行と熱狂 あぁ、僕らはなんと恥知らず!
 全ての人、そう、全ての人よ、さらば
 大地よ さらば
 来たれ、来たれ 死よ!
 僕を解放し給え、死よ!
 こうして打ち砕かれた僕の心は悪の重さに屈するのか!
 否、否、僕は生きながらえる
 美徳が僕の命を必要とするのだ
 なぜなら誠実な人間、暴虐の犠牲者は
 牢獄のなか、柩(ひつぎ)のそばでこそ
 大らかな誇りに輝きながら一層昂然(こうぜん)として
 面(つら)をあげ語気を強める
 もはや僕の手中に剣がひらめくことはないと
 たとえ天空にそう刻印されたとしても
 インクと辛辣(しんらつ)というもう一つの筋金入りの武器をもって
 まだまだ人類に役立てるのだから
 正義よ 真実よ
 もし僕の手、僕の口、僕のひそかな想念が
 君の険しい眉をひそめさせないものならば
 そしてもし恥ずべき事態の進展、残忍な嘲笑、
 無惨な中傷、
 恐ろしい罪人のへつらいが
 君の心に深手を負わせたというならば
 僕を救え ペン持つ僕の腕を護れ
 君を愛し仇(あだ)をうつこの腕を
 君の激怒の雷(いかずち)を投げつけるこの腕を
 矢を射つくさずに死ぬなんて!
 法を汚すこの死刑執行人めら
 彼らの泥沼を突き通しも攪拌(かくはん)もせず死ぬなんて!
 奴隷と化したフランスの瀕死(ひんし)の詩よ
 首を斬られた祖国、おお僕の大切な宝石よ!
 おお 僕の命の神々であるペン、苦難、憤怒、戦慄!
 君らがあればこそ僕はまだ息をしている
 まるでくすぶる松脂が樹液に力づけられて
 消える焔を蘇らすように
 苦しみつつも僕は生きている
 君らのお陰で苦痛は遠く
 希望の奔流(ほんりゅう)が僕を運ぶ
 君らなしでは
 悲痛という目に見えぬ牙が
 嘘つきの殺人者に弾圧された僕の友らが
 死や破滅へと善人を追放するその法に従う恥辱が
 それら全てが鉛色の毒液のように
 僕の命を枯渇させてしまっただろう
 ・・・・・・・・
 行こう、みずからの喧騒をしずめつつ
 耐えよ、おお 正義を渇望した無念の心よ
 君よ、美徳よ、泣いてくれ もし僕が死んだら』


 早瀬住職よ、寺から出ていけ!
 僧俗の階級を誇る傲慢な時代は過ぎ去った
 衣の権力は過ぎ去った
 飼い馴らされた服従は過ぎ去った
 詐欺師の統治は過ぎ去った
 もはや「傲慢」と「差別」の時代は終わった
 詐欺師早瀬よ、立ち去れ!
 われらは知っている
 妙法の前には皆、平等であることを
 一人だけ特別などという人はありえないことを
 今は虚偽も欺瞞も息絶えたことを
 われらは知っている
 謗法にまみれた日顕宗には
 大聖人からの成仏の血脈が完全に切れていることを
 汝らが堕地獄だということを
 邪悪なる者は滅び去ることを!


               平成4年5月23日
   創価学会一会員       熱原勇士


新宿区若松町22番2号
日蓮正宗管長      阿部日顕殿

新宿区若松町22番2号
大願寺住職       早瀬義寛殿

(私のその当時住んでた住所)
 熱原勇士

[この日、大願寺に親教に来た日顕、及び大願寺住職早瀬に速達で、内容証明、配達証明付きで送った、信伏随従書と認めた手紙は、このブログでは「好色じじいケンちゃん 4 信伏随従書1」から「好色じじいケンちゃん 9 信伏随従書6」までの長い手紙となっている]

好色じじいケンちゃん 10 拝啓日如

2008-11-28 22:30:42 | 好色じじいケンちゃん
拝啓(平成4年7月)

 早瀬住職よ貴方との約束は守りましたので、ここにご報告かたがた、お手紙を差し出したしだいです。
 貴方から返事が無いときは、中外日報に投稿する旨をお誓い申し上げましたが、無事に7月3日投稿することができました。
 早瀬住職や日顕猊下は常々、「聖教新聞に書かれている事は、嘘だ。嘘だ。」と罵倒しておりましたので、中外日報に私の記事が取り上げられれば、さすがに猊下も大慈大悲をおこして、私を信徒除名にしていただけるものとおおいに期待しておりましたが、早瀬住職もさぞや無念でしょう。未だに私の記事が取り上げられる気配すらないのであります。
 こうなったら、自費出版して世に問おうと思うのですが、何分にも貧しき身の上、自費出版をしても部数は極めて少なく、ましてや一般新聞の広告に載せるなど、到底無理な話です。
 そこで一つ相談なのですが、早瀬住職に融資をお願いできないものでしょうか。
 池田名誉会長を暗殺するために5億円の融資をされようとされた貴方にとっては、安い融資でありましょう。
 タイトルは『好色じじい ケンちゃん』にしたいと思っています。
 もちろん早瀬義寛住職が編集長であります。
 できましたら編集長に送りますので添削してみてください。
 さて話は変わりますが、私は最近夢を見まして、その中で猊下が大変喜んでいるのであります。
 「ありがとう。ありがとう。手錠を送ってくれてありがとう。こんなにも調法しています。」と、涙ながらに私にお礼を述べているのであります。
 そして「実を言うと、私は獣より劣る人間なので、犬なんかが嵌めている首輪を送ってくんないか」と、猊下に哀願されたのでございます。それは私もすまないことをしたと、懺悔滅罪(ざんげめつざい)の意味からも、猊下に首輪を御供養しようと思っているしだいです。そこで早瀬住職に御指南をいただきたいのですが、「猊下の首まわりは、何センチでしょうか?」後教示お願い致します。
 
 なお、同封した物は、中外日報に送ったものです。他に5月23日に早瀬住職に送った手紙のコピーも同封しておきました。
 最後に好色じじいにくれぐれも宜しくと、お伝えください。

好色じじいケンちゃん 11 拝啓・中外日報編

2008-11-28 22:30:20 | 好色じじいケンちゃん
拝啓(平成4年7月3日)


 私は貴社発行の『崩壊する日蓮正宗』(中外日報編集部編)を読まさせていただきました。実際に中外日報を手にすることのない私にとって、大変興味深いものとなりました。
 さる5月23日、新宿の大願寺に日顕が親教と称して来ましたが、その日に日顕・早瀬義寛(同一の内容を)それぞれに大願寺へ内容証明・配達証明付きの手紙を速達で送りました。徹夜で書きあげ見直す時間もなく、誤字脱字等があって誠にお粗末な手紙ではありますが、教養も教学もない無名の庶民でありますから、どうか御勘弁のほどをお願いします。
 後日、早瀬住職に返事を寄越すようにと手紙を送り、返事が無い場合は中外日報に投稿する旨を伝えました。1ヶ月以上たった現在も、何の音沙汰もなく早瀬住職が返事を寄越す意志のないことがハッキリしましたので、ここに早瀬住職との約束を守るためにも、中外日報に投稿したしだいです。
日顕宗がどんなに叫んでも、わが学会は日蓮が本流であり、その叫びは獅子王の叫びであると信じます。仏法には「還著於本人(げんじゃくおほんにん)」という言葉があります。向こうへ射(い)った矢がかえって自分の方に還(かえ)ってくることですが。宗門が宗規を改竄(かいざん)し、『言論、文書等をもって、管長を批判し、または誹毀(ひき)、讒謗(ざんぼう)したとき。』と、信徒の除名を明記し、信徒に物言わぬように企(くわだ)てたのですが、仏法に違わず、その矢はかえって宗門に突き刺さっているのであります。
 すなわち、創価新報で日顕の卑猥な破廉恥事件を取り上げましたが、この記事は、『言論、文書等をもって、管長を批判し、または誹毀(ひき)、讒謗(ざんぼう)したとき。』の信徒除名宗規にあてはまっているでしょう。しかし、誰も、除名に出来ないのであります。
 たとえ私が、「痴呆性老人の、お山の大将ケンちゃんはもう忘れたかもしれませんが、以前ケンちゃんが金をちらつかせて、身振り手振りでヌード写真を撮らせてくれと、売春婦に熱心に伏せ拝をして懇願する。丑寅(うしとら)の時間に世界の民衆の幸福を御祈祷していると思っていたら、娼婦に亀頭を曝(さら)し、わがままな日顕でありますから、売春婦にキトウ料を払えとせがんだのでありましょうか、売春婦と料金をめぐって警察沙汰になったのであります。」と、こんなお下劣な事を日顕に書いても、日顕は阿呆のバラモンのごとく、口をつぐんだままいるでしょう。この姿こそ「還著於本人(げんじゃくおほんにん)」を証明した姿であるといえるでしょう。
 私のように、学力は高卒で仕事は職工さん、しかも学会にあっても無名の会員から、このような低俗な事を書かれた僧侶は、仏教史上いなかったのではないでしょうか。
 いよいよ、日顕退座の声は盛り上がっています。
 何かと、売春街へ行かれたり、豪遊したりで忙しい事でしょう。法主退座の声明文も書く時間がないでしょうから、代わって私が考えてあげましたので、日顕氏におかれましては、どうぞご参考にしてみて下さい。

日顕退座声明文   《参考例》

 創価学会の皆様にはエロエロとご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした。
 私は痴呆性老人なので忘れていたのですが。私は聖職者ではなくて、生殖者で亀頭師のケンちゃんであることを思い出しましたので、ここに退座を表明いたします。デヘヘヘヘ・・・・。

 
 無名の信徒にここまでバカにされて誠に哀れな日顕であります。
 前回は退座要求の、禅寺の自分の墓でも磨くように雑巾を贈られ、口を噤んでいた日顕が、今回どのようになさるのか見物であります。
 さて、次に紹介する手紙(すでにブログで紹介した信伏随従書のコピー)は、先程述べた、5月23日に早瀬住職・日顕に送った手紙です。
 日顕がいかに、人間らしい対話を拒み、自分勝手な理屈や権威で相手を従わせようとする。独り善(よ)がりな臆病者であるか、篤とご覧になってください。


  中外日報社様
                 平成4年7月3日
  創価学会一会員     熱原勇士
 

 [その当時を振り返って、今から見ても、中外日報社に私が書いた手紙が記事に取り上げられる可能性など全くないが、ただ、予告して、それを実際に実行するという、戦い方を学んだ。このやり方は、ガンジーの闘争からヒントを得たものであった。この後、この本の出版にしろ、雑誌への広告にしろ、インターネットへの公開にしろ、その他、裁判の準備にしろ、すべて、予告して、実行するとの戦いに則(のっと)っている。今後、順次、ブログにて公開していく予定である。]

好色じじいケンちゃん 12 日顕への手紙

2008-11-28 22:29:57 | 好色じじいケンちゃん
日顕への手紙(背景、シアトル事件が創価新報で、報道されてしばらくの間、日顕は口を噤んでいた。その当時〔平成4年7月]の手紙であり。日顕が自ら裁判を起こし、その中で言動を変えるなどし、裁判の場で、墓穴を掘り、自ら裁判を取りやめたのはその後の出来事である。)

 日顕は嘘付きだ!
 不正や虚偽のもとに永続などあるはずがない。貴様等(きさまら)は創価学会がシアトル事件を捏造しデッチあげていると悪宣伝をしているが、お山の中で、独り言のごとく正義を訴えたとしても、それは、「閉ざされた世界」にだけ通用する[閉ざされた論理]で、いかに詭弁を繰り返しても世間一般に通用するものではない。
 もし、学会が真実を語っていないと言うならば、公の場でそれを証明してみせよ。
 しかし、学会が真実を語っているならば、学会を嘘つき呼ばわりしているあなた方(がた)のほうこそ、裁かれるでありましょう。
 しかるに日顕は恐怖にビクビクして、裁判所に登場することを逃げ回っているのであります。
 それは日顕が嘘つきの証拠であります。
 学会ではシアトル事件が裁判にならないことこそ不本意である。だからどうにか、裁判になるようにと励んで、何度もシアトル事件を取り上げ書きつづっているのであります。
  それを日顕は逃げ惑い、堂々と公の場で対論しないで、自分が正しいということは、人間らしい話し合いを拒み、自分勝手な理屈や権威で相手を従わせようとする。独(ひと)りよがりで、一方通行の独白にしかすぎません。まったく道理も筋も通らない話ではないか。
 日顕の奴隷どもこそかわいそうなのだ。いくら学会を嘘つきと呼ぼうとも、すぐにでも、常軌を逸した主張は、非常識で理にかなわず、気違いじみていると罵られるからである。
 真実を抹殺(まっさつ)することはできない。
 ただの石を宝石といっても、宝石になるわけではない。宝石をただの石といっても、石になるわけがないではないか。どんな言葉で飾ろうとも、真実は隠せない。
 事実は事実。 虚偽は虚偽である。
 日顕の生涯は嘘の塊(かたまり)だった。嘘の種子を撒く人は、それを隠すために更なる嘘の種子を撒く。
 その種子はやがて君の首を絞める。
 君はこのようにして死ぬ。嘘つきの天才であると罵られながら。
 『日顕が嘘つきでないなら、堂々と公の場にも立てるであろう。』もし、今の私の主張が誤っているなら、その誤りを、御書から、または裏付けのある論理に基づいてお示しくださるようお願いいたします。
 猊下がおっしゃった。などという中身のない、「論拠なき言い訳」には惑わされません。文献のうえから、また理性のうえから、納得がいくよう説明してほしい。
 それがなければ、どのように言葉巧みに言われても、決してごまかされません。
 シアトルでの日顕の振る舞いの異常さは、人間とは思えないものであり、その欲望のままに趣(おもむ)いた行動は、もはや日顕をまともと呼ぶよりは、『気違い』と呼ぶ方が相応(ふさわ)しく。
 人間と呼ぶよりは、海綿動物と呼ぶほうが相応しいと判断するものであります。
 よってここに、日顕は名前を『海綿動物 ホッスガイ(解説1)』と変えるべきではないだろうか。
 私が日顕のことを『海綿動物 ホッスガイ』などと呼ぶことは、真実をただ単に語っているにすぎない。文句があるなら私を名誉毀損で訴えて裁判で争えばよいではないか。

 
  うそつきケンちゃんよ
  好色じじいよ


 解説1 ホッスガイ・・・海綿動物の一種で、死後に体が崩れて失われ、柄のみ残った姿が、禅僧が煩悩・障碍(しょうげ)を払う標識として用いる払子(ほっす)に似ているためにこう呼ばれる。尚、ここでは日顕が退座せずに、『法主(ほっす)がいぃ』『法主がいぃ』と猊座にしがみついている姿をパロって『ホッスガイ』と名付けたものであります。

好色じじいケンちゃん 13 日顕及び他僧侶への手紙

2008-11-28 22:29:33 | 好色じじいケンちゃん
日顕、及び他僧侶への手紙

 日顕、キサマ、バカヤロー、ワカッテンノカ、ヨー!
 いつまでも待たせるんじゃねぇよ。いつ俺を信徒除名にするんだよ。ぐずぐずしてんじゃねぇよ。この「とうへんぼく」「のろま」「低能児」「くそ馬鹿野郎」の日顕よ。
 早瀬も早瀬だぜ。口では「宗門を動かしてきた有能な僧侶」とか言っておきながら。好色じじいの首まわりも未だに調べられねぇんだから、唐変木(とうへんぼく)もいいところだぜ。
 俺は信伏随従のお手本だよ。
 戸田第二代会長が「大好きな法主サマ」と言ったから猊下に信伏随従だったと、宗門は言っているけどよ、俺なんかは、「大好きな法主サマ」「大好きな法主サマ」と皆に公言してはばからねぇぞ。つまり俺は「信伏随従の鏡」てわけだ。
 だからよ今回も、御供養として「大好きな法主サマ」に、コンドームを一式お届けたしだいですよ。どうせ「大好きな法主サマ」には足りないでしょうが、何せ大好きなんだもの。シアトルじゃ随分とガンバッたらしいじゃない。
 今じゃみんな「大好きな法主サマ」「大好きな法主サマ」と言っているよ。
 俺なんか法主が大好きという事を証明するために、信徒除名になったら、裁判所でシアトルの話を伺って、なるほど世間からも「大好きな法主サマ」だと言われるように努力しているしだいですよ。
 それと約束どおり、創価小学校の入学案内も入れといてあげたから。
 最後に諸僧侶方に、この「好色じじい ケンちゃん」を出版したいと思っているので融資を是非ともお願いいたすしだいでございます。
 ぼんくらの早瀬義寛住職に融資をお願いしましたが、未だにご連絡がないので、ここに新たな融資者を頼むしだいでございます。
 尚、内容に御不満の方は庶務部長の早瀬義寛まで、言ってきて下さい。彼に総て編集を任せてありますので、宜しくお願いいたします。
 それでは「大好きな 大好きな 大好きな法主サマ」と私は宣言して終わりたいと思います。

 平成4年8月24日
    「大好きな法主サマ」と言ってはばからない無名庶民より



[この出版された『好色じじいケンちゃん』に記載される手紙は、基本的に、『熱原勇士信徒除名署名書』(ブログでは 好色じじいケンちゃん 3 熱原勇士信徒除名署名書)に書かれた内容を証明するものを選んでおり、送った手紙の一部分である。その為、この手紙の様に「それと約束どおり、創価小学校の入学案内も入れといてあげたから。」のように話が飛んだように感じられるかもしれない。ここに著された手紙以外にも、日顕や他僧侶に送っている手紙があることを申しあげておきます。]

好色じじいケンちゃん 14 日顕等への手紙

2008-11-28 22:29:11 | 好色じじいケンちゃん
日顕等への手紙

[今から振り返っても、まぁ、よくこんなひどいことを書いたものだと思ってしまう手紙であります。日顕宗は宗門問題を起こし、信徒に物を言わせぬように宗規を改ざんした。その改ざんした宗規とは、『言論、文書等をもって、管長を批判し、または誹毀(ひき)、讒謗(ざんぼう)したとき。(信徒を除名にする)』というものであった。私が今までに示してきた手紙は、「信徒除名にするというならやってみろ!」というものであった。おそらく後世の歴史家は、宗門の弾圧に口を閉ざすどころか、むしろ声を張り上げた人間がいたことを認めるだろう。また、いくら日顕をコケにし、バカにしようとも、ダメだな。と、悟った手紙であります。よくもまぁ、僧侶や法華講員は黙っているものだと不思議に思ったものであり、まぁ、あきれはてましたね。ここまで書かれて、誰ひとり文句を言ってきた人間がいないことが・・・]

  日顕は他人の唾を食べるような下劣な人間だ。
  お前はネズミのごとく、物陰でコソコソと物言うだけである。
  公の場で対話の出来ない、嘘つきのこそ泥ヤロウだ!
  お前が嘘つきでないなら、私を除名にしてみるがよい。
  そして、私と裁判をしろ。
  日顕の大馬鹿ヤロウ出てこい!
  嘘つき日顕よ逃げ出すな!

 早瀬義寛住職も法道院に移られてからは、肩身の狭い思いをされていると伺っています。あなたにとりましては、鉄格子の方がどれほど住みやすいことかと思い、今まで私の怠慢により、その努力をおろそかにしてきました事は誠にすまなく思っています。あなたの幸せのためにボチボチ裁判でもやりましょうかと、提案するしだいであります。

 今まで私は海綿体生物に対して悪口・罵倒してきましたが慈悲広大なためか、信徒除名になることもなくきたわけであります。
 どうせ臆病な海綿体生物殿である。まともにやって私を信徒除名処分にするとは思えない。
 あまり、ひどいことをするのは気がひけるのですが、公の場で対話するためには、いたしかたがない。
 海綿体生物を裁判にひきずり降ろすには、『鳴かぬなら、鳴かせてみせようホトトギス』との方法以外にないのでしょうか?
 例えば次のような方法は、臆病な海綿体生物閣下のお気に召すのではないかと思っているのですが・・・・・海綿体生物の父親の墓石に犬の首輪を巻き付け、墓石に向かって立ちしょんをしている写真を宗内にばらまき、そこに私の住所と名前を書き、『海綿体生物はここまでされて黙っているのか、この男を信徒除名処分にすべきである』・・・・・どうですかね早瀬庶務部長。こんなのはまだまだ序の口、甘いですよね。手緩(てぬる)いと思いますよね。
 まぁ、いずれにしましても楽しみに待っていて下さい。私が、海綿体生物と庶務部長をいかにして、裁判所に引きずりおろすか、逃げるなら閣下の地位が、いかに地に落ちるか海綿体生物閣下とよく対策を話し合って下さい。

 さて、ここで一つワガママなお願いを申し上げたい。それは、日顕宗の高僧には、よくよく日顕の健康には注意してもらいたい。裁判の前にポックリ亡くなられたら、何とも残念この上ない。日顕のほほ肉が以前と比べ痩(こ)けてきているようであります。
 まずはエイズ検査を受けさせるべきでしょう。日顕はじめ遊び好きの僧侶方であられる。中に感染者がいても何ら不思議ではありません。
 また日顕のような独裁者は、自殺して自らの命を断つものが多い。側近の方々は裁判までに、日顕が命を落とすことのないようにくれぐれもお願いしたい。
 また、日顕に見切りをつけている多くの僧侶方も、日顕を殺すような馬鹿な真似はしないでいただきたい。それは仏法者のすることではないからです。
 仏法に照らして日顕は堕地獄、間違いありません。
 日顕よ! 少しでも罪を悔いるなら、もうこれ以上、生き恥を晒(さら)さずに、速やかに退座するがよい。
 もうお前に未来はない。
 もうお前に勝ち目はない。
 卑怯な日顕よ。私がいるかぎり、たとえ裁判から逃げ出しても、お前は退座するはめになるだろう。
 くれぐれも海綿体生物閣下よ命は落とすな、命だけは大切にしていただきたいと念願いたします。

 さて、早瀬住職にはビジネスの融資をお願いしてきましたが、そろそろ準備も出来たのではないでしょうか。勿論、無理にとは言いませんが、猊下とよくよく相談されてみてはいかがでしょうか。決して無理にとは言いませんよ、私は。
 冬は必ず春となる。二人に春が訪れるかどうかは、今後の振る舞いによるでしょう。
 すなわち謗法(ほうぼう)なき生活になれば二人に太陽があたるでしょう。

 海綿体生物閣下殿
 早瀬庶務部長殿
                                           熱原勇士

尚、熱原への連絡先は、早瀬庶務部長が知っているでありましょう。よく内事部より、大白法や妙観が送付されますので、内事部で調べればわかるでありましょう。

1993年2月11日

この手紙は海綿体生物閣下殿の御父上の墓前に御献上さしあげる。


[墓前に献上した手紙と同じものを、当然、日顕や現、日如(早瀬)等ににも送っているわけである。日顕をいかにバカにしてもダメだと悟った私は、この後、日顕への責め方を変えていき、自らの信徒除名署名書を作り、宗門にあたっていくのである]