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7月14日の礼拝の内容です。

2024-07-13 11:34:00 | 日記
7月14日の礼拝の内容です。讃美歌は、83.402.436.452.27です。
オンラインのアドレスはhttps://youtube.com/live/_Gxn5hxjukk?feature=shareです。

礼拝説教     使徒10:17~23「どうぞ、お泊りください」     2024.7.14

 ペトロはいいました。「どうぞ、お泊りください」と。ペトロが泊まっている家に、3人の来客がありました。その来客にペトロがいった言葉です。このペトロの言葉は簡単な内容ではありませんでした。この時に、ペトロの中で大きな変化が起っていたのです。

 使徒言行録は、聖霊を受けたイエス様の弟子たちが、当時の世界にイエス・キリストの福音を伝えていく内容が書かれてあります。

使徒1:8
あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。

 このイエス様の言葉が、使徒言行録の流れになっていきます。イエス・キリストの福音が地の果てに至るまで伝えられるということです。地上のすべての人々に、イエス・キリストの福音が伝えられていくことを意味していますが、それには大きな壁を乗り越える必要がありました。旧約聖書の神の教えです。

 使徒言行録の10章からは、イエス・キリストの福音がユダヤ人から異邦人に伝えられていくことが書かれてあります。カイサリアに住んでいた「イタリア隊」と呼ばれる部隊の百人隊長のコルネリウスという人です。彼は異邦人であるので、ユダヤ教徒ではありませんが、ユダヤ教徒と同じ生活をしていました。信仰心があつく、一家そろって神を畏れ、ユダヤ人に多くの施しをし、絶えず神に祈っていたのです。そのコルネリウスに天使が働きかけます。「あなたの祈りと施しは神の前に届き、覚えられている。今、ヤッファへ人を送って、ペトロを招きなさい」とうものでした。この天使の言葉を聞いて、コルネリウスは2人の召使と側近の部下で信仰心のあつい1人の兵士を送るのでした。

 次に天使は、ペトロに働きかけます。ヤッファの町にいたペトロですが、皮なめし職人シモンの家に客になっていました。昼の12時ごろ、ペトロは祈るために屋上に上がりました。ペトロは祈りながら空腹を覚え、何か食べたいと思いました。人々が食事の準備をしていたのです。この時に、ペトロは幻を見ます。天が開いて、大きな布のような入れ物が、四隅をつるされて、地上に下りて来るのを見たのです。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていました。旧約聖書の教え、レビ記11章に書かれてある清いものと汚れているものを分けることが書かれてあります。それは、食べてもよいものと食べてはならないものがはっきりと区別されていました。つまり、その中には食べてならないものが入っていたのです。天使はペトロに「ペトロよ、身を起し、屠って食べなさい」といいました。しかし、ペトロは、「主よ、とんでもないことです。清くないもの、汚れたものは何1つ食べたことはありません」と答えます。すると、天使は「神が清めたものを清くないなどと、あなたはいってはならない」といいました。このようなことが三度あったと書かれてあります。

 ユダヤ人はずっと旧約聖書の神の教えを守ってきました。レビ記11章に書かれてある食べてよいものと食べてはならないものをはっきりと区別して来たことが分かります。旧約聖書では、神の前で、何が清いものか、何が汚れているかがはっきりと分けられて来ました。その流れで、清いものはユダヤ人だけ、それ以外の異邦人は汚れていると考えられてきたのです。そのために、ユダヤ人は「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。」(使徒10:28)とあるように、外国人つまり異邦人と交際することも、訪問することも避けて来ていました。それほどに、ユダヤ人と異邦人の間には大きな壁がありました。この壁を壊すことは容易なことではありませんでした。

 天使が「ペトロよ、身を起し、屠って食べなさい」といったことに対し、ペトロは「主よ、とんでもないことです。清くないもの、汚れているものは何1つ食べたことがありません」と答えています。それに対して、天使が「神が清めたものを、清くないなどと、あなたはいってはならない」といっています。このようなやり取りが3度繰り返しています。ペトロは3度も、「主よ、とんでもないことです。」と強く否定しています。このやり取りから、神は天使を送って、ペトロを通して、神の救いを実現しようとしています。それは、神の救いがユダヤ人から異邦人へも与えられていくというものです。

 神は最初から、神の救いの業を考えられていました。それは、ユダヤ人を通して、すべての人々への救いを実現するということです。すべての人々への救いを実現するために、神はしっかりとして計画を立てておられました。まず、神の救いはユダヤ人に与えられました。それは、神の子イエス・キリストの十字架へと結びつけるためでした。新約聖書に入り、イエス・キリストの活躍と十字架がありました。このイエス・キリストの十字架は大きな展開の時でした。それまで神の教えと考えられてきた清いものと汚れたものの区別がなくなったのです。

 そして、今日の聖書の内容に入ります。ペトロは3度見た幻のことを1人で思案に暮れていました。すると、コルネリウスから差し向けられた人々が、シモンの家を探し当てて、門口に立ち、声をかけます。異邦人である彼らは、ユダヤ人の家に入ることはできないことを知っていたので、家の門口に立っているのです。「ペトロと呼ばれるシモンという方は、ここに泊まっておられますか」と尋ねています。ペトロがなお幻のことで悩んでいると、天使が「3人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ」といいます。ペトロはその人々の所に行って、「あなたがたが探しているのは、このわたしです。どうして、ここに来られたのですか」と聞きます。すると彼らは「百人隊長コルネリウスは、正しい人で神を畏れ、すべてのユダヤ人に評判の人ですが、あなたを家に招いて話を聞くようにと、聖なる天使からお告げを受けたのです」と答えます。そして、ペトロはその人たちを迎え入れ、泊まらせた」のです。ユダヤ人のペトロが、異邦人の3人を、そのシモンの家に迎え入れ、泊まらせたのです。翌日、ペトロはヤッファを立ち、異邦人の3人と一緒にカイサリアに向けて出発します。カイサリアで待っているコルネリスを尋ねるためにです。ヤッファの兄弟たちも何人か一緒に行ったとあります。

 この後、ペトロとコルネリスはカイサリアで出会うのです。イエス・キリストの福音を語るために、イエス・キリストの福音を聞くために、その出会いが起って行きます。やがて、パウロが登場して来ます。このパウロによって、本格的な異邦人伝道が開始されて行きます。イエス・キリストの福音がユダヤ人から異邦人にも伝えられている、この流れは、神のご計画によるのですが、このことを当時の教会の人々が受け止めることは容易なことではありませんでした。この後、いろいろなユダヤ人からの抵抗を受けることになります。それは、まず教会の中で起って来ます。いろいろなユダヤ人の抵抗があっても、異邦人への伝道は、神がお決めになっていることです。神ご自身が最初から計画していたことでした。イエス・キリストの福音は、アジアからヨーロッパへと、そして、時の流れを経て、アジア、アメリカ、アフリカと伝えられていきます。多くの人々の手を通して、イエス・キリストの福音が伝えられて来ました。

 やがて、アメリカやヨーロッパの宣教師によって、イエス・キリストの福音はこの日本にも伝えられて来ました。日本へのキリスト教の伝道の歴史は困難な歩みでした。それでも、伝道の歩みは続いて行きました。この愛知県瀬戸市にも今から130年以上前に、この地に、イエス・キリストの福音の種がまかれ、教会が生まれました。瀬戸永泉教会の誕生とその歩みが始まっていくのでした。この教会を通して、多くの人々に、イエス・キリストの福音が伝えられていきました。今も、そして、これからも、この教会を通して、この地域の人々に、イエス・キリストの福音の種がまかれていくのです。神の救いは、地の果ての人々に及ぶのです。イスラエルから見れば、遠い、この日本の愛知県の地にも、福音が伝えられています。

 5月に中部教区総会が金沢の地で行われました。そこでは教会の現実の話がなされました。教会員の高齢化、教会財政の悪化などです。新型コロナウィルス感染症の影響、今年1月に起った能登半島地震の影響などです。人間的な視点をみれば、教会の現実と未来は明るい希望を見い出すことが困難になっています。でも、神が共にいてくださいます。聖霊が、私たちの教会と共に歩んでくださいます。その聖霊の働きを信じて、私たちの教会の未来に希望を託していきたいと心から願います。

祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。使徒言行録によって、ペトロによって異邦人コルネリウスのへの伝道の歩みを知ることができました。使徒たちの活躍を知ると共に、聖霊が働いてくださり、その時その時にふさわしい働きや導きをしていることを知ることができました。聖書に書かれてあるように、イエス・キリストの福音は世界中に伝えられていきます。私たちの地域もその恵みに預かることができています。今、教会は困難な時を迎えています。でも、聖霊が共にいてくださることを信じています。私たちが希望を持って、信仰生活を送ることができますように、私たちを守り導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。



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1 コメント

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Unknown (秀和)
2024-07-13 14:25:51
日本での伝道は確かに困難であったと聞きます。
 
しかしそれは宣教師らが寺社を破壊などしていたからです。
日本植民地化の計画も露見し秀吉は激怒しています。
 
『使徒行伝』はパウロの真筆と食い違う部分が多く、記述の正確性が疑問視されています。
■パウロの回心
1) 光によってサウロは地に倒れた。同行者はイエスの 声 は 聞 こ え て も 光や人の姿は見えず、ただ立っていた。(使徒9:4-7)
2) 一緒にいた人々は、見えたが、イエスの 声 は 聞 か な か っ た。(使徒22:9)
3) 「私達が皆地に倒れた時」(使徒26:14)

(3)= 「皆地に倒れた」、「他の人は見えずに立っていた」(1) と矛盾する。
(見えなければまず伏せる事はない)
(2)= 聞こえたはずの (1) と矛盾(しかも見えている)。結局どっちなのか。

結局、事実の叙述ではないからこうなるのではないですか?
 
●ユダの死に方
マタイ27:5 「そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首を吊って死んだ。」
使徒1:18-19 (彼は、........そこへまっさかさまに落ちて、腹がまん中から引き裂け、はらわたがみな流れ出てしまった。)

首吊り後落下して腸を出す事は難しいので、どちらかは創作と思いますが。
キリスト教のない地域に恵みはないのでしょうか。
 
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