祈祷会 士師記8:18~35「ギデオンの晩年」 2024.8.21
士師記6~8章にかけて士師ギデオンのことが書かれてあります。そもそもイスラエルの人々が、神の目に悪とされることを行ったから、神は怒り、イスラエルの人々を7年間、ミディアン人の手に渡されたのです。イスラエルの人々はミディアン人からの苦しみを受けて、神に助けを求めてました。神はイスラエルの人々の叫びに応えて、士師ギデオンを送ったのです。最初に出て来るギデオンは、ミディアン人に奪われるのを恐れて、酒ふねの中で小麦を打っていました。精神的に弱い部分を見せていました。そのようなギデオンですが、ミディアン人と戦うために、300人の勇士と共に戦う、勝利するなど勇気を持っていきました。後から戦いに参加して不満を持ったエフライムの人たちには、相手の言い分を立てる仕方で対応するなど指導者として優れた面を持つようになりました。食糧の援助を断ったスコトの人々とペヌエルの人々には強い態度で出ていきました。いろいろな面で成長し、神への信仰者としてのギデオンの姿を見ることができます。
ギデオンはミディアン人の2人の王であるゼパとツァルムナに対して、逃亡している所を捕らえました。ギデオンは2人にタボルであった自分の身内が殺されたことをいい、2人の王を殺すことを決めます。最初は、長男イエテルに殺すようにいうのですが、彼は恐れてすることができず、ギデオン自身が2人の王を殺しました。この時に、2人の王のらくだの首にかけてあった三日月形の飾りを取っています。これが、ギデオンの罪となっていきます。
イスラエルの人々は、ギデオンに「ミディアン人の手から我々を救ってくださったのはあなたですから、あなたはもとより、御子息が我々を治めてください」といいます。これは、ギデオンにイスラエルの王になって欲しいということです。イスラエルの王が誕生するのはもっと後のことですが、この時にはすでに王を求める心がイスラエルの人々の中にあったことが分かります。ここでギデオンは「私はあなたたちを治めない。息子もあなたたちを治めない。神があなたたちを治めされる」といって、拒否します。このギデオンの対応は神への信仰ということから素晴らしい対応ということができます。ここまではギデオンの神への信仰の素晴らしさを見ることができますが、この後、ギデオンの晩年、悲しい結果となっていきます。
ギデオンはミディアン人の2人の王かららくだの首にかけてあった三日月形の飾りを取っていました。ギデオンはイスラエルの人々に「あなたたちにお願いしたいことがある。各自戦利品として手に入れた耳輪を私に渡して欲しい」と願うのです。敵は金の耳輪をしていたそうです。イスラエルの人々は「喜んで差し上げます」と答え、衣を広げて、そこに各自戦利品の耳輪を投げ入れました。耳輪の目方は金1700シェケルだったそうです。約20キロです。その他に三日月形の飾り、垂れ幕、王たちがまとっていた紫布の衣服などです。ギデオンはそれらの金でエフォド(大祭司が身に着ける物の1つ)を作り、自分の町オフラに置きました。これは何を意味するかというと、ギデオンはイスラエルの王のなることは否定しましたが、祭司になることを願ったと思います。自分自身が神に仕える祭司になり、自分の栄光を持ちたかったのでしょう。これは、神の意志に反することでした。ここで神の罰は出ていませんが、すべてのイスラエルの人々がギデオン自身を神とあがめるようになり、罪を犯すようになりました。人々は姦淫にふけるようになり、ギデオンとその一族にとって罠となっていくのです。ミディアン人はイスラエルの人々によって、征服されたので、もはや頭をもたげることができず、ギデオンの時代40年に渡って、イスラエルは平穏であったとあります。
それでも、ギデオンの晩年は、神への信仰とは遠いものとなっていきます。ギデオンには多くの妻がいて、息子が70人を数えました。シケムにいた側女も1人の子を産みアビメレクと名付けました。やがて、ギデオンは長寿を全うして死にました。ギデオンが死ぬと、イスラエルの人々はまたもバアルに従って姦淫して、バアル・ベリトを自分たちの神としました。イスラエルの人々は、周囲のあらゆる敵の手から救ってくださった神を心に留めることがなくなりました。イスラエルのために尽くしたギデオンのすべての功績にふさわしい誠意を示すこともしなかったのです。
ギデオンと300人の勇士が命をかけてミディアン人と戦ったことは、どのような意味があったのでしょうか。ギデオン自身も、神への信仰を持ちながら、自らが祭司としてふるまうことを願いました。多くの妻を持ち、そこからギデオン自身とその子どもたちに悲劇が及ぶようになっていきます。イスラエルの人々は、再び神への信仰はなくなり、簡単にバアルを信じていくようになっていく、このイスラエルの人々の罪の重さを深く感じるのです。どうして、イスラエルの人々は、どんなにひどい目にあっても、神への信仰を捨て、バアルへの信仰を持つようになっていくのでしょうか。人間としての罪の深さを、イスラエルの人々は私たちに教えてくれます。それでも、神へイスラエルの人々と共に歩んでくださるのです。
祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。ギデオンの晩年について見てきました。信仰者ギデオンが、金を集め、大祭司の身に着けるエフォドを作りました。神への思いから、自分の思いが強くなっていきました。多くの妻を持ち、70人の子どもたちがいて、そこで多くの問題が生じて来ます。ギデオンが死んで、イスラエルの人々はまたバアルの神を信じるようになってしまします。人間の弱さを感じます。そのようなイスラエルの人々に対して、神は離れることはなく、共に歩んでくださいます。私たちも神への信仰を強く持って歩むことができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志))
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