祈祷会 サムエル記上17:41~58「ゴリアトに勝つダビデ」 2025.8.27
イスラエルの最初の王サウルの時代のことです。イスラエルはペリシテ人と戦うことになりました。イスラエルの人々の歩みは絶えることのない戦いの歴史です。これは私たち人間自身の歴史でもあります。イスラエル対ペリシテ、ペリシテの陣地から1人の戦士が進み出て来ました。その名をゴリアトといい、ガド出身で、背丈は約3mあります。完全な武装をしています。ゴリアトは立ちはだかって、イスラエルの陣地に向かって呼ばわって「わたしはペリシテ人、お前たちはサウルの家臣、1人を選んで、わたしの方に下りて来させよ。その者にわたしと戦う力があって、もしわたしが敗れれば、我々はお前たちの奴隷となろう。だが、わたしが勝てば、お前たちは我々の奴隷となるのだ。今日、わたしはイスラエルに挑戦する。相手を1人出せ。一騎打ちだ」といいます。それを聞いたイスラエルの全軍は、恐れおののくです。
そこで登場して来るのがダビデです。サウルは、この時には神やサムエルから王としての役割を外されているのですが、実際は、イスラエルの王であり続けています。ダビデにとって、ペリシテ人ゴリアトとの戦いは、イスラエルの歴史の中で英雄として登場する舞台となっていきます。ベツレヘムで羊飼いだった少年ダビデが、イスラエルの英雄となっていきます。ゴリアトの前で、イスラエル軍の誰も、サウルも恐れおののいています。ダビデの登場ですが、ダビデの兄たちが、この戦いに出ていました。父のエッサイはダビデに、戦場にいる兄たちに食事を届けるようにといいます。そのためにダビデは、戦いの場に行き、兄たちに食事を届ける時に、敵陣からのゴリアトと出会うことになります。大男のゴリアトに、味方のイスラエル軍のすべてが恐れおののいている姿を見て、ダビデは1人でゴリアトに向かって行く決意をします。
ダビデは思います。なぜ、神に選ばれた生ける神の戦列が、あのペリシテ人に恐れおののいているのかということです。ダビデはサウルのもとに来て、「あの男のことで、だれも気落ちしてはなりません。僕が行って、そのペリシテ人と戦いましょう」といいます。サウルは「お前が出てあのペリシテ人と戦うことはできはしまい。お前は少年だし、向こうは少年の時から戦士だ」とダビデにいいます。ここでダビデは、自分が羊飼いで、獅子や熊と戦い勝利して来たことを話し、獅子の手、熊の手からわたしを守ってくださった主は、あのペリシテ人の手からも、わたしを守ってくださるに違いありません」といって、必ず勝利することをいいます。サウルはダビデに戦いに出て行くことを許し、自分の装備を貸しますが、ダビデはそのような装備は慣れていないので返し、自分の杖を手に取ると、川岸から滑らかな石を5つ選び、身に着けていた羊飼いの投石袋に入れ、石投げ紐を手にして、そのペリシテ人に向かって行くのです。
いよいよダビデとゴリアトの戦いが始まっていきます。ゴリアトは盾持ちを先に立て、ダビデに近づきます。ゴリアトは見渡し、ダビデを認め、ダビデが血色の良い、姿の美しい少年だったので、侮るのです。ゴリアトの思いと違っていたのでしょう。きっと強そうな相手が出て来ると思い描いていたのでしょう。それが少年だったので侮ったと思います。ゴリアトはダビデに「わたしは犬か。杖を持って向かって来るのか」といい、自分の神々によってダビデを呪い、更に「さあ来い。お前の肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう」といいます。ダビデは「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはイスラエルの神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。今日、主はお前をわたしの手に引き渡される。主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まっているすべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ。主はお前たちを我々の手に渡される」といいます。
ゴリアトは身構え、ダビデに近づいて行きます。ダビデも急ぎ、ゴリアトに立ち向かうため戦いの場に走って行きます。ダビデは袋に手を入れて小石を取り出すと、石投げ紐を使って飛ばし、ゴリアトの額を撃ちました。石はゴリアトの額に食い込み、ゴリアトはうつ伏せに倒れます。ダビデは石投げ紐と石1つで、このペリシテ人に勝ち、ゴリアトを打ち殺しました。ダビデは走り寄って、ゴリアトの上にまたがると、ゴリアトの剣を取り、さやから引く抜いてとどめを刺し、首を切り落とすのです。戦いとはいえ、残酷なことです。ダビデの勝利となりました。ペリシテ軍は自分たちの勇士が殺されたのを見て、逃げ出して行きます。イスラエル軍は追って行き、勝利を確実なものとします。
少年ダビデが、ペリシテ人の大男ゴリアトを倒して、イスラエルの英雄となっていきます。このダビデとゴリアトの戦いは、神とペリシテ人の神との戦いでもあります。神が勝利していくことが、ダビデの勝利によって証明されるのです。旧約聖書の時代、イスラエルをはじめ、多くの民族があって、その存在感をかけて戦っていくのです。各民族にはそれぞれの神々がいました。民族間の争いは、神と神との戦いということもできます。その中で、イスラエルの神が勝利していく、それが本当の神は誰かという答えとなっていくのです。イスラエル対ペリシテの戦いで、大男ゴリアトの前で、恐れおののいているイスラエル、またはサウル、神を信じるダビデが登場して来て、少年ダビデが、神が共にいてくださる、共に戦ってくださるという信仰を持って、ゴリアトとの戦い、勝利していく、イスラエルがいかに神を信じて歩んでいくのかを教えているのです。
私たちも日々の生活の中で、いろいろなことが起って来ます。目の前に大きな試練が起ることがあります。大きな困難や苦しみが襲ってくることもあります。そのような私たちは、どうして行けばいいのか分からない、神を信じることもできない、目の前に絶望しか見えない時があります。そのような私たちに、ダビデの行動は、神がいつも私たちと共にいてくださることを教えてくださっています。
祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。ダビデとゴリアトの戦いをみてきました。戦いは本当に残酷なものです。人間は、このような戦いを繰り返し行って来ています。その中で、神を信じて生きることの意味をダビデの歩みを通して考えていくことができますように導いてください。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)