祈祷会 サムエル記上17:26~40「戦いの準備をするダビデ」 2025.8.20
イスラエルの王サウルの時代に、イスラエルはペリシテ人との戦いの中にありました。ペリシテ軍は一方の山に、イスラエル軍は谷を挟んでもう一方の山に陣取りました。ペリシテの陣地から1人の戦士が進み出てきました。その名をゴリアトといいガド出身で、身長は2.8mもあり、しっかりと武装していました。ゴリアテは立ちはだかり、イスラエルの戦列に向かって「今日、わたしはイスラエルの戦列に挑戦する。相手を1人出せ。一騎打ちだ」と呼ばわりました。サウルとイスラエルの全軍は、このペリシテ人ゴリアトの言葉を聞いて恐れおののくのです。イスラエルの側では誰一人、出て行くことはできません。ゴリアトは少年の頃から戦士であり、戦いに慣れていて、絶対に勝つ自信があったのでしょうか。そうでなければ、このような戦いを仕掛ける勇気はないと思います。その絶対的な自信が、ゴリアトの敗北の理由となっていくような気がします。
そこにダビデが登場するのです。ダビデは、サムエル記上16章で、サムエルを通して油を注がれています。ここでは、サウル王の心の病のために、竪琴の名手として登場して来ます。サウル王が心の病で苦しんでいる時に、ダビデは傍らで竪琴を弾きますと、サウル王は心が安まって気分が良くなっていきます。このようにダビデの役割は、竪琴の名手としての働きでした。この17章では、戦いの勇士として登場して来るのです。ダビデはユダのベツレヘムの出身で、エッサイの息子でした。エッサイには8人の息子たちがいました。上の3人は、この時にペリシテ人との戦いに出ていました。末っ子がダビデだったのです。ダビデは行ったり来たりして、サウルに仕えたり、ベツレヘムの父の羊の世話などをしていました。ある日、エッサイはダビデに、「戦地で戦っている兄たちに、食事をもって行きなさい。そして、兄たちの安否を確かめ、そのしるしをもらって来なさい」と命じました。
ダビデは翌朝、父が命じたものを担いで出かけました。戦地に着き、兄たちに食料を渡します。そこにペリシテ人ゴリアテが出て来て、一騎打ちを求め、叫びます。イスラエル兵は皆、ゴリアトを見て、後退し、甚だしく恐れています。ダビデは周りにいる兵に「あのペリシテ人を打ち倒し、イスラエルからこの屈辱を取り除く者は、何をしてもらえるのですか。生ける神の戦列に挑戦するとは、あの無割礼のペリシテ人は一体何者ですか」と聞いています。ここで兵士は、ゴリアトに挑戦し、戦い、勝利した者には、サウル王から御褒美をもらえるといいました。ダビデにとって問題は、サウル王からの御褒美ではなく、なぜ、神に選ばれたイスラエルが、1人のペリシテ人の前で恐れおののいているのかということです。この時に、ダビデが他の兵と話しているのを見て、長男エリアブは「何をしにここに来たのか。荒れ野にいるあの少しばかりに羊を誰に任せて来たのか。お前の思い上がりと野心はわたしが知っている。お前が来たのは、戦いを見るためだろう」とダビデに腹立てていいます。ダビデは反論して「わたしが今、何をしたというのですか。話をしているだけではありませんか」といいます。ダビデのいったことはサウル王に知られることになります。
ダビデはサウル王に「あの男のことで、だれも気を落としてはなりません。僕が行って、あのペリシテ人と戦いましょう」といいます。サウル王は「お前が出てあのペリシテ人と戦うことなどできはしまい。お前は少年だし、向こうは少年の時から戦士だ」といって、無理だというのです。少年と大男ゴリアトの戦いでは、勝敗が目に見えている、ダビデの敗北は明白だというのです。人間的な視点で見れば間違いのないことだと考えます。しかし、ダビデはサウル王に「僕は、父の羊を飼う者です。獅子や熊が出て来て群れの中から羊を奪い取ることがあります。その時には、追いかけて打ちかかり、その口から羊を取り戻します。向かって来れば、たてがみをつかみ、打ち殺してしまいます。わたしは獅子も熊も倒して来たのですから、その無割礼のペリシテ人もそれらの獣の一匹のようにしてみましょう。生ける神の戦列に挑戦したのですから」と強くいっています。ダビデは更に「獅子の手、熊の手からわたしを守ってくださった主は、あのペリシテ人の手から、わたしを守ってくださるに違いありません」と強くサウル王にいいます。
サウルはダビデに「行くがよい。主がお前と共におられるように」といって、戦いに出ることを承知します。サウル王は自分の装束をダビデに着せました。しかし、当然のようにサウルの武具はダビデには合いません。ダビデはサウル王に「こんなものを着たのでは、歩くこともできません。慣れていませんから」と答えて、サウル王の装束を脱ぎ去り、自分の杖を手に取ると、川岸から滑らかな石を5つ選び、身に着けていた羊飼いの投石袋に入れ、石投げ紐を手にして、そのペリシテ人ゴリアトに向かって行きます。いよいよダビデとゴリアトの戦いが始まろうとしていきます。
ペリシテ人の大男ゴリアトの前に恐れおののくイスラエルの兵士たち、その中で、ダビデだけが恐れることなく、戦いに出て行くことができるのでしょうか。ダビデ自身もいっているように羊飼いとしての経験、獅子や熊との戦いがあり、勝利して来た経験があり、またイスラエル軍が生ける神の戦列と理解していたからでしょうか。ダビデは、羊飼いとして、また竪琴の名手として、神との交わりがあり、神がダビデと共にいてくださり、守り導いてくださっているという経験の中で、ゴリアトの前に出て行くことができたのでしょう。私たちは、このダビデの神への信仰と行動を見て、何を学ぶことができるのでしょう。
祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。巨大な敵であるゴリアトの前に、少年ダビデは戦いに出て行こうとします。神が共にいてくださり、必ず勝利を与えてくださるという信仰があったのでしょう。私たちもダビデの信仰と行動から、何を学ぶことができるのでしょうか。私たちも大きな困難と試練を前にして、神の導きを信じて歩むことができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)