7月13日の礼拝の内容です。讃美歌は、83.211.430.459.26です。
礼拝のオンライン配信は、「瀬戸永泉教会」YouTubeチャンネルから入ってください。
礼拝説教 使徒17:1~9「死者の中からの復活」 2025.7.13
がん哲学外来という言葉を聞いたことがありますか。教会では、10月19日の教会創立137周年記念日礼拝の時に、特別講演会として、がん哲学外来の提唱者である樋野興夫先生とお呼びして、お話を聞く予定です。今回の企画は、教会の皆様に、がん哲学外来のことを知って欲しいと願いがあります。がん哲学外来のことは、信徒の友で何度か特集されました。がん哲学外来については、そのホームページの最初に次のような言葉が書かれてあります。
多くの人は、自分自身または家族など身近な人ががんにかかったときに初めて死というものを意識し、それと同時に、自分がこれまでいかに生きてきたか、これからどう生きるべきか、死ぬまでに何をなすべきかを真剣に考えます。一方、医療現場は患者の治療をすることに手いっぱいで、患者やその家族の精神的苦痛まで軽減させることはできないのが現状です。そういった医療現場と患者の間にある“隙間”を埋めるべく、「がん哲学外来」が生まれました。科学としてのがんを学びながら、がんに哲学的な思考を取り入れていくという立場です。そこで、隙間を埋めるために、病院や医療機関のみならず、集まりやすい場所で、立場を越えて集う交流の場をつくることから活動を始めました。2009年、この活動を全国へ展開をしていくことを目指し、樋野興夫を理事長に「特定非営利活動法人(NPO法人)がん哲学外来」を設立しました。2011年には、隙間を埋める活動を担う人材の育成と活動を推進するために「がん哲学外来市民学会」が市民によって設立されるとともに、「がん哲学外来コーディネーター」養成講座も始まりました。こうして、がん哲学外来が“対話の場”であるメディカルカフェという形で全国に広がり、現在ではメディアで取り上げられるほど注目されるようになりました。また、地域の有志による運営、病院での常設などのほか、さまざまな形で協力してくださる企業も増えてきました。
以上が、がん哲学外来のホームページで出て来る「がん哲学外来とは何か」という文章の一部です。人が自分や家族ががんになった時に、どう対処すべきかということを話し合うカフェという形で行われています。私は今、愛知国際病院のホスピスでチャプレンとして働いていますが、患者さんや家族、またはスタッフとの関りの中でいろいろなことを考える機会をいただいています。自分や家族ががんになるということは死を考えることになります。普段には考えることを避けていた死を、どうしても考える必要性を受け止めることになります。私は、10月19日の講演会の準備として、日本キリスト教団金城教会を会場として行われているがん哲学金城カフェに、今年1月から行くようになりました。第3火曜日の午後に行われています。カフェの中心は、1つが4.5人のグループになって、その中で自由に話すことができます。その中にはがんの方やその家族の方々にいて、それぞれの思いを語ってくださいます。誰かに話すことによって、少しでも前向きな思いになることができると思います。ホスピスでも患者さんや家族の思いを聞く中で、死への恐怖が口から出てきます。死にたくない。死が怖い。素直な思いです。考えてみれば、誰もが死を迎える時がやって来るのですが、いざ、その時になると、本当に辛いものだと感じています。
少し、がん哲学外来の話が長くなってしまい、申し訳ありません。今日の使徒言行録の内容は、パウロの第2回伝道旅行、テサロニケでの伝道の様子が書かれてあります。イエス・キリストの福音がアジアからヨーロッパに伝えられていきます。ヨーロッパの最初の地は、フィリピでした。このフィリピの場所で、ユダヤ人の祈りの場である川で、リディアという女性に出会いました。このリディアの家がフィリピの教会の拠点となっていくのです。パウロたちは1人の女性を助けたために、ひどい目にあいました。裸にされて激しい鞭打ちを受け、牢に閉じ込められました。不思議な神の導きがあって、牢の看守と家族の救いのことが書かれてありました。その後、テサロニケに行くのです。テサロニケでは、ユダヤ人の会堂がありました。パウロはいつものように、ユダヤ人が集まっている場所に入って行きました。このユダヤ人の会堂には、ユダヤ人だけではなく、神をあがめる多くのギリシャ人や、かなりの数のおもだった婦人たちがいました。パウロはここで3回の安息日にわたって、聖書を引用して論じ合います。
使徒17:3
「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。
このパウロの話を聞いて、何人かのユダヤ人、神をあがめるギリシャ人、かなりの数のおもだった婦人たちが信じるようになっていったのでした。その後で、ユダヤ人のねたみにあい、騒動になっていきます。ユダヤ人たちがパウロたちを当局者に訴えていくのですが、その内容が「彼らが皇帝の勅令に背いて、イエスという別の王がいるといっています」というと、これを聞いた群衆や町の当局者たちは動揺していきます。
キリスト教の歩みを見ていきますと、最初、ユダヤ人の抵抗にあっていきました。その時に、守ってくれるのがローマ帝国だったのです。使徒言行録を読んでいますが、ユダヤ教から出て来たキリスト教は、最初はユダヤ教の中の一派と考えられていました。キリスト教はユダヤ教の中でも間違った教えとして攻撃の対象となっていったのです。パウロの伝道旅行を読んでいくと、ユダヤ人の迫害化の中で、伝道していく様子が書かれてあります。そのキリスト教を守ってくれたのがローマ帝国でした。しかし、時代が進んでいくと、ローマ帝国によるキリスト教迫害が起っていくようになります。ヨハネの黙示録などは、その影響の中で書かれてあります。
ローマ帝国は、大きな領土を抱えていて、何よりも大切にしていたのは、領土内が平和で安定していることでした。大きなローマ帝国内を治めるために、1つの象徴が必要でした。それがローマ皇帝だったのです。ローマ皇帝内に住んでいる者はローマ皇帝に対する忠誠が求められていきました。それは政治的な理由からでした。何よりも、平和で安定が大切だったのです。しかし、キリスト教徒は、神ご自身が真の支配者であると信じていました。それ以上の者を拝むことは偶像礼拝として禁じられていたからでした。後に、キリスト者は、神か、ローマ皇帝かと問われる時がやって来ます。その時に、多くのキリスト者は、神のみをわが主と拝み、ローマ皇帝を拝むことを拒否して、迫害を受けるようになっていくのです。
このパウロのテサロニケでの伝道は、後のキリスト教の歩みを象徴していくようになっていくのです。人々にとって日常の生活のことは大切なことです。日々の生活の中で追われて、いろいろな悩みの中で私たちは生きているのです。これはいつの時代でも変わることのことだと思います。パウロが語った聖書の言葉「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活する。このメシアはわたしが伝えているイエスである」は、キリスト教の本質をいっています。死者の中からの復活です。この死者の中からの復活は、この世の歩みを越えて、後の世の歩みのことを示しています。いわゆる神の国での生活です。
最初に、私は10月19日の特別講演会の話をしました。がん哲学外来ことです。自分や家族ががんとなった時に、どう生きるかということを考えていこうとするものだと思います。私たちは今まで、一緒に信仰生活を守って来た兄弟姉妹を、神のみもとに送って来ました。そして、いつかは私たちも神のみもとに行く時がやって来ます。私たちは今を真剣に生きています。しかし、それだけではありません。死者の復活を信じています。真の神を信じています。今生きている地上の歩みだけではなく、後の新しい歩みのことも知っています。そうです。神と共にある生活です。
ヨハネの黙示録21:1~4
わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
私たちは、この神の国を待ち望みながら、生きていくのです。私たちはいつかこの地上の世界を去って行きます。そして、神による神の国での生活、神と共にある生活を待ち望むのです。
祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。いつかくる死のことを考えながら、でもあなたによって、私たちに約束されている神の国ついて考えてきました。死は、やはり怖いものです。でも、いつかその日を迎える時がやって来ます。恐れながらも、その先にある神の約束を信じて歩むことができる者となることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。