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7月13日の礼拝の内容です。

2025-07-12 20:10:00 | 日記
7月13日の礼拝の内容です。讃美歌は、83.211.430.459.26です。
礼拝のオンライン配信は、「瀬戸永泉教会」YouTubeチャンネルから入ってください。

礼拝説教      使徒17:1~9「死者の中からの復活」     2025.7.13

 がん哲学外来という言葉を聞いたことがありますか。教会では、10月19日の教会創立137周年記念日礼拝の時に、特別講演会として、がん哲学外来の提唱者である樋野興夫先生とお呼びして、お話を聞く予定です。今回の企画は、教会の皆様に、がん哲学外来のことを知って欲しいと願いがあります。がん哲学外来のことは、信徒の友で何度か特集されました。がん哲学外来については、そのホームページの最初に次のような言葉が書かれてあります。

多くの人は、自分自身または家族など身近な人ががんにかかったときに初めて死というものを意識し、それと同時に、自分がこれまでいかに生きてきたか、これからどう生きるべきか、死ぬまでに何をなすべきかを真剣に考えます。一方、医療現場は患者の治療をすることに手いっぱいで、患者やその家族の精神的苦痛まで軽減させることはできないのが現状です。そういった医療現場と患者の間にある“隙間”を埋めるべく、「がん哲学外来」が生まれました。科学としてのがんを学びながら、がんに哲学的な思考を取り入れていくという立場です。そこで、隙間を埋めるために、病院や医療機関のみならず、集まりやすい場所で、立場を越えて集う交流の場をつくることから活動を始めました。2009年、この活動を全国へ展開をしていくことを目指し、樋野興夫を理事長に「特定非営利活動法人(NPO法人)がん哲学外来」を設立しました。2011年には、隙間を埋める活動を担う人材の育成と活動を推進するために「がん哲学外来市民学会」が市民によって設立されるとともに、「がん哲学外来コーディネーター」養成講座も始まりました。こうして、がん哲学外来が“対話の場”であるメディカルカフェという形で全国に広がり、現在ではメディアで取り上げられるほど注目されるようになりました。また、地域の有志による運営、病院での常設などのほか、さまざまな形で協力してくださる企業も増えてきました。

以上が、がん哲学外来のホームページで出て来る「がん哲学外来とは何か」という文章の一部です。人が自分や家族ががんになった時に、どう対処すべきかということを話し合うカフェという形で行われています。私は今、愛知国際病院のホスピスでチャプレンとして働いていますが、患者さんや家族、またはスタッフとの関りの中でいろいろなことを考える機会をいただいています。自分や家族ががんになるということは死を考えることになります。普段には考えることを避けていた死を、どうしても考える必要性を受け止めることになります。私は、10月19日の講演会の準備として、日本キリスト教団金城教会を会場として行われているがん哲学金城カフェに、今年1月から行くようになりました。第3火曜日の午後に行われています。カフェの中心は、1つが4.5人のグループになって、その中で自由に話すことができます。その中にはがんの方やその家族の方々にいて、それぞれの思いを語ってくださいます。誰かに話すことによって、少しでも前向きな思いになることができると思います。ホスピスでも患者さんや家族の思いを聞く中で、死への恐怖が口から出てきます。死にたくない。死が怖い。素直な思いです。考えてみれば、誰もが死を迎える時がやって来るのですが、いざ、その時になると、本当に辛いものだと感じています。

少し、がん哲学外来の話が長くなってしまい、申し訳ありません。今日の使徒言行録の内容は、パウロの第2回伝道旅行、テサロニケでの伝道の様子が書かれてあります。イエス・キリストの福音がアジアからヨーロッパに伝えられていきます。ヨーロッパの最初の地は、フィリピでした。このフィリピの場所で、ユダヤ人の祈りの場である川で、リディアという女性に出会いました。このリディアの家がフィリピの教会の拠点となっていくのです。パウロたちは1人の女性を助けたために、ひどい目にあいました。裸にされて激しい鞭打ちを受け、牢に閉じ込められました。不思議な神の導きがあって、牢の看守と家族の救いのことが書かれてありました。その後、テサロニケに行くのです。テサロニケでは、ユダヤ人の会堂がありました。パウロはいつものように、ユダヤ人が集まっている場所に入って行きました。このユダヤ人の会堂には、ユダヤ人だけではなく、神をあがめる多くのギリシャ人や、かなりの数のおもだった婦人たちがいました。パウロはここで3回の安息日にわたって、聖書を引用して論じ合います。

使徒17:3
「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。

 このパウロの話を聞いて、何人かのユダヤ人、神をあがめるギリシャ人、かなりの数のおもだった婦人たちが信じるようになっていったのでした。その後で、ユダヤ人のねたみにあい、騒動になっていきます。ユダヤ人たちがパウロたちを当局者に訴えていくのですが、その内容が「彼らが皇帝の勅令に背いて、イエスという別の王がいるといっています」というと、これを聞いた群衆や町の当局者たちは動揺していきます。

 キリスト教の歩みを見ていきますと、最初、ユダヤ人の抵抗にあっていきました。その時に、守ってくれるのがローマ帝国だったのです。使徒言行録を読んでいますが、ユダヤ教から出て来たキリスト教は、最初はユダヤ教の中の一派と考えられていました。キリスト教はユダヤ教の中でも間違った教えとして攻撃の対象となっていったのです。パウロの伝道旅行を読んでいくと、ユダヤ人の迫害化の中で、伝道していく様子が書かれてあります。そのキリスト教を守ってくれたのがローマ帝国でした。しかし、時代が進んでいくと、ローマ帝国によるキリスト教迫害が起っていくようになります。ヨハネの黙示録などは、その影響の中で書かれてあります。

 ローマ帝国は、大きな領土を抱えていて、何よりも大切にしていたのは、領土内が平和で安定していることでした。大きなローマ帝国内を治めるために、1つの象徴が必要でした。それがローマ皇帝だったのです。ローマ皇帝内に住んでいる者はローマ皇帝に対する忠誠が求められていきました。それは政治的な理由からでした。何よりも、平和で安定が大切だったのです。しかし、キリスト教徒は、神ご自身が真の支配者であると信じていました。それ以上の者を拝むことは偶像礼拝として禁じられていたからでした。後に、キリスト者は、神か、ローマ皇帝かと問われる時がやって来ます。その時に、多くのキリスト者は、神のみをわが主と拝み、ローマ皇帝を拝むことを拒否して、迫害を受けるようになっていくのです。

 このパウロのテサロニケでの伝道は、後のキリスト教の歩みを象徴していくようになっていくのです。人々にとって日常の生活のことは大切なことです。日々の生活の中で追われて、いろいろな悩みの中で私たちは生きているのです。これはいつの時代でも変わることのことだと思います。パウロが語った聖書の言葉「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活する。このメシアはわたしが伝えているイエスである」は、キリスト教の本質をいっています。死者の中からの復活です。この死者の中からの復活は、この世の歩みを越えて、後の世の歩みのことを示しています。いわゆる神の国での生活です。

 最初に、私は10月19日の特別講演会の話をしました。がん哲学外来ことです。自分や家族ががんとなった時に、どう生きるかということを考えていこうとするものだと思います。私たちは今まで、一緒に信仰生活を守って来た兄弟姉妹を、神のみもとに送って来ました。そして、いつかは私たちも神のみもとに行く時がやって来ます。私たちは今を真剣に生きています。しかし、それだけではありません。死者の復活を信じています。真の神を信じています。今生きている地上の歩みだけではなく、後の新しい歩みのことも知っています。そうです。神と共にある生活です。

ヨハネの黙示録21:1~4
わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」

 私たちは、この神の国を待ち望みながら、生きていくのです。私たちはいつかこの地上の世界を去って行きます。そして、神による神の国での生活、神と共にある生活を待ち望むのです。

祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。いつかくる死のことを考えながら、でもあなたによって、私たちに約束されている神の国ついて考えてきました。死は、やはり怖いものです。でも、いつかその日を迎える時がやって来ます。恐れながらも、その先にある神の約束を信じて歩むことができる者となることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。


7月9日の祈祷会の内容です。

2025-07-08 19:51:00 | 日記
祈祷会   サムエル記上14:38~52「イスラエルの最初の王サウルの歩み」   2025.7.9

 サムエル記では、イスラエルに新しい王が誕生します。最初に選ばれた王がサウルでした。サウルは、神によって選ばれた王でした。神の目からすれば、サウルはイスラエルにふさわしい王として見えたのでしょう。そのサウルですが、最初は神への信仰者として登場して来ますが、少しずつ、自分への思いが強くなり、神への信仰心は薄くなっていきます。サムエル記は、そのイスラエルの最初の王として登場して来たサウルを神からもサムエルからも見捨てられていく様子を描いています。そして、最後は悲しい死を遂げていきます。サウル王の歩みを通して、人間の弱さとは何かを私たちに伝えていこうとしています。

 サウルの時代、イスラエルはペリシテ人との戦いが続いて行きます。サウルが王となって2年目に、ペリシテ軍と戦いになっていこうとします。この時に、サウルの元には3000人の兵士がいました。敵であるペリシテ軍は大軍です。軍事力を見ればイスラエルは圧倒的に不利な状況にありました。この時にサウルの息子ヨナタンは、神を信じて、ペリシテ軍と戦いに出て行きます。たった2人で出て行きます。最初の攻撃で、ペリシテ軍の守備隊20人を倒していきます。その時に、神によって大地震が起り、更にペリシテ軍が混乱します。ついには同士討ちまでしてしまいます。ペリシテ軍の混乱を知ったサウルの軍隊は一斉に攻撃をして来ます。また、ペリシテ軍の中にいたイスラエルの兵も、イスラエル軍に加わって戦っていきます。また、エフライムの山地に身を隠していたイスラエルの人々もペリシテ軍が逃げ始めたと聞くと戦いに加わって、ペリシテ軍を追っていきます。サウル王の息子ヨナタンと兵士の働きで、イスラエルに有利に戦いは進んでいこうとしています。

 この時に、サウルはイスラエル軍にある誓いを立てていました。それは、「日の落ちる前に、私が敵に報復する前に、食べ物を口にする者は呪われよ」というものでした。兵士の誰も食べ物を口にする者はいなかったのです。この地方では森に入りさえすれば、地面に蜜があったのです。兵士が森に入ると蜜が滴っていましたが、誰も蜜を口に入れる者はいませんでした。サウル王の呪いの誓いを知っていたからです。イスラエルの兵士たちは飢えで苦しんいる状態になっていました。サウルの呪いの誓いのゆえに、飢えで苦しみことになってしまったのです。ヨナタンはサウル王の呪いの誓いを知りませんでした。そのために、口に蜜をつけて目が輝いていくのです。食べた後で、兵士がサウルの誓いを話すと、サウルの誓いを批判します。兵士に飢えによって、十分な戦いができなっているという批判です。

 イスラエル軍はペリシテ軍を追っていきます。兵士は非常に疲れていました。ついに兵士は戦利品に飛びかかり、羊、牛、子牛を捕らえて地面で屠り、血を含んだまま食べてしまいました。血を含んだまま肉を食べることを律法は禁じていました。兵士がそのようになってしまったのは、サウルの呪いの誓いのゆえでした。サウルは、兵士たちに罪のことをいい、大きな石を持って来させて、初めて主のために祭壇をつくり、ささげものをして、兵士たちに自分たちの家畜を連れて来て、血を取り除いたままで食べることをさせていきます。表面的なことで終らせようとしていました。

 さて、サウルは祭司の勧めもあって、神に「ペリシテ軍を追っていくべきでしょうか」と尋ねます。しかし、この時に、神はサウルに答えられませんでした。サウルは、イスラエルの中で、自分の呪いの誓いを破った者がいると判断して、くじ引きによって犯人捜しをします。神がサウルに答えてくれなかったっこと、それが神の答えでした。すべてはサウル自身の罪によって、兵士の罪を起してしまったのです。そのことにサウルは気づいていません。そこで、誓いを破った者を捜そうとして、くじ引きを選択するのです。くじでヨナタンが選ばれました。ヨナタンは父サウルに、自分が蜜を食べたことを告白しています。しかし、この時にヨナタンは父の呪いの誓いを知りませんでした。そのことを言い訳にすることなく、食べたことを正直に話しています。サウルはヨナタンに「お前は死ななければならない」とはっきりといいます。サウルは自分のした過ちのことを知らずに、ヨナタンの死を宣言している。ヨナタンはサウルの誓いを知らなかったとはいわない。どうしてなのだろうかと思います。

 しかし、ここで今まで、沈黙を守っていた兵士がはっきりと反対の意をいいます。サウルに「イスラエルにこの大勝利をもたらしたヨナタンが死ぬべきだというのですか。とんでもないことです。今日、神があの方と共にいてくださったからこそ、この働きができたのです。神は生きておられます。あの方の髪の毛一本も決して地に落ちてはなりません」とはっきりといっています。サウルは自分に兵士たちの指示がなければならないと感じて、この兵士の言葉を受け入れたのでしょうか。サウルの権威が落ちて、兵士の言葉を受け入れること、サウルの最後の日々が近づいているようです。サウルはペリシテ軍をそれ以上追わず、引き上げます。ペリシテ軍も自分たちの所へ戻って行きます。

 次に、サウルがイスラエルの王権を握って、周りのすべての敵との戦いの勝利のことが書いてあります。モアブ、アンモン人、エドム、ペリシテ人、アマレク人などです。また、サウルの家族のことも書いています。サウルの息子ヨナタン、イシュビ、マルキ・シュア。娘の中で姉はメラブ、妹がミカル。サウル軍の司令官アブネルなどです。サウルの一生を通じて、ペリシテ軍との激戦が続いたこと、サウルは勇敢な男、戦士を見れば、皆召し抱えたことも書いています。サウル王の歩みを見ながら、何が神から離れていったのか、自分の思いを優先していく、自分の罪の本質を見ることができなっていく、そのことをしっかりと見ていきたいと思います。私たち自身に通じるものがあるはずです。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。サウル王の歩みを見てきました。サウルは最初、神の前に謙遜で歩んでいました。それが王となってから次第に神から離れていってしまいます。結局、自分の思いを優先し、神の思いは二の次になってしまいます。どうして、そのようなことになってしまうのでしょうか。そのことを私たちがしっかりと受け止めることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                                」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)


7月6日の礼拝の内容です。

2025-07-05 19:55:00 | 日記
7月6日の礼拝の内容です。讃美歌は、197.411.433.457.78.27です。
礼拝のオンライン配信は、「瀬戸永泉教会」YouTubeチャンネルから入ってください。

礼拝説教       使徒16:35~40「安心して行きなさい」    2025.7.6

 7月20日に参議院選挙があります。18才以上で、日本国籍を持つ者は、この選挙に参加することができるのです。選挙に行くのが当たり前になっていますが、選挙に行けるということはとても貴重なことなのです。日本人としての生きる権利というのでしょうか。その選挙を大切にして、私たちの生活に生かしていきたいと願うのです。

なぜ、選挙の話をしたかといいますと、パウロは、ローマ帝国の市民権を持っていました。その権利をパウロはどのように用いているのでしょうか。今日の聖書の箇所で、パウロは、自分はローマ帝国の市民権を持っていると話しています。今日の聖書の箇所は、パウロの第2回伝道旅行のフィリピでの出来事です。当時、フィリピはローマの植民都市でした。ローマではないのですが、ここに小ローマがあるという町でした。ローマ帝国の市民権とはどのようなものかといえば、37節に「高官たちは、ローマ帝国の市民権を持つわたしたちを、裁判もかけずに公衆の面前で鞭打ってから投獄した」とありますが、ローマ帝国の新民権を持っている人は、裁判をかけられず、公衆の面前で鞭打ちや投獄ということはないということです。

パウロの第2回伝道旅行は、イエス・キリストの福音がアジアからヨーロッパに伝えられてことになっていきます。フィリピは最初の伝道地でした。ここでティアティラ市出身の紫布の商いをしている人で、神をあがめるリディアと出会っています。リディアの家がフィリピの教会の基となっていくのです。このフィリピでは、占いの霊に取りつかれている女奴隷と出会いました。この女性は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていました。この女性は、パウロたちの後ろをついて来て、「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです」と叫び続けるのです。こんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、女性に取りついている占いの霊に「イエス・キリストの名によって命じる。この女性から出て行け」と命じますと、霊は女性から出て行きました。この女性は、今まで取りついていた占いの霊が出て行きました。苦しみから解放されたのです。

この後の問題は、占いの霊が出て行った女性は、もう占いができないということになりました。それは、この女性を使って、金儲けしていた主人たちは、金儲けの望みがなくなってしまったことを意味します。それは、主人たちにとって大きな損失です。主人たちはパウロたちを捕らえ、役人に引き渡すために広場へ引き立てて行き、高官たちに引き渡して「この者たちはユダヤ人で、私たちの町を混乱させています。ローマ帝国の市民である私たちが受け入れることも、実行することもできない風習を宣伝しています」と訴えます。この女性の主人たちも、役人も、高官たちも、パウロたちがユダヤ人であることを知って低く見ている感じです。まさか、パウロたち彼らと同じくローマ帝国の市民権を持っているとは思わなかったのでしょう。

この時に、パウロたちは自分たちが、ローマ帝国の市民権を持っていると主張すれば、次に起って来る服をはぎ取られ、何度も鞭打ちを味わうことはないはずでした。そして投獄されることもありませんでした。どうして、ここでパウロは、自分が持っているローマ帝国の市民権を主張しなかったのかと思います。それは、次の流れがあるからです。看守たちの救いです。それにしても厳しい試練と会うことになっていきます。パウロたちは着ている服をはぎ取られ、鞭で何度も打たれ、牢に投げ込まれ、看守に厳重に見張るように命じるのです。この命令を受けた看守は、パウロたちを一番奥の牢に投げ込み、足には木の足枷をはめておいたのです。この看守たちの救いが、次に起るために、パウロたちは自分たちのローマ帝国の市民権を主張しなかったような感じです。民衆の前で、裸にされ、激しい鞭打ちを味わい、一番奥の牢の中で、足には木の足枷をはめられている、占いの霊に取りつかれていた女奴隷を助けたために、このような厳しい仕打ちを受けているのです。神のために働いているとしながらも、パウロたちは牢の中で、激しい痛みと苦しみと絶望の中にあるような感じだったと想像します。

しかし、そうではありませんでした。真夜中ごろ、パウロたちは賛美の歌を歌っていたのです。神に祈っていたのです。他の囚人たちも賛美に聞き入っていました。突然に、大地震が起って、牢の土台が揺れ動きました。たちまち牢の戸が皆開き、すべての囚人の鎖も外れてしまいました。目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人が逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとしました。当時の看守は、囚人を逃がしてしまったら、責任をとって死刑になることになっていたのです。考えてみると、厳しい仕事でした。その時に、パウロは大きな声で叫ぶのです。「自害してはいけない。私たちは皆ここにいる」と。看守は明かりを持って来て、牢の中に飛び込み、パウロたちの前に震えながらひれ伏し、パウロたちは外に連れて行って、「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」といいました。パウロたちは「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」と答えます。そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語るのです。まだ、真夜中でしたが、看守はパウロたちを連れて行って、打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けるのです。この後で、パウロたちを家に案内して食事を出し、神を信じる者となったことを家族ともども喜んでいきました。このように看守とその家族の救いのために、神はパウロたちを用いられるのです。

そして、今日の聖書の箇所になりますが、朝になると、高官たちは下役を差し向けて「あの者どもを釈放せよ」と命じました。それで、看守はパウロのこの言葉を伝えています。「高官たちが、あなたがたを釈放するようにと、いってよこしました。さあ、安心して行きなさい」と。しかし、そこでパウロは下役にいうのです。「高官たちは、ローマ帝国の市民権を持つ私たちを、裁判をかけずに公衆の面前で鞭打って投獄したのに、今ひそかに釈放しようとするのか。いや、それはいけない。高官たちが自分でここに来て、私たちを連れ出すべきだ」といいます。パウロは自分たちが牢から釈放される時に、初めて、自分たちがローマ帝国の市民権を持っていることを主張しています。ここでローマ帝国の市民権を持つということは、裁判をかけずに公衆の面前で鞭打ってから牢獄するようなことはしてはいけないということです。

パウロの言葉を聞いた下役たちは高官たちに報告しました。高官たちは、パウロたちがローマの市民権を持つ者であることを聞いて恐れるのです。ローマ帝国の市民権を持つ者にしてはいけないことをしてしまった。その結果として、高官たちがその責任をローマ当局から問われることになり、辞任や裁きを受けることなど厳しい状況が考えられるのです。だから、高官たちは恐れたのです。高官たちはパウロたちの所に出向いて来て、詫びをいい、パウロたちを牢から連れ出し、町から出て行くように頼みました。これ以上、問題が大きくなって、自分たちの身が危なくなるのを避けたい思いがあるからです。どうして、パウロは自分たちの釈放の時に、ローマ帝国の市民権を持つ者であるということを高官たちにいったかといえば、新しいフィリピの教会のためでした。牢を出たパウロたちは、リディアの家に行って、兄弟たちに会い、彼らを励ましてから次の伝道地に出発して行きます。リディアの家、つまり後のフィリピの教会が、パウロたちのローマ帝国の市民権を持つ者が関係していると知らせば、フィリピの教会の人々は安心して伝道活動をすることができるというものです。

パウロは自分が持っているローマ帝国の市民権について、必要に応じて、使っているようです。当時は、ローマ帝国が全世界を支配していました。ローマ帝国の力によって、パウロたちは安心して伝道を続けることができていたのです。そして、必要に応じて、パウロはその自分が持っているローマ帝国の市民権を使っています。後に、パウロはエルサレムで、ユダヤ人に捕まってしまいます。その時に、助けてくれたのがローマ帝国の兵士たちでした。最後に、パウロはローマ帝国の新民権を利用して、ローマ皇帝に上訴することを選び、ローマ帝国の首都ローマにまで行くことができるようになるのです。

パウロは自分が持っている権利を十分に利用していますが、もっと大切なことがあります。それは、この地上で持っている市民権もありますが、神の国の市民権を持っているということです。パウロは次のような言葉をいっています。

ローマ7:38~39
わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

 この言葉から、パウロは神の国の市民権を持っていることを考えて、いっているのです。それは、パウロだけではなくて、私たち1人1人のキリスト者も神の国の市民権を持っているのです。私たちはその神の国の市民権を持っていることをどれほど考えているのでしょうか。確かに、私たちキリスト者は皆、神の国の市民権を持っているのです。やがて、この地上を離れて、神の国に行った時に、その市民権は生きて来るのです。

祈り 神よ。あなたのことを礼拝することができましたことを心から感謝します。パウロの働きから神の国の市民権について考えてみました。私たちはこの地上に生きる市民権を持っています。そして、もっと大きな神の国の市民権を持っているのです。キリスト者になった時に、神から与えられた神の国の市民権を与えられ、やがて行くべき神の国においてその市民権を生かすことができるのです。この恵みを感謝して、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。


7月2日の祈祷会の内容です。

2025-07-01 19:46:00 | 日記
祈祷会     サムエル記上14:24~37「サウルの歩みから学ぶ」  2025.7.2

 イスラエルの最初の王となったのがサウルです。サウルの息子がヨナタンです。ヨナタンは神を信じ、勇気があり、行動力もすごいです。この時代、イスラエルはペリシテ人との戦いにありました。敵の戦力は戦車3万、騎兵6千、兵士は海辺の砂のように多かったのです。イスラエルは3千しかいませんでした。それでも、ヨナタンはたった2人だけで切り立った岩の上にあるペリシテ軍の守備隊を襲うのです。戦う前に、ヨナタンは「主が我々2人のために計ってくださるに違いない。主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」といって、行動していきます。ヨナタンはペリシテの守備隊の20人を倒します。また、地震が起り、ペリシテ軍は動揺し、右往左往していきます。ペリシテ軍の陣営の動揺はますます大きくなっていきます。それを見たサウルの軍隊は戦いに出て行きます。山に隠れていたイスラエルの兵士もペリシテ軍が逃げ始めたと聞いて戦いに加わっていきます。ペリシテ軍は敗走していくのです。

 一方でサウルですが、イスラエルとペリシテの戦いで、自分たちが戦力的に圧倒的に不利の状態にあった時に、イスラエルの人々は洞窟や岩の裂け目、岩陰、穴蔵、井戸などに隠れます。ヨルダン川を渡って逃げていく人々もいました。サウルのもとにいる兵士は、サウルの後ろでおののいていました。兵士はサウルのもとから散り始めていたのです。サウルはサムエルが来るのを7日間待っていましたが、なかなか来ないので、神にさささげものをささげてしまいました。神の力が欲しかったのです。神へのささげものは本来、祭司であるサムエルでなければいけませんでした。サウルはサムエルを待てなかったのです。兵士は逃げて行く、敵は大軍で迫っているという状況でした。サウルは神を信じるというより、目の前に起ることに振り回されています。

 イスラエルはヨナタンの働きでペリシテ軍に勝とうとしています。ペリシテ軍を追走していきます。その時に、サウルは大きな失敗をするのです。それは、サウルが兵士たちに「日の落ちる前、わたしが敵に報復する前に、食べ物を口にする者は呪われよ」といっていました。これは、イスラエル軍がペリシテ軍を敗走する時に、戦利品(家畜など)にとびかかり、食べてしまうことを恐れたためでした。この日に、イスラエルの兵士は飢えていたのです。サウルの呪いの誓いがあったから恐れていました。この地方一帯では、森に入りさえすれば地面に蜜があったといいます。兵士が森に入ると蜜が滴っていましたが、それ手をつけ、口に運ぼうとする者は1人もいませんでした。けれど、ヨナタンは父の誓いを聞いていませんでした。手に持った杖の先端を伸ばしてハチの巣の蜜に浸し、それを手につけ口に入れました。するとヨナタンの目は輝いたのです。兵士の1人がヨナタンの行動を見て、サウル王の呪いの誓いのこと、そのために兵士が疲れていることを伝えました。

 ヨナタンは父サウルを批判します。「私の父はこの地に煩いをもたらせた。見るがいい。この蜜をほんの少し味わっただけで私の目は輝いている。今日兵士が、敵から取った戦利品を自由に食べていたなら、ペリシテ軍の損害は更に大きかっただろうに」と。この日、イスラエル軍はペリシテ軍を追撃したので、兵士は非常に疲れていました。兵士は戦利品に飛びかかり、羊、牛、子牛を捕らえて地面で屠り、血を含んだまま食べたのです。サウルが誓ったことが逆に、それを破る結果となってしまいました。サウルの呪いの誓いがなければ、このようなことは起らなかったかもしれません。

 サウルに「兵士は今、血を含んだまま食べて、主に罪を犯しています」と告げる者がありました。それで、サウルは兵士たちに「お前たちは裏切った。今日中に大きな石を、私のもとに転がして来なさい。各々自分の子牛でも小羊でも私のもとに引いて来て、ここで屠って食べよ。血を含んだまま食べて、主に罪を犯してはならない」と伝えます。兵士は皆、その夜、各々自分の子牛を引いて来て、そこで屠ることになりました。こうして、サウルは主の祭壇を大きな石を使って築きました。これはサウルが主のために築いた最初の祭壇です。

 聖書に「肉は命である血を含んだまま食べてはならない」(創世記9:4)とあります。これに、イスラエル軍の兵士は破ったことになるというのです。でも、これはサウルの誓いが間違っていたのです。イスラエル軍がペリシテ軍との戦いで、飢えに苦しんでいたという状況をつくる原因になったことです。兵士は飢えで非常に疲れていました。そのために兵士は飢えに耐え切れずに、戦利品(ペリシテ軍の羊や牛など)に飛びかかって、捕えて地面で屠り、血を含んだまま食べてしまいました。サウル王はまず、兵士たちに心からの謝罪をすべきだったのです。それを主への祭壇をつくって、自分の牛を引いて来て、屠って食べさせるのです。血を含まない状態にしてです。サウルは神に兵士たちに心からの謝罪と悔い改めが必要でした。それができていないのです。

 さて、サウルは「夜の間もペリシテ軍を追って下り、明け方まで彼らから奪い取ろう。1人も生き残らせるな」というと、兵士たちは「あなたの目に良いと映ることは何でもなさってください」と答えます。だが、祭司が「神の前に出ましょう」と勧めたので、サウルは神に託宣を求めて「ペリシテ軍を追って下るべきでしょうか。彼らをイスラエルの手に渡してくださるでしょうか」と聞きます。しかし、この日に、神はサウルに答えられませんでした。サウルの心は神から離れていってしまっていました。そのことを神は知っていて、答えられなかったのです。イスラエルの人々から神に王を求めた時に、神はサウルを王と指名なさいました。その時にサウルは「わたしはイスラエルで最も小さな部族ベニヤミンの者ですし、そのベニヤミンのでも最小の一族の者です」(サムエル記上9:21)のいった言葉が空しく聞こえます。聖書はサウルを通して、人間の弱さを私たちに教えようとしているのです。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。サウルの歩みを見てきました。サウルの弱さを見ることができました。さて、サウルと私は違う人なのでしょうか。サウルと私と重なる部分はどこにあるのでしょうか。自分の弱さをしっかりと受け止める思いと神への信仰を与えてください。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                             」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)


6月25日の祈祷会の内容です。

2025-06-24 19:55:00 | 日記
祈祷会    サムエル記上14:1~23「サウルの息子ヨナタンの行動」  2025.6.25

 サウル王がイスラエルの王となって、2年目のことです。サウル王はイスラエルの中から3000人を選んで戦士としました。そのうちに2000人を自分のもとに、残りの1000人を息子ヨナタンのもとに置くのです。ヨナタンは単独行動で、ゲパに配置されていたペリシテ人の守備隊を打ち破りました。そのことがきっかけとして、ペリシテ人はイスラエルを憎むようになって、ペリシテ人はイスラエルと戦うために集結します。戦車3万、騎兵6000、兵士は海辺の砂のように多かったのです。イスラエルの人々は自分たちが苦境に陥っていると感じ、洞窟、岩の裂け目、岩陰、穴蔵、井戸などに身を隠しました。また、ヨルダン川を渡って、逃げて行く者もいました。しかし、サウル王はギルガルに踏みとどまり、戦う準備をしていきます。しかし、従う兵は皆、サウル王の後ろでおののいていました。サウル王はサムエルが到着するのを持ち望んでいました。7日間待ったのです。だが、サムエルは来ませんでした。兵はサウルのもとから散り始めていくのです。サウルはそこで、本来なら祭司がする焼き尽くすささげものをささげてしまったのです。神の保護を求めたということです。その時に、サムエルが到着したのです。

 サムエルはサウルが焼き尽くすささげものをささげたことに怒り、「あなたは愚かなことをした。神の戒めを破ったあなたの王権は続かない。神は御心に適う人を求めて、その人をご自分の民の指導者として立てられる」といいます。サムエルはその場から立ち上がり、帰ってしまいました。サウルは自分のもとにいる兵士の数を数えました。600人になっていました。ペリシテ人はサウルが率いるイスラエルと戦うために出てきました。戦う前に、イスラエルの兵士の中で剣や槍を持っているのはサウルとヨナタンだけだったとあります。イスラエルの人々は剣や槍を作ることができなかったのです。実際はどのように戦っていったのでしょうか。

 今日の14章の最初には、ヨナタンの勇気ある行動が出てきます。イスラエルとペリシテ人が戦う前に、ヨナタンは従卒を連れて、ペリシテ人の先陣を襲う計画を立てます。そのことは父サウルには話していませんでした。サウルのもとには祭司アヒヤがいました。ヨナタンがペリシテ人の先陣の方に渡って行こうとした場所は、切り立った岩がありました。ヨナタンはその厳しい場所に向かって行きます。ヨナタンは一緒にいる従卒に「さあ、ペリシテ人の先陣に行こう。主が我々2人のために計らってくださるに違いない。主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」といいます。従卒は「行きましょう。私はあなたと一心一体です」と答えます。ヨナタンは「よし、行って、我々の姿を見せよう。その時に、彼らが、お前たちにところに着くまでじっとしていろというなら、そこに立ち止まり、登って行くのはよそう。もし、登って来いといえば、登って行くことにしよう。それは、主が彼らを我々の手に渡してくださるしるしだといいます。これをどのように神の導きと感じたのでしょうか。謎です。

 このようにして、ヨナタンたちはペリシテ人の先陣に姿を見せます。ペリシテ人は「あそこにヘブライ人がいるぞ。身を隠していた穴から出て来たのだ」といいます。先人の兵士たちは「登って来い。思い知らせてやろう」とヨナタンたちに呼ばわります。ヨナタンは「私に続いて登って来い。主が彼らをイスラエルの手に渡してくださるのだ」といい、ヨナタンは両手両足を使ってよじ登り、従卒も後を続きました。ペリシテ人たちはヨナタンと従卒の前に倒れます。打ち取った数は20人でした。そして、その時に大地震が起るのです。

 サウルのもとにいる見張りは、ペリシテ人の群れが動揺し、右往左往しているのに気づきました。サウルは、その時に、ヨナタンと従卒が行動していることに気づきます。サウルは一度、祭司を通して、神の箱を用意するようにいいますが、ペリシテ軍の陣営が動揺しているのを見て、すぐにサウルとその兵士たちは戦場に出て行きます。そこでは、剣を持った敵が同士討ちをし、大混乱に陥っていました。それまでペリシテ側につき、彼らを共に上って来て、陣営に加わっていたヘブライ人も転じて、サウルやヨナタンについているイスラエル軍に加わっていきます。また、エフライムの山地に身を隠していたイスラエルの兵士も皆、ペリシテ軍が逃げ始めたと聞くと、戦いに加わってペリシテ軍を追って行きました。こうして主はこの日、イスラエルを救われたのです。

 ここまで、ヨナタンとその従卒の活躍を見てきました。13:3で、ヨナタンはゲパに配置されたペリシテの守備隊を打ち破っています。それが、イスラエルがペリシテ軍と戦うきっかけとなりました。イスラエルの兵士の数3000人、敵ペリシテ軍の戦力、戦車3万、騎兵6000、兵士は海辺の砂のように多かったのです。ペリシテ軍の圧倒的な戦力です。それでも、ヨナタンは恐れることを知りません。14章で、ヨナタンは仲間の従卒と2人だけで、ペリシテ軍の先陣に襲い掛かって行きます。それは無謀という感じですが、神への信仰が強くあったことが分かります。14:6で「主が我々2人のために計らってくださるに違いない。主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」といっています。切り立った岩を上って行き、戦っていくのです。また、敵に自分たちの姿を見せて、敵が「登って来い」といえば、登って行くことにしよう。それは、主が彼らを我々の手に渡してくださるしるしだ」と確信を持って戦って行きます。そして、神によって大きな地震が起って、ペリシテ軍は恐怖に襲われ、動揺し、右往左往していきます。剣を持った敵が同士討ちをして大混乱に陥って行きました。ペリシテ軍が大混乱しているのを見たサウルや他の兵士が後に続くのです。イスラエルの勝利となっていきます。

 ヨナタンの神への信仰が、そして行動が大きな敵であるペリシテ軍に対してのイスラエルの勝利をもたらします。このようなヨナタンの神への信仰を、私たちはどのように受け止めることができるでしょうか。私たちの日常生活の中で、どのように生かしていくことができるのでしょうか。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。ヨナタンの勇気ある行動を見てきました。これは戦いへの勝利ということですが、このヨナタンの神への信仰を、私たちの日常生活の中で、どのように受け取ることができるのでしょうか。私たちの信仰を深めてください。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                               」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)