祈祷会 士師記6:19~40「神にしるしを求めるギデオン」 2024.7.17
士師記6~8章は、士師ギデオンの話です。士師としての話は一番長いものです。いつものようにイスラエルの人々は神の目に悪とされることを行っていました。神は怒り、イスラエルの人々に対して、敵としてミディアン人を送ったのでした。ミディアン人は7年間、イスラエルの人々を苦しめることになります。イスラエルの人々にとって、ミディアン人は非常に脅威になったとあります。イスラエルの人々は、ミディアン人を避けるために、山の洞窟や洞穴や要塞を利用したのです。それは、ミディアン人はイスラエルの人々が種を蒔き、収穫の時になると襲って来て、すべてを奪ってしまうからでした。そのようなミディアン人の苦しみを受けて、イスラエルの人々は、神に助けを求めて叫ぶのです。
神は士師としてギデオンを送るのです。士師として神から送られたギデオンは臆病な性格なのでしょうか。神にしるしを求めていきます。神はギデオンに「わたしがあなたと共にいるから、ミディアン人をあたかも1人の人を倒すように打ち倒すことができる」といいますが、ギデオンは躊躇しながら、「あなたがわたしにお告げになるのだというしるしを見せてください」と訴えます。ギデオンは、子ヤギ一匹、麦粉1エファの酵母を入れないパンを整え、肉を籠に、肉汁を壺に入れ、神のみ使いのもとに持って来ます。み使いは「肉とパンを取ってこの岩の上に置き、肉汁を注ぎなさい」といいます。ギデオンはそのとおり行います。み使いは手にしていた杖の先を差し伸べ、肉とパンを焼き尽くしました。すると、主のみ使いは消えてしまうのです。ギデオンは、この方が神のみ使いだと悟ったのです。ギデオンは「ああ、神よ。わたしは、なんと顔と顔を合わせて神のみ使いを見てしまった」といいました。神は「安心せよ。恐れるな。あなたが死ぬことはない」と答えています。ギデオンは神のために、祭壇を築き「平和の主」と名付けています。ギデオンは、ここで神にしるしを求めています。そして、そのことが行われました。神はギデオンの求めを受け止めてくださっています。
その夜、神はギデオンに「あなたの父の若い雄牛1頭を連れ出し、あなたの父のものであるバアルの祭壇を壊し、その傍らにあるアシュラ像を切り倒せ。また、神のためにこの砦の頂上に祭壇をつくり、切り倒したアシュラ像を薪にして、雄牛を焼き尽くすささげものとしてささげよ」といいます。ギデオンは召使の中から10人を選び、その通り行うのですが、父の家族と町の人々を恐れて、日中は避け、夜中に行いました。ギデオンは自分の父のもとにあるバアルの祭壇とアシュラ像を切り倒すのですが、恐れながら実行しているのです。
翌朝早く町の人々が起きてみると、バアルの祭壇は壊され、傍らにあるアシュラ像も切り倒されていました。築かれた祭壇の上に第2の若い牛がささげられているので、人々は「だれがこんなことをしたのか」といいました。捜して、ヨアシュの子ギデオンの仕業と分かって、町の人々がヨアシュに「息子を出せ。息子は殺さねばならない」といいました。ここでヨアシュは、責め立ててやまない人々に「あなたたちはバアルをかばって争うのか、バアルを救おうとでもいうのか。バアルをかばって争う者は朝とならぬうちに殺される。もしバアルが神なら、自分の祭壇が壊されたのだから、自分で争うだろう」といって反論しています。息子ギデオンの行動に、父のヨアシュも変化して来ています。その時に、ギデオンがバアルの祭壇を壊したので、「バアルが彼と争うがよい」といって、父のヨアシュはその日、ギデオンをエルバアル「バアルは自ら争う」と呼びました。ギデオンの別の名前がエルバアルといいます。
このギデオンの行動によって、ミディアン人は、アマレク人、東方の諸民族が皆、結束して川を渡って来て、イズレエルの平野に陣を敷きます。神の霊がギデオンを覆います。ギデオンは角笛を吹きます。すると多くのイスラエルの人々、アシュル、ゼブルン、ナフタリの人々が上って来て、合流します。やがて、ギデオンに導かれたイスラエルの人々は、ミディアン人と戦うことになります。
その前に、ギデオンはここで神にしるしを求めていきます。ギデオンは神に「わたしの手によってイスラエルを救おうとなさっているなら、羊一匹分の毛を麦打ち場に置きますから、その毛にだけ露を置き、土は全く乾いているようにしてください。そうすれば、お告げになったように、わたしの手によってイスラエルを救おうとなさっていることが納得できます」と願っています。すると、神はそのようになさってくださいました。翌朝早く起き、ギデオンが羊の毛を押さえて、その羊の毛から露を絞り出すと、鉢はいっぱいになりました。でも、ギデオンはそれだけでは納得いかないのです。ギデオンはまた神に「どうかお怒りにならず、もう一度いわせてください。もう一度だけ羊の毛で試すことを許してください。羊だけが乾いていて、土には一面露が置かれているようにしてください」と頼みます。その夜、神はそのようにしてくださったのです。羊の毛だけは乾いており、土は一面露が置かれていました。神はギデオンのしるしを求めることをすべて行い、許してくださったのです。そして、士師記7章では実際の戦いになって行きます。
士師記6章では、ギデオンが神にしるしを求めたことが3回、書かれてあります。神は、そのことを許してくださっています。新約聖書の1コリント1:22「ユダヤ人はしるしを求め」と書いてあるとおりです。ユダヤ人は神の言葉がある時には、神のしるし「奇跡」を求めるようになっていったのです。イエス・キリストが神の言葉を語った時に、多くのしるし、奇跡を行っていました。これは、ユダヤ人のために神の働きを示すために必要なことだったのです。私たちはこの神の行うしるしをどのように考えたらよいのでしょうか。
祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。士師ギデオンがミディアン人と戦う時に、神からのしるしを求め続けました。ギデオンは自分に確認が欲しかったのだと思います。そのギデオンの思いに神は答えてくださっています。その神の思いに感謝します。神は1人1人に寄り添ってくださるお方です。ありがとうございます。この感謝を、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)
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