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7月23日の祈祷会の内容です。

2025-07-22 19:56:00 | 日記
祈祷会     サムエル記上15:18~35「悔いられる神」   2025.7.23

 イスラエルの最初の王として選ばれたサウル、イスラエルの人々の求めがあり、神ご自身がイスラエルの王として選ばれたのです。サウルは、最初は謙遜に神に従っていましたが、少しずつ、神から離れて、自分自身の思いを強くするようになり、神からもサムエルからも捨てられていくのです。その時に、神は、サムエルはどのような気持ちだったのでしょうか。

 15章の最初に、神はサムエルを通して、サウルに「アマレク人を討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない」と命じました。いわれる聖戦というものです。サウルにとって大切なことは、何よりも神の言葉に聞き従い、その通り実行することでした。しかし、サウルと兵士は、アマレクの王アガグ、および羊と牛の最上のもの、初子ではない肥えた動物、その他何でも上等なものは惜しんで滅ぼし尽くさず、つまらない、値打ちのないものだけを滅ぼし尽くしました。

 このサウルの行動知って、神はサムエルに「わたしはサウルを王として立てたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしの命令を果たさない」というのです。それを聞いたサムエルは深く心を痛め、夜通し主に向かって叫ぶのです。サウルはカルメルで自分のために戦勝碑を建ててしまいます。

 サムエルはサウルにあいます。サムエルはサウルに「羊の声、牛の声を聞くがどうしてか」と聞きます。サウルは答えて「兵士が、主への供え物にしようと、羊と牛の最上のものを取って置いたのです。他のものは滅ぼし尽くしました」といいます。そこでサムエルはサウルに、神の言葉を告げます。「主は油を注いで、あなたをイスラエルの王とされた。主はあなたに出陣を命じ、行って、アマレクを滅ぼし尽くせ、彼らを皆殺しにするまで戦い抜けといわれた。何故に、あなたは主の声に聞き従わず、戦利品を獲ようと飛びかかり、主の目に悪とされたことを行ったのか」と。サウルはサムエルに答えて「わたしは主の御声に聞き従いました。主の御命令の通りに出陣して、アマレクの王アガグを引いて来ました。アマレクも滅ぼし尽くしました。兵士がギルガルで、主への供え物にしようと、滅ぼし尽くす物のうち、最上の羊と牛を、戦利品の中から取り分けたのです」と答えます。

 ここまで、サウルはサムエルに対して、二度も自分は神の言葉を守り実行したといい、兵士のせいにして、自分の罪を逃れようとしています。この時に、サムエルは有名な言葉をいいます。

サムエル記上15:22~23
主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。反逆は占いの罪に、高慢は偶像崇拝に等しい。

 サウルが兵士のせいにして、兵士たちが主への供え物にしようとして、最上の羊と牛を戦利品の中から取り分けたということに対して、主が喜ぶのは、主への供え物やいけにえであろうか、いや主が喜ばれるのは神の声に聞き従うことだと強調しています。

 そして、ここで初めてサウルはサムエルに「わたしは、主の御命令とあなたの言葉に背いて罪を犯しました。兵士を恐れて、彼らの声に聞き従ってしまいました。どうぞ今、わたしの罪を赦し、わたしと一緒に帰ってください。わたしは、主を礼拝します」と、自分の罪を認めて告白しています。三度目の正直といいますか、三度目でやっと自分の罪を認めたのです。でも、その罪の悔い改めは十分なものではありませんでした。表面的なものが見えてきます。サムエルは「あなたと一緒に帰ることはできない。あなたが主の言葉を退けたから、主はあなたをイスラエルの王位から退けられたのだ」といい、身を翻して立ち去ろうとすると、サウルはサムエルの上着の裾をつかみます。上着は裂けてします。これは、サウル王家の滅亡を意味しているといいます。

 サウルは「わたしは罪を犯しました。しかし、民の長老の手前、イスラエルの手前、どうかわたしを立てて、わたしと一緒に帰ってください。そうすれば、主を礼拝します」とサムエルに願います。何かサウルが可哀そうになってしまいます。王にふさわしくない人が王となった時の孤独というのでしょうか。そのように感じてしまいます。サムエルはサウルについて帰り、サウルは主を礼拝します。この時に、サムエルはアマレクの王と連れて来させ、主の御前で切り殺します。神の命令であるアマレク人を滅ぼし尽くせとの聖戦を実行しています。

 サムエルは自分の家に帰って行きます。サムエルは死ぬ日まで、再びサウルに会おうとせず、サウルのことで嘆きます。主はサウルを、イスラエルの王として立てたことを悔いられます。ここまで見てきましたが、神の深い後悔をみることになりました。神ご自身がサウルをイスラエルの王として立てたことを深く悔いています。このことをどのように考えればいいのでしょうか。サムエルもサウルの罪のために、深く心を痛め、夜通し主に向かって叫んでいました。神とサムエルの深い後悔もそうですが、サウル自身はどうだったのだろうと思います。今後、イスラエルの王として、深い孤独の中を歩んでいくことになります。私たちは神とサムエルの後悔とサウルの孤独をどのようにみていくのでしょうか。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。神とサムエルの思いと、サウルの思いをみてきました。神に王として選ばれながらも、神に従うことができないサウルの思い、そのサウルの罪深さに深く悲しみ後悔される神、そしてサムエルの思い、どうすることもできない葛藤が出ています。神は人を愛されます。その愛に答えることのできない人間、そのよう中でも神の人に対する救いの業が終ることはありません。神の愛を信じて歩むことができるようにしてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                                」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)



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