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4月6日の礼拝の内容です。

2025-04-05 19:31:00 | 日記
4月6日の礼拝の内容です。讃美歌は、83.56.300.459.81.91‣1です。
オンラインのアドレスはhttps://youtube.com/live/R9OnyXllcjg?feature=shareです。

礼拝説教       使徒15:12~21「神に立ち帰ろう」     2025.4.6

 2025年度に入りました。その最初の日曜日です。1週間の初めの日曜日にこのように神を礼拝することができますことを心から神に感謝したいと思います。この礼拝によって、私たちに1週間の歩みが豊かなものとなりますようにと願います。

 私は、この礼拝で、昨年に引き続き使徒言行録を読んでいきます。使徒言行録はキリスト教の最初のころの様子を書いています。使徒言行録を読むことによって、今の私たちの教会の歩みに大いに参考になると信じています。使徒13~14章において、パウロによる第1回の伝道旅行は行われました。ここでは、イエス・キリストの福音がユダヤ人から異邦人に伝えられていくことが書かれてあります。伝道が拡大していくことは神の御心ですが、教会は大きな課題を持ち、その解決をしなければなりませんでした。それが、使徒15章になる第1回のエルサレム会議といわれるものです。大きな課題とは、教会にいるユダヤ人がいかに異邦人を加えていくかということです。

 この問題は、初代の教会にとって大きな課題でした。今日の私たちではなかなか理解することが難しいかもしれません。そもそもユダヤ人は、自分たちは神から特別に選ばれた民だと信じていました。自分たち以外の異邦人は、汚れた民だと信じていました。だから、ユダヤ人が異邦人と交わることは大きな壁があったのです。ペトロとローマの百人隊長コルネリウスとの対話の中で、ペトロは次のようにいっています。

使徒10:28
彼らに言った。「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。」

 ユダヤ人は異邦人と交わることを律法で禁じていたのです。ユダヤ人は清くて、異邦人は汚れていると考えていたからです。ペトロの場合、幻で神が導いてくださったので、異邦人のコルネリウスを受け入れることができたのです。他のユダヤ人であれば、それは簡単なことではなかったはずです。そのような壁がありながら、聖霊の働きは進んでいきます。ペテロやパウロたちに働きによって、異邦人が、イエス・キリストを信じていくこと、神の言葉を聞いていると聖霊がくだったこと、ユダヤ人と同じことが起っていき、聖霊が、イエス・キリストの福音を異邦人に伝えていこうとしていることを知っていくのです。ユダヤ人キリスト者がいかにして、異邦人キリスト者を教会に受け入れていくのかの課題をどう克服していくかが問われています。

 この過程で、ある問題が起って来ました、それは、ファリサイ派からキリスト者となったユダヤ人が、異邦人が救われるためには、イエス・キリストを信じるだけでなく、モーセの律法を守り、割礼を受けなければならないと教えていたことです。もちろん、このファリサイ派からキリスト者になったユダヤ人も、イエス・キリストの十字架の恵みを信じることによって救われることは受け入れているのです。でも、それだけで足りず、今迄自分たちが守ってきたモーセの律法を守ることと割礼を受けるべきだと考えたのです。これは「福音と律法」という神学の問題です。この問題は、今も私たちの教会でも考えるべき課題です。ペトロはここで「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われていると信じているのですが、これは、彼ら異邦人でも同じです。」(使徒15:11)といっています。ペトロは、異邦人コルネリウスとの出会いの中で、そのことを体験し、そのままいっているのです。

 そして、ここからが今日の聖書の箇所になっていきます。ペトロの言葉を聞いた人々は静かになり、パウロたち、または自分たちを通して、神が異邦人の間に行われた、あらゆるしるしと不思議な業について話すのを聞いていました。ここからヤコブが話し始めます。ヤコブとは、イエス様の兄弟になります。神の導きによって、ヤコブは、この時エルサレム教会のリーダーとなっていました。ヤコブは「兄弟たち、聞いてください。神が初めに心を配られ、異邦人の中から御自分の名を信じる民を選び出そうとなった次第は、シメオン、つまりペトロが話してくれました」と話していきます。そして、旧約聖書を引用して答えていきます。「その後、わたしは戻って来て、倒れたダビデの幕屋を立て直す。その破壊された所を立て直して、元どおりにする。それは、人々のうちの残った者や、わたしの名で呼ばれる異邦人が皆、主を求めるようになるためだ。昔から知らされていたことを行う主は、こういわれる」と。

 ここからヤコブの判断のことが書かれてあります。ここでは、異邦人キリスト者がユダヤ人キリスト者に向けて、最低限守るべきことを告げている内容ということができます。偶像に備えて汚れた肉と、みだらな行いと絞め殺した動物の肉と血とを避けるということです。偶像に備えた肉を避けるという内容ですが、これは第2コリント8章を読みますと、よく分かって来ます。パウロはコリントの教会の人々に送った手紙の中で、偶像に備えた肉について、次のようにいっています。

2コリント8:4~6
そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。現に多くの神々、多くの主がいると思われているように、たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。

 ここでパウロは、偶像というものは存在していない。神以外にいかなる神をいないということをいっています。偶像に備えた肉を食べることそのものを問題にする必要がないといっているようです。しかし、続けて次のようにもいっています。

2コリント8:7~12
しかし、この知識がだれにでもあるわけではありません。ある人たちは、今までの偶像になじんできた習慣にとらわれて、肉を食べる際に、それが偶像に供えられた肉だということが念頭から去らず、良心が弱いために汚されるのです。わたしたちを神のもとに導くのは、食物ではありません。食べないからといって、何かを失うわけではなく、食べたからといって、何かを得るわけではありません。ただ、あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい。知識を持っているあなたが偶像の神殿で食事の席に着いているのを、だれかが見ると、その人は弱いのに、その良心が強められて、偶像に供えられたものを食べるようにならないだろうか。そうなると、あなたの知識によって、弱い人が滅びてしまいます。その兄弟のためにもキリストが死んでくださったのです。このようにあなたがたが、兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を傷つけるのは、キリストに対して罪を犯すことなのです。

 偶像にささげた肉というものはないといっていながら、それまで、偶像を拝んでいた人々がいて、キリスト者となった人がいて、確かにその偶像にささげた肉を食べても何の影響もないけれども、イエス・キリストへの信仰に入るまで、偶像を拝み、偶像に対して肉をささげていた。そのような習慣にあった人に、やはり、偶像にささげた肉をいうことで、食べることをしない人がいる。そのような人々がいること、そのような弱い人々に対する配慮の必要性をパウロは強調しています。同じように、ユダヤ人キリスト者も、偶像にささげた肉とあれば、その肉を食べることを罪と考えてします。そのような者への配慮の必要性から、ヤコブの決定がなされているのです。このヤコブの決定が、教会の決定となって行き、教会全体に伝えられていきます。繰り返しになりますが、このヤコブの決定は、ユダヤ人キリスト者が異邦人キリスト者を教会に受け入れ、共に交わっていくために必要な最低限の内容となっています。この内容は、異邦人キリスト者がユダヤ人キリスト者のために守るべきこととしてのものとなっていきます。

 この第1回エルサレム会議の決定は、後の教会の歩みの中で消えてしまっているように感じています。パウロは、このヤコブの決定に反対することはありません。大きな視点で、ユダヤ人と異邦人が教会の中で良き交わりをするために必要な内容として受け止めています。

 今日の教会の歩みでも、内容は違っても、必要な配慮は必要なことです。私たちの教会は2025年度の歩みを始めています。4月20日のイースター礼拝後には、教会総会を予定しています。私たちの教会の歩みが、このような配慮に満ちた歩みとなりますようにと願います。私たちに教会は高齢化の中にあります。そのために教会への出席が困難になっている方々がおります。そのような方々に配慮することができる教会の歩みをしていきたいと祈ります。

祈り 神よ、新しい年度の最初の日曜日に、このようにあなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。新しい教会の歩みが始まっていきます。第1回エルサレムで話されたことが、私たちの教会でもなすことができるように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。



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