6月16日の礼拝の内容です。讃美歌は、60.470.486.507.26です。
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礼拝説教 使徒9:36~43「ドルカスの働き」 2024.6.16
ここでは「タビタ」という女性が出てきます。別名は「ドルカス」といい、「かもしか」と呼ばれる婦人の弟子がいたとあります。婦人の弟子がいたとありますのが強調されていると思います。これから、ドルカスといっていきます。
このドルカスという言葉は懐かしく思います。私は瀬戸永泉教会に来る前は10年程、神奈川県茅ケ崎市にある平和学園で宗教主任として働いていました。特にアレセイア中高での働きが中心でした。ボランティア部といった方が分かりやすいと思います。それをドルカス部というのでした。10年間、そのドルカス部の顧問として活動していたのです。私の思いはできるだけ、生徒たちに現場に行って、活動して、そこから感じて欲しいという願いがありました。近くの保育園や高齢者施設や病院などで活動していきました。平和学園に勤めてからまもなく東日本大震災が起こりました。2011年のことでした。その時から毎年、夏と冬に生徒たちを連れて、被災地である宮城県石巻市や女川町に行き、活動しました。被災地の現状を自分の目で見て、そこから何かを感じて欲しいという思いでした。多くの生徒たちが参加してくれました。活動が終ってから、参加した生徒に感想文を書いてもらうのですが、1人1人いろいろな思いを書いてくれました。今では、本当に懐かしい思い出です。すみません。少し個人的なことを話させていただきました。
ドルカスはたくさんの善い行いや施しをしていたとあります。どのような働きだったのでしょうか。ドルカスが亡くなって、やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいた時につくってくれた数々の下着や上着を見せてくれたとあります。場所はヤッファという地中海に面した港町です。
ヤッファが港町であることから、次のようなことが考えられると思います。この港町に住む人々の多くが漁師だったということです。特に男性の多くが漁師だったと考えられます。漁に出て行きます。時には嵐にあって、遭難して亡くなる人も多かったのではないでしょうか。夫が漁師として、漁に出て行き、遭難して亡くなってしまった。多くの女性が、やもめとして取り残されている状況があったということです。このドルカスもその1人だったのかもしれません。夫を亡くして、失意にいるやもめたち、その人たちに、ドルカスは、やもめ1人1人の顔を覚えていて、必要なことをしてあげていったのでしょう。特に、数々の下着や上着を作ってあげていったのです。ドルカスは、1人1人に手作りで着る物を作って、できたら、その人のところに持って行きました。多くのやもめたちがドルカスから着る物をもらっていたのです。やもめにとっては、大きな励ましと慰めになっていったのでしょう。
そのドルカスが死んでしまいました。やもめたちにとっては大きな悲しみです。人々は遺体を清めて、屋上の部屋に安置しています。ヤッファの聖なる者たちは、リダにペトロがいることを知っていました。前回で触れましたが、ペトロはリダに住んでいる聖なる者たちのところに行ったのです。その中で、8年間も中風で床についているアイネアという人と出会いました。ペトロが「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい。」といいますと、アイネアはすぐに起き上がっていきます。リダに住む人々は皆、アイネアを見て、主に立ち帰っていきました。そのペトロのことはヤッファの聖なる者たちにも伝わっていたのです。
リダとヤッファはすぐ近かったので、弟子たちは、ペトロはリダにいることを聞いて、2人の人を送り、「急いでわたしたちのところに来てください」と頼みました。ペトロは2人から話を聞いて、すぐに出かけて行きました。ヤッファの聖なる者たちは、ペトロが到着すると、すぐに階上の部屋に案内します。やもめたちが皆、そばに寄って来て、泣いています。泣きながら、ドルカスが一緒にいた時に、作ってくれた数々の下着や上着を見せたのです。どれほどドルカスは、やもめたちに慕われていたのでしょうか。やもめたちの悲しみが伝わって来ます。
ペトロは、皆を外に出します。ひざまずいて祈るのです。ペトロは、イエス・キリストに祈るのです。癒しの力、奇跡の力は、ペトロから出ているものではありません。イエス・キリストから出ているものです。そのことを、ペトロはここで確認をしているのです。リダの時は、「アイネア、イエス・キリストが癒してくださる。起きなさい。」との言葉をいいました。ペトロがアイネアを癒すのではなく、イエス・キリストの力が、アイネアを癒されるのです。ペトロは自分の力ではなく、イエス・キリストの力によって、自分を通して、その力が働いてくださることを祈り求めているのです。
ペトロはドルカスの遺体のそばにいるやもめたちを皆、外に出して、ひざまずいて祈ります。ドルカスの遺体に向かって「ドルカス、起きなさい」というとドルカスは目を開き、ペトロを見て起き上がりました。ペトロはドルカスに手を貸して立たせます。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼んで、生き返ったドルカスを見せました。特にやもめたちにとっては大きな喜びであり、大きな慰めになったことでしょう。
このペトロの行った奇跡、死んだドルカスが生き返る奇跡ですが、この奇跡物語が語られた目的は、この奇跡によって、ヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じたということです。使徒言行録は、初期の教会の歩みの様子を描いています。ここまで読んでいくと、1つの流れがあるように感じます。それは、使徒たちがイエス・キリストの福音を語る。それと共に何らかの奇跡が行われるということです。使徒2~3章にかけての、ペトロの説教がありました。それと共に、足の不自由の男の癒しが行われました。使徒8章には、フィリポによるサマリア人伝道の記事があります。ここでもフィリポは、人々にイエス・キリストを伝えると共に、いろいろなしるしを行っています。実際に汚れた霊に取りつかれて多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人も癒してもらったとなっています。そして、リダの場面とヤッファでのドルカスの奇跡の場面です。これは、イエス様の福音書でも同じことがいえると思います。イエス・キリストは神の言葉を語りながら、多くの癒しの奇跡を行って来ました。その行動によって、多くの人々が、イエス様を信じるようになっていったのです。
リダでは、アイネアが8年間も中風で床についていた。ヤッファでは、ドルカスが死んでしまった。使徒言行録の時代も、今の時代も、病気があること、突然の事故にあってしまうこと、そして、突然、死んでしまうことが起っています。時代が変わっても、どんなに科学が進んだ現代でも、そのような突然の病や事故や死は防ぐことができません。今、元気でいる私たちも、突然、そのような事態になってしまうことが起るかもしれないのです。これから先、何が起こるのか、私たちには分からないのです。ただ、私たちは明日があると勝手に信じています。ずっと未来があることを勝手に信じています。それは、実際にどうなのかは誰にも分からないことです。
毎週木曜日の午後に、ホスピスに行かせていただき、チャプレンとしての働きをしています。ホスピスには人生の最後の日々を送られる方々が入院しています。その時、その時、いろいろな出会いがあります。意識していることはその日を大切にしたいということです。話っている中で、相手の様子を見て、また、次回ということもありました。また、次回があることもありますが、多くは、その次回はないのです。次の機会はないのです。そのことを多く感じるのです。
一度、死んだドルカスが、ペトロを通して、イエス・キリストの力によって、生き返っています。でも、また、ドルカスは死を迎えることになるのです。でも、イエス・キリストの力は、人の死を乗り越える力があることを、私たちに示しています。イエス・キリストの十字架の力は、信じる人々に、復活の命を与えることができる力を持っています。ドルカスを死から生き返すことのできるイエス・キリストの十字架の力は、復活の命、永遠の命を与えることができるのです。
祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。ドルカスの働きと、ペトロの奇跡をみてきました。一度死んだドルカスが、再び生き返ることができました。イエス・キリストの力を改めて知ることができました。感謝します。このイエス・キリストの奇跡の力は、復活の命、永遠の命があることを伝えています。イエス・キリストを信じること、その意味を深く知ることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。