6月9日の礼拝の内容です。讃美歌は、197.200.451.470。27です。
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礼拝説教 使徒9:32~35「アイネアよ、起きなさい」 2024.6.9
私たちは、この世界に生まれて来て、今、生きています。生きていていろいろなことが起って来ます。自分や周りの人たちなどです。生きていることは苦しいことや辛いことや悲しいことが特に多くなっています。病気になること、事故にあうこと、人間関係がうまくいっていない、勉強や仕事がうまくいっていないなど、日々の心配は尽きることはありません。
病気になることですが、新型コロナウィルス感染症が猛威を振るっている時は、病院に入院した場合、家族が面会することはほとんどできませんでした。5類になっても、その影響は残っています。最近、面会制限が少しずつ緩和しているように感じます。面会の対応については、それぞれの病院で差はありますが、緩和されていると思います。
私たちの教会でも高齢のために、病院に入院中の者、施設に入所している者などがおります。その方々をある程度、自由に面会することができるようになりました。ある方の場合は、やっと会うことができました。しかし、面会することができなかった時間を深く感じることがありました。いろいろな事情がありましたが、よりよい状態で過ごして欲しいと願います。
いつの時代でも変わらず、私たちは病気になり、ケガをすることがあります。今日の聖書の箇所は、短いところですが、8年間、中風という病気で苦しんでいる人が出てきます。「中風」とは、現在では脳卒中や脳血栓など脳血管疾患とされています。突然倒れて半身不随になることや言語障害を起こすなど、後遺症が残りやすい病気です。
今日の聖書の箇所では、ペトロが登場して来ます。ペトロは方々巡り歩いて、イエス・キリストを伝えました。ここではリダという場所に来ています。聖書地図6、新約時代のパレスチナによるとエマオとヤッファの間にあります。ペトロはリダに住んでいる聖なる者たちのところへ下って行ったとなっています。そして、そこに中風で8年前から床についていたアイネアという人と出会うのです。このアイネアは、病気のために8年間も床についていなければなりませんでした。アイネアはとても辛い思いの中にあったと想像することができます。使徒言行録の時代も、いろいろな病気があり、そのために苦しむ人々が多かったのです。人の病気については、時代が代わっても苦しみ続けることになっています。今日の聖書の箇所は、ペトロが中風で8年間も床についているアイネアを癒す場面です。
ペトロはアイネアに「アイネア、イエス・キリストが癒してくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい。」といいますと、アイネアはすぐに起き上がったのです。リダとシャロンに住む人々は皆、アイネアを見て、主に立ち帰ったとなっています。この個所を読んでいると、使徒3:1~10に書かれてあるペトロが生まれながら足の不自由な男を癒す場面に似ていると思いました。
使徒3:6~9
ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。
神殿の境内の美しい門で、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来るのです。その男は、美しい門の側に置かれて、神殿の境内に入って行く人から施しを乞うために置いてもらっていました。そこで、ペトロと男の出会いが起ります。その男がペトロを見つめています。ペトロは「わたしに金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」といいます。そして、右手を取って彼を立ち上がらせたのです。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩き出しています。そして、歩き回ったり、踊ったりして神を賛美して、神殿の境内に入って行きます。
ペトロが神殿の美しい門でも、リダの場面でも、癒す時に、「イエス・キリストが癒してくださる」といっています。癒しの力は、ペトロを通しては叩いていますが、そのもとは、イエス・キリストから来ていると確認しています。聖書を読んでいると、このような癒しの奇跡の記事が多く出ています。この癒しの奇跡と多くの人々がイエス・キリストを信じて、洗礼を受けて、教会に加わっている様子が描かれています。自分の目の前で、奇跡が起っている。生まれながら足の不自由な男が、急に躍り上がって立ち上がっていくのです。8年も中風で床についていたアイネアが、すぐに起き上がっていくのです。新約聖書の時代の人々は、その奇跡を見て本当にびっくりしたと思います。
今日、私たちの目の前でそのような奇跡が起ったら、周りの人々は、イエス・キリストを信じて、教会に加わっていくのでしょうか。奇跡の力は私たちにはありません。その奇跡の力が与えられて、そのようなことを行うことができたとしたら、伝道は進んでいくのでしょうか。そのような思いになってしまいました。自分が行う奇跡、8年間も病気で寝ていた人が、急に起き上がっている。生まれながらに足の不自由な人が急に立ち上がって踊り出している。そのようなことが起ったらと考えてしまいました。このような奇跡は、聖書の時代だけと考えています。
聖書が書いている癒しの奇跡の物語は、イエス・キリストの力を示しています。それは、イエス・キリストの十字架の死と復活の力です。病気が癒されても、障害がなくなっても、人は死んでいくのです。私たちの本当の問題は、死んでいくということです。この人の死の問題をいかに解決していくかが大切なのです。イエス・キリストの力は、人の病気や障害を癒す力があることを証明しています。それは、イエス・キリストには人の死を解決することができる力があるということを証していくのです。
ヨハネ11:41~44
人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。
この聖書の場面は、ラザロの復活のものです。死んで4日経って墓に葬られていたラザロを復活させています。もちろん、このラザロの復活のものは、死んでよみがえりましたが、またラザロには死が待っています。しかし、その先です。ペトロはいっています。イエス・キリストの福音のことをです。
使徒2:23~24
このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。
神からの聖霊を受けたペトロは、イエス・キリストの十字架の死と復活の意味をはっきりといっています。神はイエス・キリストを死の苦しみから解放して、復活させてくださったのです。それは、私たちイエス・キリストを信じる者たちが、死の苦しみから解放して、復活させてくださるのです。ペトロが「アイネア、イエス・キリストはいやしてくださる。起きなさい。」といった言葉は、次のような言葉を意味しています。「アイネア、イエス・キリストはあなたを復活させてくださる。そのことを信じなさい。」というものです。このペトロのアイネアへの言葉は、私たち1人1人に語られているのです。「〇〇へ、イエス・キリストはいやしてくださる。起きなさい。」という言葉です。
祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。ペトロがアイネアにいわれました。「アイネアよ、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。」と。この言葉を、私たちへの言葉として聞くことができるように導いてください。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。