祈祷会 サムエル記上7章「イスラエルの指導者サムエル」 2025.4.16
イスラエルの人々は、約束の地に定着し、士師の時代を迎えました。サムエルは士師としての最後の人物であるといわれています。サムエルは、士師、祭司、預言者といわれています。この士師記上7章は、士師としてのサムエルの働きのことが書かれてあります。この聖書の個所は、士師の時代から王政の時代に移っていく流れにあります。もっといえば、神の支配から人間の王による支配の始まりということです。
イスラエルは、神の箱を一時的にペリシテ人に奪われてしまいました。ペリシテ人は自分たちのもとに神の箱があることで次々に災いが起ったことで、神の箱をイスラエルに返そうということになりました。最初、イスラエルの中でベト・シュメシュの人々が神の箱を受け取りました。受け取って喜んだのですが、神の箱の中を見てしまったことで、5万のうち70人が打たれました。ベト・シュメシュの人々は神の箱を恐れて、キルヤト・エアリムの人々に神の箱を担ぎ上ってくださいと頼みました。キルヤト・エアリアムの人々はやって来て、神の箱を上って、丘の上のアビナダブの家に運び入れました。そして、アブナダブの息子エルアザルを聖別して、神の箱を守らせたのです。神の箱がキルヤト・エアリアムに安置されて20年が過ぎました。神の箱は本来、シロに運ばれるはずでしたが、シロの町は破壊されたそうです。帰る場所を失った神の箱は、人々の目から遠ざけられて置かれていました。このことで人々は以前のように神の箱を大切に思わなくなってしまったのです。
この時に、イスラエルの家はこぞって神を慕い求めていくのです。目に見える神の箱の影響は薄くなり、神ご自身との直接にやり取りが行われていきます。そのやり取りを仲介するのがサムエルの役割になっていきます。サムエルはイスラエルの家全体に「あなたたちが心を尽くして神に立ち帰るというなら、あなたたちの中にある異教の神々やアシュトレトを取り除き、心を正しく神に向け、ただ神にのみ仕えなさい。そうすれば、神はあなたたちをペリシテ人の手から救い出してくださる」といいます。イスラエルの人々が長く、異教の神々、バアルとアシュトレトを拝んでいたということになっていました。そこで、サムエルの指示があって、人々の神への思いもあって、イスラエルの人々はバアルやアシュトレトを取り除き、ただ神に仕えていくのです。
サムエルは続けて、イスラエルの人々に「イスラエルを全部、ミツバに集めなさい。あなたたちのために神に祈ろう」といいますと、人々がミツバに集まると、水をくみ上げて神のみ前に注ぎ、その日は断食し、その所で、「わたしたちは神に罪を犯しました」といいました。イスラエルの人々がミツバに集まっていると聞いたペリシテ人は、イスラエルに攻め上って来ました。イスラエルの人々がそのことを知り、ペリシテ軍を恐れて、サムエルに「どうか黙っていないでください。神が我々をペリシテ人の手から救ってくださるように、神に助けて求めて叫んでください」と乞います。サムエルはまだ乳離れしていない小羊1匹を取り、焼き尽くすささげものとしてささげ、イスラエルのために神に助けを求めて叫びました。神は答えられました。
ペリシテ軍はイスラエルに戦いを挑んで来ましたが、神はこの日に、ペリシテ軍の上に激しい雷鳴をとどろかせ、混乱に陥れました。イスラエルは勝利しました。この勝利を忘れないために、サムエルは石を1つ取ってミツバとシェンの間に置き、「今まで神は我々を助けてくださった」といって、ベン・エゼル(助けの石)と名付けています。ペリシテ人は静められて、二度とイスラエルの国境を侵すことはなかったとあります。サムエルの時代を通して、神の手はペリシテ人を抑えていました。サムエル記上5章で、ペリシテ人が神の箱にいかに苦しめられたのかが書いてありますが、そのことをすぐに忘れて、再び、ペリシテ人がイスラエルを襲ってくるとはどのようなものでしょうか。サムエルが士師として活躍している間は、イスラエルの中に平和が保たれたということなでしょうか。この時に、ペリシテ人がイスラエルから奪い取っていた町々は、エクロンからガドまで、再びイスラエルのものとなっていったのです。イスラエルの人々は、その周辺の村々をもペリシテ人の手から救ったとあります。イスラエルとアモリ人の間いでも平和であったと書いてあります。
サムエルは生涯、イスラエルのために裁きを行ったのです。毎年、ベテル。ギルガル、ミツパを巡り歩き、それらの地で裁きを行い、ラマに戻って行きます。ラマにはサムエルの家がありました。サムエルはそこでもイスラエルのために裁きを行い、神のために祭壇を築きました。サムエルの時代までは、神が中心となって、イスラエルを裁いた時代でした。それが、この後にイスラエルは王を求めていくようになります。神の支配を退けて、王による直接支配を求めるようになっていくのです。大きな変化が起きていきます。
ここまで見てくると、士師記を思い出してしまいます。士師記の神学というのがありました。それは、イスラエルの人々は平和が続くと、神を忘れ、異教の神々を拝むようになります。それを見た神は怒り、敵をイスラエルに送ります。ここではペリシテ人となります。イスラエルはペリシテ人の脅威の中で苦しみ、神の助けを求めて叫ぶのです。その叫び声を聞いた神は、助け手を送ります。士師ということです。士師に働きによって、敵は追い出されます。イスラエルに平和が訪れます。その平和の中で、再び、イスラエルは本当の神を忘れて、異教の神々を求めていくようになります。偶像礼拝に走っていきます。このような流れの中にあります。これは、人間の本質でしょうか。これほど、人間は神に対して、罪を犯してしまうものなのです。悲しい現実です。でも、神はイスラエルを愛し、人を愛してくださるのです。
祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。サムエルの働きを見てきました。サムエルが良き働きをして、イスラエルの人々の神への信仰が豊かにされています。しかし、一方で、すぐに罪を犯してしまうイスラエルの人々の弱さを知ることができました。このようなイスラエルの人々を愛し、救いへと導こうとされています。今週は受難週です。イエス・キリストが十字架の道を目指して歩んでくださっています。神の導きに感謝していきたいです。この感謝を、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)