海辺の暮らし

この歳まで引越しや旅行を繰り返してきた私が、これからの旅も交えて街や漁港のことを書いていきたいと思っています。

伊東温泉競輪場がフィットネスクラブのそばにあって。

2009-01-31 16:04:03 | Weblog
私は若いころに麻雀をしたくらいのもので、競馬も競輪も手を出したことがない。自分では、賭博は自分の人生だけで充分だと思っていた。都会の暮らしが嫌になって引っ越したのも、伊東が初めてではない。四十代のはじめには、そんな理由で福島県いわき市の泉という駅の近くに引っ越した。ここも小名浜漁港のそばで、魚港のそばに暮らすと思った最初の場所だった。そういえば、いわき市にも競輪場があった。
あのころは、「関」という競輪選手が主人公の、ギャンブルレーサーという漫画が話題を呼んでいたっけ。その後、田舎に住んでいては食べられず、仕事に本格的に復帰して横浜市の青葉区に転居し、市ヶ尾のフィットネスクラブに通ったのだが、競輪選手が何人かトレーニングに来ていて、ギャンブルレーサーのTシャツを着ていたのにはびっくりした。競輪協会が来客促進のキャンペーンに作ったものらしいのだが、まったく漫画の内容の理解が出来ていないとしか思えなかった。
競輪選手の主人公は、客を鴨呼ばわりする、相当に感じの悪い人物なのだ。
実は、伊東温泉競輪の選手も、伊東のフィットネスクラブで見かけたことがある。
聞いた話では、競輪衰退の折から三十代前半で介護士に転進したとのこと。やはりプロスポーツは、トップ選手でないと収入が安定せず大変なのだなと思ったことを覚えている。

伊東の海は思いのほかいろいろな船が来る。

2009-01-30 10:34:49 | Weblog
自衛艦が家の前の海に停泊している風景というのは、非日常的な感覚だった。伊東の海が相模湾の奥にあり、横須賀の港にあぶれた艦が順番待ちをしているようにも見える。それにしても潜水艦から帆船まで、さまざまな艦船が伊豆半島を風除けに停泊していた。ベランダで見ていると、夜明けから程なくピーと鋭い笛の音で指示を出している様子が伝わってくる。
当時はインド洋に給油のため派遣される船の姿も目に付いた。なぜ、そんなことが分かるかといえば、艦についている番号をネットで検索すると艦名はもちろん、ヘリコプターなどの装備、母港や所属艦隊まですぐに分かる。新聞の記事に出ている艦の名前を参考にすれば、インド洋から帰ってきた船、これから出かける船、そんな任務も類推できる。
現在で言えば、ソマリア沖の海賊対策で出撃準備をしている艦の中にもいとう沖で錨泊している艦がいるに違いない。真夏の海に浮かぶ艦は、金属の艦体に熱を溜め込み、陽炎が立っている。インド洋での任務は負担の大きなものに違いない。
まあ、私はといえば、夕暮れ時に灯を点した艦影を観察しながら、ビールをちびちびやっているだけのことなのだが。

鯛が本当に旨い魚だと知ったのも伊東だった。

2009-01-29 09:07:27 | Weblog
鮮魚店富士一丸には、東京の魚屋では見かけない魚がいろいろと並ぶ。もちろん、千キロ沖にも台風などのない、海が凪いでいて水揚げが豊富な日の朝に限られたことだが。
ある日、小ぶりだけれど鮮やかなピンク色をした鯛が数枚並んでいた。東京の市場に持っていくには形が悪く、数も上がらなかったいわゆる端物の天然真鯛だった。値段も1000円を切っていて、我が家の夕餉の膳にはいいところなのだけれど、私の最初の感想は「鯛か」という程度のものだった。養殖の鯛が普通の東京周辺では、飲み屋で鯛の刺身などがメニューに並んでいても、それほどありがたい魚だという印象がない。上がりに鯛茶づけを頼んでも、これは旨いと思った記憶がなかったのだ。
ところが、富士一丸のオヤジが、「これは買い得だから、食べてみなよ」と強く勧める。土地の魚屋の勧めを断るのはあまり賢い選択とは思えない。それだけの理由で、私は鯛を買って帰った。
鯛を見た妻は、案の定あまりいい顔をしない。鯛は鱗を引くのが結構大変なのだ。魚屋の大きなまな板、自在に水を流す設備があればそれほど気にならないが、家でそれをやるとなると大変な作業だからだ。
そんなハードルも越えて、その晩は鯛尽くし。店先では小ぶりに見えた鯛だが、家のまな板においてみると結構立派なカタチで、刺身に、鯛茶、兜煮と満喫できた。
それで、なぜ魚屋で捌いてもらわないのかという疑問をもたれた方もあるかと思うが、町場の魚屋と違い、市場近くの富士一丸は、料理屋などが主な相手で、丸のままで売るのが普通だ。自分で魚を捌く人でないと、安くて旨い魚はお預けだ。

近所の知人

2009-01-28 13:50:30 | Weblog
ネットで家賃が安い上に面白そうな物件を見つけたというだけで伊東に移住してしまった私だが、1年ほど時間がたったころ、ご近所に知人が移り住んでいることを知った。教えてくれたのは古い友人で、宇佐美にIが住んでいると教えてくれた。
宇佐美とは、同じ伊東市ではあるが、伊東線で熱海よりに一駅戻った駅だ。Iは、私よりもいくつか年上で、バブルのころにはヒット作を飛ばしたこともあるCFのディレクターだ。昔、友人に連れられて、浅草の花火を見に彼の事務所兼住居に行ったことがあるが、大勢の見物客があふれる部屋の天井でミラーボールが回っていたのには驚いた。
そんなわけで、あまり親しく付き合いたい相手でもなかったのだが、ご近所になった挨拶の電話を入れ、彼の家を訪ねることになった。熱海方面から国道135号線を車で来ると、ここから伊東市という標識が見えるとすぐにトンネルが二つ続いた後で、高い峠の上から海に向かってつづら折れの下り道を降りると、そこが宇佐美で伊東に向けて大きく湾曲した砂浜と、遠浅の海だ。
彼の家は、まさに国道を挟んで海の目の前に立っていた。建築家の自我が見える、ちょっと目立つ家だ。
彼は、だいぶ前に妻をなくし、まあ一人住まいで、海の見える丘の上の墓地も買ったというから、この地の骨を埋めるつもりなのだった。それだからこそ、土地の人間とも付き合い、祭りなどにも顔を出していたようだ。
いや、もともと苦手なちじんっだたので、結局二、三度顔をあわせ、飲んだだけで電話もしなくなった。あちらからも電話がないのだから、彼も私が苦手だったのだろう。

伊東の物価についてご紹介しよう。

2009-01-27 09:16:53 | Weblog
私のBlogで伊東にいってみようと思う人がいたら、少しアドバイスをしたい。特に、車で伊東に行こうとする人は、ガソリンタンクをいっぱいにしてから出発したほうがいい。伊東だけに限らず、伊豆半島全体のガソリン価格がほかのエリアに比べて10円くらい高いのだ。観光スポットの多い伊豆での移動をリーズナブルにと考えたら、前もっての給油。そして、伊豆半島を脱出してから、岐路の分を給油するのが賢い旅人の旅行法だ。
首都圏から行く場合、厚木のあたりで満タンにする。湘南方面からの人は、平塚界隈で給油したほうがいいだろう。厚木経由であれ、西湘バイパス経由であれ、有料道路を離れて伊豆の入り口に来た名と感じる小田原では、もう遅すぎるのだ。
伊豆半島で買い物をしてお得な感じがするのは、魚。私は、伊東在住時代には本カワハギが好物だったのだが、これはそこそこのサイズのものを一尾200~300円で買うことができたからだ。現在住んでいる千葉県の市川にもそれなりにしなぞれをした魚屋があるけれど、本カワハギに1000円以下の値段がついているのを見たことがない。馬面ハギなどは、大型で肝の大きなものが本カワハギと同じような値で手に入ったものだが、これも1000円越え。伊豆半島では、魚を堪能してください。
ああ、新鮮な野菜類も安いのだけれど、この話は次回に譲ろう。

伊豆にはネィティブな祭りが結構残っている。

2009-01-26 11:06:18 | Weblog
前回祭りに触れたので、もう少し書き込んでみよう。
町中を注連縄で囲んで結界を作るのは何も伊東の祭りだけのことではない。私が、伊東では祭りが終わった後で伊東線で熱海方面に向かう車窓から見たのは、すでに熱海市のはずれである網代のあたりでも、町中注連縄が張り巡らされてる光景だった。その後車で下田方面に走ってみても、同じ光景が広がる。集落のなにか、よそから押し入ってくる力に、その細い注連縄で抵抗した住民たちの連帯。古い日本人の祭りの原点が見えるような気がした。観光用に乱造された祭りでは、ここまでのことはしない。
まあ、伊東は観光地だけに、観光用のの祭りがたびたびあり、ほぼ毎月何か祭りをやっているような気がする。また、花火大会も多い。夏の花火は、あちこちでやっており別に珍しくもないだろう。熱海の花火は伊東よりも華々しいかもしれない。
しかし、私が伊東に住んでみて感心したのは、真冬の花火だった。
夏場の花火と同じ、私が住んでいた湯川、松原地域の前の海、オレンジビーチで花火を上げるのだが、冬の澄んだ空気の中、花火の音が遠くの山にこだまする。そして、海面を映し鏡に咲き誇る巨大な火の華。手先がしびれるような寒さの中でも、浜まで見に行く価値がある。
もちろん、見終わったらすぐに近くの銭湯に行って温まって、飲んで寝る。

祭りのない町、別荘エリア。

2009-01-25 10:45:36 | Weblog
一碧湖にある、イトーピア別荘地には千戸ほどの別荘が並び、その約半数に永住型の住人がいるという。これは、そこに住んでいる人がフィットネスクラブで話していたことで、ほぼ正確な数字だろう。そうすると、夫婦で2倍。1千人の住人がいることになるのだが、そのあたりを車で走ってみても、人影はまれだ。別荘地内には、洒落たレストランやパン屋などもあり、そこでは人を見かけるが、景色が売り物のエリアなのに散歩しているような人はほとんどいない。
私が住んでいた湯川は駅も近く、寂れたスーパーとはいえ毎日の買い物に困るようなことはない。寂れた駅前通りでも、観光客が行き来する。暮らしている実感は、この人の気配ではないかと思うのだが、どうだろう。
そして、私が移住してまもなく伊東の秋祭りがあったのだが驚いた。もう東京の周辺ではあのような濃密な祭りの演出を見ることは出来ない。ある朝起きてみると、祭囃子の音が聞こえる。まだ準備段階だが、それでも町会の青年(やや老けている)たちが、町中を結界に包み込むように注連縄を結んでいく。
新参者の私たちの家の軒も、かなり離れたお隣と電柱などを間に介して結ばれていた。
私もひねくれ者で、町会の付き合いなどしないほうだが、千円ほどの奉納金でちゃんと祭りの一員として迎えてくれたのだ。飼い猫が病気のときに、近所の人に病院を教えてもらうことも出来る。
別荘地は違う。地域社会を繋ぐ神社や祭りが存在しない。孤立した生活があるだけだ。これは私の提案だが、リゾート地に住む場合でも町に住まないと、長続きしない。駅から遠いと、車が故障したり、雪が積もると孤立していしまう。
人々が肩を寄せ合って生きるのには、やはり意味があるのだ。

さらに別荘生活についての

2009-01-24 09:45:06 | Weblog
これは別荘に永住するつもりで伊東に住んでいる人たちから耳にした愚痴である。
どうやら定年退職してまもなく移住してきた人たちは、現代の基準で言えばまだ働き盛りで、十分に体力も気力もある。だから、毎日の買い物に車を運転して出かけることも苦にならない。それどころか、毎日が日曜日の暇な時間を生かして、道路が込まない平日に下田や西伊豆など、交通の便が悪いところまでドライブしたり、平日料金で安くなっている宿に気ままに泊まったりと、生活をエンジョイする。まさに、夢のとおりの生活だ。
ところが、ひとたび運転手である亭主が病気にかかったりすると、近所に病院がない事実に気づかされる。妻も運転が出来れば幸いだが、年齢的なものか70歳代の女性の免許所持率はきわめて低く、ほとんどが陸の孤島に島流し状態となる。それまではさほど親しくしていなかった、近所のご主人の運転する車に相乗りさせてもらって買い物に行くしかない。毎日タクシーで買い物とは行かないのだ。
初めのころは、自宅に引いた温泉も体が温まると思って楽しんでいたけれど、よく考えれば温泉感のないごく普通の風呂場だ。どこか日帰り温泉にでも行かなければ、気分が味わえない。
子供たちは、大体一度顔を出して、「こんな所か!」と言った反応で、二度と訪ねてこない。ともかく不便な田舎に住むに夢以上の決心が必要で、ほとんどの人にはその準備がない。さて、これから先はと考えると、別荘を手放して生活の便がいい都市に舞い戻る算段をすることになる。
このタイプは、本当に多いようだ。

永住別荘生活の真相

2009-01-23 09:26:10 | Weblog
伊東は東京近郊のリゾート地として、市内のあちこちに大型開発された別荘地が多く見られる。伊豆高原や一碧湖周辺にあるのは、その代表的な例だ。高齢化社会ということもあって、リタイア後は、その別荘に永住する人も増えている。
実は、フィットネスクラブの会員の半数は、そういった別荘の住人だ。別荘地では積極的に街づくりをしようとする人は少なく、ほとんどの人が散歩のときに挨拶する程度で、生活に干渉しないいわば都会での生活をそのまま持っていった暮らしをする人が多いようだ。断定的にいえないのは、フィットネスクラブで顔を合わせた人たちから耳に入った断片的な情報から類推したことだからである。日ごろは孤立している人たちも、フィットネスクラブでは結構饒舌に井戸端会議をやっているわけで、何か寂しい印象がある。
もちろん大半の人は東京時代の家はそのまま残し、馴染めなければもとの家に帰ろうと考えている。おそるおそる、別荘住まいを始めているのだ。
大概の新住人は、3月くらいに夫婦でクラブの会員になり、初めのうちは二人で通ってくる。車が足代わりなので、一緒に行動しないと買い物にも不便する事情もあるからだ。そして、そのうち熱心な妻か夫だけがクラブに来るようになる。同じ趣味を共有するというのは、案外難しそうだ。
しかし、別荘に住むハードルはもっといろいろあって、そのあたりは次に話そう。

工藤精肉店はちょっと強烈。

2009-01-22 10:38:59 | Weblog
伊東の駅前通りを150mほど歩いた右側にある、工藤精肉店。一見、どの町にでもある肉屋だが、実は違う。高級な牛肉も売っているが、この店を特徴付けているのは、天城の猪や鹿肉を売っていることだ。
まあ、それも地元の猟師が獲った獲物が、合法的なルートで流れているのだろうから、基本的に大きな問題ではない。私も鹿肉の刺身は好物で、たまに買って変えることもあった。
ショッキングな光景に出会ったのは、引っ越して最初の冬のことだったと思う。
寝室のある2階の大きな窓が東向きで、朝日で部屋をいっぱいに満たしてしまうせいか、私は横浜時代に比べて早起きになっていた。それで、近所に散歩に出かけたのだが、精肉店の前を通りかかると、電柱に何か見慣れないものがぶら下がっているのに気がついた。
大きな猪である。ロープで縛った足を電柱のステップに引っ掛け、逆吊るしにされていた。さわやかな朝の散歩に、まったく似合わない。
猟師が射止めてきたものを吊るしたらしいが、駅前の商店で見慣れた光景になっていることにいちばんの驚きを感じた。そのあたりを歩く近所の人が、誰一人気にも留めていない。「いや~、今年の初物かい?」などと声を掛けていく人もいる。
山並みが海に迫った港町では、魚だけでなく、肉も地物なのだ。