海辺の暮らし

この歳まで引越しや旅行を繰り返してきた私が、これからの旅も交えて街や漁港のことを書いていきたいと思っています。

いまも壁にかかる、小さな港の油絵が吹浦を思い出させる。

2009-03-07 10:38:40 | Weblog
私が吹浦に住んでいたのはせいぜい5歳くらいまでのことで、記憶と言うほどのものが残っていないのは当然だろう。それでも、幾つか憶えていることはある。それが、何か重要なものと言うわけではなくて、どうして憶えているのか分からないような日常の破片なのだけれど。
今では吹浦の駅から海岸線に出るには、国道7号線を渡らないといけない。いまから56年前にはそんなところに国道などなく、小さな港の横を松林の方に舗装されていない道が続いていた。母に手を引かれて、その道を何度も歩いたことは憶えている。
おそらくその光景は秋のことだったのだろう。松林のはずれから集落に続く道を手前で左にそれると、お婆ちゃんと呼んでいた人の家があった。おじいちゃんは亡くなってすでに3年ほどたっていたのだと思う。
私たち親子が住んでいたのは、その家のすぐそばの小さな家で、何かと言えばお婆ちゃんの家に遊びに行くのが私の日課だった。
その日、お婆ちゃんの家に続く砂地の小道を歩いているとき、コスモスと矢車草が風に揺れていた。その光景が頭から離れない。
よく晴れた日のことで、空気は乾いていた。この記憶も、秋を証明している。庄内平野の夏は湿度が高く、とても凌ぎにくいところなのだ。
その先で私はお婆ちゃんと会ったのだろうか?それは憶えていない。その小道に揺れるコスモスばかりが思い出されるのだ。