実朝忌かの歌今もあたらしき
さねともきかのうたいまもあたらしき
仄暗き鎌倉の地で果てた人
紅顔なるを歌にて残す
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源実朝は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の子どもで、将軍にして、天性の歌人と言われました。
その生涯は1192~1219年の28年間と短いものでした(建保7年1月27日忌)が、若いころに和歌に熱中、夢に啓発されて詠んだ短歌を神社に奉納するなど、天才を感じさせるエピソードもあります。
源実朝の歌の特徴は3つあげられます。
万葉調→藤原定家に師事した折に万葉集を贈られ、それを元に研鑽を積んだため、作品の多くが万葉調であるところが源実朝の和歌の特徴の一つです。
例:大海の磯もとどろによする波われて砕けて裂けて散るかも
本歌取り→万葉集だけではなく、その後の古今集、新古今集にも多くを学んでおり、それらの本歌取りをして詠まれた歌も多くあります。
例:吹く風のすずしくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり
独創性→時代を超えて人々を驚かせ、また共感を呼ぶような特徴ある独創的な和歌があるのが実朝の大きな特徴といえます。
例:時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまへ
源実朝には「金塊和歌集」という歌集があります。
実朝22歳までの和歌を収録。収録数は約700首もあります。
「金槐」の意味→「金」は鎌倉の「鎌」の偏、「槐」は大臣の意の唐名「槐門」の略です。
「槐門」の「槐(えんじゅ)」とは植物名、木の名前です。
古く周の時代、この木を朝廷に三本植え、政治的な最高位・三公(日本でいう太政大臣・左大臣・右大臣)のおわすべき位置を示したことから大臣の意味を持つ。
つまり、金塊は「鎌倉の(右)大臣」の意味で、実朝のことを指します。
金槐和歌集の成立年は、1213年(建暦3)とされています。
ただし、実朝が右大臣になったのは暗殺直前のことであるため、金槐和歌集は、実朝の死後に編まれた歌集につけられた名称と言われています。
以下の代表作は主にその金塊集からの抽出です。
源実朝の代表作和歌として、最もよく知られている有名な和歌3首を最初にあげます。
・箱根路をわれ越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄るみゆ
・大海の磯もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも
・世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも
最後の歌は百人一首の93番に選ばれたものです。
まず上の3つの代表作から現代語訳と解説を記していきます。
箱根路をわれ越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄るみゆ
読み:はこねじを われこえくれば いずのうみや おきのこじまに なみのよるみゆ
現代語訳と意味:箱根の道を越えてきたところ、伊豆の海が伊豆の海が開けている。沖の小島に白波が寄せているのが見えるよ
解説:箱根を旅して、伊豆の意味の雄大さに感動を表す内容の歌で、斎藤茂吉は、この歌を金塊和歌集の代表作としています。
万葉集の本歌取りで、調べは万葉集に比べると柔らかいですが、「繊細な巧を弄せぬところに尊重すべき特色を持っている」という茂吉の評の通りです。(短歌のことより)
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鎌倉幕府の騒乱の中、僅か26歳という若さで落命されましたが、天才的な和歌の詠み方だったようで今の時代にも通じますね。
短歌を詠まれているたくさんの方々の作品を楽しみに毎日見ています。
私の師は皆様方のようです。
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昨日はカラオケ教室がありました。
昨年まで30年間発表会を行っておりましたが、今年はおさらい会という形でこじんまりと行おうということでした。
一年に一度くらいみんなの前で歌うのも悪くないかと思います。
楽しみでもあります。