Athletic Club de Fukuoka

アスレチック福岡

ユースフルネス

2008-11-24 | 考察08
【第43節】△2-2愛媛FC(H)

たとえ消化試合を圧勝したところで、心からは喜べないかもなぁ…と、選手も心の奥で思っていたかは知らないが、モチベーションの低い立ち上がりに、こちらも気分が盛り上がらない前半戦。ところが、先制されてからは、場面転換が次々に訪れ、まずまず「楽しめた」試合になった。

失点後、目が覚めたように攻め立てた10分間、ハーフタイムのブーイング、後半開始早々の猛攻と芸術的クロス、丹羽の退場で暗転、きれいにブロックを形成して食い止めた後半、退団が決まったタレイの思い出投入。消化試合を、ただの消化試合にしないエンターテイナーぶりだった…のだが。

これで最後の場面、若い衆が猛然とゴールに向かって走り抜く姿を見せてくれていたら、エンターテイメントとして完成していた。J1時代の万博や大宮で見せた、若々しく捨て身で走りきった、あの再現を。ところが、防戦に力を割くという体たらくの終幕。これでは「楽しめた」が単なる嫌みにしかならない。

センターラインにユースケ、北斗、柳楽。脇を固める城後とジュン。文字通り、彼らを中軸としたチームにならない限り、クラブに未来はない。そういう意志を込めたスタメンだったのなら、最後までピッチに残しておいてほしかった。ランニングハイを超えさせなければ、いつまでたっても覚醒しない。

「ベストメンバーで勝利を」「レギュラーは勝ち取るもの」…というのは正論だが、それだけでは癒えないほど、傷は深い。■

ラビット

2008-11-03 | 考察08

【ナビスコカップ決勝】○大分2-0清水

亀のごとく、はうように歩を進めてきた大分。一足飛びにチームを手に入れ、その後は惰眠をむさぼってきた福岡。昔から、ウサギよりカメが先にゴールにたどり着くと決まっている。

ウルトラは「博多の男なら~」と歌うが、「博多のチーム」であるうちは県全域から支援されるクラブにはなり
得ない。博多の文化には排他的な側面がある。山笠しかり。しきたりを振りかざし、仕事中でも赤ら顔で法被姿。部外者がしきたりに触れると、狂ったように怒る(怒られた)。七社会しかりだ。

大河ドラマを見るにつけ、福岡は九州の中心と思っているプライドの、いかに薄っぺらいことか。排他主義はライオンズを、ダイエーを見捨てた。孫さんは七社会の小金持ちぶりを見て、距離を置いた。ソフトバンクが傾いたとき、ホークスに手を差し伸べられるのか。口は出しても…に違いない。

私も博多の人間ではないし、山笠にも特に熱くなれない。だが、アビスパは「福岡のクラブ」だと思っているから、熱くなれる。大分を応援するオバチャンがテレビのインタビューにこう答えていた。「生活の一部です」と。大分では、スポーツは文化に育ちつつある。私にとってもアビスパは生活の一部だ。

クラブが成長するには、観客動員にしてもスポンサー獲得にしても幅広い支援が欠かせない。カギは、ライトな層にもサッカーが文化として受け入れられるかどうか。福岡では野球が文化になりつつある。素地はある。働き蜂のごとく、力を合わせて地道に進むしかない。■