2019年10月訪問
苦悩の道を歩んだ ユトリロ モンマルトル美術館
今では日本でも有名になった画家『モーリス・ユトリロ』(1883-1955)
しかし彼の人生は苦悩に満ちたものでした。
『ユトリロ』は画家の母親『スザンヌ・ヴァラドン』から生まれました。
『スザンヌン』の生活は不安定で、幼少期には彼女の母親に預けられました。
『スザンヌ』の母親は、むずかる『モーリス』を眠らせるために、
スープに葡萄酒を混ぜたりしました。
《ピガール広場》(1910) 油彩 カンバス
学齢期は母親が結婚したこともあった経済的に安定したため、
寄宿舎付きの学校に入りました。
しかし問題を起こし退学になってしまいます。
その後17歳になったころに絵を目指すようになります。
《ピガール広場》はピガールの街の風景が描かれています、パリの古い町並み、
特にその古い石の外壁の雰囲気がよくあらわされています。
《廃墟の修道院》(1912)
この作品は《ピガール広場》と同じ白の時代に書かれたものです。
壊れかけた修道院が画面全体に描かれています、がらんとして人気がない
そんな修道院がちょうど『ユトリロ』の心象風景だったのでしょうか。
《ムーラン・ド・ラ・サンノラ》(1912)
この作品は《廃墟の修道院》とは対照的に、風車と小さな家は右に寄っていて、
中央から左上はまったくの空です。
寂しげな木が二本上に伸びていきたいのにそれも果たせなかったのかのようです。
子どもの頃父に連れられて『ユトリロ』の絵を見たのをはっきりと覚えています。
彼の絵に人がほとんど描かれていないのに不思議さを感じたからです。