annann掲載の影響でしょうか、最近ぽつぽつと鑑定のお問い合わせをいただきます。その中に、遠くにお住まいで対面鑑定には行けないから電話やFAXで鑑定して欲しいというお申し出があった。
この方、仮にAさんと呼ぶが、ネット環境も整っていず、連絡は電話かFAXのみとのこと。お話しを伺って、Aさんの事情もとてもよく分かるのだが、お電話の雰囲気から私の直感が察した信号は「要注意」だった。
Aさんご自身が大変な手術をし療養中なのに、ご家族にも大病された方がありその方の看病もしている。不幸のどん底だというお悩み。「なにか一言でもいいからアドバイスが欲しい」という。簡単なことだし、それくらい鑑てあげればいいじゃん という気持ちもあったのだが、危険信号を知らせるアラームが鳴り響いている。何故?!
結局のところ、今の私ではご要望にお応えする準備も力もないこと、特に、このような心の内面と密着している内容は対面でないと難しい旨をご説明しお断りさせていただいた。
不幸のどん底に落ちているときに占い師に鑑定してもらうことは別段おかしいことではないが、こんなときほど「どれだけの効果」が出るかを見極めなければいけない。
まず、病院に通院している方は要注意なのだ。病気になることは「気」が病んでいる。こういうとき人は陰気のほうに傾いていて明晰な判断力が失われている。もちろん読解力も低下している。そういう人に文字での鑑定結果の提供は心ならずも「都合のいいところだけ信じる」という副作用をおこさせてしまう危険がある。その言葉をよすがに医師の指示を受け付けず命の危険に及ぶケースもあるのだ。
次に電話で感じる波動(みたいなもの)のコンディションが悪い感じ。言葉とは非常に曖昧なもので、どんなに言葉を尽くしても真意が伝わらないことがあるのだ。対面で鑑定していれば私の言葉がきちんと「腑に落ちた」かどうかは体感できる。分かってないのに分かったフリをしているのか、都合のいいようにつぎはぎしているのか、本当に魂のレベルで響いたかどうかはクライアントさんの反応でバッチリわかるものなのです。
特に言葉を受け入れる隙間がないと入っていかない。私が鑑定中に馬鹿な話をしたりお笑わせようとするのは言葉が入っていく隙間をつくる作業でもあるのだ。後から発芽するように埋め込める言葉の種や、今すぐ愛でられるようにした言葉のブーケを緻密に配置しているのだ。ただの面白い占い師ではござらぬ。決して!! まあ、それはそれとして…。
対面鑑定ならあの手この手を駆使して埋め込みますが、FAXなどではちょっと難しいレベルの何がしかを注入する必要があるクライアントさんなのだ、Aさんのケースは。
今回の場合は文字だけではAさんの背負われているものを解消する力が足りないと私の直感が危険信号を勢いよく鳴らしていたのだ。
まず、病気を治すことが先。占いはその後!運気が落ちているとかチャンスが来るとかは本人の生命力がきちんとあった上での話です。まず健康体を手に入れましょう。大概の不幸は健康になれば逃げていくものです。心も身体も健康で陽気をバンバンだしてる人には不幸は近寄れません。ホントのはなしです!
気が病んでいるとドンドン陰気なものを寄せ付けるのですよ。だから自身の気をみなぎらせてよからぬものをはねつける基礎体力をつけるのです。規則正しい生活と腹八分目の食事。適度な運動とおしゃべりと笑い。コレが人生を豊かにする基礎の基礎です。
占いは人生に奇跡を起こすこともできるように見えますが、奇跡を起こしているのはあなた自身です。占いはそのためのスイッチのありかを探す技術なのです。あなたの意思と行動力がなければ奇跡の扉は閉まったまま。占いとの付き合い方、この機会に考え直して下せればとてもうれしいです。
元来、私は何を問われても答えてみたくなる習性があるのです。素直に「知らない」と言うのが嫌なので…。知らないことが自分の中にあることが悔しいとでも言うのか…。それでよく失敗をする。だって、それは正しい行動ではなくエゴだから。今回せっかくのお申し出をお断りしたのはエゴで他人様を惑わしてはならぬというお告げだったのでしょう。
この件でタロットを引いたら「6恋人」が出ました。恋人たちの上に飛んでいる天使が私に向かってニヤリと笑いかけていました。直感に従ったことをお褒め頂いたかのようでした。