今年の母の日。
夫が買ってきてくれた花束を、娘が手渡してくれた。
(といっても娘には意味が分からず、私に押しつける感じだったけど)
下のリボンを止めるシールには
「おかあさんありがとう」と印刷してあった。
おかあさん、か…
私って、おかあさんなんだ。ふだん、自分は母親であると
始終意識しながら育児しているわけではないし、
娘にも「ママ」と呼ばせているから
(私のキャラではないけど(笑)、夫が「パパ」なので)
おかあさん、とは何だか不思議な響きだ。
もっとも、娘もママ~と私を呼んで返事がないと
「おかーさん!」と、わざとか否かはっきり言うことがあり、
「はいっっ!」と、そんなときは直立不動してしまうのだけど(笑)
それはさておき、おかあさん、とは
くすぐったいような気もするのと同時に、胸の中に何ともせつない
郷愁を誘う言葉でもあるように感じる。
母親が存命中の人もいれば、他界した人も、
特に今年は、突然の別離を余儀なくされた方々がどれほどあろうことか…
しかし、どうだろう、おかあさんというのは、実は
“胸の中に棲むもの”
なのかしら。
という気が、ちょっとしてきた。
なぜなら、おかあさんは、やっぱり胸の中にいる。
一緒に住んでいても、離れていてめったに会えなくても、別の世に行ってしまっても、
やっぱり、胸の中で「おかあさん」と叫んでいる。
そもそも、産みの親だけでなく、配偶者の親、
あらゆる意味での自分を育ててくれた女性、みんな「おかあさん」だ。
おかあさんを、胸で叫んでいる。
おかあさんって、そういう存在なのかな――
どうかな…
おかあさん、ありがとう。