2022/10/16(日) 晴/曇
今日は、予想最高気温27°と快適な秋日和の午前中、玉東町主催の玉東フットパス「吉次往還とみかん畑コース」を歩くイベントに参加して来た。
午前9時過ぎに「半高山古戦場多目的広場駐車場」(写真1参照)に到着する。駐車場はほぼ満杯、盛況なようである。
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主催者の挨拶(写真2参照)があって、簡単な準備運動をする。4km弱を2.5時間で歩くとのこと。
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先ずは半高山山頂を目指して標高293.9m、標高差50mの坂道(写真3参照)を歩き始める。
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山頂から眺望を楽しんだ後は、木葉山を正面に見てみかん畑の中を県道113まで下る。県道を左折して、町指定文化財「原倉清田氏五輪塔」(写真4・5参照)を見る。
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五輪塔を後にして、県道113を少し西に辿ると放牛石仏72体目が鎮座する御堂に到着する。主催者の人か地元の人か詳細は分からないが、有難いことに小休息のための蜜柑やお茶等の接待があった。
その後、幻のすももと言われる糖度17%の「ハニーローザ」の果樹園(写真6参照)を見る。栽培者が少なく、故郷納税返礼品に指定されており、町在住者でも入手困難とのこと。この果樹園は町が管理しているそうである。
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半高山(写真7参照)を左手に見ながら、ミカン畑の中を登り返す。
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やがて大隅果樹園さんのみかん畑で摘果の体験(写真8参照)をして、腹いっぱいみかんを食して、吉次往還まで下り右折して半高山駐車場に向かう。
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吉次往還が広域農道と合流する角に、林桜園の歌碑(写真9参照)が建っている。
「見るままに 山の雨雲立ちこめて 木葉の里は 打時雨つゝ」
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説明文(写真10参照)には、「林桜園は寛政九年(1797)十月二十八日熊本市山崎町に生まれる。名は有通、通称籐次、桜園は号である。時習館に入学、十四歳で退学、後十六歳で国学者長瀬眞幸に入門、和漢の書を読み、刻苦勉励し大成した。幕末維新当初の大学者、思想家、敬神者、門生は千二百余名。
朝廷のお召しで明治二年(1869)九月上京、翌三年四月まで在京。有栖川宮、岩倉公の下問に答えている。六月四日熊本帰着、後病気になり、閏十月十二日新開大神宮の大田黒家で亡くなる。寿七十三。生前、文政九年より十二年まで玉名郡青野村、伊倉町に開塾、時雨の歌は熊本から青野伊倉に趣かれた折の作である。」とある。
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駐車場(写真11参照)に着くと、赤飯栗おこわのおにぎりと手作りお菓子の振る舞いがあり、小腹の隙間を埋めて正午過ぎ帰途に就く。至り尽くせりの主催者の配慮に感謝したい!
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総所要時間2.5(実2)時間 歩行した標高差約320m