熊本から気ままに山と自転車のブログ

大牟田市宅ヶ峰古墳・潜塚古墳・萩ノ尾古墳

大牟田市宅ヶ峰古墳・潜塚古墳・萩ノ尾古墳
2016/4/12(火) 晴

今日の天候は晴、目的地は大牟田市の古墳、午前11時出発。
熊鹿ロードを北方向へ走り、県道31、国道208走る。
玉東町稲佐から台地を避けて木葉川沿いに走り、高瀬大橋を渡る。
国道208を逸れ、玉名駅前からJR線路を左手に見ながら並走する。
大野下駅前に出たら大ソテツも見たいと思いながら走るが、道は鉄道線路から遠ざかり次にJR線路見えたのは長洲中学校の所だった。
国道208に出て、荒尾市を通り大牟田市に入る。
宅ヶ峰の水道配水池の建物を目標に走ると宅峰中学校に着いた。
ここからは先はお訊ねするが得策と地元の人に教えて頂く。
動物園の横から延命公園に入り、自転車を担いで公園を登る。
山頂は峰が二つあり、北側は戦争犠牲者慰霊碑があり、古墳は南側の貯水池の脇にあった(写真1参照)


古墳石室入口は密閉さている(写真2参照)。


貯水池側から見る(写真3参照)
桜の花が咲いている。
因みにこの古墳は県も市も文化財指定一覧に無いようだ。
宅ヶ峰古墳の場所:(マップファン地図)


宅ヶ峰古墳を後にして、東側に下る。
広い道(県道788)に出てこれを南に行くと潜塚(くぐりづか)古墳だと思うが、不安だから訊ねる。
東側から塚に上がる道を教えて頂く。
が、よく分からず一周して西側から上る(写真4参照)。


塚頂からは諏訪川を挟んで大牟田市、荒尾市の市街地(写真5参照)がよく見える。別当塚古墳のある稜線の山並みが遠景をなす。
地域的には一体に思えるが、肥の国と筑紫の国の勢力のせめぎ合いの結果の県境か?


東側に下りと説明板(写真6参照)があり、国指定史跡で四世紀前半の古式古墳とある。


東側から見た潜塚古墳(写真7参照)


塚を下ると、道際に入り口が閉鎖された横穴墳か防空壕の跡(写真8参照)があった。
潜塚古墳の場所:(マップファン地図)


潜塚古墳を後にして諏訪川沿いを溯る。
丘陵地に学校らしい建物が目に留まり近付くが、米生中学校だった。
再度諏訪川畔の丘陵を目指し南下し、有明高専行の西鉄バスに追従するが振り切られる。
途中、丘に登るが天満宮だった。
再度バスが行った方向に走ると、高専入り口に萩ノ尾古墳標柱(写真9参照)があった。


右側の石段を上ると、左手に板碑(写真10参照)がある。ちょっと上向きの石仏の表情がいい。


奥に進むと説明板(写真11参照)がある。


古墳石室に弁財天を祀ってあったが古墳が国指定史跡になったことで、弁財天を安置する堂(写真12参照)を建設したとある。


弁財天堂と古墳上屋の間に浮彫の石像(写真13参照)がある。
袋を背負う姿をしているので布袋様の像か?
遠い昔を偲んでの建立か?


さて、古墳上屋(写真14参照)は鍵がかかっていて入れない。
信号機のある交差点の近くのコンビニで借りられるようだが、時間がないので残念だが今日はここまでと帰途に就く。
萩ノ尾古墳の場所:(マップファン地図)


今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)50km→宅ヶ峰古墳6km→萩ノ尾古墳44km→熊本(自宅)所要時間8時間(実6時間) 総計100km 走行累計16,509km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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