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熊本から気ままに山と自転車のブログ

大場六地蔵・大迫六地蔵・徳太六地蔵・首塚三神社

大場六地蔵・大迫六地蔵・首塚三神社・徳太六地蔵
2022/3/11(金) 晴

今日の最高気温予想21°今日も快晴。11時から南関町方面へポタリングに出る。
目的地は、南関町指定文化財の大場六地蔵・大迫六地蔵・徳太六地蔵とする。

往路は、熊鹿ロードを北へ走り、山本橋から県道3を北進する。菊池川を渡り南関町下坂下から左折して、0.5km程行った三叉路の左角に大場六地蔵(写真1・2参照)は鎮座している。
幢身は四角形をしている。宝珠と笠は新しいのか風化は見られない。


龕部(写真3参照)の仏像は、かなり精緻に彫ってある。光背もある。


大場六地蔵を後にして、大迫六地蔵に移動する。
大迫六地蔵(写真4・5参照)は、県道3から左折して県指定文化財の「来光寺の五輪塔」の坂を上りきったところに鎮座する。


六地蔵龕部(写真6参照)には、物語的彫刻がある。Googleマップのクチコミに「1518年の建立のよう」とある。


中台(写真6・7参照)について、標柱説明文には「幢身正面の仁王像、中台の十王と脱衣婆・懸衣翁は六地蔵信仰と十王信仰との関係を知るうえで貴重な資料である。」とある。


大迫六地蔵を後にして、道を西辿り旧高瀬往還に出て右折した所に、首塚三神社(写真8・9参照)がある。
Googleマップのクチコミに、「源平合戦の頃この辺りで争いがあり多くの人が亡くなられた。それを弔うための神社・・・神武天皇、宮地嶽三神、加藤清正公が祀られ・・・」とある。


首塚三神社を後にして、徳太六地蔵に移動する。六地蔵の所在を表示する南関町教育委員会の標柱(写真10参照)がある。


徳太六地蔵(写真11参照)は、標柱のある高まりの上に鎮座する。Googleマップのクチコミに「大永6年1526年の建立のよう」とある。


龕部、中台(写真12参照)とも、明瞭に彫刻が残っている。現在時刻15時帰途に就く。


帰路は県道4を選択し、西南戦争官軍本営跡の前を通り17時半帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。ウクライナに平和が訪れますように!
熊本(自宅)43km→徳太六地蔵37km →熊本(自宅)
所要時間6.5時間(実4.5時間) 総計80km 走行累計46,473km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

コメント一覧

asotakadakedake1592
Re:のぶさんへ コメント有難うございます。
六地蔵建立は、中世に始まり、主に16世紀と幕末期に多いように思います。放牛石仏は享保年間、その他の地蔵尊もその時の人々の願い、安穏な日々を願っての建立だったかと想像します。
今日の殺戮のニュースな出来事に心痛む思いがします。自転車くま
のぶ
県北の南関、和水、山鹿、菊池には六地蔵が多く、しかも、住民の方々に大切にされているようですね。彫られたお地蔵さんの姿を見ていると、本当に世の中から殺し合いが無くなって欲しいと感じます。
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