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熊本から気ままに山と自転車のブログ

小原権現・小原八幡宮

小原権現
2022/4/15(金) 曇/晴

今日の最高気温予想21°と涼しい。今日は「山鹿三十三観音霊場巡礼」に10時過ぎからポタリングに出た。
今日の目的地は、山鹿三十三観音霊場の2番川辺寺、4番観福寺、3番子安寺、1番紫雲寺、18番長源寺を巡礼するが、観福寺を探訪するに当っては小原権現を目標にする。

川辺寺を後にして観福寺に移動する途中に、小原権現に立ち寄る。権現は、元横穴墓が陥没した後と思われる入口(写真3参照)を通って上がる。左側に石段がありそちらからも上がれる。


権現(写真4参照)は、中央に土大権現、左に八竜大神、右に豊受大神が鎮座する。
土大神は、この横穴墓の被葬者か。


由来が石(写真5参照)に刻まれている。
「小原の地域が昔沼地で五穀の稔り薄く年々の飢饉と病広まり難渋せし時代、美田を作りたいと萬民の幸福を願い伊勢の宮に祈願いたし豊受の神 外に八大龍神 土の神を安置するものです(奇贈者放名・・・)」とある。八龍神を祀る神社が下鍛冶屋地区にある。


観福寺は、権現を北に廻り細い道を詰めた所にある。


小原権現・小原八幡宮
2017/12/2(土) 晴

「菊池川流域古代文化研究会講座~菊池川流域の日本遺産認定を受けて~」を受講しに熊本県立装飾古墳館まで行った。
今日は、山鹿市地域に限った内容であった。
講座の最後の質疑応答の時間に、「菊池川流域地名研究会」代表の中原英氏から菊鹿盆地から流れ出る菊池川の流路について発言があった。
志々岐、鍋田から流れ出る現在の流路は、弥生時代後期か古墳時代前期の地震による断層に沿ってできたもの。菊鹿盆地が茂賀の浦という湖だった頃の流出口は春間だったという。
帰宅して国土地理院の地図で調べたら、春間の標高は30m~35mで湖岸だった思える地形が標高30mラインに残っており、納得できる話であった。
また、茂賀の浦湖蹴破り伝説の健磐龍命を祀ってある神社があるということで、あてはないが探してみることにする。

山鹿市小原の台地に上って見たが、それらしい風景は見えないのでそのまま小原の集落に下る。
すると、観音堂があり、横穴墓のような入り口をした隧道があった。隧道を潜ると祠の裏に出た。横穴墓の陥没したものを利用した祠のための隧道のようだ。

三基の祠(写真2参照)は、中心に「土大権現」、右「豊受大神」、左「八大龍神」とある。祠の前に拝殿がある。
ウィキペディアでは、神名で「ウケ」は食物のことで食物、穀物を司る女神とある。八大龍神は菊鹿地域には複数祀られている。水神と同一視されているのであろうか。
「土」と「水」と「食物」を祀った素朴な村人の心を思ったが、「土」は土着神か?横穴墓の被葬者?もっと深い謂れがあるかもしれない。海神族の感じもするが?



小原集落の中心には、八幡宮(写真1参照)が鎮座している。


神紋(写真2参照)が珍しい。
梅紋、車紋の一種と思うがどのような謂れがあるのか。


帰路は、日没との競争になった。
我が家に着くころには、久しぶりに月影が映る時刻になってしまった。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)27km→装飾古墳館35km→熊本(自宅) 所要時間7時間(実4時間) 総計62km 走行累計22,662km


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

コメント一覧

asotakadakedake1592
Re:のぶさんへ コメント有難うございます。
山鹿市小原に地縁のある方ですか、奇遇ですね。失礼なことを書いていませんでしたか。思いがけないところに地縁・血縁の方がいらっしゃることがま々ありますが、めったなことは書けませんね。
今後とも宜しくお願い申し上げます。自転車くま
のぶ
山鹿市小原は母方の祖母の郷里で、わたしも小さい頃、よく連れて行かれたので、記事を懐かしく拝見しました。
その頃と比べると集落の過疎化も進んでいるようで寂しい限りです。
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